満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

200のハディースその11

2007-06-30 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

賞賛に値する人格、性質について[その6](恥じるべきことを知る)

 アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「人々が手にした初期の預言(ムハンマドさま(صلى الله عليه و سلم)以前の預言者たちの言葉)の中に『恥ずかしいと感じないなら、あなたの望むことをするがよい』という言葉があります。」(アブー・ダーウードよる伝承)

 伝承学者の注釈によると、このハディースは
①恥を感じない限りは人間は良心の命じるままに行動できる。
②羞恥心を持たぬ者に対しては好き勝手な行動をやめさせる手段はない。
の二つの解釈が可能とされています。
 恥の訳としては自分の良心に聞きなさいという意味合いから恥ずかしい気持ちだけの羞恥心よりも、恥じるべきことを知る意味の廉恥心と理解したいと思います。恥が主題のこのハディ―スを礼儀作法の根源と見なし「このハディースを軸にイスラーム社会全体は動いている」と評する伝承学者もいます。

 そう受け止めますと、後世のムスリム学者たちが人間の行為は五つに区分(①義務行為、②奨励される行為、③許容される行為、④嫌悪される行為《マクルーフ:度と越えずハラームにつながる行為をしない限り罰や責任は問われないもの》、⑤禁止行為《ハラーム:来世において罰を受け、現世においても法的責任に問われる行為》)されると考えたのは、創造主の元へ帰る者として自分の行いがアッラーの規準から外れ、恥じいることがないようにとの思いが強かったからだろうと想像されます。
 
 アッラーからの目から見て徳とは日常行為によって測定されるとの意識から、人間の行為を類別し共同体内での規範・行動原理にしたものと理解できます。このような廉恥心は道徳意識の出発点であり、日常的行為の中で恥じるべきことを知る人が最も尊敬される社会が健全で好ましいとなります。

 ここで常に絶対者と向き合う宗教的態度を基盤とするイスラームの道徳論に対し、神を信じず生きている今の世しか考えない現世中心主義の道徳論との違いが明確になります。
 それはこの世で魂を磨き人間性向上を目的とする考えと、単に人間関係を円滑にするために身の処し方や生き方しか考慮しない不安定で迷いやすい有限な存在の人間を中心に据えた考え方の違いともいえます。
 

 創造主を認めないこの世中心の世俗的価値観では、人間は運命共同体の一員であるという連帯の感覚が薄れ、公共の益よりも個人の権利と個性が優先されます。他人に干渉しないことを理由に他者の存在理由に真正面から向き合うことなく、人間の本性や人生に対し深い洞察をめぐらす時間を惜しんで日常生活での利便性や快適生活、物質的豊かさのみを追求することに専念するため、道徳は敬遠されます。共同体の原理であろう道徳や社会規範を軽視する社会そのものの軽視につながります。

 生かされていることを悟らず神から離れる人間は罪の観念が希薄になり個人を束縛するものはないと錯覚し、謙虚さがなくなり自己を肯定するが他人は否定する傾向が強まります。
 常に神への感謝と畏れを失うことを恥とする人間でいたいものです。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام