紫陽花記

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別館★写真と俳句「めいちゃところ」

「牛久沼」

2022-07-16 14:22:23 | 江南文学
   

「会にこの沼の名前を付けたらどうかな!」
 会長になったばかりの細野が言った。
「そうね、いいと思うわ」
 私は小さく手を叩いた。岸田も頷く。
 牛久沼畔にある懐石料理店。八畳間の座敷から、開け放された窓の外には沼の水面が見えた。沼岸の葦原には柳や欅の若木が生えている。新緑が風にそよぎ、枝の間をシジュウカラが二羽飛び回っていた。

「辞めるに辞められなかったから、これで決まりがつきますよ」
 岸田が言った。
「十五年間も世話になったけど、会に魅力が無くなってしまったんだからしかたがない」
 会長が決心を固い物にするように呟いた。
「私は十七年よ。いい勉強をさせてもらったけど、潮時ってことかしら」
 今まで所属していた文学同人会からの脱退には三人三様の理由があった。会の運営や、将来の展望が見えないという意見も出ていた。
 私は創作上の指導に疑問を持っていたのではない。微妙に変化していった人間関係に絶望したのだ。
 最後には原点に戻り、好きな文学を書き続けていこうということになった。
 そして、勉強会発足の意志を確認した上で、会の名前を『牛久沼文学会』に決定した。

 晴れて暖かかった四月下旬。外に出ると俄に曇ってきて、大粒の雨が落ちだした。
「お二人、ウナギが良かったんじゃなかったの? 私に合わさせてしまって」
「いやいや、刺身も旨かったですよ。とりあえず、今後の事が話し合えて良かった」
「じゃ、次回まで」
 ドアを閉め、車を発進させたときには雨の量が増えていた。



「勉強用のグループサイトでも作ったら!」
「会長、それは良い考えですね。それと、会の公式サイトを作って、出来上がった作品を載せたらどうでしょう。沢山読んでくれる人が出来て、コメントが貰えたらいいですね。サブタイトルでの紹介は、短い物語をショートストーリーとし、俳句、短歌、エッセー、小説と、あらゆる文学を愛する人達の集まりということで」
「そうだ。自由な文学会なんだからね」
「賛成。ショートストーリーでいいです。僕はそのうち本に纏めたいと思っています」
「私のブログでのジャンルは前のままにしておくわ」
「兎に角、前向きに行きましよう。もう、新しい道を歩き出したんだから」
「それで、私は、文字数七四〇字にすることにしました。これまで決められていた行数より一行多くなるだけです」
「あ、それもいいですね。僕はそれ以上になるかもしれませんけど」
「あらゆる文学というのだから、長さなどに拘る必要はないんだよ」
「勉強するには、有る程度同じような長さの方がやりいいと思うけど」
 皆の声がメールや電話で流れあった。どのような勉強会になるか見当がつかない。

 私はパソコンを広げた。長年使ってきた入力画面の一部を変える。一行の余裕は物語の奥行きを深くすることになるか。今まで七百二十字になんとかねじ込んで書いてきた。その画面に新たな風が吹き込んで来たような気分だ。作品を見直し、一行分の余裕を生かす努力をする。そして、これからの作品は、新しいファイルの『残したいショートストーリー』に保存することにした。



「ここが会名にした牛久沼なのね」
「この食事処で会の発足を決めたのよ。勉強会に行く前に見せたかったの。ここからだと分かりにくいけど、違う方向から見ると結構広い沼なのよ」
 私は、入会を決めた珠代と並んだ。
 初勉強会の会場は森の中のレストランだ。一番奥の席に岸田が待っていた。
「会長さんの奥様、骨折したとかで。遅くなりますけど、必ず参加しますから先に始めていて下さいって」
 私は連絡を受けていたことを告げた。三人は昼食を注文する。珠代が言った。
「うちの夫も入院しなくしゃならないのよ」
「うちでは座骨神経痛で一ヶ月も仕事を休んで家にいるわ」私も言う。
「血圧の心配があってダイエットしていますよ。食事は女房が熱心に。ええ、少し痩せました」岸田も言う。
 近況報告のような会話が続いた。

 会長が入ってきた。
「選りにも選って、今日なんだから。家内が股関節を骨折したのよ。救急車で行きましたよ、即入院です」
「この年齢になると、なんやかやとあって。体を大切にしながら勉強しましょ。みなさん、作品は?」
 私はB5版に印刷した作品を出す。会長と珠代も作品を出す。岸田は、今、他の習い事に全力を掛けなくちゃならないので、と作品は無い。
入会している遠方の広瀬は不参加。

 中高年の五人を乗せたボート。横風は容赦なく吹きそうだ。投げ出されても泳ぎ切る覚悟を持たねばなるまい。
 珠代がカップを持ったまま言った。
「ああ、美味しいコーヒーだわ」




同人誌「江南文学」55号掲載済作品「牛久沼」★
長く世話になった「T会」を脱会した後の感想を、新たにお世話になる「江南文学会」への初稿としました。結局はこの「牛久沼文学会」は長くは続かず解散。私は「江南文学会」へ数年参加しました。現在はこの会も解散となっています。


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