偽善という言葉が苦手だ。
誰かのために何かをしようという心掛けは結局は自分の為にしている事はよくある事。
ただその行為を偽善と呼ぶのは甚だしく異なる。
偽善は善い人に見られたいと思う感情はから取る行為が意味合い的に一番近い気がする。
よくコンビニに設置されている募金箱に私はよく百円未満の些細な小銭を入れる。時々偽善者と蔑視されないか不安で躊躇う事がある。けれど私が小銭を募金するのは、役に立ちたいという思いからではない。単純に財布を小銭で煩わしくしたくないからだ。偽善でなければ善でもない。
誰かのために役に立ちたい。そう思うことは人並みにある。それは私が生きている事に意味付けをしたい欲求からである。これも偽善とは違う。
しかし偽善であっても悪ではないのだから、純真に善の気持ちではなくても、結果的には善であるのだから、偽善を軽視するのは間違いだ。