Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

9月1日(日) 町の義務教育に関する検討委員会の公募をめぐって

2024-08-31 22:02:53 | 日記

町のホームページに、「池田町義務教育のあり方検討委員会」を開催するにあたって、公募委員を募集するという案内がありました。放送でも毎日流しているので、どんなことをするのだろうと要項をのぞいてみました。

今年の9月から令和8年の9月までの2年間の任期で、約20名の委員で構成するのだという。その目的は「池田町教育委員会の諮問に応じ、将来を展望した池田町立小中学校の義務教育のあり方について総合的な見地から審議する」とありました。それだけです。
これまでの町のこの種の委員会の持ち方で感じたことですが、行政としての基本的な問題提起、考え方などが全くといっていいほど示されない。公募するとして、一体何を基準に参加し、どんな議論をするのか、これでは何も分かりません。

池田町は、かなり抽象的ではあれ、それなりに「まとも」な教育大綱をつくり、それを実践するのだとしてきました。ところが、保育園の統合問題で、このブログでも指摘したように、自らその大綱に反したことを行ってきても、その意識すらないように見受けられる。教育委員会として、これまでの教育のまとめ、総括などを行っている節も見えない。

委員を公募してどうしようというのか。申し込み書には、「委員に応募する動機・抱負について」の作文を書くページがあり、要項には「応募の動機・抱負などをもとに審査を行い選考」するとなっています。もとになる諮問事項も理由もないのですから、審査基準はないに等しい。これも私には理解不能です。応募用紙に、ただ池田町の義務教育について関心があるとか、これからの子どもたちの成長について考えたいなどと書いてみたところで、何も書かないのと同じではないでしょうか。

この締め切りは9月11日となっていますから、せめて、池田町教育委員会としてのこの委員会設置にあたっての諮問の基本的考え方とその根拠となるデータを示し、そのもとで募集を行ってほしいものだと要望しておきましょう。

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私の経歴(教育関係)を知っている友人から、私に応募してみてはどうかという打診がありました。単に高校での教職経験や東京での進学塾での勤務経験だけではなく、こちらに移住してからの20年間のほとんどの期間、中学生・高校生たちと学習する機会を持ってきましたし、今も中学生の学習に関わっているので、関心がないわけではありません。

ただ、町の小中学校の教育を考えるには、それだけの基礎知識が必要です。単に日頃の感想や印象で議論に参加するわけにはいきません。少なくとも、議論にあたっては、次のような問題意識を持つ必要があると私は思っています。

1つには、この町の義務教育がどのように運営され、子ども達の実態はどうなのかをいくつかの側面から明らかにする必要があります。とくにネットの普及で大きく変わっている子ども達の生活環境があるわけですから、全国的な動向との関連も知る必要があるでしょう。
2つには、池田町および近隣市町村の子どもの人数の推移、住民の意識を知る必要があります。すでに保育園は統合すると決められ、来年度から1園になるわけですから、小学校が2校状態では、全く不釣り合いでしょう。その上で、一体池田町の教育をどうするのか、基本的な構想を打ち立てなければなりません。この点については、隣の松川村が、教育立村を掲げてさまざまな施策を展開して大きな成果を上げていることに注目すべきです。
3つには、義務教育をになう教職員の実態=教育にあたっている当事者の意見と勤務実態=を知る必要があります。教育実践については、子ども達をどう見ているのか、どんな困難があるのか、何をめざすべきなのかなどもぜひ知りたいものです。
4つには、文科省が目指そうとしている「『令和の日本型学校教育』の構築」とは何なのか、その内容と現状に即してこの町の問題点を探る必要があります。
5つには、子どもの権利条約や国際的な教育についての知見を深く学ぶことが大事です。とくに、子どもの人権という観点が不可欠であり、日本がいかに遅れているかをもっと浮き彫りにする必要があります。

ただ、これは教育を考えるための私の指針であって、委員の募集に応じるかどうかは別として、今後もこうした問題意識でこのブログで意見を述べていくつもりです。


8月31日(土) いや~~な身体感覚

2024-08-31 16:01:21 | 日記

MNEMOさんには2日続けてコメントを書いていただき、恐縮するやら嬉しいやら。

https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/

MNEMOさんと私には相当な違いがありながら、結構似たところもあるんですねえ。
私も、いまだに義兄などはヒロシちゃんと呼ぶ。昔から変わらない。もっともその妻(私の妹)も、みっちゃんだから、「ちゃん」づけは最高の親しさの表現なんでしょう。
子どもの頃は名前などはなくて「ぼうや」。親や近所の方々が私をよぶときは、中学生や高校生になっても「ぼうや」でしたよ。

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さて、台風の影響か、午前中からずっと雨が続き、午後3時頃になってようやく晴れてきた。
風の動きを見ると、もう台風というものではなく鈍足の普通の低気圧になってしまっています。「台風一過」なんて言葉も死語になった感すらあります。それよりも日本列島にそって前線が延びてそこに南から吹き込む風がすごいことになっている。むしろ、前線上での南北の湿った空気のぶつかり合いのために雨雲がとてつもなく発達し雨が収まらないという構図。こんなのは、これまでありませんでしたよね。台風もどうやらサハリン東のドデカい低気圧に吸い込まれる南からの強い風にブロックされて行き場を失い、そのまま留まるか、大きく北か北西に進路を変えざるをえなくなっている模様。

人間は、手足、口、耳、目、鼻などあらゆる感覚器官を使って感性を磨き研ぎ澄ませてきました。
・・・とカッコよく書き始めたが、実は気持ちのいい話ではないので、どうぞ読み飛ばしてください。

梅雨時には田んぼに無数のカエルが生まれ、上陸し、わが家の庭といわず、家の中といわず押し寄せてきます。最近ではめっきり姿が見えなくなってしまいました。鳴き声はカエルではなく、コオロギたち。めっきり涼しくなったこの頃、縁側に出て耳を澄ませば秋の訪れの近さを感じることができます。

ところが、この雨の中では別の生き物が徘徊するようになって大変困っています。
昨日夜遅く、一服しようと戸を開けて縁側に出て何かを踏み潰した。最近は裸足で生活しているものだから、モロにその感覚が足裏から伝わる。
何か分かりますね。そう、ナのつくアレです。
ネバネバと糸を引くように這い回るヤツは結構行動範囲が広い。彼らには全く悪意はなく、ただ何か食い物がないかと動き回っているのでしょう。しかし、だいたい湿った夜が出番ときているために、こちらは全く気がつかない。

それを踏んだ感触って、体験した者でなければ絶対に分かりません。これこそリアルな身体感覚。拭いても拭いても、そのぐにゃ、ねっとり、ネバネバの感覚は足裏に残っている・・・。
誰かに聞いてもらってもなくなるわけではないけれど、せめて新鮮な感覚を共有しようと。
おそまつでした。