満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

アッラーは我々を試す

2005-04-20 | 聖クルアーン
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

聖クル’アーンの第二節雌牛章の第155節にはこうあります。

وَ لَنَبْلُوَنَّكُم بِشَيْءٍ مِّنَ الْخَوْفِ وَالْجُوْعِ وَنَقْصٍ مَّنَ الأَمْوَالِ

وَالأنفُسِ وَ الثَّمَرَاتِ

وَ بَشِّرِ الصَّابِرِيْنَ


ー『われは、恐れや飢え、と共に財産や生命、(あなたがたの労苦の)果実の損失で、必ずあなたがたを試みる。だが耐え忍ぶ者には吉報を伝えなさい。』

災難も困難も悲しみも至高なるアッラーからあなたがたへの試みです。私達の子供も財産も、私達のものではありません。アッラーの恩恵によって与えられたものであり、それはアッラーに属するものです。一旦与えれたものが再び取り上げられたとき、人々は「奪われた」という思いに駆られ、不満や悲しみを感じます。しかし、至高なるアッラーのお考えによりお取り上げになっても、それは元々は至高なるアッラーのものであり、至高なるアッラーにはその権利があります。それでもアッラーは慈悲深いお方で、一旦お与えになったものをお取り上げになるときは、その者の罪を浄化なさり、ダラジャート(位階)を上げてくださるのです。

アブー・フライラ(رضى الله عنه)によるとアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われました。
ー「ムスリムを襲う疲労、病気、悲嘆、苦痛はては棘の一刺しにいたるまで、アッラーはそれらによって彼の過ちの一部を赦され給う」


自分は至高なるアッラーに帰依した者ゆえ、戦えばいつも勝利、働けば仕事はいつも順調であり、災難など起こり得ない。と思うムスリムもいるかもしれませんが、聖クル’アーンに第二十九章蜘蛛章の第二節で至高なるアッラーはこう仰せになっています。

أَحَسِبَالنَّاسُ أَن يُتْرَكُوْاْ أَن يَقُولُواْ ءَامَنَّا وَهُوَ يُغْتَنُوْنَ


ー『人びとは、「わたしたちは信じます。」と言いさえすれば、試みられることはなく、放って置かれると考えるのか。』

私達の能力には限界があります。2リットルの牛乳を1リットルの瓶に入れると1リットル以上は溢れてしまいます。夜間車の運転をする場合は、ライトが照らすその先よりも遠い地点を我々の視力は捉えることができません。我々が認知できないことを至高なるアッラーはおできになります。我々が知りえないことを至高なるアッラーはご存知です。
災難や困難や悲しいことが起こるのか、その理由は至高なるアッラーがご存知です。我々ができることは、至高なるアッラーを信頼し、災難に耐え忍ぶことだけです。

スハイブ(رضى الله عنه)によるとアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われました。
ー「信仰とは、まことに不思議なものである。なぜなら、信仰者の全てに祝福がみられるからである。それらは、実際、信仰者以外にはだれにもみられることではない。たとえば、なにか喜ばしいことがあってアッラーに感謝すれば、そのことで良いことが生じ、また、困難があっても忍耐すれば、そのことで良いことが生じるのである」

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام

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