天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

10629 情の源泉

2019-11-22 08:36:37 | 運命の認識


2019・6・29、愛と情、運命開拓
[世の中に涙心のなかりせば、いかで結ばん、人の心を]

『涙ほど』正体不明のものはありませんね。
御神尊様によく言われたものです。『涙に騙されるなよ。涙には種類があるからな。』
涙の後、『そのまま元気になっていく人と、何の変化もなく、ますます健康も人間関係も下っていく人がいます』よくよく観察してみると、『すまなかったの反省と懺悔の涙』と、『ここまで我慢してきたのになんで私が悪くいわれるの?』の悔し涙に暮れる人がいたのです。

肝心は、『涙に心が付随している』ことです。どんなに苦労の中にあっても、捨てる人あれば、拾ってくれる人もあります。『涙心(なみだこころ)とは、人の情のこと』です。だからこそ、『愛の形をつなぐものは情』であり、『心が通じ合うこと』ができるのです。

目に光る涙には、それぞれ深い意味があるでしょう。目がものを訴えているのですね。『語れないことは、涙が心の翻訳をしています』『それをそのまま受け入れて共感するのが、情のせかいです』『プライドや虚栄心、嫉妬心が勝ると、情は紙のようにうすくなる』ようです。

『涙心のウラにあるのは、素直な心』でしょう。情の源泉といわれます。『涙心の裏には、大きな声で思いっきり笑える心があります』『泣いたり、笑ったり、豊かな心』が運命をひらくでしょう。
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10627 三世と人生

2019-11-20 09:42:00 | 人生


2019・元年・6・27・三世と人生
[今日かぎり、今日かぎりの命ぞと、思いて今日のつとめをばせよ]

けさのことばは、年齢と関係してくることばです。
若い頃は、時間はたっぷり、なんでもできそうな未来を感じます。しかし、私の年齢になると、ちなみに(77才)今日かぎりどころではありません。今この瞬間にも、いのちの炎が消えてしまいそうです。

だからこそ、『今に感謝を』『今を大切に』『今の努力を』尽くしています。でも世間を覗くと、『きのう、きょう、あすと揺れ動き』『今の自分は本当の自分ではない』『自分は正当に評価されていない』と、仕事をわたり歩く人。現状を嘆き自分をつかみきれず迷い、悲嘆にくれる人。

『他人のことは、良く知っている』のに、『自分のことは、からきしわからない』『もしくは、分かろうとしない』つまり、『人生最大の困難は、自己を知ることである』とおしえられました。
自分の今を、充実するために学ぶこと。
今をおろそかにして、人生の幸せはありません。

武道の書にさえ、誰もが死ぬのに、自分はみんなが死んだあとに死ぬと思っているとあります。江戸時代でもです。
私が今の輝くいのちをさとったのが55才。脳内出血で、幽界探訪と、左半身マヒの体験によってです。

私も師について、山にこもり、滝に打たれ、断食や四国八十八箇所遍路の旅で、修行したものです。
でも一番の修行は、生死を分かつ重大な病気でした。
幽界から帰る保証はありません。
『今の時間の大切』は、『明日は我が身、明日は死ぬ身になって、今を生きる』
『人のために、家族のために、時間を捧げてみる』ことです。
そこに今の真実が見えてくるでしょう。
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10626 人生観

2019-11-20 09:37:02 | 人生

2019・元年・6・26・人生観
[われ終わりて悔いず、されど我、いまだ善跡を残さず]

40代の方が、過去を思い出すたびに、怒り、憎しみ、悲しみを処理できず悩んでいると、新聞に投書されていました。幼少時からの、家族の離散、イジメなど書き連ねています。

ひとり、ひとりの『運命は、実に千差万別』です。『夫婦にしても、生い立ち環境』はそれぞれです。それによって、『性格も精神も、人格も個性的な育ち』をします。そこに事情が発生すると、敵が生まれ、長年にわたると宿敵などと、おそれげもなくいう人がいます。

私も、投書の方と同様の過去があります。小学生のころは、親がいないことに、疑問を感じたことはありません。成長にともない、亡き母のことは想わず、むしろ、離れた父親の存在を、咎め続けました。『親らしくない、何をしてくれたか?』思春期は、『その憎しみの時間』で消費されました。本当にもったいないことをしました。

19歳で、『この道に出会い』『生涯の師、御神尊様』に出会い、『今をいかに生きるか』『過去といかに訣別するか』『親との和解』を教えられました。

御神尊様の20年の苦行』の中からの、教えの言葉は、『天は父なり、地は母なり』『この会場には、親を亡くした青年がいるだろう』『その時は、悲しさで涙も、乾くほど泣いはず』『でも、君たちが生きているのは、真実の親は、天であり、地であるからだ』『君たちの両親は、仮の親である、だから、生きて生かされている。』この言葉で、私は生き返りました。

『我いまだ、人生は終わらず』親への憎しみは、いまや恩讐(おんしゅう)の彼方へ。さあ、今からだ!省みて悔いなき生き方、親孝行、家族への感謝、そして、ひとさまへの善跡(ぜんせき)
を刻まなければ、この世を卒業できはしない、私たちに課せられた宿題です。



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