紫陽花記

エッセー
小説
ショートストーリー

別館★写真と俳句「めいちゃところ」

豆絞りの手ぬぐい

2021-04-28 16:54:16 | 風に乗って(おばば)


 遠くに近くに笛太鼓が響く。幟を背にしたチンドン屋が、村道を練り歩いて来た。
 村の衆は、寄ると触るとお婆の行方を噂していたが、誰もお婆を見たものがいなく、いつか忘れ去られた頃だった。

「チンチン、ドンドン、チンドンドン」
 先頭の髪を高く結い上げた女は、うっすらと汗ばんだ頬を、なお一層赤くして、両手を忙しく動かす。二番目を歩く笛の男は、上に下に、右に左に肩を揺すり、腰を深く落として従う。その後を行くチラシを撒く女は、すっかり日焼けした皺だらけの手に、真っ赤な手甲をつけ、厚く化粧した顔が、豆絞りの手ぬぐいで半分見えない。

「さぁさ、村はずれに雪之丞が来るよ。雪之丞の早変わりが見られるよ。芝居小屋に来ておくれ。さぁさ、たったの三日限りだよ」
 チラシを撒く手を休めては、大きな声を張り上げた。周りを黒く縁取った目が、「おいでおいで」するように片目をつぶった。
 物知り松つぁんも、村一番の金持ちの常吉も、子供等に混じってチンドン屋について行く。今夜は月も出て夜道も明るいだろう。二人とも、家族ごと見に行こうと思った。

 久しぶりに芝居小屋のかかる村は、全体が浮かれていた。月も真ん丸で、星は語りかけるように、瞬く。
 芝居小屋の木戸係が、チラシの女だ。女は半分隠れた顔で銭を受け取ったが、少し俯き加減に目を逸らした。

「なぁ松つぁん、木戸番の女、誰かに似ていると思わないかい」
「俺もさっきからそんな気がしていたんだ」
「あの皺くちゃの手。どっかで見た」
「いや、それより、あの声」
 二人は、何故か消えたお婆を思い出した。


『おばばシリーズ』最終回


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奥入瀬の瀬音

2021-04-14 08:23:12 | 風に乗って(おばば)


 子(ね)の口を発ったのは、凍て道が解け始めた時刻。いくつもの滝を見て来たが、滝の白さもそうではあるが、芽吹き始めた木々の梢が、陸奥の遅い春を謳歌しているように萌えたっていた。

 石ケ戸に近づいた時、岩屋に寄り添ったカツラの木にもたれた女が笑いかけた。
「どこまで行きますの」
 女は、薄緑の絹を片方の肩に掛けていた。象牙色の着物の裾まで垂れ、僅かな風に揺らいでいる。

「石ケ戸の岩屋を見たら、引き返すのさ」
 お婆は、気を締めた。病人を装い、旅人を襲うという伝説の女盗賊を思い出したからだ。
 女は、手の甲を口に当て、声を殺して笑った。それは、いかにも天女のように、桜色の肌が小刻みに波打っている。
「おばばさん、わたしが怖いのですか」
「いや。何も怖いことはない」
「でも、その目がそう言っていますよ」
「あんた、そこで何をしているのだい」
「人を待っていますの」
 女は、薄緑の絹布を揺らして、少し斜め下からお婆の目を見た。瞳には奥入瀬の流れが映り、深く睫毛が影を落としていた。
「人って、誰さ」
「おばばさんかもね」
「じょ、冗談だろう」
 つっと、女が一歩踏み出した。お婆は、弾かれたように後ろに飛び退いた時、岩肌の湿りに足を取られてよろけた。
 女は、慌ててお婆を抱きとめた。
「ごめんなさい。悪戯しちゃって。待っていたのは、うちの人なのよ」
 甘い香りの中で、お婆は気を失った振りをしていた。

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文士と画家

2021-04-01 16:13:50 | 風に乗って(おばば)


 街道から、木々に絡まった蔓に掴まりながら、渓谷に下りた。灰色がかった切り立った岩肌に、鮮やかな紅葉と、緑玉石色の渓流と、そこに架かる赤い吊橋。

 お婆は、鼻緒の切れた下駄を持ち、空腹を抱えていたが、陽を受けて彩る葉の演出に、すっかり気をとられていた。
湿った岩道に、足の指から冷えた。神経痛が起きやしないかとビクつきながら、一時間かかると聞いた渓谷を、急ぐつもりもなく眺めた。

 七つ目の赤い吊橋を渡りかけた時、向こうから二人連れがやってきた。狭い橋の中ほどで擦れ違いながら、互いに会釈を交わしたが、三人とも立ち止まった。

「この美しさをどのように表現したら……」
 文士だと名乗った歳若の男は、筆を舐めながら首を傾げた。
「それより、この色を出すのは、そりゃあ難しいぞ」と、年配の男が周りを見回した。
「絵にするには、そう難しいことはないでしょう。そのまま、見たとおり描けば」
 文士の言葉に画家がムッとした顔をした。
「文章にする方が容易いだろう。感じたとおり書きゃあいいことさ。ねぇ、そう思うでしょう」と、画家が、お婆に同意を求めた。
「わたしゃ、絵も文章とやらも、ちんぷんかんぷんで。それより急ぎたくなった」
 お婆の腹の虫が、さっきから催促していて、グズグズ言っていた。

 宿に着くと、食事を摂り、露天風呂に飛び込んだ。岩肌に紅葉がすぐそこまで枝を伸ばす。赤い小さな実をつけた木には小鳥が二羽。湯に浮かぶモミジにアリが一匹乗っていた。
 手足を伸ばし、しばし目を閉じた。
「極楽ごくらく。あの二人は、この極楽をどんな風に表現すると言うのだろう」


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残像

2021-03-17 08:19:00 | 風に乗って(おばば)


 残像


 橋を渡ると、軽快な音がお婆を誘ってきた。
 幟がはためいている、曲技団が村のはずれに小屋を建て、入口では、流暢な言い回しで客を呼び込んでいた。

 小屋の中は村人で溢れている。軽業師の妙技を披露した後、黒子に操られた人形芝居が終わった。
 右手の垂れ幕が少し上がると、四つん這いになった十歳くらいの男の子が、下穿き一枚で出て来た。
「親の因果が子に報い、ああ可哀想なのは、この子でござい……」
 幕の後ろから男の声がした。男の子は、しばらくじっとしていたが、少しずつ回るように動いた。
 男の子は、いつものように、計画されたように、舞台の中央を回った。
 男の子の目と目が合った。澄んだ瞳にお婆はたじろいだ。

 舞台の男の子の背景に、数人の男たちに担がれて行く男の子が青白く浮き上がった。掘っ建て小屋に四人の幼い兄妹と、母親らしい女がいる。幼い兄妹は、山盛りの飯を掻きこむように口にしている。その傍らで、声もなく泣き崩れている母親らしい女が、陽炎のように揺れて消えていった。
 それはつかの間の現象で、小屋の中の村人全部が見たものなのかは分からないが、お婆の眼裏に残像となって残った。

 お婆は、ゆるゆると流れる川面で、茜色に滲んでいる太陽を見ていた。墨の色を濃くしたように山が影を落とす。数羽の鳥が低く飛び、葦原を風が追った。
 曲技団の男の子が、川面に現れた。屈託のない笑顔で、お婆に笑いかけた。


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縄跳び

2021-03-03 08:45:36 | 風に乗って(おばば)


  縄跳び


 海岸を見下ろして、松の根方に腰を下ろした。海は凪ぎ水面が光っている。包みを広げ、冷たくなった握り飯を頬張る。
「いーちぬけたぁ」
 一人の女の子が、お婆の前を駆け抜けた。
 少し離れた松の木に一方を結んだ縄を、十歳くらいの女の子が持ったまま立ちつくしている。後の二人の女の子が、地面に伸びた縄を跨ぎ、顔を見合わせた。
「きみちゃん、いっちゃったけど、三人でやろうよ」
 一人が跳ぶ真似をした。
「いいだしっぺのくせに、うまく跳べないからって言うんだから、きみちゃんは」
 もう一人も不満そうに言った。
「さぁ、まわすよ」
 縄を持っていた子が、大きく腕を回した。
 二人が揃って跳び上がる。最初は上手に跳んでいたが、一人が足を引っかけた。
「もう、くたびれちゃった」
「かーえろっ」
 二人が縄を放り投げて行ってしまった。
 1人残った子が、縄の端を持って小さく揺すっている。陽に背を向けた顔が俯いている。
「さぁさ、やっておくれ。おばばが跳ぶよ」
 尻を絡げて、お婆が体を揺すり身構えた。
「うまく跳んでよね」
「ああ。これでも昔は、縄跳びの名人って言われたものさ」
 千代という名の女の子は、勢いよく縄を回した。顔が紅く上気している。
 お婆は、ゼイゼイと息を弾ませながら跳び続けた。
 お婆の足が縺れ、尻餅を着いてしまった。
「あたいも、かーえろっと」
 千代は縄を放り投げると走り去って行った。


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