紫陽花記

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別館★写真と俳句「めいちゃところ」

(6)浜離宮

2022-08-28 16:09:25 | 江南文学56号(華の三重唱)16作
 鍵型に開け放された、三座敷の建具は、全部取り外されていた。
 畳の上に青い薄縁。半間幅の朱の毛氈が、部屋の両端に敷いてある。
 床の間には、明治時代らしい服装の数人が、池を背に、この座敷で、テーブルと椅子、西洋風の食器で歓談している絵がある。
 小鳥の鳴き声がしてきた。
「あらっ、何の鳥? 録音なのこれ?」
 徳子が池にせり出した広縁の軒先を窺った。
「どれだけの人が、ここに座ってこの池を眺めたのかしら」
 依子は、昔はもっと鳥も多かっただろうと思った。潮入の池の風に、海の匂いがする。房総も見えたとある方向に高層ビルが見えた。
 制服姿の女性が、抹茶と朝顔の形をした和菓子を角盆に載せ、各の前に置いた。
「この中の島にある御茶屋は、宝永四年というから、三百年も昔に造られたのね。将軍はじめ御台様、公家たちが、ここで庭園の見飽きぬ眺望を堪能した休憩所。現在の建物は、昭和五十八年に復元したもの」
 孝江が、パンフレットにある浜離宮の成り立ちを読んだ。現在は東京都の管理らしい。掃除が行き届いている。

「ここは東京の中でもいいデートスポットなのよ、きっと。また来ようかな」
 孝江が先を行く二羽のカルガモを指さした。
左右に体を揺らし、内股で歩いている。
「でも、川は汚かったわねぇ。ここに繋がる橋から見た築地川は、ゴミがいっぱい。水は淀んで臭かったじゃない」
 鼻を抓む依子に、徳子が顔を歪めた。
「ヨットやボートを繋留しているリッチマンは、たぶん蓄膿症なのよ。あんなに汚いところに平気でいられるんだから」



江南文学56号掲載済「華の三重唱」シリーズ
初老の孝江と依子と徳子のプチ旅物語です。
楽しんでいただけたら嬉しいです。



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(5)日光・三婆

2022-08-21 06:25:36 | 江南文学56号(華の三重唱)16作

「これ、見ざる聞かざる、言わざる、なのね」
 依子は、徳子、孝江と並んで、白い神馬がいる神厩舎を見上げた。
「霊獣って呼ばれている二十六種類、七百十四頭の彫刻がこの東照宮にはあるんだって」
 孝江が小型の双眼鏡を取り出して、陽明門の彫刻を丹念に見ている。依子は中学の修学旅行を思い出した。半世紀近い昔だ。
「陽明門の前の石段に並んで、集合写真を撮った記憶があるわ」
「そうだっけ? 徳子さん覚えている?」
「どうだったかしら。ね、写真撮ろうよ」
 徳子がカメラを構え、孝江と依子は石段に並んだ。
 陽明門から、内院を囲む回廊を人波に添って行く。奥社につながる参道の入口に、『眠り猫はこの上の欄間です』と矢印と案内があった。依子の記憶よりずっと小さい猫だ。
 案内に従って拝殿、本殿のお参りを終えたところで、案内係が勧める。
「生涯をお守りするお香を、お家で待っているご家族に。また、親しい方にお勧めします」
 孝江が赤と青の香袋を買った。
「ねぇ、誰のために買ったの」
 徳子と依子の問いに、孝江が表情も変えないで言った。
「内緒、夫でないのは確かだわ」
 薬師堂に入ると、照明が昔より明るく感じた。鳴き龍が目を見開いている。係の打つ拍子木に、鈴のような鳴き声を返してきた。

 外に出ると強く雨が降っている。タクシー乗り場まで走った。
「三ツ山羊羹を買って帰ろうよ」
 孝江が言った。徳子が生湯葉の刺身が食べたいと言う。依子に、修学旅行で、キノコのたまり漬けを買った記憶が蘇ってきた。



江南文学56号掲載「華の三重唱」シリーズ
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(4)タンゴ

2022-08-14 07:12:34 | 江南文学56号(華の三重唱)16作
 徳子が、互いの長い足を絡ませて踊る、ステージ上の男女に溜息をついた。
「ねっ、徳子さん。ご主人の愚痴を言っているより来て良かったでしょ」
 孝江が両手を胸の前で合わせ、目は赤と黒の衣装を着た二人を追う。
「音楽も、すばらしいわね」
 依子は、ステージの左で演奏する四人の男たちも魅惑的だと思った。
 二百人ほどの観客は、一曲終わる毎に大きな拍手を送る。
 ピアノ、バイオリン、ベース、バンドネオンの演奏は、依子も知っている曲が多い。
「なんか、体がムズムズするわ」
 徳子が、上半身を捻るように振った。
「踊りたぁ~い。でしょ? 依子さんも習いなさいよ。足腰にも精神にもいいんだから」
 孝江が足でリズムをとって言う。
「踊れたらどんなに楽しいかしらねぇ」
 依子は、徳子と孝江が羨ましい。二人はソシアルダンスを習っている。
 五十分のショータイムの中間で、『お愛嬌コーナー』があった。三人の男が客席に下り、女性客の手を取ってステージに導いた。若い女性二人と塾年の依子だ。
 手を取られた依子は、自分でも意外なほど冷静であった。ダンスのダの字も知らないのだから、どうせ動くことは出来ないはずだ。
『黒い瞳』の曲に乗って男が手を引く。五十キロの依子は前へ。僅かに押されて後ろへ。二歩進んで四歩後退。左に行って右に回された。音楽はもう聞こえない。リズムは男のいいなり。後の二組も客席も目に入らない。
 思いっきり右足を踏み出した。
「うおうっ」
 男が悲鳴を上げた。



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(3)鎌倉大仏

2022-08-07 06:56:58 | 江南文学56号(華の三重唱)16作
「うわっ、中、暗い」
「狭いところね」
「気を付けてよ。足元。お互い年なんだから」
 徳子を先頭に、孝江、依子と続いた。
 鎌倉大仏の体内に通じる階段は、やっと二人が擦れ違うことのできる幅だ。三、四段下ってから方向を変えて登って行くと、広い場所になる。三十人に近い男女が蠢いていた。
「ここが大仏さんのお腹の中ね」
 依子が呟くと、徳子が言った。
「ね、大仏さんは女なの?」
「えっ、どうして。お釈迦様なのだから男よ」
 孝江が言って「当たり前でしょ」と付け加えた。
「だって、なんか子宮の中にいる感覚なんだもの。そんな感じしない?」
 依子はゆっくりと空間を見回した。
 なるほど。蠢いている人々は、受胎前の物体のようにも見える。
「不謹慎かしら?」
 徳子が囁いた。
 孝江が独り言を言った。
「ここにいる皆さんは、純粋な気持ちでお参りしているのかしら」
 依子は、『写経の願意』へ、孝江が書いた庄一という文字を思い出した。
 孝江は外へ出ると、大仏の顔をじっと見上げている。
 トビが高度を下げて「ピーヒヨロロ」と鳴いた。
 徳子が、高徳院の境内にあった与謝野晶子の歌碑から引用して言った。
「本当に、この仏様。美男でおわす。だわね」
「みほとけの 尊く放つ御光を 仰ぐすなはち罪ほろぶとふ」
 孝江が声に出して、伊藤左千夫の歌を唄った。



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