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ΓΝΩΘΙ ΣΑΥΤΟΝ-購書&購盤日記-

本やCDを買う日々の記録です。ツイッター:http://twitter.com/sr_azev

《雑記》福山の古本屋に関する覚書(その8)

2006-04-21 04:34:50 | Weblog
○ブックワールド
 駅家町にあった古本屋です。現在は閉店して(ホームページによると2005年6月)、ダイムラー書店としてNET専門の古本屋になっています。私は2001年2月9日に一度訪れています。コミックス中心の品揃えでした。隣にはあゆみパートIIという新刊書店がありましたが、現在は新古書店のジャンク堂になっています。

※ダイムラー書店のホームページ


※ブックワールドがあった辺り


○ブックランド駅家
 駅家町にあった古本屋です。1992年4月4日に訪れています。場所は駅家駅の近くだったと思いますが、よく憶えていません。現地調査をしたわけではありませんが、現在は閉店しているようです。何の変哲もない古本屋だったと思います。
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《雑記》福山の古本屋に関する覚書(その7)

2006-04-20 04:34:30 | Weblog
○新論書店
 かつて神辺町川南にあった古本屋です。私が初めて行ったのは1993年8月5日のことです。デパートで行なわれた古書展の目録で、この店の存在を知りました。その後、日記によると1993年12月14日と1994年12月20日に訪れています。現在は閉店しています。
 Googleで検索してみると、「福田恆存・松原正絶版著作專門古書店として有名な新論書店さん。」という紹介が見つかりました(http://noz.hp.infoseek.co.jp/diary/20011106.html)。私が行った時はそんなお堅いイメージはなく、ごく普通の古本屋という印象でした。ホームページもあったようですが(私も見た記憶があります)、現在は閉鎖されているようです。


※新論書店があった辺り


※画像は新論書店で買った本。西岡文彦『編集の学校-知的生産能力を全開させる超・具体的な完全学習プログラム!-』JICC出版局(別冊宝島No.134)1991
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《雑記》福山の古本屋に関する覚書(その6)

2006-04-19 04:22:33 | Weblog
○夢屋
 かつて繊維ビルにあった本屋です。
 この本屋を知ったきっかけは雑誌『BOOKMAN』の取扱店一覧にあったからです。初めて訪れたのは1987年3月28日のことです。行ってみると半分は新刊書、半分は古本を扱っているちょっと変わった店で、『BOOKMAN』、『本の雑誌』、『読書マガジン』等のバックナンバーが揃い、本の雑誌社の単行本もあるという、福山には類を見ないような店でした。「これで福山でも『本の雑誌』が買える!」と狂喜した旨が当時の日記に綴られています。
 翌年、就職して福山へ帰ってからも通うようになったのですが、繊維ビルから加茂町に移転してしまいます。1988年6月頃のことだと思います。ちょっと家からは遠くなってしまったのですが、その後も結構足繁く通っています。主に新刊の雑誌などを買っていました。そのうち主人とも立ち話をするようになりました。
 1989年9月頃からは新刊本の扱いをやめて、古本屋専業になりました。その後も何度か訪れていますが、店が閉まっていてベルを鳴らして開けてもらったこともあります。私が最後に店を訪れたのは1989年11月9日です。ごくたまに店の前を通りかかることがあるのですが、どうも営業している様子はありません。インターネットのタウンページには「書店、古本」と今でも載っています。この稿を書くにあたって何度か電話をしてみましたが、いずれも留守電でした。
 なお、1989年9月22日に赤木書店で本を見ていると、突然主人が、「夢屋に頼まれたのだが」と言って私の電話番号を聞いてきました。赤木書店も夢屋も顔なじみになっていましたが、特に自ら名乗った記憶はなく、どこでどう情報がつながったのか、古本屋のネットワーク恐るべしと思いました。

※夢屋がある辺り


※画像は夢屋で買った本。和田誠『倫敦巴里』話の特集(1977)
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《雑記》福山の古本屋に関する覚書(その5)

2006-04-15 04:51:22 | Weblog
○福山書房
 福山市新涯町一丁目(川口町との境辺り)にあった古本屋です。忽然とあらわれ、1991年2月に2回ほど行きましたが、その後あっという間に閉店してしまったと記憶しています。店舗そのものは、看板はそのままでシャッターが閉まったまま現在も残っています。
 品揃えはほとんどがマンガ、文庫、新書で子ども連れのおばさんが店番をしていました。会計をするとレジではなく、サイフのようなものからお釣りをくれました。
 なお、新福山書房というのがありますが、これは地吹町にある新刊書店で某政党と関係が深い店です。

※福山書房があった辺り

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《雑記》福山の古本屋に関する覚書(その4)

2006-04-12 04:36:32 | Weblog
○文芸舎
 新聞記事によると1984年6月に開店しています。私が初めていったのは、前述した通り1985年3月11日です。赤木書店に較べるとやや渋めの品揃えだったでしょうか。

※赤木書店、文芸舎があった辺り(伏見町)

 赤木書店が南本庄に移った後も一軒だけで営業を続けていましたが、いつの間にか閉店していました。日記によると最後に店を訪れたのは1998年5月20日です。
 その後、いつ頃からか道三町交差点の南西角に文芸舎の看板を見るようになりました。しかし、どう見ても店舗ではなく普通の民家のような感じだったので、気になりながら通り過ぎていました。
 2004年5月20日、福山駅を利用した際、構内で古本市(ワゴンセール)をやっていました。覗いてみると、文芸舎の主人がいました。目が合うと向こうから話しかけてきました。古本屋の主人は実によく客の顔を憶えているものだ舌を巻いてしまいました。二言、三言、言葉を交わしましたが、道三町の店舗は倉庫のようなもので、希望があれば中を見せますよということでした。
 文芸舎の主人は、今もどこかの空の下で古本を商っているのでしょうか。

※文芸舎のある辺り(道三町)


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《雑記》福山の古本屋に関する覚書(その3)

2006-04-08 04:53:35 | Weblog
○赤木書店
 「その2」で紹介した新聞記事が出た翌日の1985年3月11日に早速に赤木書店と文芸舎に行ってみました。場所は伏見町です。2軒ならんでありました。以降、この二つの店にはちょくちょく顔を出すようになりました。
 その後、赤木書店は福山市南本庄(国道2号線沿い、寺岡整形外科のすぐ近く)へ移転しました。正確な移転日時はわかりませんが、私は1994年11月1日に初めてそこを訪れています。もともとはレンタルビデオ屋があった場所で、店内もかなり広く万歩書店を思わせる棚の配置になっていました。
※赤木書店の南本庄の店舗があった辺り
 しかし、その店も閉店してしまいました。いつ店を閉めたかはわかりませんが、日記によると私が最後に訪れたのが1997年9月7日です(その後は私自身の日記が不備なので、それからも訪れたことがあるかもしれません)。
 現在は赤木書店はインターネット専門古書店になっています。メルマガもあります。

※赤木書店ホームページ
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《雑記》福山の古本屋に関する覚書(その2)

2006-04-05 05:33:01 | Weblog
○新聞資料
 以下は1985年3月10日付けの朝日新聞備後版に掲載された記事です。

【タイトル】
古書店
【見出し】
・天井高く照明も明るく
・変わる?読書へのイメージ
【写真】
文庫本や漫画が広い場所を占拠するようになった新しいタイプの古書店の本棚=福山市元町の児島書店で
【本文】
 古本屋が、新しくなっている。昨年四月に国鉄福山駅前にオープンしたデパートの一角を占める古書店は、天井が高く、照明も明るい。四列の通路の両側に並ぶ高さ二・五メートルの書棚の三分の一強は、文庫や漫画類が占拠。学術書がぎっしりの暗い本棚の奥から、分厚い眼鏡の老主人がぬっと顔を出す、あの古本屋のイメージは、ない。
 デパートには福山のしにせ古書店児島書店が出店した。
「読書に対するイメージが変わってきた。若い人は時間をつぶすための読書が多い。漫画や文庫、新書類がよく売れるわけですよ」と店をあずかる児島明久さん(三五)。通りをはさんだ旧店舗は、コミック専門の古書店に模様替えした。「昔のままの古本屋だと、商売は成り立たないでしょう。古い、汚いという印象をなくし、人の集まる所に出店しなければ。経営は難しくなっているが、因島市あたりからでも読みたい本を探しに来てくれます」
 福山駅前からやや離れた繊維商店街の一角に、敷地十平方メートル余りの小さな古書店が去年相次いでオープンした。六月に、文芸や郷土誌を中心にした「文芸舎」=佐藤好成さん(五一)経営。九月に、初版本を中心とした「赤木書店」=阪本光雄さん(三一)経営。「人口の多い都会ではともかく、大学もないような地方の都市では、系統だてた古書店は難しい」と他の本屋が首をかしげる中での開店だが、二人の経営者は「もうけになるとは思わないが、本が好きだったので、なんとなく」と口をそろえる。ともに学生時代から持っていた古書が中心だ。
 現在、県古書籍商組合に加盟する古書店は二十五業者。一つ閉店すれば、またどこかに新しい店ができるというように、数は、かつてとほとんど変わらない。
 昨今の出版ブームに、返本率は増える。「最近は、コクのある新刊本はほとんどない。出版社が売れそうなものを作者に書かせてブームをつくる。新刊本の質は低下する一方。売れなければ返本できる新刊書店と違って、古書店は売れるものでなければ店に置かない。苦学生が安い本を求める時代ではなくなったが、いい本を求めようとする人は多い。古書店の存在価値は、啓蒙(けいもう)的な意味がある」と佐藤さん。
 こちら広島市の金座街。約二万冊を集めるアカデミア書店(ママ)の二代目店主今田裕相さん(三四)も「今こそ古書店の存在価値を高めるチャンス」と話す。「ベストセラーは古書店では見向きもされない。いい本はしばらくして値打ちがわかるもの。新刊書店に並ばないように地味な本でも扱う古書店こそ真価が問われる。希望の本がなくても、それに近いいい本を勧められるような古本屋にしたい」と意欲的だ。
 一方、広島大(広島市・千田町)の正門前にある大学堂。「安定感のある商売だったのに……」とあるじの金銅正雄さん(七二)。専門書より趣味書が先行する学生気質の移り変わり、売れるのを待つより、人の多いところで売る時代になってさみしそうだ。加えて広島大の移転がかいわいの古書店を存廃の岐路に立たしており、春、入学シーズンの到来というのにこのあたりだけ何やらエアポケットのようだった。(横)
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《雑記》福山の古本屋に関する覚書(その1)

2006-04-04 05:08:09 | Weblog
○はじめに
 私が生まれて初めて古本屋へ行ったのは1978年の6月、高校1年生の時でした。一緒に行った友人から、裏表紙をめくったところに値段が書いてあることを教えてもらったのを記憶しています。

 その時買ったが本は次の2冊です。
・イアン・フレミング(著)井上一夫(訳)『ダイヤモンドは永遠に-秘密情報部007号-』創元推理文庫 1960
・坂口安吾『不連続殺人事件』角川文庫 1974


 爾来30年弱、地元及び全国各地の古本屋を這いずり回って(?)きました。これから何回か、地元の古本屋に関する個人的な体験を書いてみたいと思います。

 私が高校生当時、福山には3軒の古本屋がありました(松永地区を除く)。

◎安倍書店
 福山市今町(本通り)、双人社書店の斜め向かいにありました。高校時代は足繁く通いました。若気のいたりで、時折、三流劇画を買ったりしてました(笑)。就職して自動車で動くようになるとあまり行かなくなりました。記録によると1994年12月に訪れたのが最後です。現在は閉店しています。
※安倍書店のあった辺り

◎児島書店
 このブログでも何度か言及しました。現存しています(福山市元町)。
 1980年代前半には三吉店(暁の星の近く)がありましたが、現在は閉店しています。
※三吉店のあった辺り
 また、1990年代には延広店(元町通り・国道2号線のすぐ北側)がありましたが、現在は閉店しています。私の記録では初めて延広店へ行ったのが1993年12月、最後に行ったのが1997年6月です。
※延広店のあった辺り

◎小畠書店
 福山市昭和町(南本通り)、黒田武道具店の向かいあたりにありました。上記の二つの店に較べると品揃えがイマイチだったので、時々しか行きませんでした。記録によると1988年5月に行ったのが最後です。現在は閉店しています。
※小畠書店のあった辺り

 安倍書店の主人はもともとは児島書店の番頭で児島書店もはじめは本通りの安倍書店の場所にあったという話を聞いたことがあります。真偽のほどは定かではありません。
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《雑記》児島書店について

2006-03-05 09:49:45 | Weblog
 児島書店は福山市の中心部に昔からある古本屋です(福山市元町1-12)。
 私が初めて児島書店へ行ったのは1978年、高校1年生の時でした。その後、足繁く通うようになり、主人に顔も覚えてもらい、立ち話をしたり、時にはサービスしてもらったりしました。
 主人の児島亨さんは、日中文化交流を進めた内山完造が戦前、上海で経営していた内山書店に勤務。中国の文豪魯迅とも親交があった人です。話の中にも魯迅や中国のことがよく出てきました。福山日中友好協会会長もつとめておられました。
 高校を卒業して大学へ行った後も、帰省するたびに顔を出していました。就職して地元に帰った後は、主に自動車で動くようになったので、駐車の便が悪い駅前にある店にはあまり行くことがなくなりました。それでも、飲み会の前のわずかな時間など、店を覗いています。
 残念ながらご主人は2001年7月に89歳で亡くなられ、奥様も2004年7月に亡くなられました。
 以下は、奥様が亡くなられたときに新聞に出た記事です。

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◎魯迅 長年親交児島さん福山で葬儀
◎長男が弔文 孫代読
 中国の文豪魯迅や家族と親交があった児島静子さん(89)=神辺町=の葬儀が19日、福山市内の葬儀場であった。魯迅の孫の周寧さん(43)=東京都武蔵野市=が参列し、魯迅の長男にあたる父親周海嬰さん(北京市)の弔文を代読した。
 児島さんは伯父の内山完造氏が戦前、中国上海で経営した「内山書店」を手伝い、魯迅の妻の身の周りの世話をした。戦後、内山氏が日中友好協会の初代理事長を務めたことなどで、魯迅や周海嬰さんと親交が続いた。1946年から、福山市で夫の故亨さんと古書店「児島書店」を経営。17日に脳梗塞で亡くなった。
 約300人が参列した葬儀で、周寧さんは周海嬰さんの弔文を代読。「数十年にわたり家族の世話など私欲のないご支持と助けをくださりました。静子さんへの痛切な思いを巡らせています」と生前をしのんだ。
2004年9月20日(月)中国新聞
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 今は息子さんが後を継いでおられます。最近では若いお兄さんも時折、店に座っています。

 なお、児島書店は菅茶山や地元の詩人である木下夕爾に関する本も復刻・出版しています。

【関連サイト】

※「児島亨と魯迅」久保卓哉
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《博物館》 2006.02.18 大和ミュージアム

2006-02-19 06:33:45 | Weblog
◎呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)

 機会を得て行くことができました。10分の1戦艦「大和」をはじめ、見応えのある展示品の数々でした。
 昨年4月の会館以来、来館者は140万人を突破したとのこと。この日もたくさんの来館者でにぎわっていました。
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