●〔49〕出久根達郎『逢わばや見ばや 完結編』講談社 2006 (2007.06.04読了)
○内容紹介
古本屋は天職であると信じていた。昭和48年、高円寺に自分の店を構えた。本から薫る、時代のにおいを伝えたくて古書にずっと携わってきた。戦後日本の姿を眺めながら。―長編自伝小説、ついに完結。
自伝小説三部作の完結編です。本書では店舗探しから開業、廃品回収業者間木さんとその仲間たち、結婚、古書目録「書宴」のことなどが描かれていました。
時間に沿って系統立ててというより、思いつくまま、筆のすすむままにサラサラと書き綴られていました。それはそれで味わいがあるのですが、当時の古書店をめぐる様々について、もっと綿密に書き込んで欲しかった気もします。
『逢わばや見ばや』というタイトルは、平安末期の歌謡集『梁塵秘抄』の、次の歌から惜りた。
「恋ひしとよ君恋ひしとよゆかしとよ、逢はばや見ばや見ばや見えばや」
私が若い頃に読んだ本の評釈では、若い女性の恋の歌であって、会いたい、見たい、ひと目見たい、とひたむきな慕情を詠んでいる、とあった。
ところか近頃の本の解釈は、もっと情熱的である。たとえば、岩波書店刊『新 日本古典文学大系』巻五十六「梁塵秘抄 閑吟集 狂言歌謡」ではこうある。注釈は、武石彰夫氏である。
「ゆかし」は、「好きよ、好き好き」、「逢はばや」は、「お会いしたいわ」、「見ばや」は、「だいて欲しいわ」、「見えばや」は、「わたしのすべてをあげたいわ」。
宴席で遊女が歌った歌だから、その通りなのであろう。もっと、エロティックな意味であったかも知れない。
しかし、筆者は大いに困惑してしまった。本書では、「逢わばや」も「見ばや」も、その対象は、東京の下町であり、下町の住人であり、古書店であり、古書なのである。(「書名について=あとがき」pp.258~259)
※東京新聞2007年1月13日付「【土曜訪問】古書店の本を教師として 出久根達郎さん(作家)」