トカゲgallery

自己満足で色々かいてる独りよがりブログです。

黄色い春の嘆き

2014-03-19 12:01:19 | イラストブログ
黄色すぎるやろ!空!!
PM2.5と黄砂と光化学オキシダントだって。
不要不急の外出は控え、必ずマスクをし、洗濯物を外に干すのをやめてくださいだって。
…ここ地球なのか?ガミラスじゃないのか?
アイアイアイアイ~お猿さん~♪

モモが昨日から鼻水、目の痒みが酷くて、
朝イチで小児科行ってきました。
アレルギー飲み薬と目薬。
私もなんとなく胸苦しい。



昨日は色々メンドクサくなって、
本当にリンガーハットで皿うどん食べて帰った。
モモがリラックマグッズに惹かれて「ちびっ子セットがいい」と言う。
このテのセット物、
結局モモは残してしまうことが多い。
私が大盛りとか頼んで、シェアした方がお得だし、もったいなくない。
なので、止めたのだけど、
「食べきる(食べられる)!」と主張。
じゃあ…ということで、頼んでみたら、
かなりの量の皿うどんを本当に完食してしまった。
よく食べるようになったなぁ。

そういえば、
去年の今ごろ、
モモと総合病院の小児科に通っていた。
本当は入院しないといけなかったのだけど、
病院のベッドの空き具合と私の仕事の兼ね合いでどうにもならず、
通って検査することになった。
なにの検査をしていたのかというと、
成長ホルモンの検査をしていた。
ずっと小さいモモだった。
もう1歳下の子からも身長が追い抜かされていた。

国の規定に以下の身長の子で、特定の成長ホルモンが出てない場合、
自費だと数百万する成長ホルモンを国費で打つことができる。
できれば、低年齢の間に打つ方が望ましい。
国費の用件は規定以下の身長と、特定のホルモンの分泌が規定以下である。
モモは余裕綽々で身長の低さはクリアしていたので、あとはホルモンである。

そもそも、身長が低いことになにか問題があるのか?ということがある。
私もそんなに高い方じゃない。
困ることもあるけど、決定的に不幸でもない。
ホルモンの分泌が悪い原因の中には、染色体の異常なども含まれ、
そうであれば病気であるということになる。
個性の範囲か?病気なのか?を調べることにしたのだ。

染色体異常などは血液検査で分かるが、
ホルモンの分泌に関しては、
身体に負荷をかけて、そのときに成長ホルモンがでるかどうか?ずっと採血しながら調べていく。
複数の成長ホルモンがあって、その中の1つでもホルモンが出ていたら、
国費での治療はできなくなる。
通常数日の入院でいっぺんに検査するのだけど、
前述の通り、色んな理由でできなかったので、
通院で行うことになった。
絶飲食して、点滴つながれっぱなしになるのでかわいそうだったけど、
持ち前の「医学に対する興味」で、モモは割と楽しんでいた。

2回目のホルモン検査で、微量の成長ホルモンが確認されたとDr.から連絡があった。
なんだそうだったのかと思った。
私が「よかったです」と言ったので、Dr.は拍子抜けしていた。
身長が低いことは変わりないから、
ほとんどの親は国費で成長ホルモンを打ちたいので、ホルモンが出ているとガッカリしてしまうそうなのである。
「…ってことは、小さいのは個性であるということがはっきりしたんでしょう?」と言うと、
Dr.は「そういうことそういうこと!」と嬉しそうだった。
モモの場合は2回目で微量の成長ホルモンが確認されたので、3回目をする必要もなくなったし、
堂々と「小さいのは病気じゃなくて個性」と言えるので、よかったよかったと思った。

とかいうことが1年前にあったので、
オヤツをしっかり食べた後に、ペロッとちびっこセットを平らげたモモを見て感慨深かった。
ちょっとまた大きくなるかもしれない。
多分、一生チビッコなのは変わりないけど。



何度かこのブログで、
羨ましいと妬ましいの違いについて書いたことがある。
いつも書くけど、
羨ましいと妬ましいって似てるけど、ずいぶん距離があると思うのですよ。
向いている方向が違うというか。
羨ましいっていうのは、「あの人いいなぁ」とあくまでも自分の「なさ」にションボリしている感情で、
妬ましいというのは、「あの人は狡い」と、他人が「ある」ことに怒りや悲しみをもってる感情で、
向かってる方向が違うと思うのですよ。

羨ましいというのは、あくまでも自分の絶対的価値観の中で、「自分があああればいいのに」と思っているんだけど、
妬ましいというのは、自分とその人との相対的価値観の中で、「あの人だけがあんな風でよくない」と思っている。

こないだの「ぼっち」話にも通じるんだけど、
相対的な中での幸せ探しほど辛く、無意味で、負のエネルギーをもつものはないと思う。
あがく相手が自分じゃなくて、他人に向かうので、
人が幸せだと自分が惨めになるし、人が不幸だと相対的に嬉しくなる。
そうなると人を陥れたくなるし、自分が人より秀でてないと不安になる。
自分が人より秀で続けるのは大変なので、
「平等でない(から狡い!)!」「正しくない(から狡い)!」「(狡いから)許せない!」と言い出す。
そうなると、自分も平等や正しさにピリピリしてないといけなくなる。
キツイ!本人も周りの人も!

自分の人生がうまくいってないからうまくいっている人が憎くて、
嫌がらせをすることを正当化している犯罪などみると、
気の毒でしかたがない。
仕事上、
色んな目に遭う人が出てくる。
子どもだって、なんでこんな目に遭うんだろう?ということがある。
みんな腐ってしまう。大人も子どもも。
私は人権擁護を仕事としているわけだけど、
そういうとき、いったん平等論は置いておいて、
「人を妬むのをやめてもらう」のに全力を注ぐ。
不幸にしかならないからだ。
「なんの苦労もなく学校に行けているように見える子はいいなぁ!悔しい!思うでしょうが、
うまくいっているひとが妬ましいとか、まくいかなければいいのにとか、他になにか悩み事を抱えてるに違いないとか、
そういうこと思うのだけはやめましょう。
まずお母さんからやめましょう。
他の人の幸せや不幸と、お子さんの幸せは全く関係ないです」と言う。
それが分かる子は絶対良くなる。
自分がよくなることに一生懸命になれるからだ。

誰より人権、とりわけ平等権については理解しているつもりだ。
専門家だから。
だけど、
人は1人1人違うと思う。
1人1人違うのに、「おなじもの」という平等を享受するのはとても難しい。
きっと代わりに自由権の侵害が起きると思う。
親戚関係、学校の生徒、会社の職員、地域住民、スポーツ選手、バンドファン…
「あの人いいなぁ」が溢れると思う。
その中に「妬ましい」エネルギーがでてくるとたちまちメンドクサくなってしまって、
私はすぐに日和ってしまう。
私はそういう感情に対して、あまりに不器用で弱っていくのだ。

アレルギーの少ない人が羨ましい~!
あんまり汚染物質が飛んでこないところの人が羨ましい~!
嘆かわしい、この身体と大気!!
でも、
自分らの身体だから自分でなんとかしなくてはいけないし、
福岡の薄汚いところは嫌いじゃないのですよ。

モモは小さい。
幸せそうにみえるけど、本当は大変なんですよ!と言いたいんじゃなくて、
小さいのは、他の子と比べて小さいだけで、
不幸じゃないと思っているってそういう話ですよ。

一年前も黄色かった空を見ながら、
そんなことを思っていたんですよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする