満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

200のハディースその3

2006-08-02 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عيكم

最後(終末)の時の徴(前兆)

 アブー・フライラ(رضى الله عنه)は預言者(صلى الله عليه و سلم)がこう言われたと伝えている。
「自分の手にしたものが法によって許されているか、禁じられているかを気にかけないような時が人の上にいずれやって来ます。」
(アル=ブハーリーの伝承)
 同じくアブー・フライラ(رضى الله عنه)によると、
「私の生命を御手にもつ方に誓って。殺人者がどうして殺人を行ったのか分からず、犠牲者がなぜ犠牲になったのかを知らないほど人々が混乱した時代が来るだろう。」(日本ムスリム協会編「日訳サヒーフ ムスリム」「試練と最後の時の書」)

 またアナス(رضى الله عنه)は伝えている。
「最後の時の徴として、(宗教的)知識が乏しくなり、無知が蔓延し、飲酒が広まり、姦通が増え、男が減り女が増え、50人の女に一人の保護者ということになります。」
(アル=ブハーリーの伝承)

 この終末に関する伝承は人間が自ら招き寄せる徴について述べている。伝承の中には今の日本の姿に近いものもある。法意識の欠如から賞味期限や原産地を偽った食品会社、自社株の虚偽記載などにより信用を失墜させた会社などの不祥事が相次いでいる。
 法令順守(コンプライアンス)を指針とする企業も中にはあるが、コスト優先ばかりで法的責任意識の低い企業が多すぎる。次に殺人事件を始め犯罪の増加と犯罪者の若年化の傾向は罪意識の低下と他人の感じる痛みや命の重みを実感できない人間が増えたことが考えられる。国民の知的水準の向上と倫理意識が比例していないのである。
 何故このような社会になって行くのか。預言者(صلى الله عليه و سلم)の伝承からその答えの一つが明らかにされている。それは宗教意識の欠如である。
 他人のものを盗むな、人を殺すなは宗教命令として人類が守ってきた根本的法である。 他者との絆や人間の尊厳を説く道徳倫理の根本は宗教が担ってきた。宗教的知識が欠如すると絶対者に対する畏れの意識が弱まり罪悪観念が希薄化し、善悪の基準、許されるものと許されないものとの境界が不明瞭になってくる。それがひいては人間の存在の重みや生きる目的をあいまいにさせ、物質偏重、機能優先の社会となり、終末の引き金となっていくと説いているのである。
 ただ精神論を説くだけでは社会を動かすことはできない。そこで物質的価値と精神的価値の両方を深く理解し、経論の道を説くイスラームの果たす役割は大きい。

 三大宗教の中でイスラームだけがイスラーム経済という用語があり、経済活動を奨励し、合法的に利益を得ることを認め共同体を発展させてきた。禁欲を求めず人間の物欲を認める一方で儲けに熱心な余りアッラーを失念する(自制心)がないようにとも説く。

 暴力行為についてもイスラームは人の顔を殴ることを固く禁じている。人間の生命を神聖化したのはアッラーである。絶対者を前にして己の卑小さを自覚することができ、他者を思いやる気持ちが育まれる。
 宗教意識を含むモラルの低下は人間不信を招き他人に対し必要以上の警戒心を生み安心確保のためにコストを増やし続けることになる。宗教的知識は人を救い社会を守る源である。知識は人間に与えられた神の祝福である。

アッラーのご加護と祝福がありますように。

و السلام