紫陽花記

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別館★写真と俳句「めいちゃところ」

えごの木

2019-09-08 19:52:31 | 野榛(ぬはり)エッセー集


           1996/12 ぬはり短歌会誌上掲載


 ほろほろとえごの木の花散る朝は谷にこもりて鳴くほととぎす
                      中津賢吉

 秩父市の羊山公園入口にある歌碑に向かって、声を出して読んだ。
 秩父、荒川村で明治四十二年に生まれた中津氏は、昭和六十三年に没したらしいが、亡くなる数年前に有志によってこの歌碑は建立されたと記されていた。

 もとより中津賢吉という歌人は知らない。『野榛』の会員になってはいるが、ただ在籍していて、気が向いた時にちょっとひねる程度の不勉強さなのだから分かるはずはない。〈えごの木〉とはどんな木なのだろうと思い始めると、誰かに聞きたくなった。

 えごの木なんて私が分からないのだから夫に分かるはずはなかった。なにせ、熊本市に近い町の床屋の長男として生まれた夫は、田んぼに入ったこともなければ、畑の草取りをしようにも畑もない家に育った人だ。どれが豆の木でどれが自分の好きな里芋の葉なのかも知らない人だから。

 案の定、「えごの木?」っていう目は「俺に分かるわけないだろう」と言っていた。そして「おーい、えごの木って知っているかぁ」と次男に聞いた。
「知らない。知っている?」と次男は彼女に聞くが、彼女も首を振った。
 私は「えごの木だって、知らないよねぇ」と長男に話し掛けたが、身障の息子は怪訝な顔をするだけだ。

 その日は夫と次男が話し合った結果、夏期休暇の中でも一家全員の都合と次男の彼女の都合が良かったので出かけて来たのだ。

 おにぎりを作り飲み物を用意し、万が一の備えにパン類と缶詰、甘くない飲み物を余分に買い込んで車に積み込んだ。「万が一の備え」は、数年前に岩手の網張温泉からの帰りに激しい渋滞に巻き込まれて、一家四人が空腹に懲りた記憶があるからだ。

 それと長男の為の溲瓶を用意した。我々はどんな事態に置かれても何とかしのげるが長男の場合はそうはいかない。小さい時から家族旅行は年に何度かしてきたから、ぬかりなく準備する。我が家では、溲瓶、車椅子、丼とスプーンが長男の為の三点セットというのだ。後は気温の低下に備えて一、二枚の衣類を忘れなければ完璧。

 その日は次男の彼女も加わったので、車内は平均年齢が下がり華やいでいた。運転席の夫は口笛でも吹きたいほどの気分らしく、軽いノリで高速道路の追い越し車線を突っ走る。長瀞には予定より短い時間で到着した。

 長瀞の石畳で昼食を摂った後、羊山公園に寄った。真夏の太陽に焼き付いた石畳とは逆に、羊山公園は秩父市の市街を見下ろせる高台に位置していて、松の木陰は涼しい風が吹き抜けていた。遠く近く、夏祭りの笛太鼓の音が風に乗ってきた。眼下の街並みに目を凝らしてみたが、見ることが出来なかった。

 それにしても、気温の高い一日だった。

 えごの木が気になっていた。かといって、植物図鑑をどこからか借りてまでも調べる気もなく、それでいて忘れてしまうこともなかった。歌碑の側に、あまり高くならない木で白い花が咲くとの説明があったが、どうしても想像がつかないでいる。

 暫くして秩父市役所の環境課に電話してみた。丸みのある女性の声が出て、
「山に生えている木で、背はあまり高くならなくて、白い花が咲く木なんですよねぇ」と言った。これでは少しも私の知りたいものの答えにはならないのだが、妙に納得して電話を切った。


素甕の水

2019-08-22 07:55:02 | 野榛(ぬはり)エッセー集
素甕の水

            1996/10 ぬはり短歌会誌上掲載

「そんな時どうやって泣くの? こんなふう」って、私は片手を額に当て肩を震わせて見せた。「いや、ワーワーッってよ」と、両手を広げて見せる。御年三十九歳の彼。
「両刀使いだ」と言っていた彼がこの春恋をし、そして失恋したと言う。相手の十九歳の男性とは一度だけの交わりだったそうが、猛烈に好きになったと言う。その若者は、新たな男性と共に去り、そして泣いたそうだ「ワーッ」と。

「あなたの役はどんな役?」と聞く私も私だが、「わたしは攻める方よ。どんどん攻めちゃう」と答える彼も彼。想像逞しい私でもついに理解出来ないでいた。

 ごく当たり前の恋愛をし、結婚をし、子供を産み育てた私。変わっていたのは、長男が身障者だったことくらいだから、ノーマルな人生を送っている。だが常々、同性同士の愛があってもちっとも不思議ではないと思っていた。だから、この彼のように同性を愛し、身を揉みながら泣いたことを聞いてもちっとも変な気はしない。だいたい誰でも人を恋しがる。対象が親や兄弟姉妹であり、友人知人である。それがたまたま異性であったり同性であったりしたまでだ。

 わたくしの絶対とするかなしみも素甕に満たす水のごときか
                     築地正子

 この短歌に出会ったとき「うん、うん」と頷いてしまった。〈素甕に満たす水のごときか〉と表現した作者の本当のところは解らない。けれど、なんとなく理解出来た気にもなった。そして、前述の彼を思い出してしまったのだ。
〈わたくしの絶対とするかなしみ〉は、人それぞれであるのだが、この短歌には澄み切った内面が伺える。

 私は大人になってから子供のように泣いたことがあっただろうか。「ワーッ」と泣いた時があっただろうか。いつも、眉を上げ深い息を吐きながら、自分を騙して堪えた気がする。
 辺りを憚らず大声で泣けたなら、どんなにすっきりと出来ただろう。

 私の思い出した彼は「この頃本当に子供が欲しいと思うようになった」と言った。「それには、お相手は女性でないと駄目でしょ」という私に「そうね。よっぽど好きでないと駄目だし。でも男の子が欲しい」と言った。

 父親でもなく兄でもなく先生でもない。それでいてその子を自分の能力の限り指導し、一緒に旅をし、遊び慈しみ育みたい。そのような対象が欲しいと言った。
 聞きようによっては危うげな気もしないでもないが、彼は真剣な目をしていた。低く柔らかな声で話す彼の内面に、炎が燃え盛っている。ノーマルな人には受け入れがたいかもしれない炎だ。

 私の無責任で興味本位にも取れる質問に、気を悪くしたふうでもなく、彼は自分の吐いた煙草の煙に瞼をしばたかせた。

 百七十五センチ以上もあるだろう体で、髭の剃り跡も青い男盛りの彼が、北欧風一戸建での独り暮らしをしている。そのどの部屋のどんな椅子に掛けて、声を上げて泣いたのだろうか。去って行った若者を恋しがり、その対極に自分の息子を抱くことを望み、どうにも整理のつかない気持ちの中で暮らしている。

 いつか実現するときが来るのだろうか。

 一人の友人として、私は彼の息子を抱く姿を見てみたいと思う。
 そんな時、彼は嬉し涙を流すかもしれない。私は貰い泣きをするだろうが、きっと微笑みながら涙を流すのだろう。


泥中の花

2019-07-26 05:45:44 | 野榛(ぬはり)エッセー集



泥中の花

            1996/8ぬはり短歌会誌上掲載

 二年前私は病院にいた。と言っても障害者の長男の付き添いで泊まり込んでいたのだ。糖尿病という病名と、命の保証は出来ないほどの症状だと説明を受け驚いた。そのまま、全面介助の必要な息子に付き添っていた。

 一日十回もの採血。極端に少ない食事制限に、当の息子より悲しくなった。

 浅い眠りを続けるベッドの側で、最初の一週間は緊張のしどおしだった。だが、日増しに元気を取り戻すのを見ながら、私自身にも心の余裕が出来た。

 糖尿病の入院は、症状の回復を図るのは勿論だが、もうひとつは本人と家族の教育の期間でもあるらしい。私は早速売店で糖尿病の本を買い込んだ。

 病院と言うところは二十四時間動いている。真夜中、患者の押すブザーの音が鳴り響く。看護士が走る。それに眠りを破られたのか息子が「オシッコ」と合図する。眠っている同室の患者さんに迷惑にならないように介助をするのだが、シーツの擦れる音さえ耳に障る。夜と朝の少しの合間に私は眠った。

 思い返せば長男出産後、連続してこのような状況の中にいた。それは筆舌に表すには長くきついことだ。だがその様な中にどっぷりと浸かりながら数々の楽しみを味わってきた。それは絵であり文章でありダンスでもある。洋裁をし、そして短歌が増えた。私は原稿用紙を取り出した。

 泥の中沈みてたのしどろのなかそれなりに咲く花もあるらし
                     米岡元子

 これは短歌の善し悪しに関わらず気に入っている。まさしくどんな環境の中にも花は咲く。大都会のコンクリートのちょっとした吹きだまりの砂にも、根を張り小さな花を咲かせる草もある。逞しく環境に順応し命を育む術は、生きるもの総てに与えられた最大の守りの本能だろう。

 私が『宝』として長男を見るまでの時間は長かったが、その間に環境整備に力を注ぎ、自分らしく生きることに拘った。

 天は誰にでも平等に光を注ぐ。柔軟に素直に自然体で生きることを第一としてきた。無理をせずその場その場の状況の中にも、楽しみを見つけるほどの心の余裕を持ちたい。

 息子の病状が落ち着くに従って、自分の時間を持てるようになった。

 退院までの三十四日間は、十八年間の喫茶店主として過ごしてきた中で、最長の休暇だった。息子の生死の狭間に揺れた時間。改めて自分の生き様を振り返ってみた時間でもあった。
 様々な人々の行き交った病院の中で、人の心の弱さと強さを見た。えてして環境、状況の悪いポジションにいる人ほど強く、その反対の人は弱く見えた。その中で、息子の隣のベッドに入院していた若者が忘れられない。

 その若者の右腕が左腕の半分しかなかった。手は小さく何かをする時、左手に添えることもままならないようだ。若者は、我が息子を自分よりも重い障害と見て取ったらしく、親しみを込めて話し掛けてきた。自分の障害のこと。また、頸椎の異常で、今まで使えていた左手が使えなくなっている現在を語った。

「使えなくなって初めて不自由を感じるものなんですね」と言った。使えなかった右手の不自由は、未だ感じないと言う。若者は話し続けた。やっと理解者を得たという心の内を垣間見せながら。「自分の体が他の人と違うと気づいた時が一番苦しかった」と言った。
 若者はそれから一週間後退院して行った。

 若者の置かれた背景の中にも、いっぱいに咲いている花を感じた。


カウンターの中の土瓶

2019-06-28 07:22:44 | 野榛(ぬはり)エッセー集
カウンターの中の土瓶

            1996/6 ぬはり短歌会誌上掲載

『現代短歌』をパラパラ捲っていると、山崎方代の短歌が目に入った。読み進むうち、歌集『こおろぎ』の部分にある一首に思わず笑ってしまった。

 卓袱台の上の土瓶に心中をうちあけてより楽になりたり
                   山崎方代

 この短歌を読んで「土瓶」は私だなと思った。卓袱台の上の土瓶でなければ、喫茶店主は、カウンターの中の何だろう。よろず承り所のお婆よろしくなんでもかんでも聞く。聞くというよりも聞かされる。まぁ、サービスの一環との気持ちもあるが、退屈しのぎの聞き手というのかもしれない。

 客は気の向いた時にやって来て、いきなり本題に入る。こちらの精神状態などお構いなしで続ける。それが良い話なら良いのだが、大抵、怒りに繋がることが多い。

 近所との関わり方。夫への愚痴に始まりのろけまで。娘に彼氏が出来て寂しくなった父親。勤務先でのいじめ問題。妻の父親の死で、遺産相続でもめた話。

家庭内別居。娘の進学問題で夫婦間の亀裂。嫁姑の確執。子供の不登校。事業の失敗。などなど。

 他人の話は、七割がたは聞き流している。当人にしてみれば大変な事件なのだろうが、聞く私は単なる土瓶に過ぎない。どの人も話を聞いて欲しくって、大して飲みたくもないコーヒーを飲みに来る。そして先客が居ればその人の話を一緒に聞き、頃合いを見計らって、胸のつかえを一気に吐き出しにかかる。その時のエネルギーはもの凄いものだ。

 話をしに来た人は大筋では私のことを自分の味方だと思っているみたいだ。それなのに私はたしなめたり元気づけたりするが、時には本気でその人を怒ったりする時もある。そのような時は意外だという顔をする。

 商売気が強ければ、適当な相槌や意見の延べ方があるのだろうが、どうも苦手だ。自分の精神に忠実なのは不器用とも言える。そのような中でも、本当に腹が立って、神様とも言えるお客様に向かって怒ったことがある。もはや土瓶ではあらず。自分の顔がどんな顔をしていたか見たかったほど。

 その若い男性はパープルのスーツを着ていて二十三、四歳に見えた。誰もいない店内に入ると、カウンターの椅子に掛けるなり「職業安定所は何処にありますか」と聞く。ある病院の看護士をしていたそうだが、患者の家族とトラブルを起こしたと言った。上司のそのまた上司にまで報告がいってしまい、居づらくなって退職したと言う。藤沢の○○福祉学校を卒業したが、その学校への進路も突然思い立って決めたのだと言う。「今度は知的障害の施設にでも勤めたいな」と言うので訳を聞いた。「バカを相手にする方が楽だからね。身体障害者は頭がしっかりしているだけ大変だから」と言った。その時、私の商売気はどこかへ行ってしまった。我が生涯のテーマは「身障者の息子と共に生きる」なのだから、プッツンと切れてしまった。

 その後はもう正義感に燃えたお婆は、その若者に向かって怒りを言葉にしていた。
「福祉の仕事をする資格は無い。福祉学校で何を学んで来たの? どんなに職場を変えようとも、またトラブルを起こすわよ、君、よーく考えるのね」
 若者は、カウンターの中の土瓶が、蓋をパカパカ言わせて沸騰しているのに恐れをなして、小さい声で最後に言った。
「ありがとう、今まで誰も注意してくれなかった……」と。


誘発

2019-06-18 07:55:53 | 野榛(ぬはり)エッセー集
   誘発
            
1996/4 ぬはり短歌会誌上掲載

 込み上げてくる声にならない嗚咽の源は何かと、私は持っていた短歌の本を眺めた。それは答えにはならないと思ったけれど、確かに「野榛」を開いていた時の感情だから、その中の、菊池柳子さんの連作の数首に涙を誘われたのだろう。

 視界なき霧の岬の救いなれこころ病む子に背負われて夫は
                    菊池柳子

 大分前だったと思うが菊池柳子さんのエッセーで、出家した息子さんの事を読んだ事があった。その息子さんの背に夫はいるという短歌だ。
 
 私の脳裏に荒々しい三陸の海が広がった。それは私の知らない海ではあるが、遠浅の少ないと聞く三陸だから荒々しい海が見えたのだろう。そこに、黒い衣の背に老いた男の縋り付く姿と、それを見ている柳子さんの視線の先に、霧に霞む水平線が空との境目さえも分からない程に煙って見えた。

 だとしても何故に胸を突いたのだろうか。この息子さんの姿に到底及ばない私の長男に思いがいったのだろうか。ここ数日不眠症に悩まされていた身障の息子と、そのために迷惑を被った同室の入所者と施設の職員。そしてその度に電話で報告を受けた私たち夫婦の戸惑い。一番に苦しかったのは、一人眠れず夜の闇を蠢いていた長男だったはずだ。その息子に思いが繋がったのだろうか。

 柳子さんの心を病んでいる息子さんと私の身障の息子。菊池柳子さんの短歌に誘発された私の涙は、暫くの間頬を伝わった。

 短歌を始めて三年余。「野榛」誌上の短歌を全部読んだわけではない。仕事の合間にぽつぽつ拾い読みした。種々雑多なモチーフを、その人なりの心のあり方で詠んでいるのだが、本当の悲しみを知っていると思われる人の作品は心を打つ。

 私の誘発された涙は、決して今の自分を嘆いて出たわけではなく、人間の本質にあるもの。それは誰にでもある無垢なるものを揺さぶられたのだろうと思う。

 生活音のする午前十時。良く晴れていて窓からの陽ざしも穏やかな時。それなのにシンとした静けさが感じられる。涙を流したことによって、洗われてしまったのか。

 人間は他の生物と比べると欲望の固まりみたいなもの。とりわけ肉親に対する情は深く、愛する人々への情を詠うことが多い。それは父母に対するより子を思うことの方がずうっと深いような気がする。こうして、突き詰めて考えてみると、自然界の法則に則った感情なのかもしれない。託された相手よりも、託す相手を大切に思うのは、種を残そうとする本能に通じるものなのかもしれない。そのようなことを考えているうち、頬の涙が乾いていった。

 涙で洗われた心で読み進んでいったが、他の短歌は一向に頭に入らない。いつまでも、私の知らない海がうねり、ますます霧が濃くなっていく。強烈に縛られたまま、読むことを諦めて「野榛」を閉じた。

 現実は厳しくとも、どこかで心を遊ばせることの出来るのは、のたうち回るほどの苦しみの果てに会得した技で、子供という一番の修行場にどっぷりと浸かったが故。
 もう何もかも、両手を広げて抱きとめるほど修行を積んだはずなのに、まだ泣けるほどの余裕のあることに驚いている。形が違えども子を思う心は同じ。
 菊池柳子さんの連作に誘発された涙は、私の息子に対する思いに、何かを教えてくれたような気がする。

 私は、深くふかーく息を吸い込み、徐々に吐き出した。