2019・元年・6・26・人生観
[われ終わりて悔いず、されど我、いまだ善跡を残さず]
40代の方が、過去を思い出すたびに、怒り、憎しみ、悲しみを処理できず悩んでいると、新聞に投書されていました。幼少時からの、家族の離散、イジメなど書き連ねています。
ひとり、ひとりの『運命は、実に千差万別』です。『夫婦にしても、生い立ち環境』はそれぞれです。それによって、『性格も精神も、人格も個性的な育ち』をします。そこに事情が発生すると、敵が生まれ、長年にわたると宿敵などと、おそれげもなくいう人がいます。
私も、投書の方と同様の過去があります。小学生のころは、親がいないことに、疑問を感じたことはありません。成長にともない、亡き母のことは想わず、むしろ、離れた父親の存在を、咎め続けました。『親らしくない、何をしてくれたか?』思春期は、『その憎しみの時間』で消費されました。本当にもったいないことをしました。
19歳で、『この道に出会い』『生涯の師、御神尊様』に出会い、『今をいかに生きるか』『過去といかに訣別するか』『親との和解』を教えられました。
御神尊様の20年の苦行』の中からの、教えの言葉は、『天は父なり、地は母なり』『この会場には、親を亡くした青年がいるだろう』『その時は、悲しさで涙も、乾くほど泣いはず』『でも、君たちが生きているのは、真実の親は、天であり、地であるからだ』『君たちの両親は、仮の親である、だから、生きて生かされている。』この言葉で、私は生き返りました。
『我いまだ、人生は終わらず』親への憎しみは、いまや恩讐(おんしゅう)の彼方へ。さあ、今からだ!省みて悔いなき生き方、親孝行、家族への感謝、そして、ひとさまへの善跡(ぜんせき)
を刻まなければ、この世を卒業できはしない、私たちに課せられた宿題です。
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