紫陽花記

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別館★写真と俳句「めいちゃところ」

25 丼の縁

2021-10-31 08:10:49 | 夢幻(イワタロコ)


 会社の存続を賭けたCM撮影の日。
 俺の靴底から、ミミズが這うような感覚が心臓めがけてきた。寒気がする。足の指に力が入った。僅か二十センチ幅の丼の縁。
「方向はどっちでもいい。歩いてみてくれ」
 上司の声。
 右の利き足を踏み出すには、多少、筋力の劣る左足に体重を載せなければならない。
 俺は左右をみた。右側は照明が暗くてよく見えない。左はプールのような丼の中。ウナギの蒲焼きが、真っ白な飯の上に行儀良く並んでいる。湯気と匂いが充満していた。
「ひぃ~」俺は、丼の縁にクレーンで下ろされた時からの、たまりに溜まった悲鳴を上げた。
「どうした」
 声は苛立ちから戸惑いに変わった。
「ウナギは苦手なんです」
 爬虫類を連想して、どうしても嫌なんだ。
「なんだよ。それを早く言えよ。そうすりゃあ別の者にこの役を振ったのに。我慢してやれ。今更苦手もなにもない」
 息を止めて丼の縁を歩き出した。

 ライトがついた。体が揺らぐ。ウナギの蒲焼きの中には落ちたくはない。両腕を広げバランスを取った。
 会社のみんなが見上げている。丼を取り囲んだ人々の中に上司の顔が見えた。
「おいしそう」という、誰かの一言が引き金となって、次第にざわめきに変わっていった。
 どこから入ったのか、みんながウナギの蒲焼きに食らいついている。全身タレまみれだ。仕舞には最後の一切れまでも取り合っている。
 こめかみや目頭から流れたしょっぱい滴が、俺の口に入り込んできた。拭くことも出来ず、丼の縁をひたすら歩き続けた。

著書「夢幻」収録済みの「イワタロコ」シリーズです。
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24 樹下夢

2021-10-24 09:06:25 | 夢幻(イワタロコ)


 樹齢七百五十年の太郎杉の下。俺は杉の大木を見上げた。
 突然、『懺悔』の気持ちが沸き上がった。

 三月の下旬。水戸偕楽園の梅は満開。一緒に来た彼女は、吐玉泉から眼下の千波湖方面を眺めている。
 杉の太い幹に両手を回した。温かい。目を閉じ、全神経を大木に向ける。
 小学生の頃、飼い猫が産んだ子猫を、空の菓子箱に載せて小川に流した。増えるのを防ぐためとはいえ、親の言いつけとはいえ、自分の意志ではないとはいえ、あの子猫たちが生き長らえたとは思えない。
 飼っていたウサギが逃げてしまい犬に襲われた。母の料理したその肉を、一切れ食べて旨いと思ってしまった。
 中学生の時。現在地に引っ越す時だ。インコを入れた二個の鳥籠を玄関脇に重ねておいた。風にあおられてひっくり返った。五羽のインコは三月の寒空に飛び去って行った。あの後、餌を取ることが出来たのだろうか。

 懺悔をそこまで続けた時彼女が振り返った。
「ねえー、湖まで下りない」
「いいよ」
 俺は幹に手を当てたまま、『今日の懺悔はここまでです』と呟いた。
 彼女はボートに乗りたいと言う。水上は苦手だが力を込めてオールを漕ぐ。湖面から好文亭の左方向を見る。一際高い森がある。
「気持ちがいいわぁ」
 彼女は手を伸ばして湖面を叩いた。
 ボートが傾いた。あの菓子箱に乗った子猫を思い出した。
「恐がりねぇ」
 彼女が笑った。俺はあの杉の下に戻り、懺悔を続けなければならないと思った。


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23 虹をなぞる

2021-10-17 17:16:46 | 夢幻(イワタロコ)


 俺が彼女に振られた日、雨上がりの堤防の上にシートを敷き胡座を組んだ。
 瞑想の真似事をする。鼻から深く息を吸う。末端の細胞までも満たすように吸う。そして、口を小さく開け、少量ずつ息を吐く。体中の邪気を全部追い出すように吐く。
 何度も繰り返した。頭の中に靄が広がっていく。野球帽を被り、Tシャツとジーンズ姿の俺の体が持ち上るように感じた。
 目を開ける。西の空から青味が瞬く間に頭上まで広がった。河川敷に連なるポピーの花群が鮮やかだ。
 虹が対岸とこちらの堤防に川を跨いで掛かった。手の届くほどだ。手を伸ばす。温かな湿った虹をなぞる。手が濡れた。
 カチカチと食器でも触れるような音がする。ザワザワと人声が膨らんでくる。音楽が聞こえる。背後に人の気配を感じた。
 振り向いた。見慣れない女がいる。俺と同年代の二十代半ばに見える。その女も浮かんで見えた。片方の唇を引き上げ、ぎこちない微笑みを見せる。

「だれ!」
「独りじゃいやなの、一緒に行きませんか」
「どこへ」
「あの虹を捕まえに」
「お、俺は」
「意気地がないのね」
 女は薄衣を纏い、細い体をくねらせた。透き通るほど白い肌だ。瞳が黄色い。冷たい手が俺の腕に巻き付いた。
「ちょっ、ちょっと待ってよ」
 俺は喉が絞れて声が出ない。下半身にズシリと重みが付着していた。
 俺は重みを引きずりながら、消えかかる虹をなぞる。


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22 雪模様

2021-10-10 16:51:45 | 夢幻(イワタロコ)


「何をしているのさ」
 祖母が座敷から声を掛けてきた。
 俺は、窓ガラスに張り付いた雪の一つひとつを見ていた。模様は何種類もある。
「ん。雪模様の観察だ」
「ほう、風流なこと言うじゃないか」
「まぁね」
「雪が降ると、昔を思い出すなぁ」
 祖母は炬燵に顎を載せるように身を縮めると、降りしきる雪を眺めた。

「あれは小学校の五、六年生のころだったな。雪が一尺くらい積もった日だ。長靴が無かったから足駄を履いて学校へ行った」
「アシダって」
「下駄みたいな、歯の高い雨用の履物さ。それを履いて学校から帰る途中に、鼻緒が切れちまった。そうさな、今で言えば、家から五百メーターくらいの所だった。仕方が無いから足袋を脱いで足駄を持って走った」
「えっ、雪道を裸足で?」
「そうだ。足はジンジン痛くって、心臓は凍りそうだった。家の土間に入って行ったら、丁度母親がいて、大急ぎで沸かした湯を盥に入れると、足を入れさせてくれたよ。足は尚更痛くなって、大声で泣きたかった。けどな、一生懸命、湯の中のだんだん赤くなっていく足を撫でてくれながら、母親の目から涙が流れているのを見たら、泣けなかったよ」
 祖母は鼻の下を擦った。
「今じゃ考えられないような時代だね」
「その翌年、遠くに働きに出ていた姉から雨靴が送られてきた。長靴じゃないよ。その頃にしちゃあ洒落たものだった。姉も少ない給金から買ったらしい」

 窓に張り付いていた雪は、水滴になって落ちていった。



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21 募集

2021-10-03 08:13:08 | 夢幻(イワタロコ)


「あなたも参加しませんか」
 新聞折り込み広告。昼食を共にする『袖擦り合う会』合コンの参加募集だ。会長名が翁山重仁とある。当日飛び入り参加も可。年齢は六十五歳から上は無制限。会場、公民館。
「祖母ちゃん、参加してみたら」
「いやだよ。そんなこと」
 俺の勧めにさんざん尻込みをしていた八十四歳の祖母が、日曜当日の朝化粧を始めた。
「すまないが頬紅を貸してよ」
 お袋の化粧品を借りたりして念入りだ。珍しく紬の着物を着た。
「悪いけど、車で連れていっておくれ」
 公民館に送って行くと、二十人ほどの老男老女が集まっていた。みんな着飾っている。

 夕方迎えに行くと、どの老人もほんのり頬を染めている。酒を飲んだからか、会場が温かだったからか、それとも特別な何かがあったからなのか。
「それがさぁ、いいものよねぇ、歳を重ねるってことは」
 助手席の祖母の両頬に小さな窪みが出来た。
「なんかいいことでもあったの」
「男の若い順に座った隣へ、女の年上から順に座って下さいって、会長さんが。うふふ。ほら、金物屋の旦那。六十五になったばかりだってさ。その隣が私なのよ。商売人だからね、口八丁手八丁で楽しいのなんのって」
 祖母は思い出し笑いを続ける。
「祖母ちゃん、次も当然参加だね」
「そうさね。いつ死ぬか分からないから、うんと楽しまなきゃあ。募集があったらいくよ。それよりお前の方はどうなんだね」
「えっ、な、なにが……」
 彼女募集中の俺は、ハンドルを握りしめた。



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