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別通★写真ず俳句「めいちゃずころ」
別通★実録・倪陜の子守歌

実録・倪陜の子守歌第䞀郚・1~30

2023-11-11 16:54:52 | å®ŸéŒ²ðŸŒžå€ªé™œã®å­å®ˆæ­Œãƒ»ç¬¬äž€éƒš
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│ 倪 陜 の 子 守 歌 │
│ │
└──────────────┘

第 侀 郚

䜜 米岡 元子

侀 倪郎、生たれ来お
二 脳障害
侉 子守歌
四 二぀目の呜
五 カントン
六 レントゲン宀
䞃 次男、裕次誕生
八 入信
九 瀟䌚犏祉センタヌ
十 ゆり孊園入所
十䞀 初めおの面䌚
十二 我慢
十䞉 野球
十四 克服レヌス
十五 喫茶店䞻
十六 ゆり孊園退所
十䞃 孊幎䞻任
十八 県南逊護孊校
十九 囜際障害者幎
二十 次男の瞁談
二十䞀 生掻蚓緎
二十二 思春期
二十䞉 進孊
二十四 次男の進孊
二十五 傷害事件
二十六 職堎実習
二十䞃 逊護斜蚭芋孊
二十八 進路
二十九 修孊旅行
䞉十 さようなら

侀 倪郎、生たれ来お

「おなかの赀ちゃんは駄目かもしれたせん。
ご䞻人にも説明したしたけど」

産婊人科の先生が、分嚩台に寝おいる璃子の目を芋お蚀った。カルテの裏に描いた図には、産道から赀子の頭が出かかっおいお、産道ず頭の間にぞその緒がのぞいおいる。
「ぞその緒が぀ぶれおしたったらしく、䞀時心音が聞こえなくなっおしたったんです。そのたたにしお眮けば完党に胎児は死にたすので、ずにかくぞその緒は、䞭ぞ抌し蟌めたしたけど。危険な状態です」
医者の蚀う意味が理解出来ないでいた。
倪ももに䜕本も陣痛促進剀が打たれる。助産婊のかけ声ず䞀緒に、䜕床目かの力みの埌に䜓が楜になった。
「男の子䞀人儲けた」
医者が叫んだ。
「無事だったんですか」
璃子の問には答えがない。
グァヌッ、ガァヌッず吞匕噚の音がする。
しばらく続いた埌静かになった。
「ほら、お母さん。坊ちゃんですよ」
助産婊が、倫正志を小さくしたような顔の赀子を抱きあげお、璃子に芋せた。赀子は産声も䞊げずに肩で息をしおいる。
「ちょっず心配なので䞀晩保育噚に入っおもらいたしょう。明日の朝にはお母さんの偎に
連れおいきたすからね」
翌朝、なかなか赀子を連れおこない。
正志が、院長宀に出向いお行った。
䞀週間が過ぎ、璃子が退院しおも倪郎ず名づけられた長男は保育噚の䞭にいた。
脳障害の疑いがあるので。ず東京の倧孊病院に転院を勧められる。酞玠ボンベを積んだ
医者の車で、看護婊が倪郎を抱き正志が付き添っお出かけたのが、生埌十日目であった。


二 脳障害

倧孊病院に入院した倪郎は、生死をさたよっおいた。ずっず危節状態が続いおいる。正志は、毎日䌚瀟の垰りに病院に寄っお、倪郎の様子を芋続けた。
生埌二十䞀日目。倪郎はこの日が山ず蚀われた。璃子は矩母ず䞀緒に病院に行った。正志の䌚瀟の人達や、璃子の姉効も来おいる。
皆、無蚀のたた保育噚の䞭の倪郎を芋おいた。
倪郎は、䜓重二千五癟グラムで生たれたのだが、今は千九癟五十グラムに枛っおいた。
目を閉じたたた動かない。銖の付け根の血管だけがピクピクず生きおいる事を瀺しおいた。
璃子は倪郎の䞻治医に呌ばれお医務宀に入った。若い医者はカルテを芋ながら「生たれた時の状態を聞かせお䞋さい」ず蚀った。
璃子は知るかぎりの事を話した。
「お母さんの話ず産院からのカルテの写しずこちらでの所芋を総合したすず、お子さんは脳内無酞玠状態による脳障害が疑われたすね。
なんずか生きられおも、手足は動かないでしょうし、目は芋えない、口もきけないず思いたす。それでもお母さん、育おなければなりたせんよ。私達医者は、患者さんを生かす事に党力を泚ぐのが勀めです」
倪郎は危節状態のたた䞀か月が過ぎた。
「倪郎はどうなるのだろう」
床に入った正志が暗やみの䞭で蚀った。喉を絞め぀けられおいるような声だ。
「」
「育おるのは倧倉だ。昔だったら生きられな
いし、生かされなかったよね」ず、誰かが蚀っおいたのを思い出す。
〃間匕く〃の文字が脳裏を過った。
璃子は暗やみの䞭で目を芋開いた。
「䞀床も抱いおいないのよ。あたし」
「」


侉 子守歌

冷静に考えれば、確かに、手足も目も口も䞍自由な子䟛を育おるのは倧倉だろう。だが、生たれ来た呜はその者のもの。誰の手でも操䜜出来るものではない。医者が蚀った「芚悟しお育おお䞋さい」ずの蚀葉を心に刻んだ。
倪郎の䜓力が぀いおきた。錻からチュヌブで胃にミルクを入れたのがよかったらしい。
今日は手足を動かした。今日は、どうやら目は芋えるみたいだっお看護婊が蚀っおいた。
耳も倧䞈倫らしい。ず毎日正志が病院に通っおは、璃子に報告する。
䞀か月半の危節状態から抜け出しお、やっず自分の口でミルクを飲めるようになった。
日毎に䜓力ず䜓重が加わっおいく。医者に宣告された脳障害のこずも、忘れおしたっおいた。
䞉か月埌。昭和四十䞉幎の暮れ退院した。
倪郎は、環境の倉化に敏感に反応した。璃子の抱き方が気にいらないらしく泣き、ベビヌベッドの寝心地も悪いのか泣く。ミルクの味も奜みに合わないのか泣いた。璃子は抱き続けた。床に入る事も出来ず、倪郎を抱いたたた炬燵の䞭で過ごした。
倪郎は、特別障害らしいものは出おいなかった。ただ、ミルクを飲む時に、銖を右偎にひねっお飲みづらそうにする。それに、癟飲むのに䞀時間もかかった。
䜓重はやっず䞉千グラムになった。
璃子は初めおの子育おに疲れ切った。倪郎の激しい泣き声を聞きながら、神経だけが眠っおしたい、身動き出来ないたたいた時もあった。倪郎が退院しお二か月過ぎた頃、璃子は、䜓の倉調に気づいた。倪郎の䞉か月間の入院䞭、母乳を飲たせなかった䜓は、すっかり䜓力を回埩しおいお、すでに二人目の劊嚠をしおいた。


四 二぀目の呜

「おめでたですよ。でもお母さん、今床はどうしたすか」
医者が聞いた。
「どうっお 生みたす。生みたすよ」
「そう。それが䞀番いいですよ。だけど」
倪郎の出産を手がけた医者がそう蚀っおから、倪郎君は今どのような状態かず聞いた。
「脳障害があったず思ったのだが」ず口の䞭で蚀った。
生埌五か月の倪郎には䜕の障害もないように芋えた。
「璃子どうする぀もりだ」ず正志も聞いた。
「どうするっお、生むわ」
「そう。倧倉だず思うよ」
「うん。それは解っおるけど」
「俺はいいけど。育おるのは璃子だからね」
郜心から四十キロ圏の新興䜏宅地に、十坪皋の建売䜏宅を買ったのは昭和四十二幎倏。
倪郎が誕生したのが四十䞉幎九月末。そしお二人目の出産が、正志二十八歳、璃子二十䞃歳の倏である。
倪郎はよく泣いた。
泣く床に、股関節に近い右䞋腹が膚らんでくる。定期怜蚺の時脱腞だず蚀われた。
「カントンが䞀番心配なんですよ。それだけには気を぀けおいお䞋さいね」
倧孊病院の若い医垫が、嵌頓ずは、腞など内蔵の䞀郚分が出口で締め぀けられお、もずぞ戻らなくなっおしたう事だが、そのたたでいるず、呜にかかわる事もあるず説明した。
そのような時は、緊急に受蚺するようにず蚀った。
璃子はおむ぀亀換する床に泚意しお芋た。
股関節に近い右䞋腹に、璃子の手の芪指が入っおしたう䜍の穎があるらしく、時々、腞が出おくる。その床に、そっず抌し蟌んだ。


五 カントン

正志が宿盎の倜だった。倪郎が泣きやたない。ミルクは飲たせたし、ゲップも出させたのだから、埌はおむ぀亀換をしお寝せようず思っおいた。あたり長く泣くず嵌頓が心配だ。
おむ぀をはずしお芋た。䞋腹の膚らみが、倧きく出おいる。芪指を圓おそっず抌した。匕っ蟌たない。倪郎は泣き続ける。時刻は午埌十時過ぎ。腞の倪さが解るほど皮膚が匵っおいる。
正志の䌚瀟に電話する。
「解った。病院にどうしたらいいか聞いおすぐ折り返し連絡する」
ほどなく正志から連絡が入った。
「すぐ来いっお」
璃子は、入院ずなるのは必至のはずだず、玙袋に倪郎の着替えやタオル、おむ぀やミルクなどを詰め蟌んでいた。
正志の䌚瀟からは、家たで車で䞀時間以䞊はかかる。倪郎の顔色が青ざめおきおいる。
い぀の間にか泣きやんでいた。
正志は二トントラックに乗っお来た。甚意した物を車に積む。倪郎の顔はくすんできおいる。倪郎を抱いお璃子は助手垭に乗った。
深倜の囜道の䞊り車線はすいおいる。䞋り車線は東京からのタクシヌが、猛スピヌドで䜕台もすれ違った。
倧孊病院は郜内䞭倮線沿いにあった。宿盎の医者が目瀌するず、蚺察宀のベッドに倪郎を寝かせた。䞋腹のふくらんだ郚分は、赀黒く色が倉わっおきおいた。医者が指先で抌した。倪郎が泣き出す。脱腞は匕っ蟌たない。
もう䞀人の医者ず䜕事か盞談した医者が、倪郎の錻に薬剀をしみ蟌たせたガヌれを抌し぀けた。倪郎が眠りに぀く。党身の緊匵がゆるみ、腞を締め぀けおいた郚分も解攟された。
明け方四時になっおいた。


六 レントゲン宀

緊急入院したが、倪郎の䜓調が悪く手術が出来ない。早い時期に手術しおしたえば、今回のような嵌頓隒ぎがなくなるのだが。
䞀週間で退院した。
倧孊病院では定期的に蚺察を受けた。䞉、四か月に䞀床、成長の状態を蚺るずかで、手足銖のレントゲン怜査があった。
そのずきもレントゲン宀に入り、嫌がる倪郎のそばに付き添っお、䞡手足銖の撮圱をしお出おきた。
「あれっ、お母さん。おなか倧きいのですか」
若い医垫が驚いたように聞いた。
「はい」
「えっ。これは倧倉だ。おなか倧きいのを知らなかったからレントゲン宀に入っおもらったのですけど。攟射線の圱響で、おなかの赀ちゃんが奇圢になるずか、心配なんですよ。産科の院長ず䌚っお、話を聞いお䞋さい」
璃子は、今になっおも銖のしっかり座らない倪郎だし、同じ䜍に生たれた友達の子ず比べるず、やっぱり異垞がありそうだず思っおいた。それに、今床は奇圢の子が生たれたずしたら、どうなるのだろう。院長ず話したずころで、もう間もなく生たれ月になるのに、どうしようもないず思った。
正志は璃子の報告を聞くず「そうか」ずだ
け蚀った。若い医垫の蚀葉が、䞀日䞭頭の䞭を廻っおいた。䜕日も䜕日も廻り぀づいた。
「次に生たれおきた子䟛が奇圢なら、脳性マヒの長男ず䞡手に抱いお、この近くの川に入ろう。私は泳げないし、䞉人䞀緒なら寂しくはないだろう」
璃子の決心が固たるず、ぐるぐる廻っおいた医垫の蚀葉は、い぀の間にか消えおいた。
八月二十䞃日。倪郎が生たれお十か月ず二十䞃日目の早朝、陣痛らしき痛みが出おきた。


䞃 次男、裕次誕生

早朝から陣痛が始たった。たぶん陣痛なのだろうず思っおいた。倪郎の時は、劊嚠九か
月目に砎氎しおしたい、人工で産道を広げた。
広げる為に䜿った噚具が、途䞭で飛び出しおしたった。その時、ぞその緒も䞀緒に飛び出した。それが、倪郎を障害者にする結果になった。前回が自然に起きた陣痛でなかったものだから、初期の痛みが埮匱なものずは解らない。
産院に電話するず「ずりあえず入院の準備をしお来お䞋さい」ず蚀われた。
璃子は、今床の出産は無事に出来るか。胎児には異垞はないか。ずの心配は考えない事にした。倪郎の時は、入院した時に郚屋に掛かっおいた暊を芋た。仏滅であった。なんずなく䞍吉な気持ちを持ったものだ。
倪郎を近所の友達に預けお入院した。䜕のトラブルもなくその日の午埌八時過ぎに、次男が生たれた。お産も軜、元気な産声をあげおいる。䜓には䜕の異垞も芋えない。
翌日から䞉週間䜍、倪郎を郜内に䜏む姉に頌む事にした。ミルクずおむ぀や着替えを甚意しお、正志が倪郎を産院ぞ連れお来た。
倪郎は正志の腕の䞭で、璃子の顔ずそのそばで眠っおいる赀子の顔を亀互に芋おいる。
ただ這う事もなく、蚀葉も発しない倪郎。突然珟れた赀子に、䞍思議そうな衚情をした。
「さぁ、行くか」
正志が倪郎を担ぐように抱き䞊げるず、もう片方の手で荷物を持っお東京ぞ向かった。
䞀週間目に退院。璃子の母も正志の母も郜合が悪く、産埌の手䌝いには来ない。床䞊げたでの二週間は、芪友の文子が䞃か月の嚘を連れおきおくれた。郚屋の掃陀をし、次男裕次にお湯を䜿わせお、掗濯、買い物をする。
璃子は、文子の優しさに感謝した。


八 入信

家を買い替えた。少し広い屋敷ず家。
次男の裕次は這い回っおいた。長男倪郎は寝返りがやっずできる皋床だ。
璃子は、片方の手に倪郎を抱き、裕次を目ず口だけで育おおいるようなものだった。
匕っ越しお間もなく、璃子が掗濯物を干しおいた時、隣の䞻婊が声をかけおきた。
「具合の悪い坊ちゃんがいるようですけど。
よかったら、私の母に芋おもらいたせんか」
その䞻婊の母芪は、神通力があるずかで、いろんな人を助けおいる。病気でも、事業でも、悩みごず䜕でも。埡本尊様にお䌺いしお、いいように解決しお頂けるのよ。ず蚀う。
「䞀床、お堂ぞいらっしゃったら」
静かな話し方をしお誘った。
璃子は、明日にも行っお芋ようず思った。
お堂は新興䜏宅地のはずれにあった。十坪皋の平家で近づいただけで線銙の匂いがした。
四畳半ず六畳間を続きに䜿っお、祭壇が食られおいた。祭壇の前には、信者らしい人々が座っおいた。䞀番前の真ん䞭に、癜の着物に黒の䞊着を着た癜髪の老女が、倪く長い数珠を揉み鳎らしお、祈っおいる。
璃子は、倪郎を膝に抱き、裕次を自分の右偎に座らせお、瞁偎に近い堎所に座った。
「いらっしゃい。なんでも、埡本尊にお願いしなさい。かなえおくれたすよ」
老女がにこやかに蚀った。
隣の䞻婊の母芪だずいうが、人の心たでも芋透かすような目ず背を䌞ばした姿が、ただ者ではないず感じさせた。
倪郎を膝に乗せた老女は䜕事かを祈るず、「お宅に䌺っお芋おあげたしょう」ず蚀った。
璃子は信仰に興味を持った事はない。倪郎を授かっおから、障害児ずはっきり認識しおから、ずっず苊しく蟛い日々であった。


九 瀟䌚犏祉センタヌ

隣家の䞻婊に誘われ入信しお䞉幎たった。
だんだんに、自分の信仰の察象がなんであるか、理解しお来た。䞍思議に思うのは䜏職ずも、先生ずも呌ばれる老女の人間の力を越えたものが、時々感じられる事であった。
諊めよりも、珟実をしっかり芋぀めおいく事が出来るようになったのも、心を預ける察象があればこそず思った。
倪郎は五歳。裕次四歳。
倪郎は寝返りが出来た。䞡手を䞀床に前にだし、䞡膝を同時に匕きずっお這う事も出来るようになっおいた。
地域の児童盞談所から係員が来た。
䜕か盞談はないか。それに早い時期からリハビリをした方がいいので、瀟䌚犏祉センタヌぞきおみお䞋さい。ず蚀う。
電車で四぀目の垂にある瀟䌚犏祉センタヌから、犏祉バスが出おいる。乗れるのは䞉぀目の駅からだ。
バスは䜕か所か停車しお、障害児ず保護者を乗せおいく。六、䞃組の芪子は匁圓持参で䞀日掛かりのリハビリに週䞀回通った。
璃子は倪郎を背負い、倪郎の着替えやオムツを持ち、裕次を連れお行った。
蚓緎士は若い女性䞀人だ。時々、身䜓障害児総合病院ゆり孊園の医垫が来おいた。
リハビリはどの子も痛みを䌎うらしく、激しく泣き叫んだ。倪郎も泣きながら必死に抵抗する。抵抗すればするほど、かえっお痛いず思う。
「兄ちゃん。痛いんだよね」
裕次が぀ぶやいた。
午前䞭に四、五人が蚓緎を受け、昌食の埌その残りが蚓緎を受ける。たたバスに乗っお䞀組ず぀降り、最埌に璃子芪子が䞉぀目の駅に送られお垰った。


十 ゆり孊園入所

「第䞀番にしなければならない事は、母子を切り離す事。それが子䟛の自立には䞍可欠」
瀟䌚犏祉センタヌでの蚓緎士が蚀った。
倪郎、孊霢の幎。蚓緎士の勧めず、医垫の説埗で、ゆり孊園に入所させる事にした。その前の母子䜓隓入所は、裕次が小さいし正志が勀めに出お䞀人にさせるこずも出来ないず断っおいた。
暮れのうちに入所が決たった。
正月の八日。倪郎の身の回りの物を甚意しおゆり孊園に向かった。
「お預かりしたす。心配なさらずに。少なくおも䞀か月は面䌚はしないで䞋さい」
ゆり孊園の指導員は、正志ず璃子の顔を芋お蚀った。
居宀はどんぐりの郚屋。六人の男の子たちが、同宀の仲間。
広い庭に面した南向きの窓。真ん䞭に板の間があっお、䞡偎が畳敷になっおいる十八畳䜍の郚屋。䞡偎の壁に物入れが぀いおいる。
璃子は無蚀のたた倪郎の衣類を敎理しお入れた。倪郎は正志の手を぀かみ、蟺りの様子をこわばった顔で芋おいる。裕次も正志の偎に䜓を寄せおいた。
指導員ず寮母長に園内の䞻な堎所を案内される。食堂。颚呂堎。蚓緎宀。
「私が倪郎君ず遊んでいるうちに、お垰り䞋さい。倧䞈倫、心配しないでね」
寮母長が笑顔で蚀っお、倪郎を車怅子に乗せるず、廊䞋を庭の方に向かった。倪郎が䞍安げに振り返った。
垰りの車䞭では正志も裕次も䜕も蚀わない。
璃子は、車倖の颚景を目で远い続けた。
「私は倪郎を捚おたのだろうか。䜕でもいいから連れお垰っおこようか」
胞䞭に叫び声が充満しおいた。


十䞀 初めおの面䌚

「障害児の息子を捚おたのか」の蚀葉が、璃子の胞をかきむしった。正志も裕次も倪郎の事は蚀わない。蚀えばみんなが支えおいたものが厩れおしたうかもしれなかった。
䞀か月。やっず䞀か月が過ぎた。
ドキドキず錓動がなる。
ゆり孊園の長い廊䞋をスリッパの音を立おないように進む。どんぐりの郚屋には誰もいない。孊校ぞ行っおいる者もいるらしいが、倪郎はただ孊霢に達しおいない。
「ああ、お母さん。倪郎君は保育宀におりたすよ。巊に行った䞉぀目の郚屋です」
若い寮母が笑顔で蚀った。
保育宀のドアをそっず匕くず、オルガンを匟いおいた先生が、目で挚拶をした。八人の子䟛のうち数人が振り返っお私を芋た。
倪郎は、みんなの様子に䜕かを感じたらしく振り返った。璃子の顔に目を留めた。すぐには母芪ず刀断出来なかったらしく、怪蚝な顔をしたが、じきに「ふっ」ず笑い声を䞊げた。満面を真っ赀にしお、懐かしさず嬉しさを芋せた。
璃子は涙を飲み蟌んだ。
昌食をずる為食堂ぞ行く。癟人以䞊も収容出来るような倧きな食堂に、四列にテヌブルが䞊んでいる。倪郎は䞀番巊の䞭ほどの垭に着く。カりンタヌから厚房が芋える。十人からの職員が、湯気の䞭で働いおいた。
「お母さん。倪郎君に䜕もさせなかったでしょう。口たで手がいくのに、党介助しおいたのね。ほら、スプヌンで、䞀人で食べられるようになったのよ」
寮母が非難めいた口調で蚀った。
璃子は、倪郎に自立させる事など考えずにただ、可哀想だず思うばかりで育おおきた。
ず思った。


十二 我慢

「今床は、着脱が出来るようにするのず、おむ぀をはずすのを蚓緎したすよ。倪郎君は頑匵っおいるんですよ。お母さんもその぀もりで自立を助けなくちゃあね」
寮母は明るい顔で蚀った。
就孊前にヘルニアの手術を枈たせた。
ゆり孊園に隣接する、高等郚たである県北逊護孊校の小孊郚に入孊した。玚友は八人。
先生は男女二人。教育内容は、もっぱら日垞生掻の蚓緎。䞀人でする歯磚きや食事。着脱や排䟿排尿の蚓緎。車怅子操䜜や、歩行蚓緎。
そしお、文字遊びなどでの孊習。
倏䌑み。初めおの垰省。
「今たでの蚓緎を無駄にしないように、出来るだけ手助けをしないように」
ず、連絡垳に曞いおある。
八か月ぶりのわが家に、倪郎は嬉しそうだった。䞡手ず䞡膝を䞀床に着く這い方で、匟の埌を远っお遊んだ。裕次は、兄の䞖話を良くする。おや぀を食べる時、着替えをする時、母芪の璃子よりも冷静に倪郎に接する。
璃子は、四六時䞭、手の䞭に眮いた倪郎を取り戻したようで、どうしおも手出しをしおしたった。蚓緎士の蚀葉を思い出す。
「べったりの母子を、切り離すのが䞀番先にしなければならないこず」
倪郎の着替えを、垃団を被っお盗み芋る。
手が思うように動かない。袖の半分たで手を持っおいきながら、そのたた暪倒しになっおしたった。母の方を芋る。璃子は、垃団の䞭で息を殺す。倪郎は、態勢を立お盎しに掛かるが、どうにも動けないでいる。
「倪郎君。頑匵っおいるんだよね」
璃子が抱き起こした。「ほっ」ず倪郎がため息を぀いた。我慢は、璃子だけがしおいたのではなかった。


十䞉 野球

䜕床目かの面䌚時。い぀ものように倪郎の車怅子を抌しおいた。居宀の䞊んだ廊䞋から庭に回ろうずしおいた。庭の方から子䟛たちの歓声ず、寮母らしい若い女性の笑い声がする。ゲヌムをやっおいる。バレヌボヌルの球を䜿っおはいるが、どうやら野球らしい。
束葉杖の男の子が片手でバッタヌを構えおいる。ピッチャヌずキャッチャヌが寮母だ。
䞀塁は車怅子の子。車怅子から䞋りお、座り蟌んでいる。二塁は足に補装具を぀けた子。
䞉塁はヘットカバヌをした子が守っおいた。
バレヌボヌルを転がしおバッタヌボックスぞ投げる。束葉杖の子が片手でバッタヌを振るず、䜓を揺らしお䞀塁に走る。車怅子から䞋りお守っおいる子が、いざりながらボヌルを抱きずめるのず、バッタヌが走り蟌むのず同時だ。砂がこりがたい䞊がる。歓声が沞き䞊がる。
璃子は倪郎ずしばらくゲヌムを芋おいた。
倪郎が飜きたのか、向こうぞ行こうず指さす。
枡り廊䞋を通っお、隣接する逊護孊校の庭を散歩しお戻っお来た。
居宀ず廊䞋を挟んで掗い堎がある。さっきの子䟛たちが、汚れた衣服を掗っおいた。土にたみれた衣類を、車怅子の子も束葉杖の子も、補装具の子もみんなで掗っおいる。
「しっかり掗っおよ。頑匵っおね」
若い寮母が子䟛たちの手元を芋お歩きながら、ハッパをかける。
「ハヌむ」
元気な声が廊䞋にこだたした。璃子の顔を芋あげおいる倪郎も、この子䟛たちのようにたくたしくなっおくれればず思う。
「ただお母さんは垰らないよ」
璃子は、今日はどのように倪郎の気をそらしお、面䌚から垰ろうかず思案した。


十四 克服レヌス

身䜓障害児ばかりの運動䌚は、どんなふうな運動䌚になるんだろうず思っおいた。
䞇囜旗がはためいおいる。テントが匵られ、走れコりタロヌの曲が流れおいる。生埒たちのテントに、倪郎も赀い鉢巻き姿でいた。半分以䞊の生埒が車怅子だ。
玉入れ競技や遊戯の健垞者ずの違いは、皆車怅子や束葉杖や補装具を䜿っおいる事だ。
璃子は、こんなにも倧勢の障害児がいる事に驚き、その人数だけの家族がいるのだず思った。
「次は、克服レヌスです」
元気な若い女性の声が響く。
ゆり孊園の寮母も、参加しおいた。それにボランティアの人々もいた。生埒䞀人に䞀人が付き添う皋の手厚さである。
グランドに青いシヌトがひかれた。
倪郎が車怅子から降ろされ、座らされおいる。同じような条件の䞃人が䞊んだ。
「ペヌむ、ピヌツ」
合図の笛が鳎った。
家族も先生方も倧声で応揎する。
「倪郎頑匵れ。倪郎頑匵れ」
璃子は心の䞭で叫びながら、涙を拭い続けた。
「お母さん。応揎しおねっ」
近くにいたゆり孊園の寮母が肩を叩いた。
「倪郎。倪郎くヌん、頑匵っお」
倪郎はシヌトの䞊をい぀もの這い方をする。
腕に力がないのか、暪に転がった。すかさず寮母が走り寄る。助け起こすず「ほらっ、倪郎君頑匵っお、あそこたで。ガンバレッ」
倪郎はたた這おうずするが、たた転がっおしたった。やっず最埌にゎヌルむンした。
次は補装具ず束葉杖䜿甚者のレヌスだ。家族も生埒も先生方も、䞀䜓になっおいる。


十五 喫茶店䞻

次男裕次の出産時に、璃子ず赀子の面倒を芋おくれた文子の倫が死んだ。突然死だ。
倪郎ず同い幎ず二歳䞋の二人の嚘を抱えお、文子は䞉十四歳。文子は青ざめた顔で涙も枯れたのか、それずもただ実感がないのか、ただ座っおいた。
葬儀も終わり四十九日の法芁も終わった時に、これからどのようにしお暮らしおいくのかず璃子が聞くず、母子幎金ず今たでしおいた和裁の仕事をしお、暮らす぀もりだず蚀った。こんなに早くに未亡人になるずは思わなかった。なにもかも倫に寄りかかっおいたから、どうしたらいいのか芋圓が぀かない。でも、嚘たちがいおくれるから、䜕ずかやっおいく元気が出おきたわ。文子は、涙をぬぐいながら蚀った。
倕食時正志に文子の様子を話した。
「私だったら、どうするのかしら」
璃子は正志に問うよりも、自分自身に聞いおいた。
「今やっおいる掋裁の内職は、貎方の持っおきおいる仕事だから、出来なくなるわね」
「勀めに行くっお蚀っおも、倪郎がいるから䜕かある床に䌑暇を取ったら、たちたち銖だろうしな」
「自営業でなくちゃあ駄目ね」
「うん。自分でやっおる分には、䌑んでも文句ないからな」
パン屋がいいか、ラヌメン屋がいいか。ずにかく食べ物屋がいいず蚀う事に、二人の意芋がたずたった。資金がないので今の家を売っお、条件が合えば商売出来る所を買おう。
ず決めた。
それから䞉か月埌。同じ町の駅近くに、喫茶店舗぀き䞭叀䜏宅を買った。
璃子は、慣れない喫茶店䞻ずなった。


十六 ゆり孊園退所

「蚓緎の成果ず、身䜓的回埩を四幎間芋させおいただきたしたが、これ以䞊は期埅出来たせん。ここは病院ず同じような所ですので、ある皋床の期間はいられたすけど、埌は、自宅に垰られお通孊しお頂きたす」
指導課の職員が続けた。
「隣の逊護孊校の寄宿舎にずの事も出来るず思いたすが、孊区が違うず無理かもしれたせん。それに、寄宿舎は毎週土曜日に垰っお、月曜日に来るずいう具合になっおたすから。
お宅からだず、倧倉時間がかかるず思いたすよ。それも、同じ孊区であれば問題はないのですけど」
指導課の職員は、詳しく話しおくれながら半ば突き攟すように蚀った。
倪郎がやっず慣れたのに。たた違う所に連れおいくのは可哀想だ。璃子は、どうしたものかず思いながら、倫正志に䌝えた。
「困ったな。あの孊校の寄宿舎に入るには、ここの䜏所じぁ駄目なんだね。どっか頌める所ないかな」
今の孊校の孊区内に、璃子の同玚生で、やはり障害児を抱えおいる喜久子がいる。曞類䞊だけでも居候させおもらえないだろうか。
ず、お願いしお芋る事にした。
「璃子さんも苊劎しおいるのね。いいわよ、お圹に立おられれば嬉しいわ」
旧友の喜久子は、即座に承知しおくれた。
小孊四幎生の半ば、倪郎の珟䜏所は喜久子家になっお、寄宿舎に移動した。
逊護孊校は、自宅から二時間以䞊の距離にある。土曜日に迎えに行っお、月曜日に孊校たで送る。毎週月曜日の䞀時間目には間に合わない。他にも同じように遠距離の生埒が倚数いるため、孊玚担任の二人の先生は、䞀時間目は倧目に芋る事にするず蚀った。


十䞃 孊幎䞻任

「䜐々朚さん。埡宅は孊区倖でしたよね」
孊幎䞻任の小山先生は、メガネを光らせながら璃子ず倪郎に远いすがった。
「たた遅刻なの そんなんじぁ転校しおもらいたすよ。孊区倖なんだし」
璃子は、たた蚀われた。ず思った。これで䜕床目になるか。小山先生は、遠くからでもわざわざ走っお来おは、同じ事を蚀った。孊区倖の他の生埒にも蚀っおいるのだろうか。旧友の喜久子家に䞖話になっおたで、同じ孊校にいさせおもらっおいるのだが、䞭孊はこのたたいられないのだろうか。
「小山䞻任に蚀われたのですけど、どうしたらいいのでしょうね」
担任に聞いた。
「䜏所が孊区内にあれば、倧䞈倫だず思いたすよ」
担任がそう蚀うが、校長に聞く事にした。
校長宀の長いすに腰かけお、校長ず向かい合った。
「本圓に、䞭孊は県南の逊護孊校に転校しなければならないのでしたら、どうしお手続きの案内をしおくれるなり、あちらの孊校に話をしお頂くなりしおくれないのでしょうか。孊幎䞻任に呌び止められお、立ち話で蚀われおも。担任の先生のお話ずも違いたすし。䞍安になるばかりです」
璃子の蚎えを聞いた校長は、
「孊幎䞻任の発蚀は、䞍甚意なもので申し蚳ない。私の監督䞍行き届きです。お母さんにはご心配おかけしたしたが、県南の方が埡宅からではこちらに来るよりも半分の距離かず思いたすし、早速連絡を取っおみたす」
校長が玄束をしおくれた。
六幎生も、もうすぐ終わりになる䞉月の半ばだった。


十八 県南逊護孊校

校長ずの玄束の話はただ来なかった。昚幎県南逊護孊校に転校した生埒のお母さんに、埅ちきれずに打ち明けるず「教頭先生に盞談しおみたら、いい人だから」ず蚀っお玹介状ず地図を描いおくれた。
早速県南逊護孊校ぞ行く。話を聞き終った教頭は、倪郎の障害の皋床を芋たいず蚀う。
数日埌、倪郎を連れお行った。
䞭等郚の郚長先生ず寮母長が、倪郎を寄宿舎ぞ連れお行った。璃子は孊校のロビヌで埅った。しばらくするず郚長先生が倪郎ず䞀緒に戻っおきた。
「県北逊護では寄宿舎だったんですか」
「はい、そうです」
「倪郎君、ちょっず障害が匷いので寄宿舎は駄目かもしれたせん。ですが、県北で入っおいたのにこちらで駄目っお蚳にもいかないし」
郚長先生は、困った顔をした。きっず、寮母の方から苊情があったのかもしれない。 通孊ずなれば朝早く、スクヌルバスは広い地域をコヌスに埓っお倧勢の生埒を拟うから、二時間近くも乗る。自宅からバス停たでの送
迎も考えに入れなければならない。
小孊校卒業匏間近に、県南逊護孊校寄宿舎に入っおもいいずいう連絡がきた。
倪郎は、転校する事の意味は分からないらしいのだが、喜んだ。きっず今たでの環境に飜きおいたのだろう。それずも、䜕か新倩地に垌望がありそうに思ったのかもしれない。
県南逊護孊校は、方向は違うがゆり孊園たでの半分の距離にあった。いたたでは、璃子の仕事の郜合もあっお、朝五時起きしお行った。片道二時間半。正志は東京で仕事をしおいたから、送り迎えは璃子の仕事だ。距離が瞮たった事で、倧分楜になった。


十九 囜際障害者幎

「お兄ちゃんのこず、曞きなっお」
担任の女先生に勧められたず、裕次が蚀っお「どんな事曞けばいいんだろ」ず蚀う。
瀟䌚犏祉協議䌚の䞻催らしいが、囜際障害者幎を蚘念しお、それにた぀わる内容の䜜文を募集しおいるずのこずだ。
「裕ちゃんがお兄ちゃんず出かけたりした時に、困った事や嬉しかった事や、いろんなこず思ったりした事を、曞けばいいよ」
そんなアドバむスをした事などすっかり忘れた頃、瀟䌚犏祉協議䌚発行の薄い本を、裕次が持ち垰った。ペヌゞをめくっおいくず、裕次の䜜文も茉っおいる。
『兄を車怅子に乗せお買い物に行った時、たた友達が遊びに来た時に、じろじろ芋られたりからかわれたりしたが、普通の人ず同じに芋おほしい。電車に乗せおやりたいが、駅は階段ばかりで車怅子では無理だ。兄ずサむクリングしたくお自転車に乗せようずしたが危なくお走れなかった。䞀番倧倉なのは、兄が重いので湯舟に入れる時だ』
など、六幎生らしい蚀葉遣いで曞いおある。
裕次は小さい時から、友達ず喧嘩しお泣いおも、母璃子に蚎えたりはしなかった。友達に兄の事を気違いだず蚀われた時も、璃子には蚀わなかったずも曞いおあった。
健垞者は、身䜓障害者を芋るず、粟神たでも障害を受けおいるず思うものらしい。璃子自身、子䟛の頃は、身䜓障害者の同玚生を、正芖出来なかった。たしお蚀葉も満足に䜿えないし、䜓が垞に小刻みに動いおいるし、物事の衚珟が少しも出来ない倪郎を芋お、気違いだず思われたのも仕方のない事かもしれない。裕次の心䞭を蚈る䜙裕もなく、今たで過ごしおきたが、裕次なりの蟛さがあったのかず思った。


二十 次男の瞁談

「埡宅の息子にうちの末っ子をもらっおよ」
近所の化粧品屋さんが蚀う。
「うちには倧倉な、手の掛かる人がいるわよ」
「うちの嚘が面倒芋るから倧䞈倫」
「私がいじめるかもしれないわよ」
「あんたなら倧䞈倫よ。反察に嚘にいじめ方を教えるからいい」
化粧品屋さんには䞉人の嚘がいる。裕次は六幎生。そのもらっおよずいう嚘は、ただ䞀幎生らしい。
「長女は〇〇さんずこの息子にやっお、次女は△△さんずこの息子にあげるから、䞉女はあんたずこでもらっおよ」
化粧品屋さんは裕次が気にいったらしく、りチノムスコ、りチノムスコ、ず蚀う。
倪郎の車怅子を抌しお、散歩をしたり買い物に行ったり、子䟛䌚の朝の䜓操に連れお行ったりしおいたのを芋お、こんな優しい子ならきっず嚘を嫁がせおも、幞せにしおくれるだろうず思ったず蚀う。
化粧品屋さんは、それからは来る床に「りチノムスコはゲンキしおる」ず聞く。
璃子はなんずなく耇雑な心境になったものだが、芋る人は芋おいるのだなず嬉しくなった。
化粧品屋さんの「りチノムスコ」ず蚀うセリフは、それから䜕幎も続いた。
「ぞぇ、あの子ただ四幎生だよ。今から嚘たちの心配をしおるんだ」
䞭䞉になった裕次が、あきれお笑った。
璃子ず正志は、裕次の嫁になる人はどんな嚘なのだろうず思った。ただただ裕次が小さくお、幌皚園児の頃、近所の䞻婊仲間に蚀われた事思い出した。
「裕ちゃんにお嫁さんもらう時は倧倉ね。倪郎君の事があるから」


二十䞀 生掻蚓緎

倪郎は、生埌間もなく党身マヒを宣告されおいた。䞭でも、耳、目は倧䞈倫だったが蚀葉は少しの単語を、回らない口調で蚀うだけだ。䞡手を䞀床に出し、䞡膝を䞀床に匕き寄せる這い方で移動する。䜓調は良い。
六幎生になった頃から、車怅子の操䜜が自分で出来るようになった。手を䜿っおの前進よりも、足で地面を蹎っお埌進する方が楜に出来る。
璃子が喫茶店を始めおから四幎目。家の改造をした。居間、台所、颚呂堎、トむレ。
掋匏䟿噚の呚りにバヌを取り぀ける。颚呂堎は、掗い堎から湯船たでは䞉段の階段を付けお、呚りにバヌを取り぀けた。
倪郎は、居間から廊䞋を這っおいき、トむレの匕き戞を開け閉めし、バヌに捕たっお䟿噚に座り、女性ず同じ仕方で甚をたした。
倧䟿の時は、倧声で「デタペヌ」ず合図がくるず、拭いおやる。尿の堎合は自分で身支床を敎えお出おきた。
 入济は居間で脱衣し廊䞋を這っおいく。掗い堎から湯船たでは、階段を這っお䞋りる。
䞉十八キロの倪郎を璃子が颚呂に入れる時でも、割合苊劎しないで出来た。
県南逊護寄宿舎の寮母にその事を話した。
「早速孊校ず寄宿舎でも蚓緎したしょう」ず蚀っおくれた。
自宅ずは違っお、車怅子から䟿噚に移動しなければならない。それに膝を぀いおのズボンの䞊げ䞋ろしではなく、車怅子にブレヌキをかけお、立ち䞊がっおの䞊げ䞋ろしになる。
その堎合は、かなり䞍安定な状態だ。
䜕床も間に合わずに尿を挏らしたり、タむルの床に、車怅子から転がり萜たりしたらしい。こぶが出来おいたり、䜓のあちらこちらにすり傷があったりした。


二十二 思春期

「倪郎君、最近性噚ばかりいじ぀おいるんですよ」
寮母が小声で蚀った。
璃子は䜕の事やら合点がいかない。
「思春期ですからね」
ず続けた。
璃子は、自分の過去を振り返っおも、あたり参考にならない。男女の違いがあるのかもしれないなず思う。その事を倪郎の同玚生のお母さんに話した。
「そうなのよ。うちのも、らしいの。女の子の郚屋にいっお、垃団にでも朜り蟌たれたりしたら困っちゃうから、教えおやったのよ。そんな時はこうやっおね、埌はちり玙で拭くんだよっおね」
足は䞍自由だが、自力歩行の出来る子のお母さんは、真剣な蚀い方をした。
その点倪郎は倧䞈倫だろう。離れた女の子の郚屋たで行くのは、時間がかかるのず倧倉な劎力がいるはずだ。
「なんか、誰かが蚀っおたけど、そんなこずがあったらしいわよ」
女の子のお母さんが声を䜎くしお蚀った。
「たさかうちのじゃないでしょうね」
「そうだったら、寮母さんに蚀われるわよ」
「ずんでもない事が起きたら困るわ」
女の子のお母さん方が呟いた。
璃子の話を聞いた倫正志が蚀った。
「そんな幎頃になったんだな。䜓が䞍自由でも、その郚分は正垞だろうからなぁ」
「女の子は男の子より倧倉だっお、みっちゃんのお母さんが蚀っおたわ。生理の始末を教えなきぁならないし。理解がしっかりできれば䜕おこずはないらしいけど」
「倧人になっお、いいのか困るのか。耇雑なこずだな」


二十䞉 進孊

䞭孊生掻も終わりに近づいた。
「この孊校の高等郚は、定員二十人だっお」
「じゃあ、うちの子等はみんな倧䞈倫なんじぁないの」
「うん。でも倖から入りたいっお蚀う子もいるず思うから。どうなるかしらね」
「寄宿舎が問題らしいわよ。障害の倚い子は入れないかもね」
「今たで入っおいたんだったら、そのたたでしょ。それずも違うの」
「なるべく軜い子にしたいみたいよ」
進孊盞談の日。順番埅ちの母芪たちの話を聞きながら、倪郎の障害は重い方で䞀玚の認定を受けおいる。この県南逊護孊校に転向する時も問題にされた。
進孊盞談は、保護者の意向を聞くだけの簡単なものず、生埒自身の生掻や孊力の刀定ずの、䞡方に分れお行われた。進孊合栌ず、寄宿舎入寮蚱可ずの発衚は、䞭孊卒業匏の翌日にある。
卒業匏は雚が降っおいた。匏次第が進み、璃子の謝蟞も終わった。
璃子は翌日の合栌発衚が気になっおいた。
発衚日は晎れ。孊校の玄関ホヌルの壁に、発衚の玙が貌っおある。倪郎の所にも合栌の印。だが、寄宿舎入寮は䞍合栌。
䞭孊䞉幎の担任に聞くず、やはり重床の障害の為だず蚀ったが、食い䞋がる璃子に校長ず盎に話したらどうかず蚀った。
「はい。それ以䞊蚀わなくずもいいですよ。
もう䞀床蚈っお、お宅ぞ連絡したす」
校長は、璃子の蚀葉を遮った。
璃子は垰宅するずすぐ、この事を圹堎の犏祉課に盞談するず、孊校偎ず話し合っおみるず蚀った。たもなく孊校偎から連絡がきた。
「倪郎君は今たでどおりでよろしいですよ」


二十四 次男の進孊

「五幎制の高等専門孊校があるらしいわよ」
璃子が店の垞連客に聞いた話をした。
裕次は早速、厚みの五センチはありそうな高校案内の本を買っおきた。
「倧孊ぞ入るためだけの勉匷をする高校に入っおどうするの。そんなの぀たんないよ」
ず蚀っおいた裕次は、どうしおも囜立高等専門孊校の、電気科に入りたいず蚀う。
圚校する䞭孊校からは、過去䞀人も受隓した事はないずのこずで、詳しい情報がない。
しかも、自宅から六十キロほどの遠距離だ。
通孊は無理だ。寄宿舎に入るしかない。
「家から出お、寄宿舎だぞ。同宀の人ずのかかわりや、高専の勉匷は倧倉らしいぞ」
五幎のうちに普通高校の䞉幎分の孊科ず、電気科の勉匷ず、遊ぶ暇がないらしい。ず、どこからか情報を埗おきた父芪の正志が蚀った。
「倧䞈倫。時々垰っおくるから」
他に裕次の気を匕く孊校がないらしく、囜立高等専門孊校を受隓する事になった。
喫茶店の仕事が忙しい璃子は、受隓勉匷をどんなやり方でしおいるのかも知らず、塟通いをしおいる裕次に任せおいた。

入孊の日。裕次ず璃子は、寝具や身の回りの物を車に積んで出かけた。
「高校生は生埒ず呌びたすが、高専は孊生ず呌びたす。その぀もりで」
いろいろなお話を頂いたのだが、璃子はこの蚀葉だけが心に残った。着垭しおいる圚校生は、倧孊生のような倧人の顔をしおいた。
裕次は、最初の数か月自宅が恋しかったらしい。
璃子は倫婊だけの生掻に、仕事を持っおいおよかったず思った。


二十五 傷害事件

「倪郎君が怪我をしおしたいたした。いた近くの倖科に連れおいったずころですが、申し蚳ありたせんが、お母さんこちらに来お頂けたせんか」
県南逊護孊校から連絡がきた。怪我ず蚀ったがどんな怪我なのかず思いながら、䞀時間十五分埌に孊校に぀いた。
倪郎の右手に包垯が巻かれおいる。
「」
璃子の顔を芋お、倪郎が泣き顔を䜜った。
矎術の先生が寄宿舎の居宀に入っおきお頭を䞋げた。
「生埒の䞀人の䜿っおいたカッタヌで切っお
したっお。私の目が届きたせんで、申し蚳ありたせん」
先生の説明では、倪郎の手の甲に、男子生
埒が持っおいたカッタヌナむフの刃を向けた。
倪郎が危険を感じお手を匕いたら、手の甲から䞭指の爪近くたで、切れおしたった。ずのこずだった。
倪郎の手の甲から指先たでの䞀盎線の傷が、䞀センチ間隔に瞫い閉じられおいる。
傷の回埩は早い。璃子は䞀週間埌の抜糞たで孊校ぞ通い、倖科たで付き添った。
䞀段萜したある日、校長先生が璃子の店たで出向いおきた。菓子折りを差し出し、謝眪の蚀葉を蚀った。
お互いが身䜓障害者であるがため、動䜜が機敏に、しかも自由に動かすこずが出来ない。
切る぀もりもなく切り、切られた。ず蚀った方が、この事件の説明にはあっおいる。
矎術の時間では絵を描いたりする他に、粘土をこねお焌き物をしたり、カッタヌを䜿っお工䜜をしたりしおいる。
䜕事にも積極的でない倪郎が、教宀の䞭ではどんな衚情をしおいるのだろう。


二十六 職堎実習

職堎実習には保護者も䞀緒に行く事になった。孊校近くのアルミサッシの工堎だ。期間は䞉日間。
広い工堎内には、機械音が高い倩井に圓たっお、工堎党䜓に蜟いおいた。流れ䜜業で、倧きな機械の間に工員が配眮されおいる。皆が機械に远われるように、働いおいた。ホヌクリフトが動き回る。戊争のように、緊迫した空気が匵り぀めおいる。
倪郎たち逊護孊校の生埒ず、璃子たち保護者が案内されお入っおいっおも、工員たちは機械ず競争で働く動䜜を止めない。
「こちらでこの仕事をしお頂きたしょうか」
案内人が、机が幟぀か䞊んだ所を実習堎所に指定した。郚品の金具をビニヌル袋に入れお、熱で圧しお袋を閉じる仕事だ。
実習生の䜕人かが袋を閉じる仕事に就いた。
倪郎は金具をビニヌル袋に入れる仕事だ。マヒしおいる手で金具を掎むのもたたならないから、それを袋に入れる事など、ずおもできない動䜜だ。
「倪郎君。ほら、こうやっおね持っおごらん。
持おたら、この袋にこうやっお入れるのよ」
璃子が教えながら袋に入れるのを、倪郎は真剣な衚情で芋おいるが、䞀向に手は金具を掎めない。掎んでも袋に入れる前に萜ずしおしたい、䞀぀も入れられない。倪郎には無理な䜜業だず思う。䜕でもいいから、飜きずにできる事があればいいのだが。
倪郎はじきに飜きおしたった。
実習生よりも保護者の実習のようなものだ。
璃子は工堎で働いた事はない。生産する堎がこんなにも䜓を動かしお働かなければならない所だず、初めお䜓隓した。それにひきかえ自分の喫茶店䞻ずしおの毎日は、䜓に䜙裕のある仕事だなず、感謝した。


二十䞃 逊護斜蚭芋孊

子䟛の進路の心配をする時期になった。
逊護孊校高等郚卒業もすぐ来る。埌䞀幎䜙り。先生方もどのような圢にせよ、生埒の進路を方向づけしおやりたいず思うらしい。
倪郎の障害状態からいくず、肢䜓䞍自由者逊護斜蚭か圚宅だ。圚宅は考えられない。小孊校就孊前に、ゆり孊園に入所させた時の蟛さが無駄になる。幎霢はあれから十幎以䞊も重ねおいながら、倪郎は少しも倧人になれない。圚宅ずなれば、あっずいう間に母子がべったりずなっおしたう恐れは、倚分にある。
身障者逊護斜蚭の芋孊に行った。県南逊護孊校から四十分皋の所だ。身障者逊護斜蚭ず老人ホヌムず二棟たっおいる。それに、病院ず健垞児の幌皚園も䜵蚭されおいた。
内郚の壁はクリヌム色で、高い吹き抜けの倩窓から、自然光がいっぱいに入っおいる。
廊䞋は広く居宀のベッドの呚りは、ベヌゞュのカヌテンで仕切り、プラむバシヌが守られおいた。
八組の芪子ず匕率の先生が、斜蚭の指導員に案内されおいた時、背埌の遠くから声がした。蚀葉にはなっおいないが、こちらに声をかけおいる事は解った。振り向くずゆり孊園の時代から、県北逊護孊校の六幎生たで倪郎ず䞀緒だった小森君が、頭を振り倧きく口を開け「アり、アアりり」ず璃子ず倪郎に、右手を振っお合図する。歩行噚にすがっお歩いおくる。満面笑顔だ。
「あれぇ、小森君、ここにいたの。倪郎、小森君だよ、芚えおいる 芚えおないの。ここに小森君いたんだねぇ」
小森君は倪郎より四、五歳幎長だ。小孊校入孊時は䞀緒だったが、もう逊護斜蚭に入所しおいたのだ。自宅は県北だから、かなり遠くにいるこずになる。


二十八 進路

䞭孊時代から今たでの間に、逊護斜蚭を䞉か所芋孊した。二か所目に行った所で倪郎が案内しおくれた指導員に、䞡手を合わせお、「ペロシクオネガむシマス」ずいう動䜜をした。気にいったらしい。璃子も明るい雰囲気だし、いい所だず思った。 䞉か所目の春名荘では、䜓隓入所をする事になった。䞀週間。朝倪郎を連れお行っお、倕方迎えに行く。倪郎は初日から嬉しそうだった。逊護孊校ずは、䞀日のスケゞュヌルが倧分違う。勉匷嫌いの倪郎は、埡客様扱いで過ごす勉匷のない䞀日は、今たでにないものだったのだろう。倕方迎えに行くず、春名荘の玄関たで職員や入所者に送られおきお、手を振っお垰った。翌朝、春名荘近くの坂道たで行くず、䞡手を挙げお「りワヌッ」ず声を
出しお、喜びを衚珟した。
䞀週間の䜓隓入所は、倪郎には楜しく、璃子には忙しい期間であった。
いよいよしっかりず進路を考えなければならない時期だ。どの芪も、わが子の障害に応じた進路を捜しおいる。軜䜜業の出来そうな子の母芪は、知り合いの垂の職員に頌んで、䜕か䞖話しおもらおうず思っおいるず蚀った。
進路指導の先生は、「どんなこずがあっおも、圚宅だけにはしないで䞋さい」ず蚀う。
圚宅になるず、限られた人間にしか接するこずがなくなるので可哀想だ。介護する家族も心身共に䌑たるこずがなくなるし、共倒れになりたすよ。ず蚀った。
璃子ず倫正志にも、倪郎の進路が話題だ。
぀い、璃子は店の客にも、息子の進路の話しをした。
「あの人に頌んだら、きっずいい答えを芋぀けおくれるかもしれたせんよ」
そう蚀っお玹介状を曞いおくれた人がいた。


二十九 修孊旅行

関西方面ぞの䞭孊の修孊旅行は行かなかった。行く䞀か月前、倪郎が匕き぀けを起こした。生たれお間もなくからずっず、テンカン薬を飲んでいる。救急で運んだ病院では、これたでにも薬をもらっおいた。
「今たで投䞎しおいた薬では、䜓も倧きくなったので、少し足りなくなっおきおいたのでしょう。量を増やせば倧䞈倫ですよ」
䞻治医が薬を調合しおくれた。
䞀週間䜍で倪郎は元気になったのだが、今床は璃子がギックリ腰になった。二人ずも䞍安定な健康状態なので取り止めたのだった。
高等郚の修孊旅行は、新幹線ずバスを䜿っお東北ぞ行く事になった。
今回は䜕ずしおでも行きたいず璃子は思う。
倪郎にもいい思い出になるだろう。
五月十四日氎県南逊護孊校八時集合。
バスで東北新幹線小山駅ぞ。小山駅九時五十䞃分あおば号乗車。で修孊旅行は始たった。
仙台、塩釜、束島。䞭尊寺。発荷峠から十和田湖めぐり。奥入瀬、八幡平、鶯宿枩泉。
小岩井牧堎から盛岡。わんこそばを楜しみ、盛岡発やたびこ号で、十䞃日小山駅十六時十二分着の䞉泊四日。
生埒十六名。先生方。父兄。の総勢四十四人。䞀番の苊劎は、乗り物の乗り降りだ。
新幹線駅では荷物運搬甚の゚レベヌタヌを䜿甚させおもらったり、゚スカレヌタヌを車怅子ごず数人で支えお䞊ったり、バスや遊芧船には、抱いたりおぶったりしお乗せた。
先生方には毎幎の事だが、嫌な顔せず明るい。子䟛たちも父兄も皆元気で過ごせた。
璃子は、出発前にはどんな旅になるのかず心配したが、献身的な先生方のおがけで、楜しい思い出が出来た。


䞉十 さようなら

「さようなら」
璃子は、県南逊護孊校の校舎を芋䞊げ、䜓育通から寄宿舎ぞず目を移す。正門の桜が満開の六幎前䞭孊郚に入孊した。あれやこれやのこずを思い出すより、これで孊校ず蚀う所から倪郎は卒業したのだずの思いが匷い。
身長䞀メヌトル五十センチ。䜓重䞉十八キロ。耳目正垞。パパママ、むクペ、オカむモノ、バカ、ハンバヌグ、パン、などの少しの単語。衣類の着脱が出来る。車怅子は埌退で進む。咀嚌が出来ないので、刻み食。トむレは半介助が必芁。時々腹郚が痛いず蚀う時がある。
喜びより理由は解らないが䞍安を感じる。
「倪郎君。もうここぞは来ないんだよ。もう逊護孊校を卒業したんだからね」
倪郎は䜕の感情も衚珟しない。璃子の感傷は自分でも説明が぀かないが、萜ち着かない䞍安定さで、心に掛かっおいる。
倢䞭で過ごしおきた。腰痛持ちの自分が、なんずかやっおきた。正志は「子䟛は母芪が芋るのが圓たり前だろう」ず䜕床か蚀った事がある。くの字に曲がった痛む䜓で、倪郎の送迎をした時は、倪郎を授かった意矩は䜕かず考えた。
生たれお間もなく障害の重さを医者に宣告された時、この子は死んだ方が幞せかもしれない。ず思った事もあった。生死をさたよったこずを知った友人に「倪郎君が死んだ方が良かったか、それずも生きた方が良かったか」
ず質問を受け、「生きおいればこそ、芪に抱かれもするし、おいしいものも食べれるのだから、生きた方がいいに決たっおるわ」ず答えた。今もその気持ちには倉わりはない。
倪郎は、璃子の顔を芋぀めおいる。母芪の内面を図れないでいるのかもしれない。