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昨夜、ベッドに入って寝かけたところ0時51分、地震がありました。
短い時間でしたが、結構揺れたと思いましたけれど、岡山は震度2だったようです。
香川は震度3でしたので、岡山市と言っても広く北の端に行くよりは香川の方が近いので震度3位あった気がします。
今日は暑いと思ったら、最高気温が32.4℃、最低気温が19.2℃(明日は21℃予報)。
今年初めて、お素麺を食べ、寒がりの母が「暑い」と言いましたので、エアコンも初めて入れました。
今朝は7時前まではこのように曇っていました。
教会のお花
アナベルが折れたままになっていましたので持って帰ることにしました。
今朝は少し靄っていました。
久々に見た親子さん。
お母様、お元気そうです
椿の実と実がはじけたあとの殻
今朝の収穫
今朝の果物
7時くらいまでは曇っていましたが、その後は快晴。
暑くなりました。
今日は7時にヘルパーさん。
この方はヘルパーステーションのオーナーの男性ですが、本当にテキパキなさって、いろいろとアドバイスも下さるので本当に助かります。
母は午前中はベッドで過ごしました。
食事もベッドで。
お昼までは介助しないとなかなか食べられないような状態でした。
それでも、朝食はワンプレートを完食。
お昼は今年初めてお素麺を茹でました。
ダシだけでは栄養がないので、お味噌汁の中に入れて食べるようにしました。
母には短くカット。
お素麺は結構食べてくれましたが、他のものは食べませんでした。
1時半から3時まで看護師さんが来て下さいました。
ほっとして、癒される方です
続いて、4時からリハ。
病院からの訪問医療の方は気心が知れているせいか、どなたもほっとします。
5時20分頃帰られたのと入れ替わりにケアマネさんがプランを持って来られました。
そして、6時から薬局。
その間にも電話での打ち合わせとか、昨夜から4回お洗濯。
母がやはりこぼしたり汚したりしますので。
でも、すぐに乾きますので本当に有難いです。
神父様にはシスターもいらっしゃれる明日に来て頂くことにしました。
母はリハの方と食卓に来て座りました。
そして、又、お素麺がいいと言って食べ始め、今度はあれこれ食べました。
母は調子を回復し、自分で食べていました
その間にも私があれこれしているのを見て母が「何にもしとるようにないけれど、忙しそうじゃね」
は
何もしているようにないですって
母には私が何もしていないように見えるようです。
もう一度尋ねてみましたが、「格別何かをしている風はない」とやはり言っていました~。
食事の支度(カットしたり配慮しています)や洗い物や片付けや家のことだけでもあれこれありますが~
でも、母から見て何もしていないように見えるというのはいいことかもしれません。
もしかして、最高の誉め言葉
・・・と思うことにしました
夕食後、母がベッドに戻りたいと言いましたので、リハの方にお聞きしたように配慮して何とかベッドへ。
母はベッドサイドに座りました。
その後、私はお花やお野菜のお水遣りとかがありましたので、じっとしておいてくれるか聞くと「絶対に動かない」と言いました。
しかし
(その言葉を信じてはいけない。私も学習能力なし)
他の用事を先にして戻ってみると立って何かをするかどこかへ行こうとしていたり(今は足が萎えているので危ないと皆から相当言われているにも関わらず)、別の時にはベッドから身を乗り出して半分落ちていたり
もう本当に懲りない。
次は本当にヤバいかもしれないのに。
頭ではわかっていても、身体が勝手に動くのでしょうか
はぁ~、もう面倒見切れないと思いますが、最後まで母を看ると決めたのは他ならぬ私です。
薬剤師さんが「上手にショートを使って無理をしないように」と言われましたので「かわいそうなのですが・・・」と言いますと「とんでもない。看てあげる為にショートが必要なんですよ」と言われました。
ケアマネさんはこの度の出来事について、ショート先にどういう風に改善して下さるのか聞いて下さったそうです。
ケアマネさんとしては夏になるしお風呂に2回入れるのはポイントが高いと言われています。
又、病院が閉まっている日曜日にショートに預けるのは安心でもあると。
又、思いがけずリハの方のマッサージがあるので、今日来て下さった訪問リハの方が「今一番大切なことだから、それはとってもいい」と絶賛。
ドクターを始め皆さんが今回の出来事について母を慰めて下さいました。
悪態をつかれている女性はロングステイだそうでずっといらっしゃるので、ショート先は3階と4階がショート用なので、フロアーを別にすると言われたそうです。
もっと元気な人がいるフロアーに変わるそうですが、母なら気負けすることはないだろうとケアマネさんが言われていました。
母はこれで納得し、又ここへ行くと言っています。
(今のところ)
母のことで始まり、母のことで今日も終わろうとしています。
何事も起こらず終わることが出来そうで感謝です。
やはりいろいろありますが、目の間で母を確認できるのは安心です。
目が届くと言うのは、大したことは出来ませんが、多分お互いの精神が安定すると思います。
出来れば、ショートを使わないで母を看ることが出来たらと思いますが、一人では限界がありますので、今のパターンが我が家には一番いいのでしょう。
昨年の同じような悩み
昨年の今日の記事
担当者会議(新体制開始)&Celtic Woman - You Raise Me Up
★致知一日一言 【今日の言葉】
若い人と付き合う三原則
一、威張らない
一、お説教しない
一、勘定を払う
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米長邦雄(永世棋聖/日本将棋連盟前会長)
━━━━━━━━━━
本日は、月刊誌『致知』2008年5月号
特集「工夫用力」より、
将棋連盟の会長として
日本の将棋界を長年にわたり
牽引し続けた故・米長邦雄永世棋聖の
貴重なインタビュー記事をご紹介します。
............................
誇るべきものを手放した時
新しいものを得られる
............................
若い人たちと
一緒にやっているうちに、
気づきました。
この局面にきたらこの一手で勝てると
自分では思っているのに、
なぜかうまくいかない。
それは体力や思考力
が落ちたと思っていたが、
そうじゃないんだと。
実は十八番の得意技を持っていたことが、
よくなかったのです。
それで一度自分を白紙
に戻すことにしました。
〝若い人と付き合う三原則〟と
いうのがありましてね、
「威張らない」
「お説教しない」
「勘定を払う」。
そうやって若い人たちの話を聞いて、
研究結果を学んで、同じように勉強したら
「脳ダコ」ができましたよ。
バレーなどでも練習をしすぎると
手にマメとかタコとかできるでしょう。
若手が一日平均六、七時間将棋の研究
をしているというから、
私も同じようにやってみたんです。
プロになってからは研究よりも
実際の対局のほうが多くなり、
対局の後はむしろ将棋から
離れるような生活を送ってきましたから、
四十過ぎて急に勉強を始めたら、
脳みそにもタコができたんですよ。
多分、前頭葉のあたりです。
おかげで四十歳から五十歳ちょっとまで
成長しました。だから名人のタイトルを
取ったのは五十歳の時です。
棋士では珍しいケースです。
やっぱり自分の十八番の戦法を捨てるのは
相当勇気の要ることですが、
その誇るべきものを手放した時、
また新しいものを得られる
のではないかと思います。
★致知出版社の「ご縁メール」
≪日本をつくった「ものすごい」教育方法≫
最新号のテーマは、「これでいいのか」。
様々な日本の危機に対して、
今後の指針となる記事をご紹介しています。
対談「日本を甦らせる道」では、
本誌でお馴染みの田口佳史さんと、
哲学者・芳村思風さんにお話しいただきました。
特に注目したいのが、明治維新を経て
日本近代化の基礎となった日本の教育方法です。
現在の学校教育ではほとんど失われつつあるいま、
田口さんが「ものすごい教育方法」であると
お話しされている一部を、本日ご紹介します。
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【田口】
日本は幕末から明治にかけて、
列強の脅威を見事に克服して近代化を成し遂げました。
なぜそれができたのかというと、
当時はいまの日本にないものが
二つあったからだと私は考えるんです。
一つは素読です。
これがものすごく日本人を一丸たらしめたと思うんです。
当時は素読を通じて6歳までに四書を全部頭に入れていました。
ですから全員が同じ文章を唱和できて、
あぁ同じ国に生まれた者同士だという郷土愛で
強く結ばれていたんです。
この素読は誰が考えたのか分かりませんが、
ものすごい教育方法だと思います。
【芳村】
素読という教育法は、
ぜひとも取り戻さなければなりませんね。
【田口】
もう一つは、四端教育という規範形成教育です。
まず第一が「惻隠の心」で、困っている人を見て気の毒に思うこと。
次が「羞悪の心」といって、己の不善を恥じ、悪を憎む心。
そして「辞譲の心」、これは譲り合いの心です。
最後が「是非の心」で、人間として是なのか、非なのかを判断する心。
この4つの心を3歳から6歳までの3年間で
徹底的に身につけさせるというのが、かつての日本の教育でした。
四端の端は端緒、芽という意味で、芽がなければ何も育ちません。
当時は子供たちにこの芽をちゃんと植えつけた上で
私塾や藩校へ上げていたわけですから、
その時にはしっかりした素地がもう備わっていたわけですよ。
★バラ十字会メールマガジン
バラ十字会日本本部AMORC
【ウイスキーの一升瓶】
こんにちは。バラ十字会の本庄です。
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文章を以下に転載していますが、できれば、下記のリンクをクリッ
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この数日、暑くなったり寒くなったりですね。
東京板橋では、ユリ、アジサイ、バラがそこここに咲いています。
いかがお過ごしでしょうか。
山形に住んでいる、お祭りとジャズが三度の飯よりも好きだという
▽ ▽ ▽
記事:『ウイスキーにまつわる話』
バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下 勝悦
忘れもしません。
平成7年11月4日のことです。
仕事中に突然の腰痛に襲われました。
若いころからの、いわゆる職業病です。
いつもですと一週間位で治まっていたのですが、そのときは季節の
その後、どうにか快復した様だなと思えた一月末の事です。
ちょっとだけならと、正月に頂いたお酒をほんの少しだけ呑んでみ
すると、何が起こったのでしょうか…?
身体がアルコールを全く受け付けてくれません。
それ以来、完全に酒と縁が切れてしまいました。でも、酒に関した
酒にまつわるテレビ番組等を見つけますと必ず見ることにしていま
今回はそんな私が友人らと酒を飲みまくっていたころの話です。
お酒を飲まれない方々もしばしのお付き合いを。
私が二十代後半の頃だったと記憶しています。
ある時、友人から電話が入りました。
『元気か~?』に始まり、いつの間にか話題は『最近、どんな酒を
そこで私が『サントリーのオールドだよ』と答えました。
すると、『サントリーのオールド? ありゃ高いだろう!!』
『うん、まあまあ高いよ。だから、少しずつ飲んでるよ』。
すると『そうか、ウイスキーだったらトリスにしろよ。俺はトリス
私は思わず『え!?お前さんがトリス』でした。
当時、トリスウイスキーは日本で一番安い酒と言われていました。
実はこの友人、数年前に会社を立ち上げ、その後は持ち前の商才を
そこで、ストレートに聞いてみました『お前さんの今の稼ぎだった
すると、
『あ~。スコッチウイスキーとかだったら取引先の業者さんたちか
そりゃ相手の方は大喜びするでしょう(笑)。
そして、会話の最後にだめ押しされました
『お前さんもトリスウイスキーにしろよ。ところで、買うんだった
そのころの私はトリスウイスキーはポケット瓶、普通瓶と有るのは
その日、そうそうになじみの酒屋さんに直行。
酒屋のオヤジさんに『あの~。友人から聞いたんですがトリスの一
するとオヤジさん、ニコニコ顔で『あるよ。これはうまいよ~!!
さて、自宅に帰るとすぐに、ど~れ、まずはオンザロックで、そし
『口から火を吐くような』といった表現がありますが、口と耳の穴
辛口の酒は苦手ではありませんでしたがトリスの辛さは半端なもの
その時は一升瓶サイズで購入したことを思いっ切り後悔しました。
すると『あれ!?』不思議なことに辛さをあまり感じなくなってい
数日後には友人が言った通りに。完全にやみつきになっていました
その後は連日の様にトリスの一升瓶をかたわらに立てオンザロック
夏のある日、ウチのカミさんが『オトーサン。お酒を飲むのは構わ
どんな様子だったのかは皆さんのご想像にお任せします。
個人的には気に入っていたんですがね~(笑)。
トリスの一升瓶はその後に取っ手の付いた形状となり名称もジャン
それでも数年前に形状を変えて復活したのですが、私には昔のデザ
辛さは昔と変わらないのでしょうか?。
確かめてみたい気持ちはあるんですが。何しろ、今はアルコールを
辛口ウイスキーにまつわる話をもう一つ。
平成7年9月の時です。
同業者の会でバス旅行に出かけた時のことです。
出発して間もなくバスは山形県から宮城県に通じる国道48号線に
御存知の方もおられるとは思いますが、国道48号線から脇道に少
もうお分かりですよね。
工場の奥に有る無料試飲コーナーに寄り道していこうということで
現在の試飲コーナーは工場の敷地に入ってすぐの場所になっていま
内部には売店も併設されており、出来立てのウイスキーはもちろん
さらに歴史資料館も兼ねていますので、酒の飲めない人でも楽しめ
さて、それでは話を元に戻しましょう。
当時の試飲コーナーは木の樽に入ったウイスキーをセルフサービス
私が一口呑むのとほぼ同時に廻りから『うわ~辛い~!!』の悲鳴
私は辛口には慣れてますから『大丈夫、大丈夫、二口目からは辛く
すると、ちょっと間を置いて『美味い~!!』。
今度はコーナーの担当者に質問が飛び交いました『このウイスキー
すると、
『これは貯蔵庫内から無作為に選んだ樽から汲んできたいわば究極
ところで、試飲用のグラスがなんとも粋なデザインです。
ちょっと小振りな造りでニッカのロゴマークが入っています。
おそらく販促グッズとして生産された非売品だったと思います。
それでも何とか一個だけでも手に入れられないものかと思い、担当
『このグラスはここの売店で購入できますか?』
すると『申し訳ございません、このグラスは私どもメーカーのオリ
予想通りの言葉が返ってきました。
それでも、何とか合法的に譲ってもらえる方法はないものだろうか
あれこれ考えながら、空になったグラスを満杯にすると『それでは
瞬間、閃きました!!
試飲コーナーの担当者の顔を見ながら『え~!!もう出発だそうで
その後の会話の流れは皆さん方のご想像にお任せします(笑)。
ウイスキー造りは蒸留した原酒を樽に詰めて貯蔵庫で寝かせて熟成
その時、年数に応じて僅かずつですが中身が減っていくのだそうで
つまり蒸発して行くわけです。
その減った分を『天使の分け前』とか『天使の取り分』と呼ぶのだ
それとは別に、樽に染み込んで目減りした分を『悪魔の取り分』と
トリスウイスキーの場合、熟成年数はそれほど長くないと聞きまし
ということは、私は天使と悪魔、両者の取り分を横取りさせて頂い
それでは、改めてお二方にお礼申し上げます。
『ごちそうさまでした!!』
△ △ △
ふたたび本庄です。
子供の頃に見たトリスおじさんのCMのことを思い出しました。
トリスおじさん(アンクルトリス)とは、この写真のポケッットビ
バーのカウンターに座ったトリスおじさんが、ウイスキーを飲むに
また、当時、家の食器棚には、トリスおじさんのつまようじ入れが
下記は、山下さんの前回の文章です。
記事:『LPレコードの思い出』
https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M
では、今日はこのあたりで
また、お付き合いください(^^)/~
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■編集後記
大きなユリの花が咲いています。
https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M
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母からの「ありがとう」や感謝されることは望んでいないのですが(そんなことをされると返って心配になります・苦笑)、母が満足してくれたら嬉しいなあとは思います。
でも、なかなか母を満足させるのは私ではとても難しいです。
実際到らないことだらけです
母が今、幸せかどうかと言うと、約100年前の生活に比べたら生活も便利に快適になって、衣食住が足りて幸せだと言うと思いますが、私の介護の仕方には大いに不満があると思います。
それは私もわかっています。
が、よく介護なさっている方と自分を比べても出来ないものは出来ませんので、そこはもう開き直って、自分に出来ること、最低限、家に居させてあげることをがんばって行こうと思っています。
お母様は理解して下さっていらっしゃると思います。
私も孫の誕生と母の介護とが何回か重なったことがあります。
あちらを立てればこちらが立たず
ちょうど重なる時期なのですよね。
今はもう孫も大きくなりました。
私の最後のお勤めですので、皆さんの分も想いを乗せて心を尽くしたいと思います。