紫陽花記

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別館★俳句「めいちゃところ」

★2 膳に在し鱒(ぜんにまします)

2024-03-02 09:48:04 | 風に乗って(風に乗って)17作



その日は、桜の季節も終わりに近づいた月曜日。池亀ガーデンの親父は生け簀を眺め、僕達を数え始めた。丁度脂の乗った鱒も食べ頃の僕達は、今日こそ逃げられないと悟った。
なのに、鱒学校で一番賢いと言われたギンタが、なんとか逃げ切ろうと、生け簀の底の石の陰に隠れた。
親父は、網のついた長い竿の先で、生け簀の中を掻き回した。たちまち僕は、他の仲間と共に、網の中へ入り込んでしまった。
「う~ん。手頃なのが一匹足りないなぁ」
ギンタは、親父の操る網を巧みにかわし、必死に逃げていたが、だんだん疲れてきたとみえ、ついに掬い上げられてしまった。

調理場から客室の方を見ると、膳が十二個用意されている。
包丁の刃に指の腹を当て、切れ味を見た親父は、尾をバタつかせるギンタを俎の上に乗せた。順番はすぐきた。僕は俎に乗ったらすぐ先祖からの教えを守り、魂を体から離した。親父にひと撫でされた僕の腹は掻き切られ、内臓の代わりに味噌を詰め込まれた。化粧塩をふられ串刺し。

客は男が三人、女が九人。いずれも今が一番幸福という顔つきで膳についた。
隣でギンタが目をむいている。恨めしそうだ。きっとまだ、大海で泳ぐことを諦めきれないのだ。分を弁える他の仲間は、静かにしている。

「美味しいわ、最高」
「本当ね。生きが良くて」
十二人の客は賑やかに、思い思いの話題に花を咲かせている。
休みなく動く箸で、いつの間にか頭と骨だけになった僕は、急に寒気を感じた。
窓の外で、若葉に追われた桜が散り急いだ。



★著書「風に乗って」から、シリーズ「風に乗って」17作をお送りします。楽しんで頂けたら幸いです。
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