紫陽花記

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別館★写真と俳句「めいちゃところ」

7 ムズムズ病

2022-02-27 19:28:23 | 夢幻(ステタイルーム)23作



 心療内科の診察室。橋口を診る三十代半ばの女医のつり上がった目は、黄色みがかった茶色をしている。
「先生、唇がムズムズ、ピクピクするんです」
「いつ頃からですか」
 女医はカルテに何やら書き込みながら聞く。
「ええーっと……」
――確か久美子とつき合いだしてからだ。
「どんな時、主にそうなりますか」
――友達と会うとなる。特に女にもてる村瀬の前だと、尚更ムズムズがひどくなる。
「唇が意志に反して、勝手に動き出そうとするんですね?」
「ええ、そうです。」
「今まで女性とつき合ったことは?」
――ない。久美子が初めてだ。結構みんなの注目を浴びている女なんだ。その女とオレは。
 橋口の唇が痙攣し始めた。薄い唇がめくれて動き出し、滑りのある液体が流れた。

「治療のためですからはっきり言いますが、この症状は、経験不足の、特に男性が多くかかる困った病気です。物事を誇張して言ってしまうとか、無いことを、あたかも実際にあったような気になったりして、他人に迷惑を掛けてしまう病気なんです」
――そう言えば、久美子が……。
「まず、ご自分を客観的に見て頂きます。こちらの鏡を見て下さい」
 女医が、壁側に向けてあった大きな鏡を橋口に向けた。
「ご自分をよーく知ることが大切です」
 橋口は、自分の全身をじっくり見た。三十六年見慣れた自分の姿に違和感はない。
「しっかり目を開けて見て下さい」
 女医が険のある言い方をした。眉をひそめる久美子を思い出した。


著書「夢幻」収録済みの「ステタイルーム」シリーズです。
主人公はそれぞれの作品で変わります。
楽しんで頂けたら嬉しいです。


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6 メルとも

2022-02-27 08:59:52 | 夢幻(ステタイルーム)23作



〈今日は、ムサイものがお邪魔してご厄介になりました。カウンターの備前に活けた水仙も映えて、さすがママだと……。今日は先日来の頭痛がまだ抜けきらなくて、少々温和し過ぎたと思っています。今度はもう少し活発に、若さを披露したいと……。
──いつもお元気そうで。あれは、水仙じゃなくてフリージアでしたのよ。あら、人生の先輩に失礼を。トアルコトラジャコーヒーが入荷しました。来月はトラジャのサービスディーにします。毎週水、木曜日は比較的お客様が少ないです。都合の良い日にどうぞお寄り下さいね。お待ちしております。
〈歳の若い女性からお誘いを受ける。ほのぼのとした幸せを楽しむゆとりもまだ持ち合わせています。機会を見て、あらためてお伺いしたいと思います。5月中旬、八日掛りで京都、岡山、北陸、信州のロングドライブにチャレンジする予定です。体調の整備に取り掛かっています。

「もしもし、過日は遠いところありがとうございました。昨日納骨を済ませました。それに、主人とEメール交換をして頂いて、ありがとうございました。どんなに楽しかったことでしょう。生きていればもっと楽しめましたのに。あの旅行で無理をしたのね。私が東尋坊に行ってみたいと言いましたら遠回りして、二千キロも一人で運転をしましたのよ。当人は若いつもりでおりましたから」
「いいえ、こちらこそありがとうございました。どうぞ奥様お体を大切にして。寂しくなりましたらご来店下さいね」


 数日前入っていた空メール。アドレスは確かにあの方のものだ。



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5 靴

2022-02-19 17:22:26 | 夢幻(ステタイルーム)23作



「これはね、人間で言えば六十歳位の牛皮。ブーツを造る皮と同じ。えっ、皮は皮よ。こっちは羊。四十歳位かな」
 靴屋の主人は私の顔を見て言う。
「靴のことは、私はね、浅草で靴を造っていましたから良く分かりますよ。大きい皮でブーツを造ると半端な皮がでるでしょう、それで造ったのよ、これは。このメーカーは人気があってね、かなり売れましたよ」
 主人はパンプスの並んだ棚から、同じ形の、高さの違う黒のパンプスを私の足元へ並べた。
「靴一足造るのに工程が三十六もあって大変なのよ。四十年も靴を造りましたよ。イヤになって売る方に回ったのですけどね。中国で造ったのが一番安くって神戸が二番。浅草が一番高いかな。今は客の流れが変わって、常連さん相手にポツポツの商売ですけどね」

 私は、スポーツシューズを脱いでストッキングだけになった。
「高さはどうです? 見た目は高い方が綺麗ですけど。低い方がいいですか?」
 主人は、ヒール高七センチの方を棚に戻した。
「それに、足首にバンドの付いたのもあります。これは、脱げやすくありませんし、安全ですよ」
 私は、バンドのあるものとないものを履いてみた。両方とも左足が若干緩い。
「誰でも左右サイズが多少違いますからね」
 主人は、暫く私の足元を見ていた。
「バンドは丁度いいように調節しますよ。どうです、そちらの羊の四十歳は」
 還暦を過ぎた私は、ヒール高四センチのパンプスを、左のバンドに穴を一つ開け足してもらい買うことにした。
「お客さん、良くお似合いですよ」


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4 悪しき日

2022-02-13 12:47:47 | 夢幻(ステタイルーム)23作


「上海帰り~の~リルリル」と、六人部屋の患者二人が唄いだした。軽い脳梗塞と診断を受け点滴をされている六十二歳の大武も、昔聞いたことのある歌だ。
 唄が止んだ。主治医が入って来た。
「大武さん、どうですか? 目眩の方は」
「全然良くならないです。それにオシッコが」
「出ないんですか? まだ?」
「ええ、ちょっと気が散って」
「困りましたね。もうちょっと頑張ってみて下さい」
「部屋を替えてもらえませんか。四人部屋にでも、お願いします」
「差額ベッド代がかかりますよ」
「ええ、かまいません」
 大武はベッドごと運ばれてB棟からA棟の四人部屋に移った。前の部屋と同じくらいの広さだ。二つのベッドが塞がっているらしくカーテンが引いてある。一つは使っていない。

 昨日の真夜中トイレに起きた。目眩と吐き気がした。排尿をなんとか済ませベッドに戻った。だが早朝、目眩と吐き気がひどく、瞼も頭も上げられずに歩行困難になった。脳梗塞などが心配され、妻に付き添われて救急車で運ばれてきた。

「よいしょ、よいしょ、よっこらしょ。いてぇ、いたた。いてぇなぁ」
 窓側ベッドで両手両足に包帯を巻いた男が、体を動かす度に掛け声とうめき声を発している。後の一人は静かだ。
 体を起こせない大武は、華厳の滝を想像しながら溲瓶に集中する。やっとのことで今度は出た。十二時間ぶりだ。張っていた下腹が軽くなった。

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3 梨の味

2022-02-06 08:33:07 | 夢幻(ステタイルーム)23作


──圧縮して送って下さい。そのままだと重いですから。
 間宮はマウスを握ったまま画面を睨んだ。
 取引先の松井からの指示だ。
「圧縮? どうすりゃいいんだ」
「あなた、布団の圧縮、ほら、掃除機で空気を抜く。その圧縮でしょう?」
 側で梨の皮を剥いている妻が言った。
「うるさいな」
 いろいろ言わないでくれ。そうでなくてもこんがらがっているんだ。ええと、圧縮、圧縮と。どれをクリックすればいいんだ。
──こちらからのものは、圧縮して送りますから、解凍して下さい。沢山ありますので、注意をお願いします。
「今度は解凍だって?」
「面白いわね、解凍って、あの解凍? 凍らせたものを解かす、あの解凍なの?」
「……」
「ね、梨食べましょ、頂き物の梨だけど。ジューシーよ。水分たっぷり」
「お前はのんきでいいな」
 ええーと、なんだって? 圧縮と解凍?
 間宮は、マウスを握りしめた。
「今年は、ブドウが盗まれたと思ったら、今度は栗、米。梨が盗られて、ネギまで盗まれたのよ。どうなっているのかしら、この世の中」
「……」
 それより、俺は仕事中なんだ。邪魔しないでくれ。
 間宮の頭が痛くなってきた。手書きで図面を描き、手渡しで届けていた頃が懐かしく思い出される。
「ね、あなた、梨」
 間宮は、画面を睨んだまま梨を口に入れた。


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