面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

冷気と霊気

2008年01月14日 | Weblog
 富士山の裾野に広がる樹海で深夜、月明かりだけで、写真を撮ったのは7年前の夏のことだ。モデルのO嬢、アシスタントのIくんと僕の3人だけの旅だった。6月から10月まで、八ヶ岳、浜松の砂丘、天草の孤島と、満月を追い求めての強行軍の最中だったので、山中湖のホテルで2日間雨に閉じ込められたのは、程よい休養になっていた。雨があがったのは13夜の月が天空に輝く夜、撮影には最高の条件だった。僕らは樹海近くに車を停め、月明かりに浮かぶ、あの世の入り口とも思える樹海に足を踏み入れた。O嬢は羽織っていたガウンをIくんに投げ渡すと、緑の苔に蓋われた古木に登った。木々の隙間から射し込む月明かりに浮かぶO嬢の透き通るような乳白色の裸体をフィルムに焼き付けるには5分から15分間は露出しないと光量が足りない。砂丘では40分間も静止してもらったこともあった。O嬢は文句ひとつ言わずモデルに徹してくれた。その作品群は、数千枚のフィルムのまま、今だ発表を待って机の抽斗に眠っている。月明かりだけで撮った苦心の写真集企画も、眠ったままだ。

 今朝方、富士の樹海で撮影する幻想的な夢を見た。あの時感じた霊気を夢で体感した途端、凄まじい冷気に目覚めた。庭に面したサッシ扉の上にある小窓が開いていて、そこから冷気が音を立てて流れこんでいた。夢は現実の何かと交差するというが、冷気と霊気が交差して7年も前の出来事を夢に見るとは、何だか複雑な気持ちで小窓を閉めた。ラヴクラフトを読んだ影響もあるのだろうが、恐怖に進む前に冷気に耐えきれず目覚めてしまったのは、幸いだった。

 そういえば、阿蘇の高原、天城山中、八ヶ岳、野辺山高原と、空気の澄んだ、天空に近い処は、霊気が強く感じられたような気がする。今一度、体験してみたいと思っているのだが、O嬢のようなモデルが現れない限り、企画のまま終わって仕舞うのだろう。天草の海で月明かりに浮かんだ姿は、人魚そのものだった。Iくんと僕は、何度も幻をみた気分にさせられたものだ。

背徳と聖域

2008年01月14日 | Weblog
 イベントの後、劇団の新進女優たちと取り組んでいる新企画の打ち合わせをした。もう半年近く企画を練っているが、春先にはどうやら発進できそうなところまできた。いずれも20代前半の、僕から見たらまだ女の子だが、それぞれがしっかり主張を持った聡明なアーティストたちだ。イメージする楽曲を流しながら、夏に予定しているパフォーマンスステージまでの長いランニングを語り合った。聖域を目指す高潔で一途な愛でありながら、背徳の美学が垣間見えるユニットを作り上げて欲しい、と、僕の理想の注文に、皆凛とした微笑みで頷いた。言葉が通じる。この聡明さがなければ企画は進行しない。インターネット、ステージ、映像、ファッション、音楽、彼女たちの織り成す芸術の「琴いと」の煌く音色が見える。

 明日は、やんごとなき御方のお誘いで日生劇場「ペテン師と詐欺師」を観劇に行く。わざわざチケットを届けて頂いた。感激だが、どうやら一人で見ることになるらしい。夢ではないが、不思議な話だ。

顔と職業

2008年01月14日 | Weblog
 劇団を創立する前、なりゆきで芸能プロダクションに関わっていた。30代の後半だった。その頃の僕に憧れ、東京の大学に進学し、現在大手の興業会社で有能若手プロデユーサーとして活躍するT君がいる。お互いに都合の良い時間といえば、つい深夜になってしまうが、忙しい中僕に付き合ってくれる。学生時代の甘い顔が30代になって、柔和な中に厳しい芸能プロデユーサーの顔が垣間見え、頼もしい輪郭になった。

 彼が初めて見た30代の僕は、とても輝くオーラを発散していたそうだ。「今はどうだ?」と、訊ねると、「作家に脱皮中の苦悩する姿が」と、言ったあと、「でも、もうすぐ、立派な作家の顔になります」と、フォローしてくれた。彼の優しさが嬉しくて、素直に、「そうか、頑張るね」と、笑顔を返した。

 職業は顔に出る、と云うが、もう絶対取れない眉間の縦皺だけははどうすることも出来ない。亡き母も眉間に深い縦皺があり、年老いてもかなり気にしていたのを思い出す。「脱皮しましたね」と、T君に言ってもらえる日まで、野暮な稽古に励んで、精進を重ねるしかない。

 余談だが、興味を引く30代のプロデユーサーが3人いる、先のT君、Oさん、Mさん、3人に接点はないが、彼らと10年後、僕の作品で楽しい仕事が出来たらと夢見ている。3人共にプロデユーサーに必要な頼もしい顔付きをしておられる。
 そこが、帝劇か、ハリウッドか、はたまたラスベガスのショーか、兎に角思いっきり楽しい仕事になる予感は確実にある。