Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

3月10日(火) 義母の葬儀が終わりました

2020-03-10 10:43:40 | 日記

昨日の異常な暖かさから一転、今日は朝から雨。終日掃除やら事務仕事やらで過ごすことになりそうです。

沖縄では、昨日義母の葬儀が執り行われて、午後3時ごろにすべて終了したということでした。
葬儀のあとは、大きな亀甲墓に行ったり、海の見える丘の上で儀式をしたりと、こちらでは考えられないような行事もあったようで、妻も相当に疲れたようでした。
一昨日実家についた妻は、横たわる母親に触れて「やはりこみ上げてくるものがあった」と言っていました。直前に一ヶ月ほども側にいて看病していたのですから、義母もよく生きたと思いますし、妻もよく尽くしたとねぎらいの言葉をかけてやりたいと思います。

MNEMOさんからは、ブログで「あの世でまた沖縄を見つめ、愛し抜いてください」と最高のお言葉をいただきました。私も全く同じ思いです。

島育ちのまさしくウチナンチュを代表するような女性で、死の直前まで頭脳明晰で1世紀を生き抜いたその生き様には学ぶべきことがたくさんあると思わされます。
妻には異なった思いもあるのでしょうが、少なくとも私には愛すべき義母であり、沖縄に出かけて会えるのが何よりの喜びでしたから、喪失感には大きなものがあります。この15年間のブログでは、そうした思い出も沢山残すことができたので、何よりの義母の生きた証になるのではないでしょうか。

以下何枚かの思い出の写真(4、5年前からのもの)を掲載しておきます。上の2枚は2015年11月のカジマヤーでの義母。まだ舞台で踊っていたのでした。


3月8日(日) 義母の死

2020-03-08 13:14:11 | 日記

昨日夕方5時ごろ、沖縄の義母が息を引き取りました。100歳。

沖縄の戦前、戦中、戦後を生きた証人でもあり、沖縄そのものを体現した人でしたし、ここ10年ほどは毎年のように実家に通ってはいっしょに生活もした敬愛する母親でしたから、残念であり悲しいことです。

さきほど妻を松本まで送り帰ってきたところ。本来ならいっしょに行くべきなのですが、準備ができず結局妻が再び葬儀などに出ることにしたのです。つい先日長い看病の末に一度帰っていたのですが、程なくして訃報に接することになってしまいました。私としては、いずれ近いうちに日を改めて弔いに出向こうと考えています。

2015年11月の数え97歳に行うカジマヤーでは、舞台で琉舞を披露するほどの元気な母親でした。同じ年の7~8月、1ヶ月ほど滞在したときに、強烈な台風が襲来してまる1日停電。二人で「こりゃ寝るしかないね」と言い合ったことが思い出されます。そのときに録音した音源(主に若いときや沖縄戦時の思い出を語っている)が残っており、今となっては貴重です。私のアーカイブにリンクしています。

   義母との会話(その1)    義母との会話(その2)

施設に移ってからも、行く度に帰りには2回の窓から手を振って別れを惜しんでくれたことも、今では懐かしい思い出。過去にはいろいろ悲しい思いもさせた罪滅ぼしを私としては一生懸命したつもりだったので、許してくれているのではないかと勝手に想像しています。

生きた証をしっかりと受け取っています。安らかにお眠りください。合掌。