『動物のお医者さん』で有名な
佐々木倫子に『ペパミント・スパイ』という作品があります。
1982年から1987年にかけて、『花とゆめ増刊号』、『エポ』に掲載され、単行本は花とゆめCOMICSから2巻で出ています(1985・1987)。
内容は以下の通りです。
スパイになりたい! なんたってスパイはカッコイイ!! 人の迷惑顧みず、ひたすらスパイという職種に憧れた一青年が、幸運にもスパイ養成学校の入試に合格!! さあて、あとはもうスパイ街道まっしぐら!? 過酷で複雑怪奇なスパイの世界をシカトして、ドナルド君が大活躍!(1巻カバー見返し)
暗号名ドナルド。スパイ学校に自力(参照:ペパミント・スパイ1巻)で入学した自称、優等生(あくまで自称)である。そんな彼が開校以来の逸材(!?)に戸惑う校長とやはり自力で得た相手の委員長とともに仲間の自殺の真相を追う「暁の人工都市編」他シリーズ3編収録の非情!?の第2弾(2巻カバー見返し)
ドナルド、委員長、校長が主な登場人物の、シュールな無国籍ドタバタ・スパイ・コメディです。
第2巻に「運動場の参謀編」という作品が収録されています。
校長が士官学校時代の友人から野球の試合を申し込まれます。そこで、急遽、スパイ学校で野球チームを結成し、校長の友人が率いる高校生チームと対戦します。スパイ学校チームはドナルドがエースピッチャー。当然、試合は……。
さて、この作品の随所に校長と友人の士官学校時代の思い出がでてきます。
【その1】
士官学校で野球ができずに落ちこんでいた校長を友人が励まします。
友人「気にするなおまえは参謀になればいい」
校長はこの一言で救われます。
試合後、校長と友人とのやりとり。
友人「おまえは子供の時学校遊びをして、一人一人に通信簿を作って渡したりしていたそうだな。キチンと整理し、何事も手堅い細心緻密な性格だ。おまえみたいに参謀にピッタリのやつはいないよ」
校長(心のうちのつぶやき)「えっ まさか… その程度のことを根拠に参謀になれと言ったのか。そのことばをささえに今までがんばってきたなんて ばかみたい」
【その2】
校長の回想
士官学校のとき、写生の好きな先生がいてな、毎日3枚ずつ宿題がでるのだ。要塞図を蝶の絵の中にはめこんだ例もあるように、デッサンはたしかに必要だが…。私は絵が苦手だった。
私は絵が苦手だった。
ウンザリしていたのは私だけではなかった。
「よし俺がなんとかしてやろう」といって彼(友人)は先生たちの似顔絵をおもしろおかしく書いて提出して大目玉をくらった。
おかげで宿題も多さも問題になり写生は1枚でいいことになったのだが――
以下に引用する通り、【その1】は
杉山元、【その2】は
石原莞爾のエピソードが基になっています。
「元帥は少年時代より几帳面であり、物事を慎重に考え、キチンと整理し何事も手堅かった。幼年時代、まだ入学もしないこと、よrく近所の子どもと学校遊びなどして、一人一人に通信簿をつくって渡したりしていたと聞いた」
と、杉山元帥の義甥長尾郡太が語っている。(『参謀』文藝春秋(1972)より「杉山元」 p.149)
(陸軍幼年学校で)
生徒たちの悩みのひとつは、図画の授業であった。亘理寛之助教官は熱心で、「少なくとも週に二枚は写生せよ」と命じた。ところが、二、三か月はともかく、しだいに写生の題材に困り、生徒たちは一様に不満をもらした。
よしオレがなんとかする――と石原生徒が宣言し、やがて写生帳提出の時間になると、画用紙いっぱいに巨大な男性のシンボルを描き、注として次のように書きこんだ。
「写生ノ題材窮シ便所ニ於テ我ガ宝ヲ写ス、十月一日」
教官は、「品性下劣、上官抵抗だ」と金切り声をあげ、教官たちの間には石原生徒の退校を主張する意見が強まった。
「オレが退校になっても、みんながたすかるならそれでいい」
石原生徒は泰然としていた。同期生たちは、要するに図画の授業が過酷なのが原因だ、と生徒監に意見具申し、校長も入校いらいトップの成績をつづける石原生徒の将来を、惜しんだ。
結局、写生は随意科目となり、石原生徒も不問に付された。(同上書より「石原莞爾」 p.14)
少女マンガと帝国軍人というこのミスマッチ! 百歩譲って石原莞爾までは許すとしても、杉山元まで出てくるこのマニアックさ! うーん、ディープです。
〈蛇足その1〉
この「運動場の参謀編」の扉絵の背景はどう考えても
バルバロッサ作戦の地図ですね。
〈蛇足その2〉
同じく第2巻に「ピーターラビットは諜報部員編」があります。この中に
ケーディスとウィロビーという人物が出てきます。いうまでもなく、二人ともGHQの高官ですね。