紫陽花記

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別館★写真と俳句「めいちゃところ」

膝小僧の唄

2020-07-23 06:41:20 | 風に乗って(おばば)

  膝小僧の唄

「おうい、政吉、出ておいで」
 お婆は、穴の中を覗いて叫んだ。
 政吉は両膝を抱えて、首を横に振った。
「出るのが嫌なら、そのままでいいから、目を開けて見ろってばさぁ」
 政吉は、首を振り続けている。
「おばばの言うことをようく聞きな」
 政吉は、初めて上を見た。泣きそうな顔をしている。
「手を伸ばせ。その気になりゃ、そっから出られるんだよ」
 お婆は、手招きをした。政吉は腕を組み、脇の下で両手を強く挟んでいるようだ。
「何を考えているんだ。しっかり両足で立ってみな。その穴はお前の背丈ほどしかないよ」
 政吉は体を折り曲げ、穴の底に踞っている。
「政吉、待ってな」
 お婆は、崩れかかった穴の縁に手を掛け、飛び降りた。
 土の壁が冷えびえとしていた。ゾウリムシが一匹蠢いている。ゾウリムシの傍らに、ヒョロリとした草が生えていた。
「いやだいやだ。脳みそが痛い」
 政吉は、抱えた膝小僧に顎を埋めて、頭を振り続けた。
 お婆も膝を抱え、顎を埋めてみた。
 政吉の心に、虫食いみたいな穴が開いている。その穴を、微かな音を立てて、風が吹き抜けていた。
「政吉……」
 お婆は、自分の体ほどある政吉の体を、力一杯抱きしめた。
「おばば」
 政吉は、しばらくじっとしていたが、体を揺らしながら立ち上がった。
 二人は穴から這い上がった。
 草原をヒバリが囀りながら飛び立った。




終焉の舞

2020-07-18 08:32:58 | 風に乗って(おばば)


   終焉の舞

「やめなさい、やめろってばぁ」
 お婆が大声をたてた。
「なんてぇことを。尾花田の奥さんよぉ」
 巾着みたいな口を、開けたり閉めたりして力んだ。
「隣村のおばばさん。そんなことおっしゃってもね、わたくしの家じゃ困っていますの」
「なんとかならんのかい、そんなことする前に後悔したって、間にあわんよぉ」
「ええ長い間考えたことですわ。それにおばばさんには、別にご迷惑にはならないでしょ」
「ああ、迷惑にはな……。お、奥さん。お節介だって言うのかい」
 大声を張り上げた途端顔が火照った。
 心臓は早鐘を打つし、両腕に鳥肌がたった。
「皆さん、どうぞお仕事に取りかかって」
 奥さんの声に、五人の職人が、大きな鋸や鉈を光らせた。
「だめだぁ、たのむよう」
 お婆は、欅の大木の前で両手を広げた。
「おばばさん、息子が嫁を迎える前に、住まいを建てなければならないの。可哀想だけど、この欅が邪魔なのよ」
 頭が指図をすると、お婆の喚きも聞こえない風に、男たちが動き出した。
 太い枝に上り、綱を掛ける者。小枝をはらう者。根元の幹を挟んで、二人の男が大鋸を挽きだした。
 お婆は、塀にもたれて座り込んだ。
「ズッドドドーン」
 地響きを立てて欅が横倒しになった。尾花田家の母屋の前まで枝先が投げ出され、空中で青葉が蝶のように舞った。
 一瞬、周りを包んだ砂埃が、音もなく消えたとき、お婆の耳にうめき声が聞こえた。
 この村一番の高い欅が……消えた。