アメリカのベトナム侵略戦争が、アメリカの敗北に終わり終結してから50年。
私が大学に進学した1964年の8月にトンキン湾事件が起こり、米軍による北ベトナムへの空爆が始まりました。
大学では、アメリカのベトナム侵略戦争反対の運動が盛り上がり、10月21日には国際反戦デーが学生、市民、労働組合などで取り組まれたのでした。
高校生の頃は、世界で何が起こっているのかを知る術もなく、狭い自分の世界に安住していたのでしたが、大学に入るや否や、世界の不条理と否応なく向き合わされ、とりわけ共産党の機関紙などを通して特派員の伝えるベトナム戦争の実相を知るにつけても、何かしなければならないと考え、抗議集会などへの学生たちの組織に時間を費やすようになっていきました。
教養課程の2年間は、いろいろな学部の学生たちとの交流も多かったので、新しい知識を吸収することで満足していましたが、学部にすすむとキャンパスも異なり付き合いも狭く限定的にならざるをえません。そこでは、身近な問題ならばともかく、遠い世界の問題を我がこととしてとらえる学生はほとんどいなかった(ように思えた)のでした。
何かすべきなのに動こうとしない学生たちを目の前にして、私は一人焦って思い通りにいかない現実に打ちひしがれていました。それは容易に周りの学生達への不信感につながり、自分自身を追いつめていくことになります。
結果として、私は大学3年生を2度やることになったのでしたが、そこで思い知らされたのは、自分の考えや価値観を他人に押しつけることの誤り。押しつけていることすら気がつかない情けなさでした。
ベトナム戦争は、その意味で私という個人と世界とのつながりを考える大きな転機を与えてくれたと同時に、試練を乗り越える長い時間を通して、他人との関わり方についても沢山のことを学ぶ確かな機会となったのでした。
戦争終結50年の節目を迎えて、若かった当時の考えや生活をつい思い出してしまいます。