紫陽花記

エッセー
小説
ショートストーリー

別館「銘茶処」

溶岩に棲む

2021-01-07 11:29:22 | 風に乗って(おばば)
 


 女の肌を連想させる山は、藍色がかった灰色で、薄く二、三か所に煙を上らせている。
 煙の立ち上っている地表は朱に染まり、朝日に輝いていた。
 お婆は、山を左手に見て急いだ。

 村の子供が、そこの溶岩の中に立ってみると、自分の中に棲むものに会うことが出来ると言った。
 黒い溶岩は何処までも続き、しがみついている松や杉にも、非情なほどそっけなく、それでもそれらの木々は、根を這わせ水分を得ている。
 お婆は、足場の良いところに立った。山は天に曲線を描き、遥か裾野は淡い緑と、針葉樹の深緑の相俣中に、風が遊んでいた。

「ギャーッ」
 悲鳴は、さっき見かけた人影のあった方からだ。お婆は、弾かれたように飛び上がった。
「とんでもない。とんでもないことだ」
 北からの旅人に聴いたことのあるトドのような図体の男が、溶岩の間に足を取られてもがいていた。目を見開いたまま「俺は大店の主人だ。他人からは仏の善右衛門と呼ばれていた。俺の中に居るはずはない。そんな者は居ないっ」と、宙を睨んだ。
 お婆は、驚いて辺りを見回したが何もない。それよりも、温かな風が花の香りさえ運んできている。

 溶岩の表面がキラリと光り、お婆の姿が現れた。痩せぎすの体に灰青の縞模様の着物。自分の姿を見て、もんぺが大分汚れているなと思った。後ろに纏めた髪が白く、艶も失せていた。
 髪が緩く解け逆立ちはじめた。目がつり上がり、口が裂けていく。白髪の間を突き抜け、鋭い角が伸びていった。


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マスク警察

2021-01-07 11:13:38 | 「とある日のこと」2021年度


 新型コロナウイルス感染症の蔓延に、私も少なからず神経質になっている。他国では変異性も出てきて、日本には、英国帰りの人や南アフリカ帰りの人から発見されたというニュース。

その様な中、電車に乗った。日中の車内は椅子席が殆ど空きのない程度。椅子に掛けて目を閉じていたが、ふと目を開け真向いの席を見ると、マスク姿の若い女性の隣にマスク無しの若い男性がいた。車内を見渡すと、その男性以外の人々はシッカリとマスクをしている。

新型コロナウイルス感染症の脅威には、三蜜や手指消毒やうがい、マスク着用や換気、他者との距離などなど。毎日のように、実行することが予防策と言われてきた。中でもマスクは一番の予防になると思うほど。

ふと、「マスク警察」という言葉が浮かんできた。私の心にもその部分らしい感情があることに気づいた。もしかして、出かける段になって手持ちのマスクが無かったのか? 電車に乗るまでの間に購入するチャンスが無かったのか? それとも、若者は罹っても軽く済むとか言われた時期があったが、それを真に受けて、自分は若いから大丈夫だぁ・・・とでも思っているのか? でなければ、持っていないなら、私の予備に持ち歩いている不織布マスクがあるから、「どうぞ」とでも言って差し上げようか? 等々、自分の気持ちと問答した。

その若者は、何にも気にすることも無いように、隣の女性とスマートフォンの画面を見ながら、終いには、歯茎を見せて笑った。

 乗換駅になった。私の脳裏にはあの若い男性がこびりついている。


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山吹の明かり

2021-01-01 11:43:19 | 風に乗って(おばば)


 どうやら道に迷ったらしい。
 行けども行けども、杉林が続く。薄暗い中に山吹の花が咲いていた。細いくねった道が、とぎれとぎれに延びている。
 行き止まりに祠があって、その前に若い女が跪いていた。
「……を宜しくお願いします。それに……は、どうしても、……まで、手に入りますように」
 女が、お婆の近づくのも気づかずに、祈り続けている。合わせた両手の指先に力が入って、赤く染まっている。
 お婆は、一心に祈る姿に見とれていた。
 女が、お婆の気配に気づいて顔を上げた。
「あら、お参りになるのでしょう。どうぞ」
 少し体をずらし、祠の前を空けた。
 お婆は、女と並んで跪いた。
「なむなむなむ、あぁあ、なむなむなむ」
 女が、祈っている姿勢のまま目を開けた。
「おばばさん、なむなむなむだけじゃ、お地蔵様が困るでしょう。ちゃんと、お願い事を言わなけりゃあ」
「なに、お地蔵様にも都合があるってものよ。だから、なむなむなむ、あぁ、なむなむなむ」
「そんなお願いの仕方なら、幸せになれなくってよ。お地蔵様だって、しっかりお祈りする人は放ってはおかないわ」
「それであんたは、何をお願いしたのだい」
「それは、ひ・み・つ」
 女が、もう一度丁寧に手を合わせると、去っていった。

 お婆は、あれこれお願いしようと思ったが、どっちにしても、欲にはキリがない。
「南無なむなむっ、なむなむなむ」
「でっかい声だな」
 祠から地蔵の声がした。

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「おばばシリーズ第二部」
旅に出たおばば・・・どのような出会いがあるのか?
そして 最後はどうなるのか?
この時点では作者自身も?の状態です。
お読みいただけると嬉しいです。

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コロナ禍のダンス

2020-12-17 09:05:10 | 「とある日のこと」2020年度



 新型コロナウイルス感染症の第三派の冬。感染者の高止まりが続いている日本。
 趣味の社交ダンス業界も、生き延びるのに必死の様相。

 週一程度踊りに行っている私の、健康維持に最も必要なモノ。
 社交ダンスと言えば、男女がホールドを組み、密着して音楽に合わせて踊るモノ。

 新型コロナ感染症が流行し始めてからすぐ、1m~2mの他者との距離を取ること、三蜜を避ける、換気、うがい、手指の消毒、マスク等々の実行を呪文のように言われてきた。現在も続け、この先も当分続けなければ、このウイルスとの闘いを終わらせることは出来ないだろう。

 そのような中でも私は踊りに行っている。感染予防策を徹底しているホールに行く。

 某ホールの様子を書けば、まず、入り口で検温。手指消毒をする。ビニュール袋に脱いだ靴を入れる。入場料を支払う。更衣室では三蜜を避けて衣装を取り換える。マスクを取り換える。ホールの入り口と、窓は常に開け放してある。ホールには、除菌除臭の器具が2台。エアコンはつけてある。そして、音楽が鳴り踊ることになるのだが、私たち客は勿論、スタッフの全員がシッカリとマスクを着けている。3回の休憩時間には、スタッフがアルコール消毒液を、客には勿論、スタッフの手指消毒に廻る。最後に、客が帰る時、もう一度手にアルコール消毒液をシュッと掛けてくれる。
 このホールは業界でも一番の感染予防策に徹底していると感じている。他のホールもここまで徹底してくれたなら、危うい状態にならないで済むのではないかと思うほどである。

 さて、来週も踊りに行きたいものである。


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古傷の痛み

2020-12-07 14:36:04 | 「とある日のこと」2020年度



 とある日の夕方家に帰ると、私にHさんから電話があったという。一瞬思い出せない名前だ。「息子さんが去年の夏に亡くなったとか。話したいことがあるそうだ」HSKマンションの住人だったと聞いて、ようやく思い出した。と同時に、胸の奥の古傷が俄かに痛み出した。

 私が長男を亡くした数年後に、市の福祉課の職員に頼まれて伺ったH家。そこには10人ほどの客が居て、広げたテーブルに食べ物が並んでいた。H君の18歳の誕生会だった。H君は車椅子に乗り、人工呼吸器の管に繋がれていた。「筋ジストロフィー」との病名が付いている。H君の姿は、病気の内容は違うが、生前の長男の姿に重なった。H君は、人工呼吸器を使用しないと命に関わると告げられた時、「声が出せない。口から食べられなくなるくらいなら死んだ方がマシだ。殺してくれ」と両親に言ったそうだ。H君の両親の意見は同じだったかは不明だが、最終的には、命長らえてこその人生との結論になったようだ。直視できない私の眼にも、数本の管が鼻や口から伸びているように見えた。誕生会の様子は、障害者の母親という身であった私には、疑問符しか残らなかった。その後にも、福祉課の職員に頼まれてH家に伺ったことがある。H君の様子を文字にして残したいから手助けして欲しいと言われた。だが、お父様はお母様に、「文才も無いのに無理だから止めなさい」と言った。

「息子の生きた証に、あの子の頑張りを書こうと思ったが、涙が出て書けない。その手助けを頼みたい」という。「母親という所から離れ、客観的に、作家になったつもりで、淡々と書かないと」との助言だけ言った。あの頃から15,6年も老いた身の私には、今大きなストレスに耐えられそうもない。