بسم الله الرحمان الرحيم
السلام عليكم
さて重要な問題が残った。アリーはいつ、ファーティマに加えて別の妻を迎えようとしたのであろうか。
ムスリム史家もハディースの大家たちも、この婚約の時期については無言である。大変に重要な事柄であるのに。
恐らく結婚してまだ年月の浅い時期であったろうと考える。
確かな伝承はないのだが、状況から推測して、恐らく子供が生まれる前のことであったろう。
ファーティマとアリーが二人の生活を始めて間もなくの頃、ファーティマはアリーの荒けずりな頑固さに馴めず、アリーもまた、実家を離れた悲しみから暗く沈んだファーティマとの暮らしに耐えられなかった頃のことであろう。
そこで我々はこの時期をヒジュラ暦二年、最初の子を授かる三年目に入る前の出来事と限定したいと思う。
どのくらいの期間がかかったのか定かではないが、ファーティマの心にかかっていた雲は消えた。家庭は爽やかな雰囲気に包まれていた。励調と友愛に支えられて、夫婦は幸福な良き家庭生活を築いていった。ファーティマは家にいて夫によく仕え、少しずつ少しずつ心の奥に残されたわだがまりも悲しみも消えていった。ムハージル(移住者)たちの多くがそうであったようにファーティマもマディーナの気候になかなか馴めずにいた。アリーはそんな妻の体調を思いやって優しく気を配り、努めて家事を手伝い協力して彼女の健康を大事にした。
そこで神はファーティマを喜ばせ、ファーティマを愛する人びとをも喜ばせたのだった。ヒジュラ暦三年に長男ハサン・イプン・アリーが誕生した。吉報が父・預言者のもとに伝えられ、父は満身に喜びをたたえて飛んで来た。両腕に赤ん坊を抱えると、赤ん坊の耳にアザーンを唱えた。そして赤ん坊を抱きしめ、慈しみの眼でいとおしそうにその顔をじっと見つめた。まだ離乳も完了しない幼ない年で神に召されて逝った二人の息子を思い出していたのだろう。
マディーナは町中をあげてハサンの誕生を祝った。祖父となった預言者は貧しい人びとに赤ん坊の髪の毛の量に等しい銀を施した。
そして日に日に成長していくこの新しい大切な生命を見守るのを大変に楽しみにしていた。
ハサンが一歳、あるいは一歳を少し過ぎたときに、母ファーティマは弟フセインをヒジュラ暦四年シャアバーン月(第八月)に産んだ。
使徒は『父親のお母さん』ファーティマの胸に抱かれたこの幼ない大切なふたりに、自分の生命の延長を見る思いであった。ハディージャ亡き後、息子に恵まれる望みを失べていた父性の感情が再びその大きな心を満たし始めるのを感じていた。
使徒はその時ほぼ五十七歳であった。ハディージャを失ってから十七年余りが過ぎた。その間五人の妻を迎えている。年老いた未亡人サウダ・ビント・ザムア、幼ない処女であったアーイシャ・ビント・アブーバクル、知的なハフサ・ビント・オマル、貧しい人びとの母と呼ばれたザイナブ・ビント・ホザイマさらにウンムサラマ。このウンムサラマ、すなわちヒンド・ビント・アブーウマイヤとはヒジュラ暦四年のシャッワールの月(第十月)に結婚した。彼女には前夫アブドッラ・イブン・アブドルアサド(使徒の従兄弟にあたる)との間にサラマ、オマル、ドッラ、ザイナブと四人の子供たちがあった。
それなのに使徒はこれらの五人の夫人たちの誰からも子供を授からない。
ムハンマド・イブン・アブドッラーの子孫はこのファーティマの息子ふたりだけであった。
多くの妻を迎えながら息子に恵まれない使徒がハサンとフセインを溺愛し、溢れ出る父性愛を思う存分注いだのは無理がらぬことであった。使徒はふたりの孫を『我が子よ』と呼んで目がなかったという。
アナス・イプン・マーリクが伝えるには・・・預言者はファーティマに言った。「私の子どもたちを呼んでくれ」そしてふたりの幼児が来るとロづけして抱きしめた・・・。
アルティルミズィーのスンナ集にウサーマ・イブン・ザイドの言葉が載っている・・・ウサーマが言った。
「用事があったので預言者の家の戸を叩いた。預言者が出て来たが衣服の中に何かくるんでいた。何だか分からなかった。用件を済ませてから訊いた。『一体、何をくるんでいらっしゃるのですか』すると開けて見せてくれたところが、ハサンとフセインだった。『私のふたりの子ども、娘の子どもたちだよ。ほんとうに私はこの子たちが大好きだ。彼らを愛する者を私は愛する・・・』」
ふたりの名前は使徒の口からこぼれ出る甘く楽しいメロディーであった。
ふたりの名前をロにするのが好きであった。ふたりには格別な肉親の情を抱いた。
神はこのような大きな恩寵をファーティマに与えられた。彼女だけに預言者の子孫を授けられた。
預言者の後裔となる栄誉を受けて、以来ずっと彼女の存在は後世に記録されて生き続けている。
アリーもまた神に愛されて、この氷遠の誉れを賜わった。
神はアリーの息子を人類に送られた最後の預言者の血をひく子孫に選ばれたのだ。
恐らくムハンマドがどの娘から後継者を望むか、どの婿をこの聖家族の父に望むか選ぶことになったら、神が選ばれたとおりを選んでいたことであろう!
アリーはムハンマドにとって最も身近な男、最も血のつながりの濃い婿である。
ハーシム本家を血脈としてアブドルムッタリブで預言者と血が結ばれている。
ムハンマドは八歳になってからはアブーターリブの家で息子と同じように養育された。
ハディージャ夫人と結婚後に生活が安定すると、今度はそのアブーターリブの息子アリーを引きとって父親代わりとなって育てた。
アプールアースにも、オスマーンにも、これほどのつながりはない。
二人ともクライシュきっての高い地位にあった人物だったが.・・・。
殊にオスマーンはイスラーム史上でも大変に重要な人物であったのだが・・・。
アリーはそんな自分の立場をよく知っていた。それを誇りとし、自信を持っていた。
あるとき感情余って預言者にこう訊いたほどである。
「使徒よ、どちらがお好きですか。娘のファーティマと、その夫のアリーと!」
預言者はにこやかに答えた。
「ファーティマの方があなたより愛しいよ。あなたの方がファーティマより私には頼みになるよ・・・」
以後、使徒がファーティマとアリーに寄せる深い愛情の証しに誰もが気づいたことであろう。
通りかかったときは必ずアリーの家に立ち寄った。
また暇な時間を見つけてはアリーの家に赴き、その幸せな家族を大きな愛で包み、孫の成長に目を細めるのだった。
あるとき娘と夫は深い眠りにおちており、ハサンがお腹を空かせて泣いていた。
立ち寄った使徒は眠っている二人を起こすのも可哀そうと思ったのだろう、家の中庭に繋がれたヤギのところへ急ぎ、乳を絞ってハサンが満腹するまで飲ませたという!
またある日彼は用事で急いでいたのだが、通りがかりにフセインの泣き声を耳にして、家に寄り娘に注意した。
「フセインが泣くのには耐えられないのを知らなかったのか!」
筆者はここで、この父の深い愛が幼ない頃から悲しみの日々を送ってきたファーティマをいたわり慰めようとする父性愛の表れだと言うつもりなのではない。
また貧しく厳しかった娘の結婚生活に訪れた幸福が、どんなに限りなく喜ばしいものであったのがを述べるつもりなのでもない。ファーティマは父にこれ程までに愛される息子たちの母となったことで十分に幸せだった。神の賜物によって最愛の父にふたりの子孫が授けられ、これ程の喜びを与えることができたことが何よりも嬉しく満足なのであった。
アリーの喜びもファーティマに劣るものではなかった。
従兄の預言者の生命の延長を自分の体に受けとめ、預言者の血と交わり、アラブの指導者となるべき預言者の娘の息子を生み出したのだ。全人類の中から自分が預言者の後裔の父粗となり、聖なる家族の柱となる栄光を担うのだ。
神の恵みは続いた。
ファーティマはヒジュラ暦五年に長女を産み、祖父はその子にザイナブと名付けた。忘れ得ぬ長女の名である。
赤子の伯母にあたるザイナプを偲んでの命名であった。ファーティマもまた姉を忘れることがなかった。
ザイナブの誕生から二年後、ファーティマは次女を産んだ。預言者はウンムクルスームの名を選んだ。
そのわずか二年の後に彼女を失う日がやって来ることを感じていたのであろうか。
そしてこの娘たちによってファーティマは二人の姉、預言者の娘たち、ザイナブとウンムクルスームの思い出を身近に大切に守ることができたのだ。
ファーティマに関しては、神は預言者を悲しませるようなことはなさらず、ファーティマはその後も父・預言者に喜びを与え続けた。預言者が神に召されるその日まで、ファーティマもその子供たちも幸せに生きて預言者を悲しませることはなかった。
ふたりの息子アルカースィムとアブドッラーは幼くして死んだ。
高齢になってから三番目の息子イブラーヒームが授かった。
ヒジュラ暦八年ズルヒッジャの月(第十二月)であった。預言者の喜びはひとしおであったが、この喜びも続がなかった。二歳にならないうちに三番目の息子も失った。預言者はすでに六十歳を越えていた・・・。
同じように三人の娘たちも他界した。ザイナブ、ルカイヤ、ウンムクルスーム、みな若い身であった。
父は心砕かれ、悲しみに沈んで娘たちをひとり、そしてひとり、ヤスリブの土の下に埋葬した。
ヤスリプの土には父アブドッラーがまだムハンマドが母のお腹にいた頃に埋められている。
ファーティマは生きた。その子供たちも生きた。預言者の人生に喜びを満たして生きた。
最愛の娘、このファーティマひとりが預言者に失ったものに代わるものを与えることができたのだった。
預言者の存命中ファーティマは生きて「お父様!」と呼びかける者をいつもその身近かに置いた。
ファーティマのふたりの息子は元気に生きて「子供たちよ!」と慈しみ甘やかす者を身近かに持つ喜びを人間・預言者に与えた。
ファーティマのふたりの娘ザイナプとウンムクルスームは優しい祖父にいつもその名を呼ばれて、亡き二人の娘を偲ばせた。
歴史はこの預言者の姿を息を止めてじっと見ていた。
そのあふれる父性愛が、大きな人間愛が、選ばれたる者が成した大偉業の数々とともに記録に残され、しばしば語り継がれるのを聴いていた。
إن شاء الله
続きます
アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام
السلام عليكم
さて重要な問題が残った。アリーはいつ、ファーティマに加えて別の妻を迎えようとしたのであろうか。
ムスリム史家もハディースの大家たちも、この婚約の時期については無言である。大変に重要な事柄であるのに。
恐らく結婚してまだ年月の浅い時期であったろうと考える。
確かな伝承はないのだが、状況から推測して、恐らく子供が生まれる前のことであったろう。
ファーティマとアリーが二人の生活を始めて間もなくの頃、ファーティマはアリーの荒けずりな頑固さに馴めず、アリーもまた、実家を離れた悲しみから暗く沈んだファーティマとの暮らしに耐えられなかった頃のことであろう。
そこで我々はこの時期をヒジュラ暦二年、最初の子を授かる三年目に入る前の出来事と限定したいと思う。
どのくらいの期間がかかったのか定かではないが、ファーティマの心にかかっていた雲は消えた。家庭は爽やかな雰囲気に包まれていた。励調と友愛に支えられて、夫婦は幸福な良き家庭生活を築いていった。ファーティマは家にいて夫によく仕え、少しずつ少しずつ心の奥に残されたわだがまりも悲しみも消えていった。ムハージル(移住者)たちの多くがそうであったようにファーティマもマディーナの気候になかなか馴めずにいた。アリーはそんな妻の体調を思いやって優しく気を配り、努めて家事を手伝い協力して彼女の健康を大事にした。
そこで神はファーティマを喜ばせ、ファーティマを愛する人びとをも喜ばせたのだった。ヒジュラ暦三年に長男ハサン・イプン・アリーが誕生した。吉報が父・預言者のもとに伝えられ、父は満身に喜びをたたえて飛んで来た。両腕に赤ん坊を抱えると、赤ん坊の耳にアザーンを唱えた。そして赤ん坊を抱きしめ、慈しみの眼でいとおしそうにその顔をじっと見つめた。まだ離乳も完了しない幼ない年で神に召されて逝った二人の息子を思い出していたのだろう。
マディーナは町中をあげてハサンの誕生を祝った。祖父となった預言者は貧しい人びとに赤ん坊の髪の毛の量に等しい銀を施した。
そして日に日に成長していくこの新しい大切な生命を見守るのを大変に楽しみにしていた。
ハサンが一歳、あるいは一歳を少し過ぎたときに、母ファーティマは弟フセインをヒジュラ暦四年シャアバーン月(第八月)に産んだ。
使徒は『父親のお母さん』ファーティマの胸に抱かれたこの幼ない大切なふたりに、自分の生命の延長を見る思いであった。ハディージャ亡き後、息子に恵まれる望みを失べていた父性の感情が再びその大きな心を満たし始めるのを感じていた。
使徒はその時ほぼ五十七歳であった。ハディージャを失ってから十七年余りが過ぎた。その間五人の妻を迎えている。年老いた未亡人サウダ・ビント・ザムア、幼ない処女であったアーイシャ・ビント・アブーバクル、知的なハフサ・ビント・オマル、貧しい人びとの母と呼ばれたザイナブ・ビント・ホザイマさらにウンムサラマ。このウンムサラマ、すなわちヒンド・ビント・アブーウマイヤとはヒジュラ暦四年のシャッワールの月(第十月)に結婚した。彼女には前夫アブドッラ・イブン・アブドルアサド(使徒の従兄弟にあたる)との間にサラマ、オマル、ドッラ、ザイナブと四人の子供たちがあった。
それなのに使徒はこれらの五人の夫人たちの誰からも子供を授からない。
ムハンマド・イブン・アブドッラーの子孫はこのファーティマの息子ふたりだけであった。
多くの妻を迎えながら息子に恵まれない使徒がハサンとフセインを溺愛し、溢れ出る父性愛を思う存分注いだのは無理がらぬことであった。使徒はふたりの孫を『我が子よ』と呼んで目がなかったという。
アナス・イプン・マーリクが伝えるには・・・預言者はファーティマに言った。「私の子どもたちを呼んでくれ」そしてふたりの幼児が来るとロづけして抱きしめた・・・。
アルティルミズィーのスンナ集にウサーマ・イブン・ザイドの言葉が載っている・・・ウサーマが言った。
「用事があったので預言者の家の戸を叩いた。預言者が出て来たが衣服の中に何かくるんでいた。何だか分からなかった。用件を済ませてから訊いた。『一体、何をくるんでいらっしゃるのですか』すると開けて見せてくれたところが、ハサンとフセインだった。『私のふたりの子ども、娘の子どもたちだよ。ほんとうに私はこの子たちが大好きだ。彼らを愛する者を私は愛する・・・』」
ふたりの名前は使徒の口からこぼれ出る甘く楽しいメロディーであった。
ふたりの名前をロにするのが好きであった。ふたりには格別な肉親の情を抱いた。
神はこのような大きな恩寵をファーティマに与えられた。彼女だけに預言者の子孫を授けられた。
預言者の後裔となる栄誉を受けて、以来ずっと彼女の存在は後世に記録されて生き続けている。
アリーもまた神に愛されて、この氷遠の誉れを賜わった。
神はアリーの息子を人類に送られた最後の預言者の血をひく子孫に選ばれたのだ。
恐らくムハンマドがどの娘から後継者を望むか、どの婿をこの聖家族の父に望むか選ぶことになったら、神が選ばれたとおりを選んでいたことであろう!
アリーはムハンマドにとって最も身近な男、最も血のつながりの濃い婿である。
ハーシム本家を血脈としてアブドルムッタリブで預言者と血が結ばれている。
ムハンマドは八歳になってからはアブーターリブの家で息子と同じように養育された。
ハディージャ夫人と結婚後に生活が安定すると、今度はそのアブーターリブの息子アリーを引きとって父親代わりとなって育てた。
アプールアースにも、オスマーンにも、これほどのつながりはない。
二人ともクライシュきっての高い地位にあった人物だったが.・・・。
殊にオスマーンはイスラーム史上でも大変に重要な人物であったのだが・・・。
アリーはそんな自分の立場をよく知っていた。それを誇りとし、自信を持っていた。
あるとき感情余って預言者にこう訊いたほどである。
「使徒よ、どちらがお好きですか。娘のファーティマと、その夫のアリーと!」
預言者はにこやかに答えた。
「ファーティマの方があなたより愛しいよ。あなたの方がファーティマより私には頼みになるよ・・・」
以後、使徒がファーティマとアリーに寄せる深い愛情の証しに誰もが気づいたことであろう。
通りかかったときは必ずアリーの家に立ち寄った。
また暇な時間を見つけてはアリーの家に赴き、その幸せな家族を大きな愛で包み、孫の成長に目を細めるのだった。
あるとき娘と夫は深い眠りにおちており、ハサンがお腹を空かせて泣いていた。
立ち寄った使徒は眠っている二人を起こすのも可哀そうと思ったのだろう、家の中庭に繋がれたヤギのところへ急ぎ、乳を絞ってハサンが満腹するまで飲ませたという!
またある日彼は用事で急いでいたのだが、通りがかりにフセインの泣き声を耳にして、家に寄り娘に注意した。
「フセインが泣くのには耐えられないのを知らなかったのか!」
筆者はここで、この父の深い愛が幼ない頃から悲しみの日々を送ってきたファーティマをいたわり慰めようとする父性愛の表れだと言うつもりなのではない。
また貧しく厳しかった娘の結婚生活に訪れた幸福が、どんなに限りなく喜ばしいものであったのがを述べるつもりなのでもない。ファーティマは父にこれ程までに愛される息子たちの母となったことで十分に幸せだった。神の賜物によって最愛の父にふたりの子孫が授けられ、これ程の喜びを与えることができたことが何よりも嬉しく満足なのであった。
アリーの喜びもファーティマに劣るものではなかった。
従兄の預言者の生命の延長を自分の体に受けとめ、預言者の血と交わり、アラブの指導者となるべき預言者の娘の息子を生み出したのだ。全人類の中から自分が預言者の後裔の父粗となり、聖なる家族の柱となる栄光を担うのだ。
神の恵みは続いた。
ファーティマはヒジュラ暦五年に長女を産み、祖父はその子にザイナブと名付けた。忘れ得ぬ長女の名である。
赤子の伯母にあたるザイナプを偲んでの命名であった。ファーティマもまた姉を忘れることがなかった。
ザイナブの誕生から二年後、ファーティマは次女を産んだ。預言者はウンムクルスームの名を選んだ。
そのわずか二年の後に彼女を失う日がやって来ることを感じていたのであろうか。
そしてこの娘たちによってファーティマは二人の姉、預言者の娘たち、ザイナブとウンムクルスームの思い出を身近に大切に守ることができたのだ。
ファーティマに関しては、神は預言者を悲しませるようなことはなさらず、ファーティマはその後も父・預言者に喜びを与え続けた。預言者が神に召されるその日まで、ファーティマもその子供たちも幸せに生きて預言者を悲しませることはなかった。
ふたりの息子アルカースィムとアブドッラーは幼くして死んだ。
高齢になってから三番目の息子イブラーヒームが授かった。
ヒジュラ暦八年ズルヒッジャの月(第十二月)であった。預言者の喜びはひとしおであったが、この喜びも続がなかった。二歳にならないうちに三番目の息子も失った。預言者はすでに六十歳を越えていた・・・。
同じように三人の娘たちも他界した。ザイナブ、ルカイヤ、ウンムクルスーム、みな若い身であった。
父は心砕かれ、悲しみに沈んで娘たちをひとり、そしてひとり、ヤスリブの土の下に埋葬した。
ヤスリプの土には父アブドッラーがまだムハンマドが母のお腹にいた頃に埋められている。
ファーティマは生きた。その子供たちも生きた。預言者の人生に喜びを満たして生きた。
最愛の娘、このファーティマひとりが預言者に失ったものに代わるものを与えることができたのだった。
預言者の存命中ファーティマは生きて「お父様!」と呼びかける者をいつもその身近かに置いた。
ファーティマのふたりの息子は元気に生きて「子供たちよ!」と慈しみ甘やかす者を身近かに持つ喜びを人間・預言者に与えた。
ファーティマのふたりの娘ザイナプとウンムクルスームは優しい祖父にいつもその名を呼ばれて、亡き二人の娘を偲ばせた。
歴史はこの預言者の姿を息を止めてじっと見ていた。
そのあふれる父性愛が、大きな人間愛が、選ばれたる者が成した大偉業の数々とともに記録に残され、しばしば語り継がれるのを聴いていた。
إن شاء الله
続きます
アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام