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天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

心身の乱れ

2020-04-22 09:50:00 | 運命と病
2020・4・2、病気と運命
[百病 気によって生ず]

現代では、医学的にもガンは克服されつつあります。
難病もノーベル賞の山中伸弥ips細胞によって、克服の道が開けつつあります。

ところが、コロナに見るように、次々に人間の生命を脅かす問題がうまれています。
御神尊様の時代は、四百四病から、二千二百余病といわれたものです。

御神尊様は、人間のもっともおそれる病気は、すべてその原因は精神に繋がっていることを、20年の苦行と研究によって体認した。といわれています。

現代の人間生活、社会機構、生産機構が非常に複雑になり、働いて生きていくことが自分の意志通りにはいかなくなりました。

ここに精神的なストレスが生まれ、肉体を脅かす要因のひとつがあります。
顕著にあらわれるのが、精神的病気、肉体的病気です。

複雑な機構の中で、束縛された形はどうしても精神的な無理がきます。
むりは感情の乱れを生み、感情が乱れると身体にヒビがはいりがちになります。

そこで現代医学界でも、すでに精神医学、心身相関医学という形で精神面からの治療を取り上げるようになりました。

御神尊様は昭和の初期から、このことは臨床実験の旅路で、治病効果を挙げていることは、沿革史で語られるところです。

まさに[心は運命の製造者にして 生活は運命の製造所なり]
の真理がここにはたらいています。やります!
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精神改革

2020-04-19 15:49:00 | 運命と病
2020・3・26、精神革命と運命
[汝は 汝の看護者たり 故に今日より 汝自らを看護せよ]

災いはもとをただせば、福の裏返しと言われています。
福と災禍は糾える縄のようなものです。

でも、目の前の事情に囚われていますね。
ということは、『人のことどころではなく我が心の機嫌も取れないのか?』といわれています。

人のことばかり気になる私は、機嫌が悪くなり笑顔が絶えてしまいます。
しかも、口先はいかに家族のことを心配しているかを、これみよがしに表現している自分があります。

『看護とは何か?』[身体の看護は医者に任せ、心の看護は、自らこれを為せ]であり、
『自分の心は、自分の心で看護せよ、これを人の道という』と教えられます。

心と心の対立によって、事情ができて悩ましくなります。
悩めば暗く、心が痛むから身体が病んでくるのです。
理の当然ですが、感情が働くだけに、自分の心の看護は容易ではありません。

とにかく、『人と家族と離れやすい我が心を、離れないようにする努力』
すなわち、『常によろこび、楽しみのために、自分の心を合掌心で看護することでしょう。』 やります!



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人間関係

2019-11-25 08:36:14 | 運命と病


2019・7・6、人間関係と運命
[敵を持たず、敵を作らず]

この言葉は、かなり厳しい表現になっています。咎めるとか、憎むとかが、はっきり敵だという言葉になっています。

その具体的な場面は、『御神尊様が、昭和35年、福岡県筑紫野市原田の山中で、300日間の修行中』『雨中の百度参拝を敢行』されました。そのさなか、北九州からきた男性が、御神尊様にすがりつきました。そして、『兄を助けてください』と叫んだのです。

すると、御神尊様は、『兄には、敵がおるぞ!』といわれ、その人は、『私が敵です』といいながら、さらに、『懺悔の涙』ですがりました。その時に、『やります!の裂帛(れっぱく)の気合』が、御神尊様から発せられました。すると、なんと、その頃、病床で危篤の状態の兄は、意識が回復、即決の救いを受けたのでした。

御神尊様は、『不平をもたず、不満を作らず』『不平不満が、心中のわだかまり』になり、『敵視するようになる』といわれました。
『不平を持たず、不満を作らず』『これを整理して、喜びと笑顔』で、家族や人と心合わせる環境こそ、幸せの道です。
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5/10 人前の祈り

2019-06-21 08:39:19 | 運命と病


元年、5・10、合掌と信仰※2
[人の前の拝みは、不浄を忌まず]

御神尊様の凄さは、20歳から運命の問題に取り組み、修行の結果《不幸病気は人間を離れたところには、、運命を開く道はない》と、悟られたことです。そして《今、ここの時間と場所で、なにを考えて、なにをしているかで、運命は決まる》
つまり《あなたが運命を製造している》ことを、長い臨床実験の末に、発見されました。

今朝は、神の前での精進潔斎(しょうじん、けっさい)。つまり、心身を綺麗にして拝むというのが、古来から求められてきた祈りです。しかし、そのような合掌礼拝からのみ、幸せが生まれるわけではないことを、御神尊様は教えられました。

25歳の青年を、肺結核から助けたとき、『お前の身体は、病から、助かったとはいえ、衰えてしまっている』『今後、3年間、いかなることがあろうとも』『絶対に、怒ってならん』『咎めてはならんぞ』『引っかかってはならんぞ』『約束できるなら、必ず健康体になれる』と、言葉をいただきました。

農家の働き手の青年は、さまざまなかげ口を耳にしながら、御神尊様との約束を、命がけでまもりました。時に、『腹が立つ、咎めそうになる』と、そのまま、畑の中にすわりこんで、『気持ちが、切り替わる』まで、祈り続けました。
その努力のおかげで、立派に健康体をとりもどしました。

つまり、『ご神殿の前だけに、神がいる』わけではありません。『どんな、時間、場所にいても』『どんな格好でいても、人の前の祈りこそ、神に通じる祈り』です。そして、『幸福、健康の生まれどころ』でもあります。
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3/22 病気の三根

2019-03-29 15:13:56 | 運命と病


31・3・22、病と性格
[知れば変わるんだよ。知ればたすかるんだよ。]

『病いには、三つの生まれどころ』があります。
どんな病気もこの三つのところに、根があり、原因があります。
健康をねがうならば、この三つの根を断つことです。
いくら、病院だ、クスリだと騒いでも、所詮は解決しません。
『治病の妙理は、三根を断ち切る』ことです。
これは誰にでもできることで、難しいものではありません。

三根は、
《❶人間の精神は病気の製造者、❷身体は病気製造の道具、❸生活は病気の製造するところ》といわれます。
世の中では、病気を恐れ、治すのは難しいと考えられています。《精神は者、身体は道具、生活は場所》です。

こうして作られた病気は、『心の悟りで病気の根を断つ』『心と病気のつながり』が、絶対のものです。

あなたと病気のつながりが、医師やクスリばかりに頼るのは、自分の生命力を弱らせてしまうでしょう。

病気が治らないのは、医師やクスリが悪いのでは無く、それらの手の届かない所に、病根があるということです。

その、『責任はあなた自身』に、あることになります。だから、『あなた自身の手で、病根を断つ』これこそ、治病の妙法であります。そして終わりに、『健康にも三根』があります。それは、『精神的健康、身体の健康、生活の健康、』です。
これまでの、朝の言葉を、読み返せば、理解できるでしょう。

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3/21 心の足並み

2019-03-29 15:09:05 | 運命と病



31・3・21、病と性格
[今日から、無条件で人の心に、あわせてみよう]

昨日に続き、病いと性格に、少し触れてみたいとおもいます。
人間は生きる上で、手足の大切なことは、いうまでもありません。手足があって、はじめて人間は生存に必要な、『動く、歩く、働らく、』という3つの重要な役割を果たしているからです。

私ごとですが、2年前に膝の半月板を負傷して、大学病院で、手術をうけました。術後の2週間、7階建ての病院内を、パラリンピックの選手のように、車椅子で走り回ったものです。
やがて、松葉杖、歩行と、進み、ました。

その中で、夜のベットでは、反省の毎日です。
教えの引き出しを開け、直接の心因をさがしました。
足は、心の足並みを揃えること、に通じます。
私は、いつも決断が早すぎて、周りが付いてこれないこともたびたびでした。

そして、得た結論は、『無条件で家族と、心の足並みを揃える』こと。
再び立ち直り、合気道の道場も相変わらず、年中無休で、皆さん通って来られています。
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3/10 人の為にこそ

2019-03-11 18:40:06 | 運命と病


31・3・10、愛と信仰生活
[我を愛するがゆえに、人を愛する]

下語が、[人を愛することが、我を愛することになる]と、続きます。
私の家庭環境は、叔父に叔母、のちの両親、祖母を加えて、
食べていくために、家族中が働きずくめでした。経済的には、苦労が報われて、豊かな生活を実現しました。

しかし、いつのまか、目の前から、『相手を労わる言葉、ねぎらう態度』そして、なによりも、『笑顔が疲れと引き換え』に、すがたを消し、二度と戻ることは、ありませんでした。

そして、『暗く笑顔と喜びのない家庭』に、病魔が忍び寄り、突如、すがたをあらわした時は、もう、心のシロアリに、家は食い荒らされ、つぎ次に倒れて行きました。御神尊様に縁を繋いだ時は、完全に、家の中はバラバラでした。

この家は、『自分が』『自分が』と、『自分のことばかり』でした。
この家を立て直すには、もっとも、可愛い自分を生かす道は、『相手を十分に認める努力を』そして、夫に妻に、親に子に、『して欲しいを発見、してあげること』それが、『可愛い自分を大切にする』に繋がりますね。

『人を愛するとは』余分なことではなく、家族、他人を含めて『すべての人を愛する』のが、『自分を愛すること』に、1番の近道となります。
骨を繋ぐ人は医者、『愛の線が切れれば』繋ぐ人は、『あなたの優しさ』以外にありません。
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11/3 病い

2018-11-10 10:11:25 | 運命と病
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6/23 気づきの始まり

2018-06-23 09:43:42 | 運命と病


年寄りはだんだん、同じ事を繰り返し言ってしまいます。
世間では見逃される事も、家庭のなかだと不穏な空気になる事があります。
又、自己主張の強い方も、嫌がられます。

ある時、自転車で転び、首の骨折で後遺症に悩む方が受講して、助かられました。

本人は喜んで、奥さんに電話しましたが、意に反して喜んでくれませんでした。
その訳は、元気になって帰ってくると、又押し付けがましい事を言われると思ったからでした。
これが彼に対する家族の評価でした。

ところが、み教えの講習会から帰ってきた父親を見てビックリされました。
「私が悪かったと」頭を下げて、お父さんの変わられました。
そこで初めて皆に笑顔がもどりました。
ごほんにんは、家族に嫌われていたことに気が付かなかったのでした。
怪我は、気付きの始まりでしたね。

私たちは、大丈夫でしょうか‼️
これを、救われたといいますね。

合掌
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6/5 信仰と自力

2018-06-05 12:44:40 | 運命と病


昨日に続き、旧本部のことです。

かつて御神尊様は、平戸によくいかれてました。
平戸の御行に入る以前のことです。

脊髄カリエスの男性が、噂を聞いて御神尊様を頼ってきたことがありました。

しかし御神尊様は、家の中にあげようとはされませんでした。
毎日お願いにくるのですが、上がれといわれないのです。
とうとう一週間たち、さすがにこの青年も我慢できず、
もう、頼まん、自分でなおす、‼️と、すごい剣幕で玄関をでようとしたとき、
奥の部屋から、気に入った‼️上がってこい。と御神尊様の声がかかりました。

当時は旧態信仰でご祈祷で助けておられました。

青年は、驚きとよろこびのなかに、
その祈りで、背中の病巣の破れ血膿が飛び出し、
近くの店買いに行っても、綿花、ガーゼがたらないほどでした。

元気になったその青年は、小西さんといいました。
やがて朝鮮にわたり、仕事をしていました。
戦争のなかで日本に帰ってきたのですが、
敗戦のどさくさで、いつのまにか御神尊様とのご縁は遠のいていきました。
そして年令をかさねるうちに、また病魔におかされ、血圧のため半身不随となりました。

当時原田の地元では、御神尊様は評判の方でした。
信徒の方とのご縁で原田にやってきたのです。
死に物狂いで受講したのです。
昔は講堂のうしろに布団を敷いて、病人さんは寝ておられました。
小西さんも、そのようにしていました。

やがて、御神尊様がおすがりに現れたとき、鋭いまなざしで受講生を見渡された瞬間❗️
小西きていたかっ!と気合いのような声が飛びました。
すると、講堂のうしろから、よろよろ、と立ち上がった小西さんは、
なんと、半身不随のからだで、御神尊様の前まで自力で歩いたのです。

満場、感動と感激の嵐、
大先生すみません。
小西さんのなかでは、昔の大先生のまま、
ひと声かけられただけで身体に電流がはしり、
脊髄カリエスのあの時代に、タイムスリップしたのでしょう。

平戸は、「心は運命の製造者、生活は運命の製造所の大原理」が発見されたところ、
小西さんの即決から見て、厳しい行と臨床実験のなかで、病苦から解放される真理を確立されるのです。

御神尊様は、その頃のことを思い出しては、「厳しくあたりすまなかった」と涙されておられました。
沿革史上にあらわれた小西さんを知ることは、私の信仰にひかりを与えてくれました。

御神尊様は、「自ら運命を開拓する、強い気力がない者は、たすけようがない」と言われました。

合掌
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