今日は暑かったです&母曰く「何にもしとるようにないけれど」

2022年06月17日 23時02分00秒 | 介護

 昨夜、ベッドに入って寝かけたところ0時51分、地震がありました。

短い時間でしたが、結構揺れたと思いましたけれど、岡山は震度2だったようです。

香川は震度3でしたので、岡山市と言っても広く北の端に行くよりは香川の方が近いので震度3位あった気がします。

 今日は暑いと思ったら、最高気温が32.4℃、最低気温が19.2℃(明日は21℃予報)。

今年初めて、お素麺を食べ、寒がりの母が「暑い」と言いましたので、エアコンも初めて入れました。

 

 

 

 今朝は7時前まではこのように曇っていました。

教会のお花

  

 

 

 

アナベルが折れたままになっていましたので持って帰ることにしました。

今朝は少し靄っていました。

 

 

 

久々に見た親子さん。

お母様、お元気そうです

 

椿の実と実がはじけたあとの殻

 

今朝の収穫

 

 

今朝の果物

 

 7時くらいまでは曇っていましたが、その後は快晴。

暑くなりました。

今日は7時にヘルパーさん。

この方はヘルパーステーションのオーナーの男性ですが、本当にテキパキなさって、いろいろとアドバイスも下さるので本当に助かります。

母は午前中はベッドで過ごしました。

食事もベッドで。

お昼までは介助しないとなかなか食べられないような状態でした。

それでも、朝食はワンプレートを完食。

お昼は今年初めてお素麺を茹でました。

ダシだけでは栄養がないので、お味噌汁の中に入れて食べるようにしました。

母には短くカット。

お素麺は結構食べてくれましたが、他のものは食べませんでした。

1時半から3時まで看護師さんが来て下さいました。

ほっとして、癒される方です

続いて、4時からリハ。

病院からの訪問医療の方は気心が知れているせいか、どなたもほっとします。

5時20分頃帰られたのと入れ替わりにケアマネさんがプランを持って来られました。

そして、6時から薬局。

その間にも電話での打ち合わせとか、昨夜から4回お洗濯。

母がやはりこぼしたり汚したりしますので。

でも、すぐに乾きますので本当に有難いです。

神父様にはシスターもいらっしゃれる明日に来て頂くことにしました。

母はリハの方と食卓に来て座りました。

そして、又、お素麺がいいと言って食べ始め、今度はあれこれ食べました。

母は調子を回復し、自分で食べていました

その間にも私があれこれしているのを見て母が「何にもしとるようにないけれど、忙しそうじゃね」

何もしているようにないですって

母には私が何もしていないように見えるようです。

もう一度尋ねてみましたが、「格別何かをしている風はない」とやはり言っていました~。

食事の支度(カットしたり配慮しています)や洗い物や片付けや家のことだけでもあれこれありますが~

でも、母から見て何もしていないように見えるというのはいいことかもしれません。

もしかして、最高の誉め言葉

・・・と思うことにしました

 夕食後、母がベッドに戻りたいと言いましたので、リハの方にお聞きしたように配慮して何とかベッドへ。

母はベッドサイドに座りました。

その後、私はお花やお野菜のお水遣りとかがありましたので、じっとしておいてくれるか聞くと「絶対に動かない」と言いました。

しかし

(その言葉を信じてはいけない。私も学習能力なし

他の用事を先にして戻ってみると立って何かをするかどこかへ行こうとしていたり(今は足が萎えているので危ないと皆から相当言われているにも関わらず)、別の時にはベッドから身を乗り出して半分落ちていたり

もう本当に懲りない。

次は本当にヤバいかもしれないのに。

頭ではわかっていても、身体が勝手に動くのでしょうか

はぁ~、もう面倒見切れないと思いますが、最後まで母を看ると決めたのは他ならぬ私です。

薬剤師さんが「上手にショートを使って無理をしないように」と言われましたので「かわいそうなのですが・・・」と言いますと「とんでもない。看てあげる為にショートが必要なんですよ」と言われました。

 ケアマネさんはこの度の出来事について、ショート先にどういう風に改善して下さるのか聞いて下さったそうです。

ケアマネさんとしては夏になるしお風呂に2回入れるのはポイントが高いと言われています。

又、病院が閉まっている日曜日にショートに預けるのは安心でもあると。

又、思いがけずリハの方のマッサージがあるので、今日来て下さった訪問リハの方が「今一番大切なことだから、それはとってもいい」と絶賛。

 ドクターを始め皆さんが今回の出来事について母を慰めて下さいました。

悪態をつかれている女性はロングステイだそうでずっといらっしゃるので、ショート先は3階と4階がショート用なので、フロアーを別にすると言われたそうです。

もっと元気な人がいるフロアーに変わるそうですが、母なら気負けすることはないだろうとケアマネさんが言われていました。

母はこれで納得し、又ここへ行くと言っています。

(今のところ)

 

 

 

 母のことで始まり、母のことで今日も終わろうとしています。

何事も起こらず終わることが出来そうで感謝です。

やはりいろいろありますが、目の間で母を確認できるのは安心です。

目が届くと言うのは、大したことは出来ませんが、多分お互いの精神が安定すると思います。

出来れば、ショートを使わないで母を看ることが出来たらと思いますが、一人では限界がありますので、今のパターンが我が家には一番いいのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 昨年の同じような悩み

 昨年の今日の記事

担当者会議(新体制開始)&Celtic Woman - You Raise Me Up

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

若い人と付き合う三原則

 

一、威張らない
一、お説教しない
一、勘定を払う

━━━━━━━━━━
米長邦雄(永世棋聖/日本将棋連盟前会長)
━━━━━━━━━━

本日は、月刊誌『致知』2008年5月号
特集「工夫用力」より、
将棋連盟の会長として
日本の将棋界を長年にわたり
牽引し続けた故・米長邦雄永世棋聖の
貴重なインタビュー記事をご紹介します。

............................

誇るべきものを手放した時
新しいものを得られる

............................


若い人たちと
一緒にやっているうちに、
気づきました。

この局面にきたらこの一手で勝てると
自分では思っているのに、
なぜかうまくいかない。

それは体力や思考力
が落ちたと思っていたが、
そうじゃないんだと。
実は十八番の得意技を持っていたことが、
よくなかったのです。

それで一度自分を白紙
に戻すことにしました。


〝若い人と付き合う三原則〟と
いうのがありましてね、

「威張らない」
「お説教しない」
「勘定を払う」。

そうやって若い人たちの話を聞いて、
研究結果を学んで、同じように勉強したら
「脳ダコ」ができましたよ。

バレーなどでも練習をしすぎると
手にマメとかタコとかできるでしょう。

若手が一日平均六、七時間将棋の研究
をしているというから、
私も同じようにやってみたんです。

プロになってからは研究よりも
実際の対局のほうが多くなり、
対局の後はむしろ将棋から
離れるような生活を送ってきましたから、
四十過ぎて急に勉強を始めたら、
脳みそにもタコができたんですよ。

多分、前頭葉のあたりです。

おかげで四十歳から五十歳ちょっとまで
成長しました。だから名人のタイトルを
取ったのは五十歳の時です。

棋士では珍しいケースです。

やっぱり自分の十八番の戦法を捨てるのは
相当勇気の要ることですが、
その誇るべきものを手放した時、
また新しいものを得られる
のではないかと思います。

 

 

 

 

 


★致知出版社の「ご縁メール」

 

≪日本をつくった「ものすごい」教育方法≫

 

最新号のテーマは、「これでいいのか」。
様々な日本の危機に対して、
今後の指針となる記事をご紹介しています。

対談「日本を甦らせる道」では、
本誌でお馴染みの田口佳史さんと、
哲学者・芳村思風さんにお話しいただきました。

特に注目したいのが、明治維新を経て
日本近代化の基礎となった日本の教育方法です。

現在の学校教育ではほとんど失われつつあるいま、
田口さんが「ものすごい教育方法」であると
お話しされている一部を、本日ご紹介します。


───────────────────

 

【田口】
日本は幕末から明治にかけて、
列強の脅威を見事に克服して近代化を成し遂げました。
なぜそれができたのかというと、
当時はいまの日本にないものが
二つあったからだと私は考えるんです。

一つは素読です。

これがものすごく日本人を一丸たらしめたと思うんです。
当時は素読を通じて6歳までに四書を全部頭に入れていました。
ですから全員が同じ文章を唱和できて、
あぁ同じ国に生まれた者同士だという郷土愛で
強く結ばれていたんです。

この素読は誰が考えたのか分かりませんが、
ものすごい教育方法だと思います。


【芳村】 
素読という教育法は、
ぜひとも取り戻さなければなりませんね。


【田口】
もう一つは、四端教育という規範形成教育です。

まず第一が「惻隠の心」で、困っている人を見て気の毒に思うこと。
次が「羞悪の心」といって、己の不善を恥じ、悪を憎む心。
そして「辞譲の心」、これは譲り合いの心です。
最後が「是非の心」で、人間として是なのか、非なのかを判断する心。

この4つの心を3歳から6歳までの3年間で
徹底的に身につけさせるというのが、かつての日本の教育でした。

四端の端は端緒、芽という意味で、芽がなければ何も育ちません。
当時は子供たちにこの芽をちゃんと植えつけた上で
私塾や藩校へ上げていたわけですから、
その時にはしっかりした素地がもう備わっていたわけですよ。

 

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン

 

バラ十字会日本本部AMORC 

 

【ウイスキーの一升瓶】

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、できれば、下記のリンクをクリックして、写真入りの公式ブログでお楽しみください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M923587&c=3304&d=ed84

━…………………━


この数日、暑くなったり寒くなったりですね。

東京板橋では、ユリ、アジサイ、バラがそこここに咲いています。


いかがお過ごしでしょうか。



山形に住んでいる、お祭りとジャズが三度の飯よりも好きだという私の友人から、お酒の思い出についての寄稿が届きました。

▽ ▽ ▽

記事:『ウイスキーにまつわる話』

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下 勝悦



忘れもしません。

平成7年11月4日のことです。

仕事中に突然の腰痛に襲われました。


若いころからの、いわゆる職業病です。

いつもですと一週間位で治まっていたのですが、そのときは季節の影響もあり快復するのに時間がかかり、酒が飲めない(飲ませてもらえない)状態が3カ月間ほど続きました。



その後、どうにか快復した様だなと思えた一月末の事です。

ちょっとだけならと、正月に頂いたお酒をほんの少しだけ呑んでみました。


すると、何が起こったのでしょうか…?


身体がアルコールを全く受け付けてくれません。


それ以来、完全に酒と縁が切れてしまいました。でも、酒に関した話は今でも大好きです(笑)。


酒にまつわるテレビ番組等を見つけますと必ず見ることにしています(笑)。


今回はそんな私が友人らと酒を飲みまくっていたころの話です。



お酒を飲まれない方々もしばしのお付き合いを。


私が二十代後半の頃だったと記憶しています。

ある時、友人から電話が入りました。


『元気か~?』に始まり、いつの間にか話題は『最近、どんな酒を飲んでる?』に。


そこで私が『サントリーのオールドだよ』と答えました。



すると、『サントリーのオールド? ありゃ高いだろう!!』

『うん、まあまあ高いよ。だから、少しずつ飲んでるよ』。


すると『そうか、ウイスキーだったらトリスにしろよ。俺はトリス一辺倒だよ、TVのコマーシャルでもやってるだろう“安い美味い”って。一度飲んでみろよ。絶対にやみつきになるから!!』


私は思わず『え!?お前さんがトリス』でした。



当時、トリスウイスキーは日本で一番安い酒と言われていました。


実はこの友人、数年前に会社を立ち上げ、その後は持ち前の商才を発揮して破竹の勢いで事業を拡大していたのです。


そこで、ストレートに聞いてみました『お前さんの今の稼ぎだったら舶来のウイスキーだって楽に買えるだろう?』。


すると、

『あ~。スコッチウイスキーとかだったら取引先の業者さんたちからのもらい物がたくさんあるよ、そういったウイスキーは会社関係の仕事で人に会いに行く時にお土産として持っていくんだよ、相手方は思い切り喜んでくれるし、商談もスムーズにはかどるよ』


そりゃ相手の方は大喜びするでしょう(笑)。



そして、会話の最後にだめ押しされました

『お前さんもトリスウイスキーにしろよ。ところで、買うんだったら一升瓶サイズだからね、千円でお釣りがくるよ』。


そのころの私はトリスウイスキーはポケット瓶、普通瓶と有るのは知っていましたが一升瓶サイズがあることは初耳でした。


その日、そうそうになじみの酒屋さんに直行。


酒屋のオヤジさんに『あの~。友人から聞いたんですがトリスの一升瓶ってありますか?』。


するとオヤジさん、ニコニコ顔で『あるよ。これはうまいよ~!!』。



さて、自宅に帰るとすぐに、ど~れ、まずはオンザロックで、そしてほんのちょっと口に含んだ瞬間『辛い~!!!』。


『口から火を吐くような』といった表現がありますが、口と耳の穴からは火柱が、目からは閃光が飛び出しました(笑)。


辛口の酒は苦手ではありませんでしたがトリスの辛さは半端なものではありませんでした。


その時は一升瓶サイズで購入したことを思いっ切り後悔しました。どうしよう、友人に譲ろうかとも思いました。でも覚悟を決めてもう一口。


すると『あれ!?』不思議なことに辛さをあまり感じなくなっていました。


数日後には友人が言った通りに。完全にやみつきになっていました(笑)。


その後は連日の様にトリスの一升瓶をかたわらに立てオンザロックを楽しんでいたのですが……。


夏のある日、ウチのカミさんが『オトーサン。お酒を飲むのは構わないけど、その格好(服装)で一升瓶を脇に立てて飲むのは止めてね!!』。


どんな様子だったのかは皆さんのご想像にお任せします。


個人的には気に入っていたんですがね~(笑)。



トリスの一升瓶はその後に取っ手の付いた形状となり名称もジャンボ・ボトルとなり、長い間販売が続いたのですが、酒税法の改正と同時に姿を消してしまいました。

それでも数年前に形状を変えて復活したのですが、私には昔のデザインが懐かしく思えます。

辛さは昔と変わらないのでしょうか?。

確かめてみたい気持ちはあるんですが。何しろ、今はアルコールを受け付けない身体になっちまったもんですから。



辛口ウイスキーにまつわる話をもう一つ。

平成7年9月の時です。


同業者の会でバス旅行に出かけた時のことです。

出発して間もなくバスは山形県から宮城県に通じる国道48号線に。ここで予想はしていたのですが誰が言うとなく『寄り道していこう!!』。


御存知の方もおられるとは思いますが、国道48号線から脇道に少し入った所にニッカウイスキーの仙台工場があるんです。



もうお分かりですよね。

工場の奥に有る無料試飲コーナーに寄り道していこうということです。


現在の試飲コーナーは工場の敷地に入ってすぐの場所になっています。


内部には売店も併設されており、出来立てのウイスキーはもちろんのこと、ウイスキーの樽をデザインした器に入ったチョコレートやウイスキーボンボン等のお菓子も購入できます。

さらに歴史資料館も兼ねていますので、酒の飲めない人でも楽しめる場所となっています。



さて、それでは話を元に戻しましょう。


当時の試飲コーナーは木の樽に入ったウイスキーをセルフサービスで飲み放題でした。


私が一口呑むのとほぼ同時に廻りから『うわ~辛い~!!』の悲鳴声が。超の字が付くほどの辛口のウイスキーでした。


私は辛口には慣れてますから『大丈夫、大丈夫、二口目からは辛くなくなるよ』皆さん方に声を掛けました。


すると、ちょっと間を置いて『美味い~!!』。


今度はコーナーの担当者に質問が飛び交いました『このウイスキーの銘柄は何ですか?年代物ですか?価格は?此処の売店で購入出来ますか?』。


すると、

『これは貯蔵庫内から無作為に選んだ樽から汲んできたいわば究極のシングルモルトでございます。銘柄も無ければ製品化の予定もごさいません。今日、ここでしか呑めない一品ものでございます。じっくりと味わって下さい』。


ところで、試飲用のグラスがなんとも粋なデザインです。

ちょっと小振りな造りでニッカのロゴマークが入っています。


おそらく販促グッズとして生産された非売品だったと思います。

それでも何とか一個だけでも手に入れられないものかと思い、担当者にそれとなく声を掛けてみました。


『このグラスはここの売店で購入できますか?』


すると『申し訳ございません、このグラスは私どもメーカーのオリジナル製品でございます、特に販売は行っておりません』


予想通りの言葉が返ってきました。

それでも、何とか合法的に譲ってもらえる方法はないものだろうか

あれこれ考えながら、空になったグラスを満杯にすると『それでは皆さん、そろそろ出発しますよ~』の声が。


瞬間、閃きました!!


試飲コーナーの担当者の顔を見ながら『え~!!もう出発だそうです』。


その後の会話の流れは皆さん方のご想像にお任せします(笑)。



ウイスキー造りは蒸留した原酒を樽に詰めて貯蔵庫で寝かせて熟成させるのですが、

その時、年数に応じて僅かずつですが中身が減っていくのだそうです。

つまり蒸発して行くわけです。

その減った分を『天使の分け前』とか『天使の取り分』と呼ぶのだそうです。

それとは別に、樽に染み込んで目減りした分を『悪魔の取り分』と呼ぶのだそうです。



トリスウイスキーの場合、熟成年数はそれほど長くないと聞きました。

ということは、私は天使と悪魔、両者の取り分を横取りさせて頂いていたということに…。


それでは、改めてお二方にお礼申し上げます。

『ごちそうさまでした!!』


△ △ △

ふたたび本庄です。


子供の頃に見たトリスおじさんのCMのことを思い出しました。

トリスおじさん(アンクルトリス)とは、この写真のポケッットビンのラベルに描かれているキャラクターです。


バーのカウンターに座ったトリスおじさんが、ウイスキーを飲むにつれて、顔が下の方から赤くなっていくというCMで、見たのは昭和40年ごろだったように思います。


また、当時、家の食器棚には、トリスおじさんのつまようじ入れがあったことも懐かしく思い出しました。



下記は、山下さんの前回の文章です。


記事:『LPレコードの思い出』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M923588&c=3304&d=ed84



では、今日はこのあたりで

また、お付き合いください(^^)/~


==============
■編集後記
大きなユリの花が咲いています。
https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M923589&c=3304&d=ed84
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4 コメント

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Unknown (かどちん)
2022-06-18 09:33:31
おはようございます🍀最善を尽くして介護されていて、本当にご苦労様です。こんなにみてもらえて、幸せなお母様ですね。
かどちんさんへ (ピエリナ)
2022-06-18 11:31:35
こんにちは、かどちんさん(^^)/

母からの「ありがとう」や感謝されることは望んでいないのですが(そんなことをされると返って心配になります・苦笑)、母が満足してくれたら嬉しいなあとは思います。
でも、なかなか母を満足させるのは私ではとても難しいです。
実際到らないことだらけです

母が今、幸せかどうかと言うと、約100年前の生活に比べたら生活も便利に快適になって、衣食住が足りて幸せだと言うと思いますが、私の介護の仕方には大いに不満があると思います。
それは私もわかっています。

が、よく介護なさっている方と自分を比べても出来ないものは出来ませんので、そこはもう開き直って、自分に出来ること、最低限、家に居させてあげることをがんばって行こうと思っています。
Unknown (かどちん)
2022-06-18 20:51:54
こんばんは。ご丁寧な返信ありがとうございます。自分のことを自分でできなくなっても、できる限り家にいたいのが人情ですから、ピエリナさんは、ほんとによく尽くしておられます。私は家は弟が主体でしたから、ピエリナさんのようには尽くせなかった。施設に預けて、約9年。母にはさんざんお世話になったのに、孫の世話とも重なり、思うようにお世話できなかったのが心残りです。どうぞご自分の健康にもお気をつけて、みてあげてください。
かどちんさんへ (ピエリナ)
2022-06-18 22:15:06
こんばんは、かどちんさん(^^)/

お母様は理解して下さっていらっしゃると思います。

私も孫の誕生と母の介護とが何回か重なったことがあります。
あちらを立てればこちらが立たず
ちょうど重なる時期なのですよね。

今はもう孫も大きくなりました。
私の最後のお勤めですので、皆さんの分も想いを乗せて心を尽くしたいと思います。

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