満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

フィクフの初歩の初歩③

2004-11-27 | ファトワ&フィクフ
بسم الله الرحمان الرحيم

أقسام المياء
☆水の種類

※シャーフィイー学派では、水は四種類に分けられる。
①ターヒル・ムタッヒル(طاهر مطهر清く清められる水)
②ターヒル・ムタッヒル・マクルーフ(طاهر مطهر مكروه清く清められるが避けたほうがよい水)
③ターヒル・ガイル・ムタッヒル(طاهر غير مطهر清くても清められない水)
④ムタナッジス(متنجس汚い水)

※ハナフィー学派では、水は五種類に分けられる。
⑤マシュクーク・フィー・タフーリーヤティヒ(مشكوك في طهوريته清いかどうか疑わしい水)


①ターヒル・ムタッヒル(طاهر مطهر清く清められる水)
 至高のアッラーがお創りになったそのままの状態で残っている「ただの水」。ある一定の場所に長く残っていたり、土が入ったり、コケが生えたり、バクテリアが発生しても、「ただの水」とみなされうる。(そもそも自然界の水でそれらのものから徹底して守ることは非常に困難なため)

《根拠》
ー「教友アブー・フライラ(رضى الله عنه)によると、或るとき一人のベドウィンがモスクで小便をしたので信徒たちは彼を罵った。するとアッラーのみ使い(صللى الله عليه و سلم)は『放っておきなさい。そして小便の上に桶一杯のーーー或いは鉢一杯のーーー水をかけよ。汝らの使命は物事を易しくすることであって難しくすることではないから』と言われた。」(アル=ブハーリー)
⇒アッラーのみ使い(صللى الله عليه و سلم)さまが小便のかかった場所に水をかけるように命じられたのは、水にものを清める効果があることの証である。

②ターヒル・ムタッヒル・マクルーフ(طاهر مطهر مكروه清く清められるが避けたほうがよい水)
☆シャーフィイー学派では⇒太陽に熱せられた日照り水。ただ、使用を避けたほうがいいとみなされるには、三つの条件に全て当てはまる場合のみfrある。
Ⅰ-暑い国(土地)での場合
Ⅱ-金銀以外の鉄や銅といった錆びやすい金属でできた容器に入っている場合
Ⅲ-用途が人間の身体を洗うためである場合(たとえ死体であっても)
  あるいは馬のようにライ病に罹ってしまう恐れのある動物に使う場合。

《根拠》
シャーフィイー師が伝えるには、第二代カリフ・’ウマル(رضى الله عنه)さまはそれ(日照り水)で洗うことを嫌ったという。そしてシャーフィイー師の見解として述べるには、「医学的な理由以外では、日照り水を避けるべきだとは思わない。それはライ病の原因になる恐れがあるからだ。」という。

☆ハナフィー学派では⇒ネコなどの動物が飲んだ少量の水。ちなみにハナフィー学派では、マクルーフにも二通りあって、「タンズィーヒー(تنزيهي)と「タハリーミー(تحريمي)とであるが、ここでの規定は「タンズィーヒー」である。しかもそれはあくまでも「ただの水」がある場合にあえてそうした水を使う場合であり、ネコが飲んだ水しかない場合は、、「避けるべき」という特徴そのものが打ち消される。
اَلضَّرُورَهٌ تُبِحْ الْمَحْذُورَاتِ
ー「必要不可欠なものは気をつけるべきものを許す)
الضَّرُورَةٌ بِقَدَرِهَا
(必要不可欠なものは過不足なく必要とする分だけ)

③ターヒル・ガイル・ムタッヒル(طاهر غير مطهر清くても清められない水)
A-グスルやウドゥーなど清めの義務で使われた少量の水・・・使用済みの水
B-きれいなものと混じることで「ただの水」とは呼べなくなった水。(お茶やジュースなど)
※一度身体から離れた水は使用済みとなる。
☆ハナフィー学派では、「A」のみが例えとして挙げられる。

《根拠》
ー「ジャーヒル(رضى الله عنه)が重病で意識を失っていたとき、アッラーのみ使い(صللى الله عليه و سلم)は見舞いに訪れ、先ずウドゥーをされ、その(残り)の水を彼にふりかけた。」(アル=ブハーリー、ムスリム)
⇒もし使用済みの水がターヒル(清いもの)でないなら、その水をかけることはなかったはずである。

ー「教友アブー・フライラ(رضى الله عنه)によると、アッラーのみ使い(صللى الله عليه و سلم)は次のように言われた。『汝らの誰一人として、性行為のあとであっても、淀み水の中で身体を洗ってはならない。』人々に『では、どうしたらいいのですか』とアブー・フライラは尋ねられると、『(手で掬うぐらいの)少量を掬って使いなさい』と答えた」(ムスリム)
⇒水を使ってグスルすると、水の浄化作用が失われてしまう。そうでなければ、禁止されることがなかったはずである。ただ、ほかのハディースとの総合的な解釈から、それも水が少量の場合と判断される。(つまり、川や海、湖では中に入ってグスルをしてもその水は不浄にならない。)

④ムタナッジス(متنجس汚い水)

A-少量の場合
B-多量の場合

A-少量の場合とは、「クッラターン(192.857kgقُلَّتَان)よりも少ない場合。(四方形の入れ物で言えば、縦・横・深さが約60cmのもの)そういった場合は、色やにおい、味が変わらなくても、汚物が落ちただけで汚い水に化したとみなされる。

《根拠》

ー「教友アブドゥッラー・イブン・’ウマル(رضى الله عنه)によると、「草食動物や肉食動物がそこを通うような水について尋ねられると、アッラーのみ使い(صللى الله عليه و سلم)は『水がクッラターン以上ある場合は、汚物がつくことはない』と言われた。」(アブー・ダーウード、ティルミズィー、ナサーイー、イブヌ・マージャー、アハマド)
⇒もし水がクッラターン(約193kg)よりも少ない場合は、水の特徴が変わらなくても不浄となりうる。(少しでも汚物が入ったら、それは不浄になってしまう。)

ー「教友アブー・フライラ(رضى الله عنه)によると、アッラーのみ使い(صللى الله عليه و سلم)は次のように言われた。『あなた方は眠りから覚めた時、三度洗わない限り、水容器の中に手を入れてはなりません。なぜなら、夜の間に手に何が触れたかわからないからです』と」(ムスリム)
⇒目には見えないが手の汚れが水を汚してしまうことを懸念して、寝起きの者がそのまま手を容器の中に入れることを禁じられた。目に見えない汚れは、水の特徴を何も変えないのに、である。つまり、水は汚れ(表面的な汚れと内面的な汚れ)と接しただけでも不浄となってしまいかねない、ということを示している。

B-多量の場合は「クッラターン(192.857kg)」あるいはそれ以上の場合。そういった場合は、汚物が落ちただけでは汚い水とはならない。ただ、水の特徴(におい、味、色)のどれかひとつでも変わった場合は、多量でも不浄となる。

《根拠》
イジュマーゥ(イスラーム学者たちの合意)
シャーフィイー学派の中興の祖ナワウィー師が「マジュムーウ(1/160)」で言うには、「イブヌ・=ル=ムンズィル曰く、水が少量であれ、多量であれ、汚物が落ちて『味』なり、『色』なり、『におい』なり変わった場合は不浄となる、と(先達は)合意した。」

⑤マシュクーク・フィー・タフーリーヤティヒ(مشكوك في طهوريته清いかどうか疑わしい水)
ロバやラバが飲んだ水。
どうしてもほかに水がない場合は、それでウドゥーをしてタヤンムムをし、礼拝すればよい。(ウドゥーを先にしたほうがよい。ズファル曰く、「タヤンムムよりもウドゥーを先にしなけばならない」)

《根拠》
ロバの肉はハラールであるとするハディースもあれば、ハラームであるとするハディースもあるため。根拠となるハディースが矛盾しているため、「疑わしい」とみなされる。また、ラバは雄ロバと雌馬との雑種であり、同じ規定が当てはめられる。

☆洗浄に使える水(シャフィイー学派)
タハーラ(お清め)に使えるのは、①と②だけである。
③はタハーラ以外で飲んだり、料理に使ったりはできるが、ウドゥーやグスルには使えない。
④は汚いから何にも使えない。

☆ウドゥーに使えない水
ー樹液や果実水(たとえ搾ったものではなく、ひとりでに出てきたものであってもーしかしながら、「ヒダーヤ」の著者や「カンズ」の解説者、「タンウィール」の解説者は、ひとりでに出てきたものは樹液や果実水でもウドゥーに使ってよりという見解をとる。搾ったものは、全員一致で’ウドゥーには使えないとみなされる。
ー料理や別のものが混じることで水本来の性質が失われてしまった水。
⇒水本来の性質が失われる混ざり方とは・・・
⇒固形物(例えば果実や木の葉)と混じった場合→水の持つ流動性が失われた状態。(色や味、においが変わっても構わない)
⇒液体と混じった場合→二種類の特徴しかもたない液体(例えば牛乳のように色と味はあってもにおいはないもの)の特徴がひとつでも出てきた場合、あるいは三種類の特徴を持つ液体(例えば酢)の特徴が二つ出てきた場合
⇒特徴のない液体、ウドゥーなどで使用済みの水やニオイなしのバラ水など)と混ざった場合
→重さ(分量)で判断→3リットルのうち2リットルが使用済みの水で、もう1リットルがただの水の場合(逆なら使える・・・きれいな水の方が2/3以上だったら使える)

☆唾液(سُؤر)に関する規定(ハナフィー学派)
少量の水の場合、動物がそれを飲むと「唾液」と呼ばれて四つの種類に分けられる。
①ターヒル・ムタッヒル(清く、清められるもの)
人間や馬、あるはしび肉を食べることができる動物(羊や牛など)が飲んだ水。
(ただ、水を飲んだ人なり動物なりの口の中に汚物が入っていた場合は別である。例えば豚肉を食べたり、酒を飲んだりした直後に飲んだ水は、「汚い水」となってしまう。)
⇒時間がたって痕跡がなくなれば大丈夫→アブー・ハニーファ師とアブ・ユースフ師
⇒洗わなければいずれにせよ「不浄」となる→ムハンマド師

②ナジス(汚いもの)・・・使用禁止
犬やブタ、ヒョウやオオカミ、トラやサルなどの肉食動物が飲んだ水。

③ほかの水がある場合は避けるべきもの
ネコや放し飼いの鶏、タカやワシなどの猛禽類、ネズミが飲んだ水。

④清いかどうか疑わしいもの
ラバやロバが飲んだ水。もしそれ以外に水がなければ、それでウドゥーをし。それからタヤンムムをして礼拝すればよい。

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام

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