紫陽花記

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別館★俳句「めいちゃところ」

★14 幸せの貯蓄

2023-07-29 09:09:11 | 「とある日のこと」2023年度


どなたの言葉だったかしら?
「60歳を越えたら、お金を貯めるよりも、幸せだと思うことを貯めましょう」との言葉。
うんうんと頷いてしまった。
いつ人生が終わるか分からない。幸せだなぁと思えることを少しでも多く感じて居られたら最高。私が今実践しているのは、まさしく幸せ貯蓄。その人によって幸せを感じる事柄は違うでしょうが。

私は、食べ物にはたいして執着はない。ランチなどは滅多に行かない。息子の嫁の手作りの食事に満足しているから。昼食は、夫と二人分の食事の用意をするが、二人とも贅沢を知らない境遇で育っているので、私の簡単で素朴な食事で満足できている。

日々、退屈だと思うことは無い。自分の気持ちと体力に寄り添った毎日を過ごせている。
不足を言えばキリがない。ああであれば、こうであればは、どれも、欲望でしかない。身に余るモノに囲まれていても、果たして幸せを感じられているか? 細やかでも心の安定を得られ、胸の痛みを覚えないで居られたら、これこそが幸せというものだろう。

時々、母の生涯を思い返してみる。八人の子を産み育て、不便な時代を生き抜いてきた。夫である父の赴任先の、今では外国となった地に迄も行き、第二次世界大戦の少し前に、母は一人で、私の兄や姉たち四人の子を連れて、二つの海を渡って故郷へ戻ってきた。戻った故郷でも、父の仕事の都合で一年間は一人で子育てをしたという。愚痴を言う間もなく、ひたすらその日を暮らすしかなかっただろう。そのような母と比べれば、数倍、数十倍の楽しみを頂けている現在に感謝である。小さな幸せでも有り難く感謝したい。



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★13 発達障害の友

2023-07-22 07:19:46 | 「とある日のこと」2023年度


発達障害という言葉は知っていたが、友の一人がそれに当てはまるかもしれないと思うようになった。
「対人コミュニケーション」が上手くできない感じ。ある瞬間に攻撃的になるスイッチが入ってしまう。本人はその障害に振り回され、その場にいた私などは、恐怖と悲しみと辛さで、その場を離れたくなる。以前から、感じていたコトだが、本人は勿論、付き合っていた私たちにも理解できないコトだった。

このコトは、生まれながらの障害であるようだが、本人も、また育てた両親も、兄や妹も理解できないまま大人になって、老年期になった現在でも苦しんでいる様子。

もう少し早いうちにそのコトに気づいていたら、カウンセリングなどを受けて、少しでも楽に、暮らせるようになったかもしれない。

私は、それに気づき、その障害の「対人コミュニケーション」不足に、恐れをなしてしまっている。何とかしたいと思いながら、電話する気力もなく、安らぎの時間を持たせてやりたいと思いながら、ここ二年近く、顔を見ないで過ごしてしまった。心残りの一つになっている。この友に、今一度会い、今一度、笑顔を見たいと思っている。

「発達障害」には、様々な症状があるようだ。
以下は、あるネット上の記事からお借りした情報には、
「発達障害とは、生まれつきの脳の障害のために言葉の発達が遅い、対人関係をうまく築くことができない、特定分野の勉学が極端に苦手、落ち着きがない、集団生活が苦手、といった症状が現れる精神障害の総称です。症状の現れ方は発達障害のタイプによって大きく異なり、自閉症スペクトラム障害、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、学習障害、などさまざまな障害が含まれます。」
とある。



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★12 歌友

2023-07-15 06:10:18 | 「とある日のこと」2023年度


 人生の先輩Oさんと5、6年ぶりに会った。初めて会った時から気さくな方であったが、今現在でもその気さくさは変わらず、私のこともシッカリ覚えてくれていた。私は両手で、Oさんの頬を包み、「お久しぶりね。お元気そうですねぇ」と、声をかけた。

「膝がダメなの。歌ってはいるわよ。あちこちの舞台に立って歌っている」と、Oさん。
初めてOさんの演歌を聞いた時、玄人と思うほどの歌唱力なので驚いた。今もその歌い方と声は魅力的。体全体から声を出していることがよく解るほど。膝が痛いとのことだが、椅子から立ち上がる時にその辛さが目に見えるが、一旦前奏が始まると、画面など見なくても歌詞は覚えているのだろう、薄く目をとじながら、気持ちよさそうに歌う。

 私も曲を選んだ。ここ数日練習した「思い出のノラ」ケンジロウという名前の男性歌手の歌。練習したので唄えた。

 コロナで中断したカラオケ仲間との例会。数年ぶりに集まりだした。今回で3回目になるが、何曲も歌わないうちに喉が痛くなる。喉で歌っているせいだろう。今回も、2曲目の「Mrs シンデレラ」という秋元順子の曲を唄ったが、もう喉が痛いイタイ。あとは、お茶を飲み、お菓子を頂いて聴く側に回った。

 数曲を唄ったOさんは、バッグから何やら取り出して私の側に座った。
「これが舞台に立った時の写真よ」見せてくれたのは葉書大の写真10枚ほど。どれも綺麗に化粧して、ウイックだという艶々の髪で、ドレス姿の舞台上のOさんである。
「主人は10年ほど施設にいたけれど、お金が大変だった。全財産使ったようなものよ。亡くなって3年。最後は自宅で看取れたけどね。私は思い残すことは何もないわ」と、Oさん。最後の曲までも力強い歌声であった。



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★11 境界線

2023-07-08 06:39:48 | 「とある日のこと」2023年度


 私宛に茶色のちょっと厚みのある封書が届いた。差出人は測量事務所になっていた。俄かに封書の内容は何事なのか理解できないまま開けると、我が宅地と隣地の境界線の確認をしたいとのこと。隣地が空き地になって売りに出されてから一年は経っていない。買い手が決まったらしい。我が宅地の所有者は私ではあるが、現在は家屋敷のことは夫と息子に任せきりでいる。

 測量の約束日は小雨だった。測量士は二人。私と息子が対応する。狭い側庭と隣地の間の塀を挟んで、図面を見ながら境界線を確認する。隣家の解体後に塀を取り壊すかどうか話し合った時、たぶん我が方で巡らせた塀かもしれないということで、塀の取り壊しはしなかった。その塀は、我が方でなく隣地側の塀だと確認できた。

 思えば我が夫婦は、初めて家屋敷を手に入れたのは結婚間もない二十代前半の時。高度成長期の時代で、訪ねてきた不動産屋の営業マンに、いろいろアドバイスをいただきながら、そして、迷った挙句、半ば脅されるみたいな勢いで、小さな宅地の小さな家を手に入れた。縁ある毎に家を買い替えたのは二度。そして、故郷に似た雰囲気の現在地へ落ち着いたのは三十代半ば。あれからン十年、吾ら夫婦は老境に入り、それなりの苦労をしながら、今では、息子に頼りっきりになりながらも、庭の植物の世話をするのが一つの楽しみとして暮らせている。境界線の一センチでも、汗と涙の賜物かもしれない・・・。

 境界線の確認作業が終わると、隣地に立っていた売地の看板が外された。先日の線状降水帯の大雨の時、プールのようになっていた隣地も、やがては、近代的な家が建ち、大雨にでも安心な家と宅地となるのだろう。他人事ながら楽しみである。



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★10 獲物を狙う

2023-07-01 07:38:05 | 「とある日のこと」2023年度


早朝散歩からの帰り、家の近くまで来たとき、鴉の騒がしい声が頭上を横切った。見上げると、鴉が一回り小ぶりの鳩に追われている。鴉は回転を交えながら、何とか鳩の攻撃を躱そうとしている。数分の戦いは、鴉がようやく逃げ切って終わったようだ。

あの鳩は、卵か雛の母親だったのかしら? それとも父親? いずれにしても、自分たちの平和を乱そうとした鴉を、全力で追い払おうとした親。親殺し、子殺しのニュースが時々ある人間社会と同様、鳥たちの社会も油断できない、生きにくい世界なのかもしれない。

以前、探鳥会へ所属していた。時折見た、獲物を獲る鳥たちの凄さを思い出した。
利根川で燕の渡りを見に行ったときに見た、猛禽のミサゴの漁。泳いでいる魚を獲る様子は、バシャバシャと水しぶきを上げて、水中に頭から突っ込んでいくようだ。離れた場所からも、その凄まじさには驚くばかりだ。それは写真に納められるようなものではなく、あっという間の出来事であった。また、ムクドリの飛んでいる群れに、オオタカが空中で狩りをするところを見たが、それも、あっという間の出来事であった。探鳥会は楽しかった。姑となって、日曜日の早朝に出かけることが躊躇われた結果、探鳥会を止めた。

門先で、早朝の緑風を感じながら、花壇の花を眺めていると、頭上を鴉が数羽飛んで行った。その中の一羽の羽が数本抜けているのが見えた。先ほどの鳩から逃げた鴉かもしれない。抜け落ちた羽無しでも、難なく飛んで行く。鴉は頭が良いと言われているが、全身が真っ黒ということで嫌う人も多い。だが私は、著書、「風に乗って」の中の「おばばシリーズ」の前半でおばばの友として登場してもらった。
よくよく見ると、黒を基調とした玉虫色の羽は艶やかで、鋭い眼力は魅力的だ。




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