わが家は、いつも犬か猫のいる家でした。
でも、私は、若いころ、それほど犬や猫が好きではありませんでした。その頃は、自分のことに夢中で、ほかの者に対する愛情が薄かったと思います。
40代になって、母と一緒に暮らすようになり、母の飼い犬だったミニチュアダックスフントのメリーと暮らすようになりました。
メリーは、2才の茶色のスムースの女の子で、とても賢い犬でした。いろいろなことを教えると、すぐにおぼえて、犬といることの楽しさを教えてくれました。
私は、出産した犬は、乳がんにかからないという、間違った情報を信じてしまい、メリーは出産することになりました。そして、2回目の出産で生まれた1匹がローリーです。
上の写真は、8才のメリーと5才のローリーです。下は上が2才のメリー、下は2回目のお産と、生まれた子犬たちです。
お産は、私が子犬たちを取り上げて、それは大変でした。でも、無事生まれると、大きな喜びをくれました。子犬はかわいくてたまらず、メリーもとてもかいがいしく面倒を見て、子犬だったメリーがお母さんに変身したのでした。
子犬を生ませると、そのあと40日くらいしてから、別れることになります。母は、いつも子犬をペットショップに連れていくときに、泣いて、別れることを嫌がりました。
2回目のお産の時は、生まれた4匹のうち、1匹は、友達のところに行ったプレッツェル、1匹は、妹のところに行ったピーターで、少しは様子が分かって安心しました。
うちにも、1匹と思い、一番小さく生まれて、体が弱そうだった子を、家の子にしました。それがローリーです。体は弱かったけれど、気持ちはとても強いやんちゃな子でした。
それから、仲はいいけれどライバルという、メリーとローリーの戦いの日々が始まりました。下の写真は7才のメリーと4か月のローリーです。
メリーは、今までは自分だけだったのにと、ローリーの存在が許せませんでした。ところが、ローリーは、自分の思うように行動しますから、ますます腹立たしかったのだと思います。
よく2匹でとっくみあいのけんかをしていたのですが、ある日、メリーはローリーの耳にかみついて、けがをさせてしまいました。
それにびっくりした私は、夫と母と話し合いをして、"まずメリー"を徹底しようということになりました。まず「メリーちゃん」と話しかけて、飛びついてきたローリーを無視するのです。
それを徹底してやっているうちに、メリーの気持ちも少しずつ溶けてきたようです。そして、ローリーは、メリーの後からすればいいんだということを理解したようです。その後は、何もかもメリーのすることを真似していました。
それからもいろいろな競争がありました。でも、メリーが乳がんと子宮摘出の手術をして、1晩入院して翌日帰ってきたとき、ローリーは家中を走り回って、大喜びしました。そんな風に、一緒にいることを当たり前と思うようになっていきました。
メリーは、15才まで生きました。上の写真は、15才の頃の写真です。年をとっても愛らしく、女の子という感じの犬でした。
ローリーは、メリーが死んで、全然元気がなくなりました。それまでは、耳をたなびかせて、庭を走り回っていたのですが、あまり動こうともしなくなりました。下の写真は、元気だったころの3才と10才のローリーです。
もともと体が弱く、アレルギーがひどかったのですが、メリーの死後、本当に弱ってしまいました。
その頃、妹のところのピーターが、よくうちに来るようになりました。ローリーは、ピーターが来ると、少しずつ元気になっていきました。2匹でくっついて遊んだり、眠ったりしている様子が、とても愛らしかったです。下の写真は14才のころのローリーとピーターです。
15才のころには、とても寒がるので、洋服を着せることにしました。妹は、洋裁が上手なので、2匹のために、私たちの古い洋服をリサイクルしてくれました。2匹でおそろいの洋服を着ていると、本当にかわいらしかったです。
そして、ローリーもピーターも16才まで生きました。みんな、自分の命をしっかり生きて、それは、けなげだったと思います。上の写真は15才のローリーです。
出産、誕生から、逝ってしまうまで、そんな生きている時間を一緒に過ごせたことを、とても豊かで実りあることだったと思います。
今もメリーやローリーやピーターのことを思い出すと、涙と笑いが一緒に出てきます。みんなに出会えたことを心から感謝しています。
そして、今は、チャーリーと一緒です。チャーリーにも出会えたことを、喜んでいます。下の写真は、わが家に来た時の3か月のころと、先日美容に行ってきれいになったチャーリーです。