創作 ポエム集 ((o(。・ω・。)o)) 『静音のカタルシス』 ~今日の涙と叫びを明日の笑顔と歓喜に~

他の誰でもなく私の言葉をクラウドの中へ、タイムカプセルのように埋める。見知らぬあなたのエールとなりますように。

【エッセイ】花火

2016年07月30日 22時26分32秒 | ポエム


 夏の暑さも本格化して、花火大会が各地で開かれる。

 独り身ゆえあまり毎年花火大会にきちんと参加した事はなかったのですが、急遽おもいたって地元の花火大会に行ってきました。

 画像もアップすればいいのでしょうが、上手に撮る自身もなかったので、
画像は無しですヾ(・ω・`;)ノ

 打ち上げ二時間半前から、第一開場にて茣蓙の上で待機。何もする事のない時間は堪らなく退屈で苦痛でしたが、目の前で空一面に拡がり咲いた花火の迫力あり、色鮮やかさを目にして興奮がさめない。

 昔と較べて花火の形状が単調ではなく、演出も豊富。大太鼓を弾いたような激音も心地よく、火薬の香りさえも、頭上一面に降り注ぐ流星のような花火の感動に花添えているように感じました。

 花火を出来る限り近い場所から見れる機会があったらぜひ近い場所で。(`・ω・´)b

偶然の憧れ

2016年07月20日 01時50分16秒 | ポエム


偶然は手品

手品に仕掛けがあるように

偶然にもある

偶然は必然



偶然を期待して夢見て

待ち続けていても

偶然はやって来ない



偶然と感じた結果には

総て理由がある

その理由を手繰り寄せれば

偶然の正体は必然となる



偶然を期待して夢見て

待ち続けていても

偶然はやって来ない



夢や目標に近づきたいならば

仕掛けを張らなければ

いつまで経っても夢のまま



偶然の経験は

誰がが仕掛けた必然

手品が魔法ではないように



偶然に恋い焦がれ待ち続けていると

風化して化石になる



有用な無駄

2016年07月17日 18時50分31秒 | ポエム

無駄が無駄になるか

有用になるかは

無駄を手にした者次第



無駄と感じた物でも

使い道によっては有用になり得

無駄と感じた事も

反省して後に活かせば有用になる



サーキュラーエコノミーのように

どんな無駄も資源だ



ホームラン

2016年07月14日 01時14分47秒 | ポエム

空振りだらけの三振

ボールを予測できていなかったり

ボールが見えていないからだ

人生うまくいかないのは

予見が甘く

現実が見えていないからだ



バットにボールが当たっても

ゴロやファールやフライになるのは

バットの芯に当たっていないからだ

人生もうまくいかないのは

過去や未来に心奪われ

今を生きていないからだ



ホームランを打つためには

まぐれなんてない

準備がいるんだ




ヒットが三割なんて

なかなか達成できないように

七割以上は失敗なんだ

人生うまくいかない

当たり前なんだ


こころの音

2016年07月08日 13時35分53秒 | ポエム

ざわざわ ざわざわ

ざわつく心

心にも風が吹いているのであろうか



しとしと しとしと

続く哀しさ

心にも雨は降るのであろうか



カラカラ カラカラ

干されて乾いた心

心にも灼熱の太陽があるのだろうか



ジメジメ ジメジメ

過去への執着

心にも梅雨はあるのだろうか



心から色々な音がする

心に宇宙があるのだろうか

【エッセイ】先見の暗

2016年07月05日 12時26分49秒 | ポエム

先見の明は字の如く先を見通す力が、明るいこと。先見の暗なんて言葉はないけれど、ググってみたら何件かヒットした。

それはさて置き、先を見通す力の重要性にこの頃、熟(つくづく)痛感している。

私は目先の利益につい目を奪われてしまいがちだ。何か事を始めようとするときに、メリットは何かを探そうとする。安易に見つかるメリット=目先の利益と言えよう。

小さな目先の利益を追っている内は、仔うさぎや子リスを追いかけていても、熊や大鹿が捕獲できないように、大きな実益など巡ってこない。もし遭遇したとしても、小動物を捕らえるための道具が巨魁な大物に役に立たないように、手中に入ることはない。

今これから始めようと考えている事は遠い将来どの位自分のためになるのか。長いスパンで考えていきたい。

よく「遠慮しておきます」と断り文句を深く考えずに発言するけれど、遠慮は字の如く、遠い先を見越して慮(おもんばか)り、熟考して辞めておきますという事だ。今では「遠慮してやらせていただきます」なんて遣い方はしないけれど、近憂遠慮は大切だ。

【エッセイ】歴史の真実

2016年07月04日 13時55分41秒 | エッセイ

教科書で習った歴史も、次々と新事実が解明されつつある。

有名なのが、戦国時代の斎藤道三。今までは一代の功績などとされてきたが、実は二代に渡っていたこと。

織田信長の家臣に奴隷として連れて来られたモザンビークの王子がいた事など。

但し、この新事実も真実かどうかなんて、わからない。

真実といえることは、研究者や史家が古文書などの記録、一級資料や二級資料から研究した結果が今万民に知り得る歴史だということ。

古文書が権力者の都合の良い様に書かれて、都合の悪い物は燃やされたりなどして記録に残っていないのかもしれない。

古文書の著者の記憶が曖昧だったり、著者の生きた年代と記録した歴史に隔たりがあり、口伝に脚色があったりするのかもしれない。

また古文書を読解する研究者や史家の解釈が、昔の観念と誤差があったりするのかもしれない。

歴史に限ることではないけれど、真実と思っているものは、専門家の研究の成果ということのみ。