面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

僕の記憶の眠る森

2008年01月08日 | Weblog
 夜明け前の静けさの中で、冬の記憶を辿ってみる。
 昭和30年は、まだ九州熊本の山間部にも1メートルの雪が積もる冬があった。夏と冬の寒暖の差は、50年後の現在とは比較にならないほどだった。山桃の樹のある森の泉も時には氷が張ることもあった。映画のニュースでみる東北や北海道の凍った湖とは比べるまでもなく、それは薄くて危うく、子供が乗って遊ぶには危険過ぎる氷だったが、僕らは、身を乗り出してその氷を手で割り、齧って食べたりした。
 あの冬の忘れ物を、50年過ぎて思い出した。同級生民夫の妹京子に、阿弥陀堂の屋根裏で絵を書いてやる約束をしていたのだ。それを忘れて、僕と民夫は森で遊んだ。民夫の従兄弟の春夫もいた。春夫が一番小柄だったので、泉に張った氷の上を歩かせた。無理なのは誰もがわかっていた。なのに、春夫は足を踏み出した。氷は不気味な音を立てた。一歩、二歩、三歩目は数える間もなく、春夫は氷を踏み割って泉に嵌まった。小柄な春夫の身体は腰まで水に浸かった。民雄と僕は、春夫を引っ張りあげようと手を差し伸べた。ところが、慌てて足が滑り、僕も民夫も腰まで泉に嵌まってしまった。僕らは3人で抱き合って笑った。水は思っていたより温かかった。僕らは腰の回りに浮いた氷の欠片を拾い上げて齧った。だが、水からあがると、強烈に寒さが襲ってきた。歯がカッカツ鳴り出した。僕らは雪を蹴散らしながら、天神さまを抜け、転がるように村の阿弥陀堂まで駆け下りた。京子が怒って待っていた。一番近い民夫の家の庭で薪を焚いてもらい、僕らは身体を暖めた。勿論、泉に嵌まった事は3人の秘密だった。ただ、雪遊びであんなにびしょぬれになるだろうかと、京子は不審がっていたらしい。あの騒動で、僕は京子との約束をすっかり忘れてしまっていた。

 50年過ぎた今、約束の絵が何を書こうとしていたのか、全く思い出せない。あの森に帰れば思い出すだろうか、いや、今では泉も涸れ果て、雪など降り様もない森で、僕の記憶は深い眠りから覚めてはくれないだろう。