三日月ノート

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修道院の生活

2018年07月09日 12時06分45秒 | 宗教
20年ほど前になりますが、カトリックの私は「修道会」に入会することを真剣に考えていました。

修道会には大きく「活動会」と「観想会」とに分けられるのですが、簡単に言うと、前者は学校、病院、社会福祉施設などを経営している修道会で、後者は「トラピスト」(女子はトラピスチヌ)のような外部とは遮断された囲いの中で生活し、祈りと働くことによって神に仕えながら生活する修道会です。

修道会に入会するには、司祭(神父)になるのと同様、それが神からの呼びかけ(召命)であるかを慎重に識別し、入会後も見習い期間を経て、初誓願、10年ほど経って最終誓願となり、ここではじめて一生、修道者として生きることが決まります。
最終誓願まではいつでも退会することができ、それは「挫折」ではなく、別のところにその人の召命があったと考えます。

カトリックの信徒が修道会に入会を考えたとき、まず初めに自分が所属する教会の主任司祭に相談するのが一般的で、司祭との定期的な面談を受けながら、実際に自分が心惹かれる修道会にコンタクトを取って、活動会であれば一緒に活動したり、観想会であれば修道院長と面会を通じて、本当にそこに「呼ばれて」いるかを祈りの中で感じ取っていくのです。

私の場合、最初は活動会だと思い、某修道会で週末に一緒に活動に参加していましたが、いつしか観想会に惹かれるようになり、東京調布深大寺にある「東京女子跣足カルメル会」に通い始めました。

今は修道院も新しく建て直されたようですが、その頃は築30年以上経った古い建物でした。

カルメル会はカトリックの修道会の中でも最も質素で厳しい戒律を持つことで知られる会で、冬でも素足(跣足)で過ごしている会です。

月1回のペースで院長と面談し、その際には、草むしり(この時はまだ中に入れないので塀の中の、建物の外庭)をしたり手作業などをしたりして、会の生活の一部を体験する期間が1年ほど続きました。

そしてある冬の日に、「仮入会」となり、修道院の中に招き入れていただき、生活が始まりました。
結局のところ、あっという間に出てきたのですが、それはその生活が嫌だったわけでも、そこにいたくなかったわけでもなく、ただ単に「ここじゃない」と思ったからでした。

ちなみに建物ですが、昔の広い木造平屋建で、歩くとギシギシ、所々雨漏りする廊下に、壁はしっくいでした。
一人一人に四畳半程度の部屋が割り当てられ、そこには小さな机とベッドがあります。

廊下は慣れないと迷路のようで、皆で集まって手作業をする部屋があったり、中庭には洗濯物を干してあったり。

お風呂は(確か)毎日ではなく、入るときもバケツ1杯の熱湯を浴室に持って行き、それを水で薄めながら身体を洗う感じです。

食事もほぼ自給自足で、食器などもなるべく洗剤を使わずに水の使用も最小限。「清貧」を実践しようとしているのがわかりました。

今でもあの生活に対して憧れはあります。が、神は私に別の生き方を望まれていたようでした。

思い起こせばあの頃は、ボランティアや人のためになる仕事をしたいなどと思っていたはずなのですが、あれから年月が経ち、すっかり人間嫌いになってしまい(笑)、別人のように生きています。

今月22日、お世話になった司祭が指導する祈りの会に参加してきます。
普段はなかなか静かな時間を持てないので、ちょっくら行って、自分の愚かさをじっくり再確認してきます。


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