笑って目覚める(^^)/

2023年03月16日 22時17分00秒 | 生活

 たまにあるのですが、今朝も自分の笑い声と笑い過ぎておなかが痛くなって目が覚めました

一旦5時前に目が覚めましたので朝陽を見に行こうかな~と思っているうちに二度寝をしていました。

夢の内容は娘が面白いことを言って笑いが止まらなかったのですが、もうひとり女性がいて目覚めた時には覚えていたのですが、今ではすっかり忘れてしまいました。

 「繊細だけどO型だわぁ~とつくづく思うわ。こっちは心配しているのに、何事があっても寝られる」と友人がよく呆れて言いますが、確かに

でも、眠れない辛さも経験。

多分、数回かもしれませんが。

最近では1年くらい前でしょうか、2年前

本当に眠れなくて、どうやって寝ていたのだろう、寝方がわからないという経験をしました。

次の日が怖かったですが、普通に眠れましたのでほっ。

睡眠アプリによりますと大抵1分以内には寝ているようです。

 

 

 今朝の空

朝食です。

内容は変わりますが、大抵このパターンです。

 

母も同じですが、母は今はレーズンバターロールにはまっていてそれを2個、マグカップのコーヒー(ミルクとメイプルシロップ入り)と共に一番に食べます。

母の食事は一口大に切ります。

又、私はレモン、オリーヴオイル、塩コショウですが、母はドレッシングやマヨネーズを使います。

母の食欲は朝が一番かもしれません。

体調が悪くてもパン2個とコーヒー、果物は食べます。

 

 

 

 今日から動画を観ながら、筋肉を鍛えたり姿勢をよくするように頑張り始めました。

おやつタイムは昨日頂いた和菓子~

母と半分に減らせたお抹茶茶碗の中(16個にしたかな、確か)から春らしい色を選びました。

今は居間の出窓の下に花器などと共に仕舞っています)

久々のお抹茶と和菓子

美味しかったです

明日は蘭ちゃんにもと思っています。

それを話したら茶道のお勉強をしたかったそうなのでちょうど良かったです。

お菓子は冷凍して取って置きたかったのですが、こんな珍しいもの

やはり今日、来て下さった往診のドクターや看護師さん、ヘルパーさんにお裾分け。

明日も訪問の看護師さんやリハの方が来て下さるのでお裾分け。

 

 

 

 午後から整体やパン屋さんへ。

 

我が家のお花

 

ピンボケになりましたが、これは芍薬

奥は都忘れです。

八重の椿がこぼれるように咲いています

 

 

 

温室のクンシランが少しオレンジ色に。

そろそろ、外に出そうと思っています。

 

バラの葉もあっという間にこんなになりました。

 

 

 

 

 今日は母が3時過ぎに元気に帰ってきました。

今回のショート先はきちんとして下さるので安心です。

ノートも連絡帳も両方、きちんと書いて下さっているので様子がよくわかりました。

その情報も加えて、ドクターが4時頃いらして判断。

でも、最初、逆転した写真や転倒の写真をお見せし、そのあとで動きが止まらない動画をお見せしたのですが、私が変なところを写真に撮っていたものですから、お腹を抱えて看護師さんと笑われて・・・

私も又つられてしまいました

もちろんその時は笑うどころではなかったのですが。

これも今、母が元気だからこそです。

5時からヘルパーさんが来て下さり、母は5時半から食卓に。

調子が良かったのでご飯も大きな🍙おにぎり1個分、食べました。

あとはお味噌汁、唐揚げ、鯖焼き、卵焼き、サラダ等など。

完食後、新聞を読みながら7時からはWBCを観ながら和菓子と味このみを食べました。

そして8時半、「もう寝る」

 

 

 

 今日の母はドクターに私が何もしてくれないと訴えていました。

「え~~~

と言う私に帰られる時に「日によっていろいろ言うことが違うから気にしないように。

いつも付いて寝ていたらしんどいから、しんどくない範囲にするように。

(何かあってもそれは)仕方ないことだからね」

「パーキンソンの症状については神経内科の先生と相談して決めるので」今のまましばらく続けることになりました。

 

 

 

 

 今朝の「舞あがれ」で、「出来ることをしたらいい」と舞ちゃんがおばあちゃんに言う場面がありました。

年を取ると出来ないことが多くなる辛さを母も今、とても感じていると思います。

出来ることをしたらいい。

それ以上に、おばあちゃんでないと出来ないことがある。

確かにそうですね。

 又、会社を子供が継ぐのではなく血族を超えて・・・ということもありですね。

海外では自分の子供がいてもいなくても養子縁組をよくしています。

 

 

 

 

 母はショート先では昼夜逆転していたようですが、今は微動だにせず寝入っています。

安心したのかな。

念の為、落ちたら困るのであれこれ工夫しています。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

指揮者には、
相手の心を読み取りながら、
オーケストラの一人ひとりに
自分の心を伝える力も必要。
言い換えると、オーケストラを尊敬しながら
自分を光らせることができるかということ

━━━━━━━━━━
小林研一郎(指揮者)
『致知』2023年4月号特集
「人生の四季をどう生きるか」より
━━━━━━━━━━

『致知』最新号では、
間もなく83歳になるいまもタクトを
振り続ける世界的指揮者の小林研一郎氏と、

将棋界において前人未到の7冠や
通算1500勝を達成した羽生善治氏氏の
対談が実現しました。

30年来の知己であるお二人の貴重な対談記事は
『致知』4月号でお読みいただけます!

【試し読みはこちら】

 


◇何のために働くのか――
いま改めて考えたい働き方について、
おすすめの書籍をいまだけプレゼント!

【詳細はこちら】
━━━━━━━━━━

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何をしたかな?&Rちゃんの言葉

2023年03月15日 22時47分47秒 | 介護

 今日もいいお天気でした。

お布団も気持ちよくほかほか。

 昨夜は寝るのがすっかり遅くなりましたので、今日は10時にはベッドに入って明日から母が帰ってきますのでエネルギーを充電しておこうと思ったのですが、一体、何をしていつも遅くなってしまうのやら

 

 

 今朝の果物

今日は銀行やお買い物には行きましたが、他に特に何をしたでもないのです。

それに、早く寝ようとして早くお風呂にも入りましたが、結局いつもと一緒

 

 

 

すごい花びら~

バラのようです。

 

クリスマスローズもお花がたくさん咲いていますが、一株だけ。

他は咲きませんでした。

 

パンジー、ビオラが春を謳歌している感じです

 

お水やりをしていたら、黄色い蝶々がバラの隙間あたりから飛んで出てきました。

私の近くに来たり、下の2枚の写真に小さく写っていますが、パンジーのそばや畑にも飛んで行きました。

黄色の蝶々を見ると亡くなった父をなぜか思い出します。

これは、映画「パッチアダムス」の影響かな

 

昨日は確か咲いていなかったと思いますが、ニラの花がいっぱい咲いていました。

 

 

 

 

 今日頂いた和菓子。

こんなにも沢山、高価なものを頂いてしまいました。

練り切りなど大好きです。

季節感のある和菓子、風情があって素敵です。

明日、お抹茶と一緒に頂きます。

 

冷凍にしてもいいそうです。

大手饅頭はよく冷凍にしますが、こういう和菓子も出来るのですね。

明日は母も帰ってきますので喜ぶと思います。

 

 

 

 

 Rちゃんは今夜は夜勤。

先程、休憩時間だったのかラインをくれました。

金曜日はフォーを作ってくれるそうです。

そして、

「昼間とか夜間時、おばあちゃんの状態はやばいなら、すぐRちゃんに連絡して下さいネお母さんへ、宜しく

出来るだけ手伝ってあげるよ。お母さんは一人だから、大変お疲れ様でしょうね

Rちゃんはお母さんとおばあちゃんをベトナムの家族みたいだと思っていますので、宜しくお願い致します🤲

Rちゃんのベトナムの両親はRちゃんにお母さんとおばあちゃんに優しくするように頼んだ(そう言うことしゃべったよ)お母さん安心ください🥰」

 こう言ってもらえるだけでどんなに心強いか。

神様が送ってくれた天使かも

 

 

 

 

 今日の母はとっても調子が良かったようで安心しました。

母も今日は早く寝ると言って、早々に電話を切りました。

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

井村雅代氏に学ぶ「一流の条件」

 

言われていること以外に
自分で何をするか。
それを苦痛と感じるかどうかが、
一流になるかならないかの分かれ目

━━━━━━━━━━
井村雅代(アーティスティックスイミングの名指導者)
月刊『致知』より
━━━━━━━━━━


◎井村雅代さんも
『致知』を愛読されています
.........................

『致知』と出合ったのは2002年、
プロ野球の村田兆治さんと
対談をさせていただいた時から
愛読しています。

最近の若者は本を読むことを
嫌う人が多いんですけど、
『致知』は若者こそ読むべきだと思います。
誌面に登場される方々の生き様、
考え方を自分の中でシェイクして、
自分に必要なものを心に刻んでいく。
ぜひそういう読み方を
してもらいたいと思います。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友人と満開の河津桜と宇野へ&Rちゃんと

2023年03月14日 23時58分30秒 | 友人との時間

 今朝は寒かったです。

1℃予報でしたが、スマホでは0℃。

正式には0.4℃だったようです。

昨夜は7時間位は寝ましたが、今日、一日よく遊んだせいか、昨日同様眠くて、眠くて、もう何度もうたた寝状態

 

 

 

 今朝の果物

1枚は極彩色、ジオラマ風で撮ってみました。

 

朝、BSで「世界街歩き」で「イタリア・サルレノ」をしていました。

一瞬わかりませんでしたが、サレルノは確か世界一古い医学校があると歴史でならったのを思い出しました。

「サルレノ大学」

「サレルノ養生訓」があって今でも親しまれているようでした。

栄養士がサレルノで3位~1位のおススメ料理を紹介。

3位はこれ

ポルチーニ茸のサフランリゾット

  

  

2位は2種類の胡椒を使った牛肩ロースの胡椒煮

 

1位はモッツァレラチーズを使ったフィリヤータ

 

 

赤ワインも健康によい飲み物。

でも、ほどほどに。

地中海料理はパーキンソン病にもいいとネットで読みました。

 

 

 今日は注文していた落ち畳み式机が届きました。

この机を持って明るい南に移動して(節約の為)お勉強します。

今は座ることが出来ませんので椅子は必須。

 

 

 

 予定の11時よりも早く友人が来ました。

花粉症が激しそうでしたが、お薬を飲んできたようです。

まず行った先は岡南飛行場の河津桜の並木。

 

いつの間にかこんなに満開になっていました。

 

 

 

「今年も又桜が見られたねぇ」

 

 

 

母も連れて来なくてはと思いました。

 

もう葉桜になりかけていた木が何本もありました。

 

 

それにしても見事。

一眼レフを構えた方が多くおられました。

 

 

ジオラマ風

 

見事です

 

 

 

 

 

そして、児島湖の締め切り堤防を渡って宇野へ。

 

ここは元中国銀行。

今は台湾料理のお店です。

 

 

 

何回か来ましたが、もうお粥はやっていらっしゃらないそうでした。

 いいな、これと思いましたが、友人が「次があるよ~」ということで今日は諦め

私はエビの水餃子のセット

 

お互い分けっこして食べました。

宇野港

 

 

海を見ると癒されます~

 

 

有名なチヌ

廃材で出来ています。

 

そして、海岸線沿いに行くとハワイアンのお店。

又、この模様が増えていました。

確か前はなかった。

 

 

下は砂です。

 

パンケーキ

 

 

 

友人はストロベリーの赤、私はマンゴーのオレンジ。

5色あります。

 

お持ち帰り用

ここでRちゃんにライン。

今日は久々のお休みで「会いたい」と言っていましたが、先に友人と約束をしていました。

テラス

ここにはハワイ好きが集まるようです。

お金はドル表示。

1ドル100円計算です。

 

ハワイへは、そんなに好きで行きた~いという思いはなかったのですが、なぜか3回も行きました。

もしかして、又、行く機会があるかもしれません。

とはいうものの、やはりいい所ですよね。

 

 

瀬戸内海

いつも大抵穏やかです。

海とはこういうものだと思って育ちましたので、日本海を見るとびっくりします。

Rちゃんに連絡すると途中の大型スーパーにいるとのことで、友人にそこで降ろしてもらうことにしました。

その方が友人も多少早く家に到着することが出来ます。

Rちゃんは私が車を降りるなりすぐに抱き着いて腕を組んできたので、友人もあまりの人懐っこさにニコニコ。

車から降りてきて「いつも(私が)お世話になっています」

Rちゃんは車でここまで来ているかと思っていたら何と歩き。

そこで、2人して歩いて帰りました。

いい運動になりました。

約40分位

家に帰る前にRちゃんにベトナムの交流センターを紹介しようと思い教会へ。

ちょうど神父様がいらして、パンケーキを2人に食べてもらうことにしました。

 

ここで面白いことが・・・

神父様はベトナム語と英語が話せて、日本語はまだほとんど出来ない。

Rちゃんはベトナム語と日本語が話せて、英語が出来ない。

私は日本語と英語が少し出来て、ベトナム語はさっぱりわからない。

私達3人の会話は、神父様とRちゃんはベトナム語、神父様と私は英語、Rちゃんと私は日本語。

そして、互いに通訳しながら話をしました。

神父様が下さった胡椒やベトナムのご飯

 

これはスイカの種

コーヒーなどあれこれあれこれ下さろうとしました。

ベトナムの人が毎日使っている手作りの御聖堂と教会へも行きました。

今、ベトナムの帰っていらっしゃる日本語ペラペラの神父様は今週の土曜日に帰国なさるそうです。

経ってみるとあっという間でした。

 そして、私達は公園を通り抜けて家に帰りました。

今日、5時半に私は英語を予約していました。

Rちゃんもそれを知ると楽しみにしていて、又、一緒に北マケドニアのJ先生と大盛り上がり。

ガールズトークを楽しみました。

 暗くなる前にRちゃんに河津桜を見せてあげようと思い、英語が終わったら即、岡南飛行場へ。

サンセットにもちょっと間に合いませんでした。

 

グラデーションが綺麗でした。

 

 

河津桜は何とか見ることが出来ました。

Rちゃんが頻りに写真を撮っていました。

今夜、ベトナムの家族や友人に見せるのだろうと思います。

 

そして、帰ってから夕食。

ちょうどカレーを作ったまままだ残っていましたので、カレーライスとサラダ、フルーツとグレープフルーツドリンク。

そして、このベトナムのご飯を頂きました。

サフランライスの上の黄色はそら豆のペースト、豚肉とドライオニオンだそうです。

このご飯、とっても美味しかったです

食べている途中で母から電話がかかっていました。

「Rちゃんが来ているよ~」と言ってRちゃんに電話を代るとRちゃんが「金曜日に、又、会いに来るよ」

何やらお料理を作ってくれるそうです。

来週、母がショートの時、Rちゃんは夜勤らしく、その次の週にお花見に行くことにしました。

 今日の母は午前中寝るばかりしたそうですが、夕方から元気回復。

「時計がないので夜、時間がわからない」と言いました。

それを聞いていたRちゃん。

「今から行こう」

ちょうどRちゃんを車で送る、Rちゃんは歩いて帰るで話していたところでしたので、一緒に行って送ることにしました。

ショート先に着くと、丁寧に母の様子を説明して下さいましたが、母が言っていた通りでした。

Rちゃんが「あの職員はいい人ですね」

 こうしてRちゃんを家まで送り(彼女が言った通り近かったのですが、夜だから心配。Rちゃんは日本は安全と言いましたが)、私が家に着いたのは8時でした。

 

 

 こうして、いろいろと楽しい一日が終わりました。

Rちゃん曰く、ショートでは母はいつもよく挨拶をして、いつも「ありがとう」と言っていたそうです

「本当よ、お母さん」とRちゃん。

そして、「私はお母さんのお手伝いして、おばあちゃんのお世話します。いつでも言って下さい」

何ていい子なんだーーーとつくづく感謝。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日 の言葉】

 

中村天風氏の心を鼓舞する金言

 

人生は
心一つの
置きどころ

━━━━━━━━━━
中村天風(心身統一法を広めた思想家)
月刊『致知』より
━━━━━━━━━━

\最新号pickup記事/

◎担当編集からのひと言

東京都世田谷区の
特別養護老人ホーム・芦花ホームで
常勤医師を務める石飛幸三さんは
18年間、多くの入所者を
看取ってきました。

現代医療に疑問を持ち、
安らかな終末のあり方を
求め続ける石飛さんのお話は、
人間の生と死について
多くの示唆を与えてくれます。


◇「人生の旅立ちに立ち会って」
石飛幸三
(特別養護老人ホーム芦花ホーム医師)

【記事はこちらから】

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の言葉にほのぼの

2023年03月13日 22時00分00秒 | 介護
 昨夜はすぐに止んだと思っていましたが雨が降り続いたようです。
 
起きたらまるで、墨絵の世界。
 
 
 
 
 今日は眠いです。
 
昨夜、ブログアップをし、寝る前に母を見に行くと左側に置いたティッシュペーパーの箱を枕にして首を曲げて寝ていました。
 
普段はティッシュボックスは手すりに掛けていますが、夜、手が届かないと言いましたので、そばに置いたのです。
 
起こしてはいけないと気を付けたつもりでしたが、起こしてしまいました。
 
お布団も掛け直して「おやすみ。今夜はそこに寝るから安心してね」と言うと「ごめんねぇ」
 
お布団に入ると母が見えましたので「ここにいるからね~」
 
その後、しばらく母の身体が揺れているのがわかる息づかいが聞こえていました。
 
多分、0時頃でした。
 
 3時前、物音で目が覚めました。
 
行って見ると両手をバンザーイみたいに上げてはバタンと落としてお布団を叩くような動作をしていました。
 
「何時」と聞くので「3時よ。まだ寝ようね」
 
しばらくこの動作を続けていました。
 
 5時、又、物音で目が覚めました。
 
この時は微動だにしないで寝ていました。
 
大抵朝はこのような感じで寝込んでいます。
 
もう5時でしたので、そのまま日常生活が始まりました。
 
その後、ヘルパーさんが7時に来て下さいました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 今朝の果物
 
 
今朝の母はまずまず。
 
「舞いあがれ」を見ながら食事をしている時、 赤ちゃんが出てきました。
 
「かわいいねえ」なんて話していると、母が自分も「赤ちゃんのようになって迷惑ばかりかけているから、お返ししないといけないね」と言いました
 
お返し
 
そこで私は言いました。
 
「今までずっとみんなに与えてきたから、これからはもらうだけ、受けるだけでいいのよ」
 
母は安心したのか「そうなん
 
「そうなん」と私。
 
母の辞書には「ありがとう」や「ごめんなさい」の言葉はないのかとずっーと思ってきました。
 
でも、ここ1年 あるいはここ数年
 
こうした言葉が聞かれるようになりました。
 
母も老いたのか、丸くなったのか。
 
今日はこの母のことを短歌に詠んでみました。
 
恥ずかしいので歌は割愛
 
 
 
 
 
 
 
 ショートのお迎えは早くて、9時には来られました。
 
母は本当は行きたくはなのでしょうが、いつになくにっこり笑って手を振ってバイバイ
 
 今朝は西風が吹き、曇ってもいましたので、とても寒かったです。
 
お洗濯物を干して家の中へ入りました。
 
そして、午前中は先日知り合ったフランス人のご主人を持つMさんと又、2時間20分位おしゃべりを楽しみました
 
 午後からは整体へ。
 
夜中から右足の膝から下が抜けるようにだるくて痛みも感じていました。
 
間違いなく筋肉だそうで、血行不良だそうです
 
マッサージして頂くと身体が軽くなりましたが、いつまでも人に頼っていてはいけないので、自分で何とかしなくちゃです。
 
 帰り道、お花に癒されたくてホームセンターに行ってみました。
 
 
 
 
 
今はお花の少ない時期だそうで、これから春のお花が沢山入荷されるそうです。
 
 
 
 
 
このウインティーの色。
 
とっても変わっていて綺麗で可憐でした
 
 
 
ミモザって見ていると元気に明るくなります。
 
 
 
寄せ植えがいろいろ安くなっていました。
 
まだ十分そのままでも楽しめますし、ばらして植え直してもいいので2鉢買って帰りました。
 
 
 
 
 
 
毎年買うジュリアンはもうありませんでした。
 
 
 
 
お買い上げ~
 
一番後ろの寄せ植えにはレタスもあり
 
 
教会と公園経由で帰りました。
 
 
 
我が家の畑のネギからネギボウズが
 
 
菜の花もあっという間にこんなになってしまいました。
 
 
 
 
八重の椿
 
昨日、一輪咲いたと思っていたら、今日はもうこんなに咲いていました。
 
 
 
 
 
紫陽花
 
梅雨の楽しみ
 
 
早速、あちらこちらに植えました。
 
 
 
この2つは寄せ植えのまま当分楽しみます。
 
 
 
このフリフリパンジー、メーカー品でしたが99円でした。
 
 
 
 
 
昨日もアップしたすみれ
 
 
 
 
 今日の母は19時過ぎに電話が掛かってきましたが、調子を尋ねると「まずまずだった」そうです。
 
でも、何だか明るくて、いつもは「おやすみ」ですが、今夜は「おやすみなさ~い」
 
今日はいろいろと母の言葉に驚かされましたが、ほのぼのしました。
 
もう眠くてたまらず、さっきからソファで寝ては起きて・・・を繰り返してやっと何とか今日のブログを打ち終わりました。
 
 
 
 
 
 
 
 明日はやっと岡山でも咲いたらしい河津桜を友人と見に行く予定にしています。
 
今夜から3日間はゆっくり寝ます。
 
 
 
 
 
 
 
 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

もし「一生寝たきり」と宣告されたら......

 

《5つの誓い》

・口は人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう
・耳は人の言葉を最後まで聴いてあげるために使おう 
・目は人のよいところを見つめるために使おう 
・手足は人を助けるために使おう 
・心は人の痛みがわかるために使おう

━━━━━━━━━━
腰塚勇人(『命の授業』講演家)
月刊『致知』より
━━━━━━━━━━

「たぶん一生寝たきりか、
車椅子の生活になるでしょう」

首の骨を折る大けがにより、
充実した中学教員生活から一転、
人生の奈落に叩き落とされた
腰塚勇人さん。

最新号では、
小児がんにより6歳の愛娘を失った
鈴木中人さんとご対談をいただきました。

涙なしには読めない
過酷な実体験からお二人が
掴んだ心の持ち方や人生の法則は、
いま苦難に直面している人、
日々を真剣に生きる
すべての人の心の糧になるでしょう。


◇「人生の苦難が教えてくれたこと」
鈴木中人(NPO法人いのちをバトンタッチする会代表)
×
腰塚勇人(『命の授業』講演家)

【最新号pickup記事はこちら】

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母のパーキンソン病

2023年03月12日 23時27分45秒 | 医療、病気

 今朝の4時45分頃でしたか、 物音がしましたので 急いで母の部屋に行ってみますと、やはりまた逆さまになってもがいていました。

「どうしてこんなことになるのだろう」と 思いとりあえずは元に戻して寝させたのですが、母のはじっとしていることが出来ません。

かなり揺れると言うか、暴れるまではいかないのですが、本人も「どうしてこんなことになるのかわからない」といった感じで抑えが利かないようでした。

リラックス出来るように YouTube で音楽を流しながら それからずっとそばにいて様子を見ながら、パーキンソンについてネットで調べたり、色々と今までのことを振り返ってして考えてみました。

これで3回目、少なくとも昨朝と今朝。

明らかにおかしいので何が原因だろうかと思い、何か変わったことがあったか、したかと思い返してしてみました。

ひょっとして マッサージの刺激が強く過ぎたとか色々なことを考えてみましたが、結局、母の身体が動いてしまい自然に回ってしまって落ちてしまったり、逆さまになってしまうのではないかというかと思いました。

この体の揺れはしばらく続き・・・と言いますか、揺れと言うよりもベッドに寝させていても、寝させても起き上がってしまう感じです。

訪問看護ステーションに電話をしようかと思ったのですが、まだ朝の5時ですし、命にかかるようなことではないようでしたのでしばらく様子を見ていましたら、30分後くらいには少し落ち着き始め、頭を丸めるようにして寝始めました。

今日は結局1日中、母の体調は いまいちでした。

特に午後からが不調でした。

今夜は母の部屋のそばにお布団を引いて寝ようと思います。

あれだけ動きが止まらないといくら食べたとしてもかなりのエネルギーを使うでしょう。

今は以前ほど食べないので痩せるのも当然と思えました。

 今朝は7時半にずっと以前に2人で1度だけいらしたことにある年配のヘルパーさんが来られました。

車を駐車するところからサポート。

すべて忘れていらっしゃって、ひとつひとつ尋ねられ、いちいち付いて回りましたが、とても丁寧で優しい方でした。

今までいらして下さっていた方がぎっくり腰になされたそうで、急きょピンチピッター。

結局、帰りの車の誘導までを入れると30分のところを2時間もいらしたことになります

ですから、私の食事も9時半から。

 

 

 

 

 

 今朝の果物

母は食欲がなさそうではありましたが、いつもの量を食べてくれました。

その後、母が自分からベッドに行きたいと言ってベッドに入りましたので、看護師さんに電話をしました。

でも、母はこの間も落ち着かず、起き上がってはベッドから降りようとしたり、とにかく、朝から幻覚が激しかったです。

最初から最後まで行っていたのは猫。

それから男の子も。

誰かが見学に来ているみたいなことも言っていました。

症状が収まったら、この幻覚も収まりました。

(少なくとも口には出さなくなりました)

今日の御当番の看護師さんはちょうど母の担当の看護師さんでしたので話が早かったです。

私の電話のあとも2回ほど電話を下さいましたが、結局は様子見です。

 気を紛らわすために新聞を持って行くと、新聞を読むのではなく開いてはカサカサと言わせつつ、それでも少しずつベッドの中で落ち着いてきました。

その後は歌を歌っていました。

あんたがたとこさ

とか、

あめあめふれふれ

とか、

昔の歌謡曲も歌ったりしていました。

 お昼ご飯は要らないと言いましたが、お薬も飲まないといけないので2時に食卓へ連れて行きますと、おはぎとお野菜のおかずだけ食べました。

お昼は久し振りにカレーを作ってみたのですが、食べませんでした。

「コーヒーはいる」と聞くと「いる」と言いましたので、朝に続いて2杯目を淹れました。

でも、結局は半分くらいしか飲みませんでした。

木曜日や昨日の元気さとは大違い

 

 

 

 

 

 アスファルトを割って咲いたすみれ

風で小さなビニールが飛んで来ました。

 

 

 

 

 3時過ぎて、窓を閉めながらふと外を見ると、八重の椿が咲いていてびっくり

 

まだ一輪ですが、これからどんどん咲きそうです。

 

 

 

 

 今日は夜の8時半まで母と2人。

朝、少しTVで野球のことを観たので、野球を観たいと思ったようですが、今夜は観る気力はなかったようです。

又、にわかファンの私も今日は全く観ていません。

一昨日は母と二人で少し観ました。

次の朝(昨朝)、「あれからどうなった」と聞きました。

母は4点まで観ていて、私は5点まででしたので「多分、勝ったと思うよ」

今日は目がいつも以上に目が離せませんでしたが、今は静かに眠っています。

 

 

 

 

 

 今日は今夜から雨と言うことで、お洗濯を2回ほどしましたが、風があったので曇っていても乾きました。

先程の22時過ぎ、雨音がしましたので外をみましたら、結構降っていましたが、すぐに止んだようです。

もしかしてあれだけかな

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】

 

14歳の橋本左内が記した5つの誓い

 

一、稚心(幼稚な心)を去れ
二、気を振るえ 
三、志を立てよ 
四、学に勉めよ 
五、友を択(えら)べ

━━━━━━━━━━
橋本左内
(吉田松陰や西郷隆盛など、
幕末の志士にも多大な影響を与えた英傑)
『14歳からの「啓発録」』より
━━━━━━━━━━

25歳にして「安政の大獄」により、
処刑された橋本左内が、
満14歳の時、自らに対する
誓いを記した『啓発録』。

その中で述べられている
5つの誓いの言葉を
ご紹介しました。

* * *

現在発行中の
月刊『致知』4月号の
総リードでも紹介され、
ただいま話題を呼んでいるのが、

新刊『14歳からの「啓発録」』です。

『論語』などの講義を通じて
人間教育も行う空手道場
「瀬戸塾」の師範である
瀬戸謙介先生が、
現代に生きる14歳に向け、
その内容を意訳した一冊。

同塾では2009年から、
14歳を対象に自分の
人生に対して自覚を促し、
志を確立させるための
「立志式」を行っています。

「立志式」までの3か月間、
毎週『啓発録』に学ぶ立志者が、
どのように変化・成長していくのでしょうか?

ぜひ、本書をお手に取ってみてください。

………………………………………………
現代の中学2年生の心に火をつけた
橋本左内の誓い

『14歳からの「啓発録」』

 瀬戸謙介・著

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花は咲く 2023 &今日の母は絶好調。

2023年03月11日 22時00分00秒 | 介護

[ストリートピアノ] 震災から12年。花は咲く 2023 [あの日を忘れない。]

 

 

 

 今日はまた気温が上がって23.9℃。

5月末の気温だそうです。

岡山県の高梁市は25℃もあったようです。

 

 

 

 

 今朝の果物

今日も美味しく頂きました。

明日はちょっと果物が増えます

 

 今朝は6時前に音がしましたので、母に「どうかしたの」と声をかけると「助けて下さい」(なぜか丁寧語)

慌てて降りて行くとベッドの下に落ちていました。

本人曰く、ずり落ちてしまったようです。

。。。にしても、なぜポータブルトイレの蓋が開き、中が薄い茶色になっているのか。

本人曰く、お茶のコップを落としてしまったそうです。

足が踏ん張れないので起こそうとしても前々へ滑っていきます。

何とかやっと起こしてベッドへ。

特に打ったところもなく良かったです。

 その後、7時にヘルパーさんが来て下さいました。

。。。が、母の入れ歯を洗って下さる時、昨日処置して頂いた部分を汚れと勘違いされて、全部きれいに洗って取ってしまわれました。

 母は朝食後、急に整体に行きたいと言い出しました。

空いている時間に予約してもその時しんどくなって行けなくなってしまうとご迷惑をおかけするので、直近で空いている時間があれば教えて下さいとラインしました。

運よく、この時9時だったのですが9時半が空いているとのこと。

準備していたらちょうどいい時間になります。

今日は調子が良さそうでしたので、1人でも何とかなりそうに思えました。

母はこの時「味このみがほしい」と言って食べ始めたところで、やはり、昨日処置してもらった方がよいので「歯医者にも行きたい」と言いましたので、何度も電話をしましたがずっと話中。

仕方がないので整体に行く前に寄って予約して行こうと思いましたが、寄る時間が無くなりました。

 整体で、院長先生も今日チェックして下さったのですが、母は訓練したらもっとしっかり歩けるようになると言われました。

また施術して下さった前デイサービスでお世話になった先生も、施術後振れが収まったと言われました。

原因は何かわかりませんが、少なくとも血流がよくなり温かくなり気持ちよくなって眠くなるせいなのかもしれません。

いずれにしても、本人が行きたがるので多分、心地いいのでしょう。

そうとは言いませんが

 続いて、歯医者へ。

ここは女性スタッフが2人で乗り降りから診察室まで連れて行って下さいました。

 母が元気なら河津桜が咲いているかもしれないので

「見に行く」と聞くと

「咲いているの

「わからない」と私。

桜を見て、買い物をして帰ればちょうど母を一人にしなくていいかと思いましたが、疲れさせてもいけないですし、あまり乗り気でなさそうでしたので、帰ることにしました。

帰ると11時過ぎ。

約2時間が経過していました。

やはり疲れたようで、足が千鳥足。

手すりを持つように言っている間にくるっと廻って、あっと思って母を捕まえた時には洋服だけで、転倒してしまいました。

ドンと転んだわけではないので良かったのですが、それでもおしりは打ちました

やっぱり、私一人では無理だとつくづく思いました

 

 

 その後も母は絶好調。

今日は4時に看護師さんが来て下さったのですが、それまでも寝ることなく、ベッド脇に座って新聞を読んでいました。

時々立ち上がって歩こうとするので危ない、危ない

朝から「発語も多く」と書かれていましたが、元気でした。

あまりにも続くとしんどくなるので少し寝るように言うと「寝さそうとばかりする」

でも、反動が怖いですから

久し振りに一日中元気という日を体験しました。

 

 

  クンシランの蕾が大きく育っています。

 

こんなところから黄水仙が。。。

 

 

 

モミジも芽吹いてきそう。

 

 来週はお花屋さんに行きたいと思っています。

もう少し家の内外にお花を増やしたいです。

 

 

 

 今日は何か書かないといけない肝心なことを書いていないような気がしますが・・・

もう眠くって、母もすでに寝ましたし、ベッドに直行します。

おやすみなさ~い

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

栗山監督の指導力はいかにして養われたのか

 

才能がないことが才能、
才能がないからこそ頑張れる。

いまでは才能がなかったことが
逆によかったとすら思っているんです

━━━━━━━━━━
栗山英樹(野球日本代表侍ジャパン監督)
月刊『致知』より 
━━━━━━━━━━

≪ 栗山監督からお寄せいただいたメッセージ ≫

 私にとって『致知』は人として生きる上で
 絶対的に必要なものです。
 私もこれから学び続けますし、
 一人でも多くの人が学んでくれたらと思います。
 それが、日本にとっても大切なことだと考えます。

◇栗山監督も愛読する

『致知』とはこんな雑誌です


━━━━━━━━━━

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月頃の気温

2023年03月10日 21時47分50秒 | 自然

 今日は更に気温が上がり、最高気温が23.4℃、最低気温が8.2℃

すっかりお布団1枚、要らなくなりました。

 

 

 母は整体でのマッサージがよほど気持ち良かったのか、昨夜の8時から今朝の7時、ヘルパーさんがいらっしゃるまで、いびきをかいて本気で寝ていました。

(いびきは普段かきませんが、熟睡しているような感じでした)

今日もお昼に同じように眠りました。

 

 

 

 

 今朝の果物

今はもうお玄関を使うことが滅多になくなりましたが、母の掛け軸の「お雛様」を飾っています。

ひと月遅れの4月3日まではOKのようです。

昨夜、ショートから大洗濯が戻りましたので洗濯をしましたが、今朝も又お洗濯。

今日の畑の様子

 

 

ママ友にもらったプリムラも根付いたようです。

 

 

もうひとつ母の作品を母の部屋に飾りました。

友人からもらったタンスを入れ替えて、その上に母が友禅で描いたタペストリーを飾りました。

見えやすいように前の方に飾りました。

 

母のお部屋がかわいらしくなりました。

今までの白いタンスは洗濯機の横に収まり、すっきりしました。

 

 

 

 そういうことで、今朝は朝から11時半近くまでこんなことして過ごし、それから母を歯医者に連れて行きました。

予約外でしたのでこの時間に来るように言われました。

痩せて入れ歯が合わなくなって、少し前から行きたいと言っていたのですが、体調が悪かったりで行けませんでした。

又、来週行って新に作り直すかどうか決めるようです。

今の入れ歯、訪問歯科のドクターに作って頂いたのですが、母は仮の歯だと思い込んでいたようです。

前の歯から型を取って、何週もかかって、合わせたものですが、あれから痩せましたので合わなくなってしまいました。

入れ歯安定剤は好きではないので使いません

 

 

 

 

 早いもので又、あっという間に1週間が経ち、今日は看護師さんとリハの方が来て下さいました。

昨日のしっかりした母の足どりを話しても、想像が出来ないようでした。

昨日は本当驚きました。

今日は体調のひどく悪い日よりはましな日でした。

まずまずこれなら〇かな。

お食事もまずます食べてくれました。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

谷川浩司さんに学ぶ「勝負で一番大切なこと」

 

勝負で一番大切なのは
優勢の時に
焦らないということ、
劣勢の時に
諦めないこと

━━━━━━━━━━
谷川浩司(将棋棋士/十七世名人)
月刊『致知』より
━━━━━━━━━━

藤井聡太五冠による
谷川浩司十七世名人の
名人最年少記録更新への挑戦に
世間の注目が集まっています。

21歳2か月という
史上最年少で
将棋の名人位を獲得された
谷川浩司さん。

囲碁界で同じく
最年少名人となった
井山裕太氏さんとの対談で、
その勝負哲学を語っていただきました。


◇「優勢にて焦らず、劣勢にて諦めず
  ——―谷川浩司氏の勝負哲学」

【注目のwebchichi記事はこちら!】

━━━━━━━━━━

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」 

 

≪いま生きていることの値打ち【境野勝悟氏をつくった言葉】≫

 

『致知』4月号の最後を飾る対談は、

作家・五木 寛之さん
東洋思想家・境野 勝さん

このお二人による、滋味溢れる
語り合いの場となっております。

ともに、90歳になられたお二人が、
発する言葉一つひとつには、
ズシンとくる心地よい重みがあります。

本日は、これまで数多く『致知』に
ご登場いただてきた境野勝悟さんが、
ご自身を支えてきた言葉とその背景について
お話しくださったくだりをご紹介します。

 

取材の様子はこちら
─────────────────


【境野】
ちょうど2月の臘八接心(ろうはつせんしん)という、
8日間の一番厳しい修行が行われる時で、
素人はなかなか入れないんですけど、
その先生が玄峰老師の許可を取ってくださって、
初めて参禅することになったんですよ。

臘八接心の8日間は、
睡眠時間を8時間から1時間ずつ縮めて、
最終日は徹夜で坐り続けるんです。


【五木】
苛酷な行ですね。


【境野】
関東の名だたる名僧の方々も
一緒に行に臨んでおられますから、
どんなに辛くても途中で脚を崩すわけにはいかない。

いやぁ禅というのは厳しいな、
俺にはとても無理だと思いましたよ。

その最終日の夜12時近くになると、
入り口から雪が舞い込み始めました。

全身が痺れるように寒い!

じっと寒さを堪えながら必死で坐り続けていると、
不意に「鉢を持て!」という声がしましてね。

静まり返った坐禅堂の中で順番に
湯気の立つ熱いお汁粉が振る舞われたんです。

ふと見ると、お汁粉を注ぐお坊様の後ろから静かに静かに歩いて、
参加者の前で立ち止まっては手を合わせている方がいる。

どなたかなと思いながら坐り続けていると、
いよいよ私の鉢にもお汁粉が注がれ、
その後ろについていた方が私の目の前に立たれましてね。

合掌してから顔を上げて見ると、
何と山本玄峰老師だったんですよ。


【五木】
あぁ、山本玄峰老師が。


【境野】
当時86歳の玄峰老師が、雪の舞い込む真夜中の
禅堂へ来てくださっていたんです。

そしてお汁粉の注がれた鉢に一つずつ丁寧に餅を入れては、
「ご苦労なこっちゃーっ!」と涙声で合掌してくださっている。

私はその姿を見て、思わず涙が溢れてきました。

そして思ったんです。よし、俺は禅でいこう。
何の理屈もないんですけど、とにかく禅に決めたと。

接心修行の最後には独参といって、
一人ずつ老師からお言葉をいただくんですが、
その時に玄峰老師はこうおっしゃいました。


「坐禅は禅坊主の修行ではない。
 おまえさん自身の修行だ。
 いま生きていることの値打ちを
 自分の中に自分で見つけるのが禅だから、
 しっかりやりなさい」


と。禅の修行っていうのは叩かれたり、
怒鳴られたり、大変なことが多かったんですけど、
いつでもあの時の玄峰老師の言葉が聞こえてきて、
私を励ましてくれました。

坊さんでもない私が、
あの臘八接心に参加した22歳の時から、
90歳になるきょうまで坐禅を続けてこられたのは、
「生きていることの値打ちを見つけよ」と
いうその言葉のおかげなんです。

 

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

バラ十字会日本本部AMORC

 

バラ十字会のホームページの新着記事をご紹介します

 

こんにちは、バラ十字会の本庄です。暖かくなってきましたね。

 

ベランダでハイビスカスを育てています。冬は寒さを避けるために、夜は家の中に取り込むのですが、それももう必要なくなりました。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

バラ十字会のホームページでは、このメルマガや資料室の新しい記事を定期的に掲載しています。

 

今回のメールマガジンでは、最近掲載された記事をご紹介したいと思います。

 

見逃した記事やもう一度読みたい記事をお楽しみください。

 

 

感謝についての熟考


世界に対する私たちの望み


コプトの織物の切れ端 - バラ十字古代エジプト博物館のコレクションから


「○△□」について


【インスピレーションについて】(フランス代表のブログから)

 

温活のススメ

 


特集:神秘学

 

神秘学に関連するページをいくつかご紹介します。

 

神秘学

 

もっと深く学ぶための次のアクション

 

神秘学について

 

「神秘家」という言葉の本来の意味(フランス代表のブログから)

 

神秘学とは

 

神秘学を理解するキーワード「宇宙」(Cosmos)

 

神秘学って、グノーシスって何ですか

 

エソテリシズムとは

 

 

◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

 

■編集後記

 

ハクモクレンが開花しました。

 

https://bit.ly/white-magnolia2303

 

◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新たな出会い&母を整体へ

2023年03月09日 23時04分40秒 | 国際交流

 今日はもかなり気温が上がりました。

明日は22℃予報です。

お洗濯物やお布団はよく乾くので有難いです。

 

 

 朝、お野菜を収穫しに畑に出るのも苦にならなくなりました。

今朝もたっぷりのお野菜をごちそうさま~

庭にで居ているとお隣の奥さんがチョコレートを下さいました

 

 

北海道のチョコのようです。

今朝の果物

 

 今日は膝が痛いのと肩コリと、やはり歩き方から来ていると整体でも言われていましたので、骨格診断を受けてみました。

確かにかなり歪んでいて、すべてが連動しているのだとつくづくわかりました。

・・・と普通ならこれで終わるのでしょうが、なぜか、何がきっかけとなったのかすっかり忘れてしまったのですが、彼女とZoomですごく盛り上がってしまい、1時間半のところが3時間もおしゃべり。

まだ足らなくて月曜日に母がショートに行った後で又おしゃべりすることにしました。

彼女のご主人はフランス人。

これはあとでわかったことなのですが、私の性格からして南フランスあたりが合っていると言われていました。

(楽に生きていくことが出来るという意味らしいです。)

ニースあたりならイタリアも近いとか。

あとで地図で調べてみます。

彼女は私が今後、自由に飛び立つのを応援してくれるそうです。

そんな話の中に昨日の「国際女性デー」の話も出ました。

昨日の英語のレッスンの時、先生が”Happy International Women's Day

そして、お母さんや友人達と交換するプレゼントのお花を見せてくれました。

もちろんご主人からもお花をもらったと言われていました。

「いいな~、私は一度ももらったことがない」と言いますと「近くに居たら、あるいは将来、会った時にプレゼントするからね、Love you,〇〇さん

こんな話を今日出会った女性にしたところ、本当にヨーロッパ圏の男性は女性を大事にするというお話をしてくれて、特にフランスの男性は女性はワインのようだと言うと。

年を取れば取るほど、熟成させればさせるほど女性もワインも素敵になると。

女性も80歳になってもおしゃれだそうです。

もちろんこれらのお話も人によるのでしょうが、概してそうらしいです。

こんなお話を伺うと元気が出てきます。

大学で4年間も習ったフランス語を再び学ぶのが英語の次には一番いいかなと思ったりしました。

(スペイン語かイタリア語と思っていましたが)

南フランスのどこの街に行くか住んでみるかなどと調べるのも楽しいです

私は山が好きなので、山が見える所がいいなあ~

 

 

 

 

 ところで、今日は整体に行き、とても肩が凝っていましたので、指で押すだけではダメで、ついに院長先生が肘を使われました。

開院以来まだ3人目だと言われつつ。

それはともかく、今日はショートからの送りが4時15分で、その1時間後がヘルパーさんでしたので、ショートの方にそのまま私の車に乗せて頂けたら整体に母を連れて行けると思い実行

整骨院へ着けば下ろして下さいますし、帰ればヘルパーさんがいらっしゃる。

とにかく母が元気ならそうしようと思っていました。

母の足どりはいつもと違ってとってもしっかりしており、片手だけで充分歩くことが出来ましたのでびっくり仰天しました

こうしてついに念願の整体に連れて行くことが出来ました。

今日のような調子なら私一人でも十分連れて行くことが出来ます。

母の肩も凝って固まっていますので、とても気持ちが良かったようです。

良かった

明日も行けそうなら連れて行こうと思っています。

 

 

 

 母は又、顔の症状のことを言われたそうですが、別の利用者さんが(今度はどちらも男性)、かばって下さったそうです。

又、スタッフが聞こえないと思って話している会話を結構母は聞いています。

(あえて書きませんが)

今回のショート先は連絡ノートを見てくれていなかったようで、ドクター指示の体重測定も塗り薬も一度も塗って下さっておらず

そして、その薬を持って来ていたのかと、どこに入れていたのかと。。。

あとで、謝られていましたが・・・

なかなか難しいです

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】

 

30万人が涙した「いのちの授業」

 

幸せは誰かがプレゼント
してくれるものでもないし、
お店に売っているものでもありません。
どう生きるかを
自問自答してこそ
実感できるもの

━━━━━━━━━━
鈴木中人
(NPO法人 いのちをバトンタッチする会代表)
『致知』2023年4月号特集
「人生の四季をどう生きるか」より
━━━━━━━━━━

◇最新号pickup記事のご紹介◇

小児がんで6歳の
長女を亡くした鈴木中人さん。

その悲しみを経て
語られる「いのちの授業」は
これまで30万人を超える聴衆に
感動を与えてきました。

『致知』最新号
特集「人生の四季を生きる」では
首の骨を折る大怪我により、
充実した教員生活から一転、
人生の奈落に叩き落とされた
腰塚勇人さんとの対談が実現。

命の大切さを伝えるという
使命に生きるお二人に、
一度きりの人生を
悔いなく生きる要諦、
心の持ち方を語り合っていただきました。


【記事はこちらから】

━━━━━━━━━━

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「今を生きる」&「風に立つライオン」

2023年03月08日 21時45分55秒 | 精神世界

 昨夜は夜更かしをして久し振りに映画を観ましたので、今日は眠かったです。

今夜は明日母が帰ってきますので、早く寝て、エネルギーを充電しておきます。

 

 

 

 今日の日中20.0℃。

最低気温も4.7℃。

晴れていましたが、空は霞んでいました。

もしかして黄砂かなと思いました。

 

 

 

 今朝の果物

エドガー・ケイシー療法によりますとコレステロール値が高い場合グレープフルーツを毎日1個、1か月間続けるのがいいと聞きましたので、試してみようかなと思い、お買い物に行った時に買ってきました。

なかなか、国産が見つからないので100%ジュースでもいいかな~と思いつつ、一応、試しにグレープフルーツ1個とグレープフルーツジュースを買ってきました。

午前中、ウオーキングのZoom研修がありましたので参加しました。

整体でも歩き方がよくないと言われていますので、正しい姿勢での歩き方を知りたいと思いました。

明日、もう一度ありますので、もっとしっかりお聞きしようと思っています。

 

 

 

 

 お昼にお買い物に行き、少し太陽の陽射しが弱まる頃から少し歩きに行きました。

これは我が家の菜の花。

Aさんがホースの先を直して下さったので、今日はた~ぷりとお水遣り。

ご近所ウオッチィング

 

 

 

ママ友ガーデンの門の前に新しいお花が増えていました。

 

 太陽はこんな感じ

 

 

 

教会の水仙

 

公園を通って

  

南方面へ

 

 

 

 

我が家の八重の椿が間もなく咲きそうです。

 

玄関の前に黄色の水仙が咲き始めました。

温室ではクンシランが8鉢。

いくつか蕾が付いていました。

 

残念ながら、蘭の蕾は無し。

バラも一気に葉が出始めてきました。

 

 

 

 

 Aさんが持って来て下さった友人からもらったタンス。

洗って干して夕方家に中に入れました。

母用のタオル(顔拭き用や体拭き用とかあれこれ)が今ダンスから溢れていますのでこれに入れ替えたいと思っています。

 

 

 昨日、沖縄へ東京から引っ越した心理療法家の友人が「又、短歌の交換を始めませんか」とメールと電話がありました。

早速、昨日から始めました。

沖縄はもう最低気温が14~5℃のようで、水着を買いに行くと言っていました。

お部屋では風鈴がさわやかに鳴っていました。

(お部屋の動画を送ってくれました)

こちらはまだ啓蟄を過ぎたばかりですが、沖縄はもう夏を感じました。

沖縄にしかない黄色のお花がたくさん咲いているそうです。

何のお花かしら。

又、写メを送ってくれると思いますので楽しみに待っています。

近々東京には行くようですが、岡山に帰るのは大抵11月になると言っていました。

昨年は入れ違って会えませんでしたが、実家が岡山なので年に1回は帰って来ますから楽しみです。

もう80歳を超えていますが、まるで60歳代のようです。

韓国のお寺で「解脱の入口に達した」とお坊さんからお墨付きをもらったようです。

時折良寛さんの「災難にあう時節には、災難にてあうがよく候。死ぬる時節には、死ぬがよく候。是はこれ、災難をのがるる妙法にて候」をどういう意味だと思うかと尋ねてきます。

さだまさしの「風に立つライオン」の歌の中に「今を生きることに思い上がりたくない」というフレーズがあり、どういう意味なのか時々思い出しては考えます。

それと同じように良寛さんのこの言葉についても考えます。

彼曰く「大事なことはこの一瞬を感じ味わい、楽しむことだと思います。今を生きることだと思います。」

私「結局は人生は今の連続でしかありませんね。」

予定などを立てるとで将来があるかのようですが、実際には今しかないわけで、思考上のことということになりますか。

究極的にはそうかもしれませんが、やはり、夢は持って、実現させていきたいです。

今の積み重ねの先にそれはあります。

 

さだまさし×佐渡裕 「風に立つライオン」

 

 

 

 

 今日の母はまずまずだったようです。

今日はお風呂の日。

でも、リハはなかったようです。

 

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】

 

王貞治が語る「プロの条件」

 

百回やっても、
千回やっても絶対俺はちゃんとできる、
という強い気持ちを持って臨んで、
初めてプロと言えるんです

━━━━━━━━━━
王 貞治 (福岡ソフトバンクホークス球団会長)
月刊『致知』より
━━━━━━━━━━

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小屋の解体

2023年03月07日 22時06分00秒 | 掃除、片付け、断捨離

 今日も空は青く、暖かくて気持ちの良い一日でした。

このお天気、もうしばらく続きそうです。

 

 

 

 今朝の果物

 

 今日は9時からAさんともう一人の方が来て下さって、長い間の懸案事項だった母が作った「箱もの」を壊して下さいました。

ひとつは裏にあり、小屋風になっています。

もう傷んでいて、何も入れていませんでしたし、入れる予定もありませんでした。

昔、家族が多かった時に母があれこれ入れていたようです。

解体中にAさんが「白アリが食べていたから、壊して良かったですよ」

 もうひとつはこれも厳密に言えば外になるのですが、ドアを付けてお台所の続きの小部屋みたいになっているスペース。

そこに大きな壊れた冷凍庫がありました。

台置きみたいにして使っていましたが、私はここをどちらかというと通用口にしたいと思っていました。

でも、それはちょっと大ごとになりますので、この冷凍庫を廃棄して頂いて、この場所を綺麗に片づけるだけにしました。

今までもこの冷凍庫を外に出そうと何回か試みたのですがダメでした。

ところが、今回は表の板を壊さなくても内側のドアを外して出せるのではないかという話に急きょなりました。

前も無理だった気がしましたが、何と今回は出ました

その冷凍庫を運び出すためにこんな使い捨てのシートを床を傷めない為に敷いて下さいました。

 

 

 

板を壊さなくてよかったので、元々安かった見積金額より更に安くなりました

時間も今日の数時間と予備の明日の数時間分もなくなりました。

それにしても、小屋がなくなり、大きな冷凍庫がなくなったすっきりスペースの気持ち良さと言ったら

 その他、母の作品を勝手口に掛けたいと思っていますので、Aさんがいい方法を考えて下さるそうです。

その他細々したレースのカーテンのフックやらホースの先やら(お水が出にくくなっています)直して下さったり、明日、「こういうのを買ったらいいよ」というのをお宅から持って見せて下さることにもなりました。

又、友人宅にも作業に行かれていますので、友人がくれるという半透明のかわいいタンスまで持って来て下さることに

今日、我が家の帰りに友人宅で作業された時、「わざわざならいいです」と友人も何度も言ったそうですが、タンスを2階から運び出し、明日取りに来ますと言って帰られたとか

友人といつも、つねさんにしろ、Aさんにしろ「本当にいい人だねぇ。。。」と感激しています

 

 

 

 

 

 お二人が帰られた後、本当に久し振りにママ友ガーデン経由で教会と公園を1周して来ました。

11月までは本当によく歩いていたのに、今では足が痛くてゆっくり1周歩くのが精一杯。

 ママ友ガーデン

 

すっかり春らしくなっていました。

 

 

でも、お手入れはこれからだそうです。

 

 

 

さくらんぼ

 

 

 

種から育てたプリムラをくれました。

 

 

コロンちゃん

 

ここの梅は八重です。

 

 

水仙の奥の葉っぱにはかわいい花が5月頃咲くそうです。

 

けやき

ユリも増えて3株に。

公園も外周をぐるっと回って

 

 

マンサクやアセビが咲いていました。

 

 

教会のロビーのお花

公園の梅もうこんなに咲いて、もう終わりかけ始めていました。

 

 

我が家の菜の花

早速、プリムラを植えました。

大きな鉢に1つにまとめようかと思いましたが、2つに分けて植えました。

徐々に株が充実してくるでしょう。

 

 

 

 

 今日の母は11時過ぎに電話をしてきました。

昨日、何度もかけようとしたようでした。

スタッフにも頼んだそうですが、「ちょっと待ってね」と何度か言われてとうとう掛けて下さらなかったようで、この時間帯にお願いして掛けてきました。

何か一生懸命に言っていましたが、解体工事の音と母の声が小さくてあまりよくわかりませんでした。

調子はいまいちのようでした。

そして、私が言ったようにしたよと。

何かな。。。

お部屋番号を言っていましたが、わかりませんでした

途中で保留になったり、切れたりした場合、私の方から掛けても取れないことが多いです。

 夜は9時過ぎて電話をしてきました。

今度はスマホの近くで話してくれ、周りも静かでしたし、体調も戻ったようで、はっきりよくわかりました。

お昼に言いたかったこともわかりました。

今日は30分以上話しました。

ひとまず今日のところは安心してお風呂に入って(いつかけてくるかわからないので7時以降は待機)、眠れます。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

サイゼリヤ会長が語る「成長のチャンス」

 

失敗や挫折、艱難辛苦の時こそ
自分をより成長させるチャンス。
そういう心構えで努力すれば必ず花が咲く

━━━━━━━━━━
正垣泰彦(サイゼリヤ会長)
月刊『致知』より
━━━━━━━━━━

サイゼリヤ創業者の正垣泰彦さんは
大学4年生の時、千葉県市川市に
17坪・38席の洋食屋をオープンし、
幾多の危機を乗り越え、
今日の発展を築いてこられました。

その正垣さんに経営者の原点となる
エピソードをお話しいただきました。

【記事はこちら】

 

◇正垣会長も『致知』ご愛読者のお一人です!

2年前に取材を受けた後、
これもご縁だと思って『致知』を読むようになった。
驚いたことに、そこに登場される方々は
難解な宇宙の法則をそれぞれの実体験を
通して証明してくれている。

「そうだ、そうだ」と共鳴できるし、
同時に反省も促される。
月初に届くと数日間で全部読み終え、
「早く来ないか」と次号が待ち遠しい。
こんなに面白くて読むのが楽しみな雑誌は他にない。

――正垣泰彦氏(サイゼリヤ会長)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ラヴィアンローズ」のお誕生日会

2023年03月06日 20時53分30秒 | 友人との時間

 今日から母はお城の近くのショートステイへ。

本当は行きたくないのでしょうが、「社会と関わること、リハをすること、お風呂に入ること」は家では叶いませんので、頭で理解してくれて、今日も行きました。

 

 

 

 今朝の果物

今朝の母は、昨日の午後から不調でお夕食をあまり食べませんでしたので、おなかが空いていたのかいつも以上に食べました。

普段の朝食に加えて、たけのこご飯少々、ししゃもとめざしも。

母はやはり、めざしはかたいので、ししゃもがいいと言っていました

 今日の母の出発は10時頃でしたので、比較的のんびりと朝食を取る時間がありました。

その間、私は洗濯機を2回回し干し、母が出かけたら出発出来るように準備万端。

今日もと~っても暖かく、快晴の一日でした。

今日の最高気温は17.4℃、最低気温は1.4℃でした。

 

 

 

 

 今日の私の予定は同じ年齢のグループ「ラヴィアンローズ」のメンバーの一人の誕生日会。

いつものように岡山国際ホテルへ行きました。

メニューが今日から春のメニューに変わっていて、春の食材を愉しみながら、たくさんのおしゃべりをしました。

(でも、今日は短くて4時間少々)

早咲きの寒緋桜が咲き始めていました。

 

 

 

 

Facebook用

写真は10枚。

Facebookは写真をなるべく少なく断捨離。

やれば出来る

Today we had a birthday party for one of the members of our same age group "Ra Vie En Rose" at Okayama International Hotel as usual. The menu had changed to a spring menu starting today, and we chatted a lot as we enjoyed and relished the spring foods. 
Today's high temperature was 17.4℃ and the low was 1.4℃. It is getting more and more like spring, and the early cherry blossoms are beginning to bloom.

 

 

 

まさか桜が咲いているとは思いませんでしたので嬉しいサプライズでした。

 

 

連日の暖かさ、あっと言う間に桜の季節が来そうですね。

 

 

ノンアルコールのスパークリングワインもありましたが、苺ミルクで乾杯

 

生ハムのカッティングサービス

私は鰆の湯葉巻きを選びました。

新鮮なお野菜も美味しかったです。

メニューも変わっていましたが、お皿も変わっていました。

シェフが変わったのかと思いましたが、それはなさそうでした。

 

このアサリのスープの中には筍やら麦も入っていました。

カサゴのポアレとエビ

 

お野菜が美味しかった

ケーキはこの中から選びます。

一番人気はパフェだそうですが、おなかがよくなったので小さめなのを選びました。

が、結構、大きかった。

クリームチーズの中はフランボワーズのピューレが入っていました。

 

 

テラスからの眺め

 

 

 

 

 

 おなかがまだいっぱいですので、夕食は当然スキップ。

おなかがいいのと月曜日はやはり疲れているようで、早くも眠いです。

明日は大工さんが一日来られますので、のんびり朝寝をすることも出来ませんから、今夜はさっさと寝ます。

 母からは電話がありませんでした。

もう9時前ですから今夜はもう電話は掛かって来ないと思います。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

人生の「黄金期」は〇〇に訪れる

 

人生百年時代では
後半の生き方が大切です。
特に60代は収穫期、
70代は黄金期ですから

━━━━━━━━━━
五木寛之(作家)
『致知』2023年4月号特集「人生の四季をどう生きるか」より
━━━━━━━━━━

本日、明日と全国各紙に
広告を出稿しています!

『致知』はおかげさまで
今年9月で創刊45周年迎えます。

その感謝の思いを込めて、
新聞広告には、『致知』
応援してくださっている
著名人の方からの
お言葉をずらっと掲載しました。

ぜひご覧ください。


いつの時代でも仕事にも人生にも
真剣に取り組んでいる人はいる。
そういう人たちの心の糧になる雑誌を創ろう。

――『致知』の創刊理念です。

→『致知』とは?

━━━━━━━━━━

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝はびっくり!

2023年03月05日 22時21分22秒 | 介護

 今朝は本当にびっくりしました

母の部屋に行くと母のパジャマは見えましたが、母がいない

母が逃亡した

一瞬、頭の中が真っ白。

何が起こっているのかわかりませんでした。

ポータブルトイレの場所も動いていますし、物は散乱。

流し台に掛けていたはずのタオルも濡れた状態で廊下に落ちていました。

(これは後で気が付いたことですが)

一体何事が起こったのかと見回すと、頭が反対になって落ちかけている母と目が合いました

お布団もかけておらず

とにかく、頭を戻し、お布団をかけました。

話を聞きましたが、何を言っているのかなかなか把握出来ませんでしたが、その後、来て下さったヘルパーさんと2人で聞き取り調査。

そして、ヘルパーさんが帰られた後、食事をしながら再びゆっくり話を聞きました。

 夜中の1時半、入れ歯を外していないのに気が付いて、何と暗い中を(お台所の豆電球とセンサーで廊下のライトが付くようにはなっていますが)お台所の流し台まで行き、お水を汲んで戻ろうとしてテレビの前でこぼし、又戻ってタオルを取って来てそこを拭いて戻る途中に廊下でタオルを落としたか置いて、何とかベッドに戻ったものの、そのまま反対に倒れこんだようです

何て危ないことをするの

真っ暗の中、転んだらどうするの

どうして私を呼ばなかったの

と、ギャンギャンと私が怒ったものですから、私には多分初めてしおらしく「ごめんなさい」と言ったものの、ヘルパーさんには「来てくれなかったら追い出されるところだった」と言っていました

何ですって~~~

どうしたらそういう思考回路になるの

・・・と思いましたが、こんな危ないことをするなら私一人では面倒見切れないと言ったせいです。

母の協力がないと無理だと。

ヘルパーさんはこんな経験を度々なさったことがあるそうです。

全く動けない車椅子の人が夜中に立ち上がり歩いてトイレに行こうとして転倒したとか、いろいろと。

皆、自分では出来ると思っているそうで。

(でも、大抵、そういう場合、車椅子ですが訓練をしていればまだ歩ける人達だったようです)

母はこの2日間、又、「人」が見えるようです。

昨日は男の子が右にいると言っていました。

この男の子のことは以前も言ったことがあります。

今日は前方や背後に女の人がいるとも言っていました。

以前、臨床心理士のKちゃんに聞いたら(ドクターだったかな)、お迎え現象ははっきりお迎えだとわかるそうです。

ですから、母の場合は幻覚

幻覚はパーキンソン病独特の症状だとヘルパーさんが言われていました。

もしかしたら、母が流産した男の子かなと私は思ったりしていました。

その子なら「ミカエル純一郎」と勝手に私は名前を付けて呼んでいます。

ずっと以前に霊視能力のある人にその男の子が私を守っていてくれていると聞きましたので名前を付けたのです。

(本当かどうかはわかりません)

女性の顔には母は覚えはないそうです。

あー、それにして、何事もなくて本当に良かったです。

母は4回コールを鳴らしたと言いました。

母が家に居る時には物音でも目が覚めますのでまさかと思いましたが、調べてみるとライトと音で4つのボタンに分かれているのですが、その両方の「切」と「入」がすぐそばで見分けが付かないくらいの位置にあり「切」になっていました

昨夜の入れ歯、私はすっかりチェックを忘れていました。

いつも自分ですぐに外すので、その後私がお水を入れたり洗浄剤を入れたりするのですが・・・。

結局は97歳の母が悪いのではなく、完全に私の落ち度でした。

まだしっかりしていますし、安心していた部分もあります。

母を叱るどころではありませんでした

今は大いに反省

 

 

 

 

  母はその後しっかり朝食も食べ、風邪を引いていないか心配しましたが大丈夫でした。

お昼まで、お台所でTVを観たり、新聞を読んだり、それを畳んだりして(おしめを置いてまるめて捨てる為です)元気に過ごしました。

おやつも昼食も食べた後、急にしんどくなってベッドへ。

これはいつものパターンです。

2時頃からはベッドで過ごしました。

 

 

 

 

 

 お天気は今日も晴れていい気持ちでした。

でも、家の中の北側はやはりまだ少し寒かったです。

 

 

 

 

 

 今朝の果物

当分、このパターンになりそうです。

母は朝食後、今、お気に入りの「味ごのみ」2袋とふっくら豆餅を食べました。

ちなみに朝食は普通に、私以上に食べました。

今朝はおもらしで、ラバーシーツまで洗いましたが、お天気がいいのですぐに気持ちよく乾きました。

畑に咲くこの太めの菜の花がとても好きです

 

 

 

 

ヒマラヤユキノシタもまだまだ下から蕾が出てきています。

牡丹

クリスマスローズも沢山花が咲いています。

 

 

 

 

 

 夜8時半からのヘルパーさんが来られると1週間が終わったという気がします。

1週間が経つのが本当に早いです。

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

〝仕事を愛する〟稲盛和夫氏の生き方

 

「自分の製品を抱きしめたい」――。
私は、製品開発にあたって、
いつもそう思っていました。
自分の仕事、自分の製品に対し、それくらいの
愛情を注がなければ、いい仕事など
できないのではないでしょうか

━━━━━━━━━━
稲盛和夫(京セラ名誉会長)
『稲盛和夫一日一言』より
━━━━━━━━━━

「本書は、私から読者諸兄への
 エネルギー転移の書である」

稲盛和夫氏の生前、
弊社から最後の出版となったのが
『稲盛和夫一日一言』。
そのまえがきには
このように記されています。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まったり

2023年03月04日 20時20分50秒 | 介護

 今日はちょっと睡眠不足気味で眠かったです。

今日こそは早く寝ようと思っていますが、どうなることやら。

そう言えば、春は元々眠くなりやすいのですね。

「春眠暁を覚えず」と言う位ですから。

 

 

 

 

 今朝の果物

 

 

 

 母が「目刺しが食べたい」と言いましたので大急ぎでお買い物に行きました。

(立ち上がって転んだらと思うとハラハラドキドキ

「固いけど大丈夫なの」と聞きましたら、「一日1本ずつ食べたらいい」と言いました。

スーパーで目刺しの前でしばし佇み考えました。

隣にはししゃも。

母はししゃもが好きなので、ししゃもと間違えたのではないかと思いました。

考えた末、両方買って帰りました~

昨日母が食べたかったような気がしたおはぎも。

 

 

 今日はそよそよと風が吹いていて風が少し肌に冷たい気がしましたが、陽射しの下では暖か~い。

母はベッド脇に座り、私は母の部屋の窓辺に腰かけて、2人して焼き芋を半分こして食べました。

暖かいので、ここでしばし久々の読書。

母は新聞を読んでいました。

まったりとお昼前の1時間ほどをこうして過ごしました。

 

 

 午後からは看護師さんが来て下さいました。

夕方はヘルパーさん。

寡黙な男性ヘルパーさんが「一日便が出ていないですね。ギリシャヨーグルトを食べておられるのですか 私もまねて食べるようにしています。」と言われました。

「はい。最近は小岩井ですが、母にはギリシャヨーグルトがいいようです。]

後で、「あれ なぜわかったのかな」と思いました。

ごみ袋に空きパックを入れていたからかな、朝食時にヨーグルトのパックを出していたからかなと思いましたが、考えたら「介護ノート」に書いていたのでした。

彼は必ず前回まで遡ってノートを読まれますので。

今日は我が家のお野菜を袋いっぱい持って帰って頂きました。

看護師さんにも差し上げたのですが、結構、収穫出来ますので、食べ切れません。

かたくなってしまわないうちに食べて頂くことにしています。

 

 

 

 

 今日の母の調子はいまいちでしたが、少しまったりと過ごすことが出来ました。

夕方からは揺れが激しいです。

朝から咳も。

お熱はありません。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

人生百年時代をどう生きるか

 

花はいろいろあって、
成功という花もあれば、失敗という花もある。
失敗して落ち込むのではなく、
その失敗から学んで自分の糧にしていけば、
それも一つの立派な花だと思います

━━━━━━━━━━
境野勝悟(東洋思想家)
『致知』2023年4月号特集
「人生の四季をどう生きるか」より
━━━━━━━━━━

共に昭和7年生まれ、
卒寿を迎えられた
五木寛之先生と、
境野勝悟先生。

五木先生の作品を
デビュー時から愛読してきたという
境野先生の要望で、
お二人の貴重な初対談が実現しました。

「70歳からは人生の黄金期」
「縁ある人を喜ばせたい」

等々、共に90年の年輪を重ねてきた
お二人の言葉、
そして悟りにも通じる心境は圧巻。

まさしく人生百年時代を
生きる知恵と勇気に満ちています。

貴重なお写真とともに
こちらから一部記事を紹介しています

     ↓ ↓ ↓

【対談/「人生百年時代をどう生きるか」】
 ◇記事はこちらから

━━━━━━━━━━

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」 

 

≪心で見る心を養う≫


〝いけばなの根源〟である
華道の家元・池坊。


最新号では、45世を継がれた
池坊専永さんにご登場いただきました。

560年にわたる伝統の「技」と「心」を、
伝え続ける池坊さんに、
華道一筋の人生で掴まれたものを
心を込めて語っていただきました。


取材の様子はこちら
─────────────────


これまでの話とも重なりますが、
いけばなは売ることも買うこともできませんし、
後世へ残すこともできません。

それでも560年間連綿と続いてきたのは
〝人間の道〟だから。

その道を今後も伝承していくためには、
やはり師の心を学び、掴むことです。


──その〝心〟とは何か、どのようにお考えですか。


心とは何か……それは言葉では表しがたく、
また1日や2日で掴めるものでもありません。

10年20年と師の傍に仕え、また花を見続ける中で
だんだんと各々の心の内に悟りのように
見つかるものなのでしょう。

いけばなは単なる知識、技術の勉強ではなく、
師の言葉や所作から師の生き方そのものを学ぶものです。


先生を通してその先生が辿ってきた道、
さらにその先生の先生……
と先祖から流れてきた〝生きる道〟を
学ぶことに意味があります。

これはどんなに技術が進歩したとしても
機械や他の動物には不可能な、
人間だけに与えられた道なのです。


──その道を受け継ぐために
  大切なことは何でしょうか?


辛抱、忍耐です。私の場合は特に、
明日への希望を抱き続けることで、
いけばなの心とは何かを自問自答してきました。

伝統とはただ形を受け継ぐだけではなく、
その中に流れる心を生かしてこそ輝きを放つと信じて、
ひたすら耐え忍んできたのです。

 

 

 

 

 

 

昨日、忘れていました

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)


バラ十字会日本本部AMORC


【字のない葉書】文芸作品を神秘学的に読み解く37


【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1025801&c=3304&d=ed84

こんにちは。バラ十字会の本庄です。


━…………………━

下記の公式ブログでお読みくださると、今回話題になる本に関連する写真や著者の肖像画を見ることができます(下記のリンクをクリックしてください)。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1025802&c=3304&d=ed84

━…………………━


今日は桃の節句ですね。東京には一昨日、春一番が吹きました。

昨日も夜に強い風が続き、春の嵐という言葉がぴったりです。


そちらはいかがでしょうか。



札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人から、向田邦子さんの小説についての文章が届きましたので、ご紹介します。

▽ ▽ ▽

『字のない葉書』

向田邦子著



文芸作品を神秘学的に読み解く37

森和久



終戦の年、「私」の下の妹が小学校1年生の時、東京にも空襲があり、上の妹に続き、下の妹も疎開することになりました。


父は自分宛の宛名だけを書いた葉書の束を下の妹に持たせ、元気な日はマルを書いて、毎日一枚ずつ出すようにと言いつけました。下の妹はまだ字が書けなかったのです。


最初に届いた葉書こそ赤く大きなマルが書いてありましたが、次の日からマルは小さくなっていき、遂にはバツになり、まもなく葉書さえ届かなくなりました。



そんな下の妹を不憫に思ったのでしょう、三月目に母が迎えに行きました。


病を患った下の妹が夜遅く帰ってきた日、

「茶の間に座っていた父は、はだしで表へ飛び出した。防火用水桶の前で、やせた妹の肩を抱き、声を上げて泣いた。私は父が、大人の男が声を立てて泣くのを初めて見た。」



読者は感激し、感動すらすることでしょう。


この作品は、短編ながら、2部構成になっており、上に述べた部分は、後半部分の内容です。



前半部には、父の暴君ぶりと「私」との関係性が述べられています


父からの罵声や暴力は日常のことであったとしながら、13歳で一人暮らしをはじめた「私」へのたびたびの手紙は「非の打ち所のない父親」のものだったと紹介し、この手紙の中だけに優しい父がいたと「私」は心情を述べます。


しかしながら、「私」はこの手紙の束をしばらく保存していたが、紛失してしまったといいます。



作者は前半部と後半部でことごとく対比する事柄を列挙します。

神秘学的に言えば、「二元性」に通じるでしょう。


父が「私」に出した手紙と下の妹に託した宛名だけの葉書もそうですし、普段は厳格で横暴な父とその父が泣いたというエピソードもその一つです。



いかに暴君であろうとも人間の心を持っている、人間性を失っていない、ということが分かり、「鬼の目にも涙」ということわざ通りの振る舞いです。


このようなことをテーマにした小説や映画、ドラマなども少なからず目にします。

しかし、ことはそれでいいのでしょうか?

それが最も大切なことなのでしょうか?


そのことがあっても父は反省したわけでも悔い改めたわけでもありません。



まず、「字のない葉書」という出来事から30年という時が経っていることを踏まえてみる必要があります。


前半の終盤には「私」への手紙についてこうあります、

「しばらく保存していたのだが、いつとはなしにどこかへいってしまった。父は六十四歳でなくなったから、この手紙のあと、かれこれ三十年付き合ったことになるが、優しい父の姿を見せたのは、この手紙の中だけである。」



それに対して「字のない葉書」については、作品の最後でこう述べられています、

「あれから三十一年。父はなくなり、妹も当時の父に近い年になった。だが、あの字のないはがきは、だれがどこにしまったのかそれともなくなったのか、私は一度も見ていない。」


この文章があるためにこの作品は一筋縄ではいかないものとなっています。

「私」の複雑な心情が読み取れます。



「私」への手紙をしばらく保存していたのは、きっと大切に思っていたからでしょう。


しかし、本文に「この手紙もなつかしいが、最も心に残るものをといわれれば、父があて名を書き、妹が「文面」を書いた、あのはがき」とあるように「字のない葉書」がより心に残っているわけです。



ところが「私は一度も見ていない」のです。これからも目にすることはないのでしょう。


もう一度、本文最後を見てみましょう、

「~だが、あの字のないはがきは、だれがどこにしまったのかそれともなくなったのか、私は一度も見ていない。」となっています。


自分が受け取った手紙も30年以上経てば無くしてしまっているわけですが、下の妹の葉書は〈だが〉という逆説の接続詞を使い述べられています。


「だから」とか「そのため」といった順接の表現が当たり前なはずですが、「私」にとっては「葉書」の方は大切に保管されていて当たり前なのです。



さらに行間を読んでみると、「私」は父を受け入れているのでしょう。

おそらく父の中に「私」は自分を見いだしていたのだと思います。


父の性質が自分の中に受け継がれているので、父を肯定することで、自己肯定しているのではないでしょうか。


ですから、唯一「非の打ち所のない父親」として自分と向き合ってくれた手紙よりも、唯一父親として、人間として〈優しさ〉ゆえに泣いた証である葉書が消失してしまっているのは納得できないし、そもそも「私」ではなく下の妹に対しての行いというのも得心できていないのでしょう。


なんと言ってもあれから一度も見ていないのですから。



この「私」の性質の二面性を入れ込むことにより、作品としてより深みを増す効果にもなっています。


つまり、人間の情緒や言動はつじつまが合っていそうで、合わないのが当たり前なのかも知れません。

完璧な人間などいないのですから。

△ △ △


再び本庄です。



この文章をきっかけに、『字のないはがき』を再読してみました。

話題になっていたこの「だが、」には、とても複雑な思いが込められいるように感じました。


それは、うまく説明できないのですが、永遠であるものとそうでないものの対比というような思いです。

これもまた二元性でしょうか。


いえ、私の思い違いかも知れません。



下記は森さんの前回の文章です。


記事:『鮨』-岡本かの子(著)

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1025803&c=3304&d=ed84



では、今日はこのあたりで。

また、お付き合いください(^^)/~


◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

■編集後記

板橋で、河津桜が満開です

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1025804&c=3304&d=ed84

◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽しいひな祭り♪

2023年03月03日 23時23分55秒 | 国際交流

 ひな祭りの今日は快晴で暖かい一日でした。

岡山ではひと月遅れの4月3日にお祝いすることが多かったのですが、最近では段々と3月3日にお祝いすることが多くなったようです。

 

 

 

 

 今朝の果物

今日で🍓いちごが終わりましたので、又、明日から少し淋しくなるかも。

 

 

 思い立ってお寿司を作ることにしました。

でも、何も具材がない

そこで、有り合わせの洋風寿司に。

それと白和え。

 

このお寿司、「さっぱり寿司」とある方が

今日のブログのタイトルにしようかと思いました。

「お雛のさっぱり寿司」とか

 

 

そんな話をしながら、「そうだわ。Rちゃんに食べさせてあげよう」と思い、今日の彼女の勤務状況がわかりませんでしたがラインをしました。

仕事の行きでも帰りでも寄ってねと。

しばらくして後、今日はお休みだったので(夜勤明けかな)寝ていたということと、「4時から会議があるからその前に行きます」と返事がきました。

そして、まだ看護師さんがおられる時間でしたので、2時半頃だったでしょうか。

やって来ました。

ご飯を食べて来たというので、「なぜ食べて来たの~

そして、「会議が終わったら又、来ます」ということで、おやつタイムにしました。

今日は3時半から英語を予約していましたので、少し一緒に参加。

北マケドニアの先生も大歓迎して下さいました。

そして、お話はガールズトークになりました。

Rちゃんは英語が出来ないので(使うことがないから忘れている)、私が通訳して、お話しました。

話はRちゃんのBFのお話へ

Rちゃん、先生からのアドバイスに力をもらったようでした。

「私も英語を習いたい」と言いながら会議へ行きました。

 英語が終わったら、次はリハ。

その間、私は外に出てお洗濯物を取り込んだり、草抜きやらお水遣りをしました。

ぽかぽか暖かくて気持ちが良かった~

 

 

 

 

 

 

 5時半頃、会議を終えてRちゃんが再び来ました。

「お母さん、英語、すごーい Rは負けた」

仕事や日本語の取得で忙しいとは思うけれども、英語は絶対にお勉強しておくように言いました。

そして、お夕食。

 

食後のデザート

Rちゃんがセッティングしてくれました。

この時(リハ後から)、母は「1時間寝る」と言って寝ていました。

私達が食べ終わった後、ちょうど母が目を覚ましました。

Rちゃんが「起きますか ご飯、食べますか」と聞いて、母を起こし食卓まで連れて行ってくれてエプロンもかけてくれました。

その手際の良さ。

流石にプロ

Rちゃんは途中、警察が来たりしましたので、早めに帰ることにしました。

Rちゃんのお陰で、とっても楽しいひな祭りになりました。

お婿ちゃんからももちろん「Happy girl's festival」とメッセージが来ました。

母もしっかり「美味しい」と言って食べてくれて、今日もとってもハッピーな一日となりました。

感謝

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

「鮎川義介」という人をご存じですか?

 

己を空(むな)しうすることが、
人の幾代かを要すると思われる大事業も
よく一代で成し遂げられる

━━━━━━━━━━
鮎川義介(日産コンツェルン創業者)
『致知』2023年4月号特集
「人生の四季をどう生きるか」より
━━━━━━━━━━

◇最新号pickup記事のご紹介◇

「無私奉公――。
 義介の生き方をひと言で表現するならば、
 この四字に尽きると思います」

鮎川義介の義娘で
その精神を受け継ぐ鮎川雅子さんは
そのように語られています。

昭和初期、日本産業を中心に、
日産自動車、日立製作所、
など141社を立ち上げ、
10万人の株主から資本を集め、
12万人の従業員を雇用し、
三井や三菱を抜いて
当時最大の民主的コンツェルンを形成。

日本のために必死になって働き抜いた
人生を送ったという
鮎川義介の生き方に迫ります。

【記事全文は最新号で!】

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)


バラ十字会日本本部AMORC


【字のない葉書】文芸作品を神秘学的に読み解く37


【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1025801&c=3304&d=ed84

 

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。


━…………………━

下記の公式ブログでお読みくださると、今回話題になる本に関連する写真や著者の肖像画を見ることができます(下記のリンクをクリックしてください)。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1025802&c=3304&d=ed84

━…………………━


今日は桃の節句ですね。東京には一昨日、春一番が吹きました。

昨日も夜に強い風が続き、春の嵐という言葉がぴったりです。


そちらはいかがでしょうか。



札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人から、向田邦子さんの小説についての文章が届きましたので、ご紹介します。

▽ ▽ ▽

『字のない葉書』

向田邦子著



文芸作品を神秘学的に読み解く37

森和久



終戦の年、「私」の下の妹が小学校1年生の時、東京にも空襲があり、上の妹に続き、下の妹も疎開することになりました。


父は自分宛の宛名だけを書いた葉書の束を下の妹に持たせ、元気な日はマルを書いて、毎日一枚ずつ出すようにと言いつけました。下の妹はまだ字が書けなかったのです。


最初に届いた葉書こそ赤く大きなマルが書いてありましたが、次の日からマルは小さくなっていき、遂にはバツになり、まもなく葉書さえ届かなくなりました。



そんな下の妹を不憫に思ったのでしょう、三月目に母が迎えに行きました。


病を患った下の妹が夜遅く帰ってきた日、

「茶の間に座っていた父は、はだしで表へ飛び出した。防火用水桶の前で、やせた妹の肩を抱き、声を上げて泣いた。私は父が、大人の男が声を立てて泣くのを初めて見た。」



読者は感激し、感動すらすることでしょう。


この作品は、短編ながら、2部構成になっており、上に述べた部分は、後半部分の内容です。



前半部には、父の暴君ぶりと「私」との関係性が述べられています


父からの罵声や暴力は日常のことであったとしながら、13歳で一人暮らしをはじめた「私」へのたびたびの手紙は「非の打ち所のない父親」のものだったと紹介し、この手紙の中だけに優しい父がいたと「私」は心情を述べます。


しかしながら、「私」はこの手紙の束をしばらく保存していたが、紛失してしまったといいます。



作者は前半部と後半部でことごとく対比する事柄を列挙します。

神秘学的に言えば、「二元性」に通じるでしょう。


父が「私」に出した手紙と下の妹に託した宛名だけの葉書もそうですし、普段は厳格で横暴な父とその父が泣いたというエピソードもその一つです。



いかに暴君であろうとも人間の心を持っている、人間性を失っていない、ということが分かり、「鬼の目にも涙」ということわざ通りの振る舞いです。


このようなことをテーマにした小説や映画、ドラマなども少なからず目にします。

しかし、ことはそれでいいのでしょうか?

それが最も大切なことなのでしょうか?


そのことがあっても父は反省したわけでも悔い改めたわけでもありません。



まず、「字のない葉書」という出来事から30年という時が経っていることを踏まえてみる必要があります。


前半の終盤には「私」への手紙についてこうあります、

「しばらく保存していたのだが、いつとはなしにどこかへいってしまった。父は六十四歳でなくなったから、この手紙のあと、かれこれ三十年付き合ったことになるが、優しい父の姿を見せたのは、この手紙の中だけである。」



それに対して「字のない葉書」については、作品の最後でこう述べられています、

「あれから三十一年。父はなくなり、妹も当時の父に近い年になった。だが、あの字のないはがきは、だれがどこにしまったのかそれともなくなったのか、私は一度も見ていない。」


この文章があるためにこの作品は一筋縄ではいかないものとなっています。

「私」の複雑な心情が読み取れます。



「私」への手紙をしばらく保存していたのは、きっと大切に思っていたからでしょう。


しかし、本文に「この手紙もなつかしいが、最も心に残るものをといわれれば、父があて名を書き、妹が「文面」を書いた、あのはがき」とあるように「字のない葉書」がより心に残っているわけです。



ところが「私は一度も見ていない」のです。これからも目にすることはないのでしょう。


もう一度、本文最後を見てみましょう、

「~だが、あの字のないはがきは、だれがどこにしまったのかそれともなくなったのか、私は一度も見ていない。」となっています。


自分が受け取った手紙も30年以上経てば無くしてしまっているわけですが、下の妹の葉書は〈だが〉という逆説の接続詞を使い述べられています。


「だから」とか「そのため」といった順接の表現が当たり前なはずですが、「私」にとっては「葉書」の方は大切に保管されていて当たり前なのです。



さらに行間を読んでみると、「私」は父を受け入れているのでしょう。

おそらく父の中に「私」は自分を見いだしていたのだと思います。


父の性質が自分の中に受け継がれているので、父を肯定することで、自己肯定しているのではないでしょうか。


ですから、唯一「非の打ち所のない父親」として自分と向き合ってくれた手紙よりも、唯一父親として、人間として〈優しさ〉ゆえに泣いた証である葉書が消失してしまっているのは納得できないし、そもそも「私」ではなく下の妹に対しての行いというのも得心できていないのでしょう。


なんと言ってもあれから一度も見ていないのですから。



この「私」の性質の二面性を入れ込むことにより、作品としてより深みを増す効果にもなっています。


つまり、人間の情緒や言動はつじつまが合っていそうで、合わないのが当たり前なのかも知れません。

完璧な人間などいないのですから。

△ △ △


再び本庄です。



この文章をきっかけに、『字のないはがき』を再読してみました。

話題になっていたこの「だが、」には、とても複雑な思いが込められいるように感じました。


それは、うまく説明できないのですが、永遠であるものとそうでないものの対比というような思いです。

これもまた二元性でしょうか。


いえ、私の思い違いかも知れません。



下記は森さんの前回の文章です。


記事:『鮨』-岡本かの子(著)

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1025803&c=3304&d=ed84



では、今日はこのあたりで。

また、お付き合いください(^^)/~


◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

■編集後記

板橋で、河津桜が満開です

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1025804&c=3304&d=ed84

◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父の命日&「金星」と「木星」が大接近

2023年03月02日 23時25分40秒 | 家族

 今日の最高気温は11℃で、昨日よりはかなり気温が低かったのですが、強風の為余計に寒く感じられました。

今日、倉敷の街を歩いたら寒かったでしょうし、フルーツサンドをお庭で食べたりは出来なかったと思います。

 今朝の果物

 午前中は2時間ほどカウンセリング学び、午後から整体経由ゆうちょへ。

ゆうちょから帰ろうとしたところ、母から電話があり、「もう家に着いた」とこのことで、慌てました。

ここのショートはいつも早目ですが、道が混んでいなかったのか更に早くてびっくり

「2分で帰るから」と言い、慌てて帰りました。

 母の調子は好調でした。

帰って、バナナをサンドしたレーズンパンとコーヒー、味ごのみを食べました。

 その後、往診でも好調。

頭痛は「今日は痛くない、気候かな」と。

でも、背中は赤くなっていて、痒がっていましたのでお薬が出ました。

頭痛は様子を見ることになりました。

 夕食も完食。

お味噌汁もちゃんと飲んでくれました。

 でも、その後、元気が良過ぎた反動で、しんどくなってきましたので急いでベッドに連れて行きました。

しばらく痒がっていましたが、今日は早めに寝ました。

 体重は又1kg近く増えて37.1kgになっていました

 今日は父の命日。

あれから何年経ったのだろうと思い、お葬式の時に配ったカードを見ると2002年。

(いつも手帳に挟んでいます)

母が言っていた通り21年。

享年84歳。

「足守の川に映れる夕月にマリア灯籠かたぶきにけり」

父はずっと俳句をしていましたが、この短歌をなぜか選びました。

臨終洗礼で、霊名は孫が付けた「ペトロ・フランチェスコ」

つい先日のようでもあるのに、父のいない年月をもう21年間も過ごしたなんて。

いつも動き回っていた父が動きつつもすぐに横になるようになり、おかしいなと思ってかかりつけのドクターにレントゲンを撮ってほしいと願いしましたが、夏に撮ったからとか、うつ病だからとか言われてなかなか撮ってくれませんでした。

再度お願いしたところ、即、総合病院を紹介されて、父は自分の車で病院へ。

そして、その車で家に帰ってくることはありませんでした。

すでにガンが肺全体に広がって白くなっていました。

2週間くらいだったでしょうか。

あっと言う間でした。

当時ホスピスに勤務していたのにもう動かすことも出来ず、ホスピスの恩恵を受けさせてあげることが出来ませんでした。

動揺していた私に院長が「これがお父さんの寿命だ」と言われた言葉。

妙に納得出来ました。

親戚が次々と来ては帰った日、娘の高校卒業式のだった日。

その朝、母は準備の為に家に帰りました。

私は病室で昏睡状態の父と2人きりの時間を過ごしました。

今までのことをずっと父に話し、心から感謝していることを伝えました。

そして、「出来ることならもう1度だけ目を開けて」

夜の10時過ぎ、私達家族だけになった30分間がありました。

その時、父は「愛しているよ。ありがとう」と皆が声をかける中、意識を回復し「うんうん」と頷いて息を引き取りました。

父は私の願いに応えてくれたのです。

四季が巡る度いろいろな思い出が込み上げて泣いていました。

もう泣くことはないと思っていましたが、やはり思い出すとうるうるするものですね。

天国でも人のお世話を忙しくしているかな。

 今夜は日の入り後の西の空で「金星」と「木星」が大接近するとニュースで言いましたので、写真を撮りに2階に上がりました。

「月1個分が間に挟まる程度の大接近」だそうです。

窓を開けると目の前に「金星」と「木星」がこんなにも近くなっていてびっくりしました。

19時03分の写真です。

★致知一日一言  【今日の言葉】

最新号の表紙は、いま話題の羽生善治さんです!

棋士にとって一番大切な課題は、
負けた時にどう気持ちを切り替えられるか。
結果は人のせいにはできないし、
自分が選んだ手は完全に自分の責任なんです

━━━━━━━━━━
羽生善治(将棋棋士)
『致知』2023年4月号特集
「人生の四季をどう生きるか」より
━━━━━━━━━━

『致知』4月号
特集「人生の四季をどう生きるか」が
発刊されました!

表紙を飾っていただいたのは、
将棋界において前人未到の7冠や
通算1500勝を達成し、
目下、通算タイトル百期をかけて
藤井聡太王将との第72期王将戦に
挑む羽生善治氏。

30年来の知己である
世界的指揮者の小林研一郎氏と
ご対談をいただきました

ぜひ、最新号でご覧ください!

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする