以前、話しに聞いた「虎御前の虎ケ石」の事を思い出して訪ねて
みました。
長野市の善光寺の近くに、「虎ケ石」と呼ばれる一抱えほどの
石が奉られており、「曽我物語」の曽我十郎の愛人であった
虎御前にまつわる塚との説明があります。
「吾妻鏡」には、尼となって一生を十郎の菩提を弔う決心をして、
遊女「手越の少将」と諸国霊場巡拝の旅に立ちました。
信濃の善光寺に詣でた二人は、善光寺の南東に庵を結び庵の近くに
大きな石を据えて、曽我兄弟の菩提を弔ったそうです。
この石が虎ケ塚と呼ばれる物との事です。
諸説伝承が有って、虎御前は此処で死ぬまで過ごし、虎ケ石は
虎御前の墓との言い伝えもあるようです。
調べて見ると結構「虎御前」のお墓は全国各地に散見されます。
琵琶法師やごぜさんの語りが、地域に根付いたのかもしれません。
愛した人の菩提を弔うため、「諸国霊場巡拝の旅」に起ち、享年
53歳とも伝えられております。
虎御前の塚は、永い歴史の移り変わりの中で何を見て来たのか興味が
増した訪ね歩きとなりました。
私の菩提は・・・・・。考えない事にします。
みました。
長野市の善光寺の近くに、「虎ケ石」と呼ばれる一抱えほどの
石が奉られており、「曽我物語」の曽我十郎の愛人であった
虎御前にまつわる塚との説明があります。
「吾妻鏡」には、尼となって一生を十郎の菩提を弔う決心をして、
遊女「手越の少将」と諸国霊場巡拝の旅に立ちました。
信濃の善光寺に詣でた二人は、善光寺の南東に庵を結び庵の近くに
大きな石を据えて、曽我兄弟の菩提を弔ったそうです。
この石が虎ケ塚と呼ばれる物との事です。
諸説伝承が有って、虎御前は此処で死ぬまで過ごし、虎ケ石は
虎御前の墓との言い伝えもあるようです。
調べて見ると結構「虎御前」のお墓は全国各地に散見されます。
琵琶法師やごぜさんの語りが、地域に根付いたのかもしれません。
愛した人の菩提を弔うため、「諸国霊場巡拝の旅」に起ち、享年
53歳とも伝えられております。
虎御前の塚は、永い歴史の移り変わりの中で何を見て来たのか興味が
増した訪ね歩きとなりました。
私の菩提は・・・・・。考えない事にします。