ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

秋の諏訪旅④高島城と近代建築

2023年11月23日 | たびたび旅
四社巡りを終えて駅前の蕎麦屋で昼食を済ませたら、Rさんと別れて一人で高島城に向かいます。
城下町と諏訪盆地の田園地帯を潤していたであろういくつかの用水を越えて、町並みを見ながらぶらぶらと10分少々で高島城に到着しました。

3重5階の望楼型天守は明治8年に破却。現在の天守は1970年に建てられた鉄筋コンクリートの復興天守です。明治初期の写真を元にある程度似せてはいます。

城が建てられた16世紀前後にはこの辺りまで諏訪湖が続いていて、高島城は湖に突き出した湖畔に建ち、「諏訪の浮城」と称される水城でした。
その後城の周辺の低湿地帯が灌漑で埋め立てられ城は湖から遠ざかりました。現在は諏訪湖まで約600mほど距離があります。

えらい立派な「冠木門」と冠木橋。

湿地帯の軟弱な地盤の上に大木で組んだ筏の上に石垣を積んでいます。それでも沈下は避けられず、頻繁に石垣の修復が必要だったそうです。

冠木門から入って天守下。天守台に上がる階段は1970年の復元工事で作られた物。それ以前の城への侵入経路はよく分かりません。

内部は資料館になっています。今回は中までは入りませんでした。

16世紀から残っている石垣と復興時に積み直された石垣と色や風合いがまったく違います。

本丸の中で天守と向かい合わせにある諏訪護国神社。明治33年建立。

建造物の破却の翌年(明治9年)から本丸は高島公園として公開されていました。

石垣の上端から道を挟んだ諏訪市役所に向かって直接歩道橋が掛けられています。堀は道路を作る際に埋め立てられて半分程度の幅になりました。

この辺りは一番古い石垣がよく残っています。

最初の冠木門の方に戻って来ました。角櫓は公園の茶室として建てられたなんちゃって櫓。


上諏訪駅までの帰りは城下町や甲州街道沿いに残る古い建物を見ながら。狭い範囲に5軒の酒蔵が集まっている一帯もあります。写真が多いのでまとめてしまいます。

上諏訪駅で休憩していたRさんと合流。駅に到着して10分もしないうちに空に厚い雲がかかっていきなり強い風と雪。
Twitterを見ていたら「お土産屋さんで犬を見てたらものすごい雪が降ってきたりした」というコメントと共に猛吹雪の写真を投稿した人が。
写真は上社本宮の御柱前です。午前中にはそこにおりました。危なかったなー。
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秋の諏訪旅③諏訪大社四社巡り

2023年11月22日 | たびたび旅
二日目は宿泊したホテルがサービスとして提供している諏訪大社四社巡りのバスツアーに参加。
諏訪湖畔にホテルはたくさんありますがこんなサービスがあるのは「しんゆ」さんだけです。それでいて2食付きの宿泊費も決して高くはありません。おすすめ。
マイクロバスは通常座席21に補助席の6つもフルに使って満席。「ツアー始まって以来の満席」だそうです。

ホテルから25分かけて最初に来たのが上社前宮。諏訪大社の4か所の社の中で最も古くに創建されたことになっています。諏訪大社発祥の地。
諏訪大社の他の3つの社には「本殿がない」という特徴がありますが、ここ前宮だけは拝殿の後ろに本殿があります。現在の社は昭和7年に伊勢神宮の御用材で建てられたもの。

手水社はなく、脇を流れる清流で手を清めます。

4つの社にはそれぞれに4本の御柱が建っています。柵で囲われていますが、手を伸ばして触れると何やらご利益があるようです。

参道から駐車場に下る。駐車場からここを登って来て参拝するのが本来のルートですが、濡れた落ち葉で危険ということでバスが拝殿すぐ近くまで登ってくれました。

銀杏の絨毯。

全国的に知られる神社なのに上社前宮の周辺は売店もなく静かです。

再びバスに乗って2社目の上社本宮まではわずか5分。
諏訪4社を自力で回るのは大変と聞いていましたが、上社2社は最寄りの茅野駅から徒歩で往復して8km、下社2社は下諏訪駅から往復して3kmです。JRと徒歩で充分回れます。

祈祷殿に架けられた御幕に梶の葉の神紋(神社の家紋)。根の部分が4本です。これが後で行く下社では5本に変わります。

上社本宮一の御柱。2022年の御柱祭りで人の手によって山を下り川を越えて運ばれてきたもの。次回は2028年だそうです。

昭和に建て替えた上社前宮以外の3社には江戸以前に建てられて重要文化財指定になっているものが多数あります。上社本宮はこの神楽殿はじめ6つの社殿が重文です。

駐車場に近い石鳥居ではなく写真奥に見える銅の鳥居から入るのが正式ルート。巨木に圧倒されるRさんを探せ。

こちらも重文の布橋を通って拝殿に向かいます。

上社本宮弊拝殿。本殿はなく背後の山がご神体(神体山)。

本宮の駐車場前には何軒かの仲見世がありました。美味しいぜんざいを食べてから諏訪湖を通り越して下社二社に向かいます。
諏訪湖の北西から南東に15kmほどの長さで広がる諏訪盆地。その一番低い部分に溜まった水が諏訪湖です。

30分走って下社春宮。上社は前宮と本宮、下社は春宮と秋宮という組み合わせです。

正中に神楽殿。鳥居から拝殿を塞ぐような位置に神楽殿があるのを見た記憶がありませんが調べると「境内の中心に建てられることが多く」という記述もあります。
私は年間で50~100近くの神社を参拝していると思いますが、出雲大社みたいに神楽殿が拝殿を兼ねているのを除いてこの配置の神社は思い浮かびません。

神楽殿を回り込んで背後の幣拝殿へ。

境内から4分ほど歩いて万治の石仏。石鳥居を作るために石材にノミを打ったら石から血が出たので恐れおののいて鳥居を作るのを止めて阿弥陀仏を刻んだという伝説の石仏。
仏様を彫っている時は石から血は出なかったのかという疑問は残りますが、顔がかわいいので許す。周囲を3周してお参りします。

春宮と石仏の間も紅葉がきれいでした。

春宮からバスで5分で最後の秋宮へ。鳥居の先の参道が左右に分かれていて正中を歩かない造りになっています。
神社では中央を歩いてはダメ、端を歩きなさいというのは戦後、特に平成期に多く作られた嘘マナーのひとつですが、往復の人が左右に分かれた方が流れは良くなりますね。

春宮と同様に正中に神楽殿。春宮と秋宮は同時期に同じ図面から別々の棟梁が仕事を請け負い、技とスピードを競いながら建てられました。なので配置も同じなのは当然です。
神楽殿両脇の後ろに皮が剥かれて白っぽく見えるのが一の御柱と二の御柱。

幣拝殿。同じ図面からなのに屋根の形などに春宮との違いがあります。

神紋。上社本宮では4本だった根が5本になっています。

2年前に新車になったバスしんゆ号と運転手兼ガイドさんと記念写真。ガイドさんは赤い蝶ネクタイでビビる大木さんにそっくりでした。たぶん意識して寄せてる(笑)
9時20分にホテルを出て12時30分に上諏訪駅で解散でした。駆け足での参拝ですが充分に楽しめました。

白い線が本日のルート。諏訪大社4社の位置関係はこんな感じです。
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秋の諏訪旅②諏訪湖とその周辺

2023年11月21日 | たびたび旅

片倉館で温泉に浸かり、昭和の和洋折衷の館を見学している間は弱い雨が降っていましたが、外に出て諏訪湖畔を歩き始めると徐々に陽が射し始めました。
上諏訪駅に近い部分は全長1kmに渡って公園として整備されています。公園のデザイン慣習は黒川紀章が行っていたそうです。

大量の鴨が芝生で休憩中で、そこに向かって行くスピードスケートの像があって、奥には銀色に光る円錐が。いろいろと要素の多い風景です。

アイアンのオブジェが並んでいる一角。諏訪市を代表する5つのことが表現されています。
左上から、諏訪湖の漁業(四つ手網)、高島城、諏訪大社と万治の石仏、絹糸、精密機械(SEIKOの諏訪工場が現在のセイコーエプソンです)。

昭和末期に温泉採掘中にこの場所で間歇泉が吹き上がるようになったそうで、それも高さ50mというすごいものだったようです。
徐々に勢いは衰え、それでも5mほどの高さで噴出が見られていたのですが昨年くらいで完全にストップしてしまいました。自然の物ですから仕方ないね。

噴出孔を取り囲むように間歇泉センターという立派な観光施設が建っています。現在は諏訪市で撮影された映画の資料をたくさん展示しています。
夏に見た是枝監督の「怪物」という映画の大半のロケ地が諏訪でした。この映画を見たことも今回の旅行のきっかけの一つです。

間歇泉センターと向かい合うような位置に今日のホテルがありました。上諏訪温泉しんゆさん。「しんゆ」は親湯だそうです。蓼科の老舗旅館の2号館。
最上階付近の三角屋根のデザインが気になりましたが、ひょっとすると蓼科高原の洋館ホテルのイメージを表しているのかも知れません。

館内は2022年に全面リニューアルしたということでとてもきれいでした。部屋の窓からさっき歩いていた湖畔の道が目の前に見えます。
このホテルを選んだのは、ホテル自前のバスで諏訪大社四社巡りツアーを宿泊者無料でやってくれるホテルだったので。
当初は地元のタクシー会社が16,000円ほどで回ってくれるコースを頼む予定でしたが、しんゆの無料ツアーを見つけてホテルごと乗り換えてしまいました。

荷物を置いて私一人でお散歩に出ました。

いきなりすんごい建物がありました。玄関には金文字で梅香荘と書かれています。これほどの物件なのに存在がほとんど知られていないようです。
2015年に「発見」された方のブログによると昭和2年に医院として建てられたものだそう。

温泉寺というお寺を目指して湖と反対側に坂道を登っていくと素晴らしい紅葉とその横に三連のふしぎな建物がありました。地図上では「微笑観音」となっています。
3つの細長いお堂に33体の石の観音様が祀られているそうです。これは今ブログを書きながら知りました。お堂の中もちゃんと覗けば良かった。

道路に面した側は開いていて、坂の下側に冠木門があります。その奥に見事な枝ぶりの大紅葉。

微笑観音から100mほど登った先に温泉寺。三門から振り返ると諏訪湖が見えます。微笑観音は左にカーブした先に。屋根の上に紅葉だけ見えています。

江戸時代末期に建て直された多宝塔。

猛暑で今年の紅葉は例年より遅くなりそうと考えて日程を決めました。
11月に入ったら例年通りに紅葉が進んでこの日はすでに見ごろ過ぎとネットには書かれていましたが、来てみたらきれいな紅葉が待っていてくれました。

本堂の裏を歩いていたら防犯用と思われる照明が急に強い光を放って、側溝に散った葉が煌めいてとてもきれいでした。ありがとう。防犯ライト。

住宅街の中を往く。諏訪市は日本でも珍しい家庭用に温泉を引く事業を市が行っていて、玄関先や駐車場の隅にお湯を溜めるタンクがたくさん見られます。
契約費用が20万円、毎月のコストが15,000円少々で使い放題です。他に設備費用とメンテナンスにそこそこかかりますので安い物ではありませんが、朝晩温泉はいいですね。
残念ながら諏訪市の人口減少や高齢化で契約件数がかなり減少しており、市の事業としての存続が危ぶまれています。

家庭用の温泉とは別に住宅の中に共同浴場もあって市民は300円で入浴出来ます。家族が減って一人ならこちらの方が選ばれるのも分かります。(ここは観光客も入浴可)

甲州街道周辺にいい感じの建物が次々現れます。歴史ある地方都市の散歩は楽しい。

ホテルに戻ってお風呂に入ってから夕食。美しく美味しく、量も過剰でなくて良かったです。ホテルのサイトに全ての料理の写真が掲載されていました。すごいな。
働いている方の対応も素晴らしくて、人手不足が言われる昨今でここまで教育が行き届いているのは素晴らしい。花火大会で再訪したいと思っています。実現するかな?
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秋の諏訪旅①片倉館の千人風呂

2023年11月20日 | たびたび旅

11月にしては寒々しい11月のとある日にあずさ13号で着いたのは上諏訪駅。

古そうな上りホームの一角には足湯が設えてありました。帰る時は早めに来てここで電車を待つのも楽しそうです。

駅から徒歩8分で最初の目的地の片倉館に来ました。明治後半に絹の製造で財を成した片倉財閥によって開業された温泉施設です。
二代当主片倉兼太郎が視察旅行で訪れたヨーロッパの厚生施設に強い感銘を受け、地元上諏訪の人々のための社交と文化向上のための浴場施設をと考え昭和3年に竣工。
設計は森山松之助。洋風の鉄筋コンクリート2階建てですが、様々な国と時代のスタイルが混合された独特のデザインになっています。

紅葉の盛りは過ぎていましたが、赤と黄色の葉が積もって庭園越しの洋館が美しかった。

入口正面の受付で大人一人750円を支払って入浴することができます。

男風呂入口。この先は撮影できません。

写真は信州諏訪観光ナビ(https://www.suwa-tourism.jp/recommend-tabi/2017/01/katakurakan.html)より引用。
「千人風呂」と呼ばれていますが30人も同時に入ればかなり窮屈そう。入ったのは平日の12時半で先客は3人でした。無臭のさらさらの温泉でとても快適です。
水深が1.1mあって中に座れませんが周囲が腰かけ状になっています。そこには黒い玉石が敷き詰められています。
かつては製糸工場の女工さんたちの厚生施設としても利用されていたそうで、当時の工員の扱いとしてはかなりの好待遇だったことが伺えます。
片倉財閥は官立でスタートした富岡製糸場が官営化される際の最後のオーナーでした。
富岡製糸工場を「売らない、貸さない、壊さない」の方針で維持管理に努め、重要文化財から国宝として残したようにこの建物も日本の財産として後世に伝えられています。

お風呂上りには2階の食堂・休憩所へ。ビールと冷たいとろろそばでのぼせた身体を冷やしました。

食堂の窓から見る隣の会館棟。こちらは木造なのですが萩尾望都の描くギムナジウム風の雰囲気があります。

食堂の奥からこの階段で諏訪湖を臨むテラスに出られるはずでしたがこの日は風が強かったため閉鎖されていました。

渡り廊下で浴場棟と繋がっている会館棟へ。それまで非公開の施設でしたが2013年より見学が可能になりました。入館料はガイドなしで一人400円。

正面玄関奥にブロンズ風の狛犬が。これ、靖国神社の石鳥居前の狛犬の原型なんだそうです。

なぜ靖国神社の狛犬原型が片倉館にあるかというと、靖国神社の石鳥居と狛犬は片倉財閥の寄進で作られていたからです。
ずいぶん前に靖国神社の石鳥居と北前船の話を調べて書いたことがありましたが、あれが片倉兼太郎の寄進とは知りませんでした。
そして、靖国の狛犬は靖国神社内の他の多くの彫刻と共に伊東忠太のデザインだと思っていたので高村光太郎作となっているのも謎でした。
これに関してはそのスジの複数の専門の方がブログで描かれているのでご興味があればご参照ください。伊東忠太の狛犬を追って(2)もしくは「善ちゃん」の狛犬の謎
どちらの記事も「高村光太郎が靖国神社の狛犬のデザインを考えたのではない」という点では一致しています。やはりデザインは伊東忠太と覚えたままにしておこう。

狛犬のせいで時間が経ってしまいました。片倉館開館棟に入ります。2階は204畳の特大大広間・

諏訪湖側の窓。縦長の窓は外から見ると瀟洒な洋館に似合うのですが意外に畳の広間にも合います。五芒星に吊られた証明も昭和初期のままです。

格天井。上座に近い側の折り上げは聚楽形。

まどから見る諏訪湖。

会館棟見学終えてもう一度外観を見る。

浴場棟玄関部分。

前庭。

諏訪湖側壁面。二つの塔の間に出られなかったテラスがあったんでしょう。
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静岡 掛川・天竜・浜松<3日目>二股城と浜松城

2023年09月21日 | たびたび旅

ハムエッグと納豆と海苔の朝食後(朝食が豪華だと旅の数日でに体重がどーんと増えるので朝が軽いのは歓迎です)、一人でお散歩に。
昨日暑さで断念した二股城を訪ねます。民宿から5分ほどで石鳥居の建てられた階段を登って町を見下ろすまで登ります。

そこから少し斜面をのぼり、最後にこんな階段が待っていました。朝なので元気に登りますが、昨日の夕方来なくて良かったかも。

早々していたより広々した本丸。武田と徳川とで3年に渡り取り合いをした要所です。
「どうする家康」で頻繁に登場する場所ですが、それに乗じて観光客を集めようというような雰囲気は皆無でした。

徳川家康が関東に移った後は使われなくなりました。天守台が当時のままきれいに残っています。

二の丸や北側の郭にも随所に石垣が見られます。蔵屋敷からすぐ下の天竜川方向へ降りる道もありましたがマムシが出ますという看板があったので止めておきました。

チェックアウトして二俣本町駅へ。昨日は天竜二俣駅で転車台見学してから宿に行きましたが、一番近いのはこちらの二股本町駅です。
改札を抜けた先に線路とホームのある土手に登る階段。

現在は無人駅となって使われなくなっていた駅務室をリフォームしておしゃれなホテルになっています。地元の名店の食事がついて二人で41,000円。いかがでしょう。

ホームとその下のトンネルがいい感じだったので記念写真を撮りましたが、やはり植え込みにスマホを置くのでは無理があったようです。

天竜浜名湖鉄道で一駅だけ移動。

西鹿島駅からは遠州鉄道で新浜松に向かいます。

栄えている浜松駅。新幹線で浜松を通過する時に奥に見えているでっかいタワーがいつも気になっていました。

アクトシティ浜松。浜松駅の貨物部分が移転した跡地などを使って1994~5年に完成。4ゾーン、東西に500m続く巨大な施設です。

今日の螺旋階段。

アクトシティのDゾーンと呼ばれる一角にある浜松市楽器博物館。全国で唯一の公立の楽器博物館です。

若い頃から楽器が好きで様々なジャンルの楽器を見て来ましたが、ここにあるのはほとんどが知らない楽器でした。なにこれ?明和電機の武田丸の先祖?
楽器博物館については詳細別途。

楽器博物館を出て浜松駅ビルの中にある石松餃子の行列に並びました。

30分ほどで入店。餃子30個とご飯1杯と生ビールと富士山サイダー。30個の餃子は私が17個でRさんが13個。懐かしく美味しかったです。
前回浜松に来たのは2005年の9月でした。友人に誘われて浜名湖のゴルフ場でラウンドデビューだったのです。スコアは175。
その帰りに石松餃子の浜北の本店に連れて行ってもらって食べたのが美味しくて忘れられませんでした。18年ぶりの石松餃子。堪能しました。

タクシーで浜松城へ。

迫力満点の野面積み。築城当時の面影を残す貴重な石垣とのこと。今朝見た二俣城天守台の石垣と同じ集団が作ったものだと推測されているそうです。

天守は昭和33年にコンクリートのなんちゃって模擬。建物として充分にかっこいいのでこれはこれで城址公園に必要なものです。

横から見ると天守台の大きさと天守の大きさがかなり違っていて妙に落ち着きが悪い。元の天守が存在したとすればこれよりかなり大きなものであったと想像されます。

天守曲輪下に浜松市役所。守りの固そうなモダン。これで建てられて40年以上になるそうです。グレーの外壁がかっこいいですね。久米建築事務所(現・久米設計)

バスで浜松駅に戻って今回の旅程は終了。ちょっと暑かったけど計画を完遂できて満足です。
YAMAP軌跡で見る静岡。2018年の退職以降、静岡県には7回行っていますが、こうして見るとまだ端のあたりをうろうろしただけという感じ。静岡広いなあ。
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静岡 掛川・天竜・浜松<2日目>掛川花鳥園と天竜二俣駅

2023年09月20日 | たびたび旅
二日目。掛川の朝。今日は鳥類に鉄道とアウェイな話題なので写真多めでもすぐに書き終わるはず。余計なことを調べ始めなければ。

パレスホテル掛川の朝食。ごく普通のビジネスホテルのバイキング風朝食なのですが、途中にどーんと置かれた豚丼の具の大鍋に心を奪われました。
掛川にはこれといった宿も見つからなかったので、とにかく掛川花鳥園に一番近いホテルということで選びましたが値段の割に快適でした。

朝食後の一人散歩。昨日行かなかった復元大手門を見てきました。後ろに掛川城天守も見えています。

掛川駅南公園の斬新な生け垣。なぜそこに穴を開けたのか。通りかかる人をそこから銃で狙うのか。

ホテルから徒歩7分で掛川花鳥園に到着。駅から行くならこの道しかないだろうという道すがらに一切花鳥園の案内看板など置かない潔さ。
9時の開園の5分ほど前ですが3連休の中日と言うことでけっこうたくさんの人が開園を待っていました。

並んでる間にネットで割引チケットを購入したら購入確認のメールが届かない。200円ケチって無駄にあせりましたが無事に入園。

入っていきなりインコと戯れるコーナー。今回の静岡旅行は元々これをするために来ています。

インコ専門外の私ですが自分の所に生き物が集まってるとモテた気になってうれしいものです。

花鳥園は大部分が室内なので天候に関係なく楽しめるアミューズメントパークです。真夏日の温室の中ですがエアコンもがんばっていてそこそこ快適。

25kg以下の人は上に乗せてくれるらしい大蓮。

鳥さんたちも永遠に食べ続ける訳ではないので一番お腹を空かせて元気もある朝一番で行くのがいいです。

ハシビロコウ。動かない奴と言われていますが顔だけは数分で向きを変えたりします。

メインイベントの花鳥園を終えて掛川駅へ。

天竜浜名線で天竜川の中流に向かいます。710円。2両編成のディーゼルで約50分。

稲刈り直前の田んぼの中をゆっくり進みます。

花鳥園で買ったインコのボトルホルダーを早速使う。しっかり冷たさをキープしてくれて最後まで重宝しました。

1140。天竜二俣駅で下車。午後は登録有形文化財になっている転車台や扇形車庫を見学するツアーに参加します。

駅前の十文字食堂で「転車台カレー」を食べました。車両前面の印刷されているペラペラはでんぷんなので食べられます。

お昼ご飯と1350からの転車台ツアーの間の90分を利用してもう一つの目玉の秋野不矩美術館(藤森照信・1997年)へ。
少し離れた山の上にあるのでRさんが歩けるか心配していましたがちょうど駅前に空車のタクシーがいてくれて本当に助かりました。美術館の詳細は別途。

転車台ツアーもけっこう人気で20人以上が参加していました。

転車台。ここが「シン・エヴァンゲリオン劇場版」で登場する第3村のモデル地のひとつとなったということでアニメ方面の人も巡礼で来ています。

転車台の実演中。スズキ・KATANAのかっこいいラッピング列車を回してくれました。

現役で使われている扇形車庫は全国で12か所のみ。

見学を終えて10分ほど歩いて2泊目の宿へ。旅館ふか家さん。

かつてお寿司屋さんでしたが20年ほど前に民宿に業態変え。大宴会場だった部分を小分けの部屋にして檜の鮨カウンターはそのまま残しました。

「おばあちゃんちの夕ご飯」みたいな晩ごはん。食事が質素と不満を言う口コミも見かけましたが、2食付いて7千円の民宿で文句言うってバカなの?
白米は美味しかったし、松野明美風の女将も楽しかったです。壁が薄いので騒音を出す客がいると困りますがそれさえいなければ民宿の雰囲気はわりと好きです。
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静岡 掛川・天竜・浜松<1日目②>資生堂アートハウス

2023年09月19日 | たびたび旅

掛川駅周辺。旧東海道だった道筋はややアーケードの昭和レトロ商店街になっています。人通りがほとんどないのにランチをやっているお店が多くて不思議。

駅の南側に回ってJRの線路伝いに資生堂アートハウスを目指して炎天下を歩くこと20分。ここはきつかった。

入口から広々とした芝生が迎えてくれます。

1978年にオープンした資生堂アートハウス。近現代のすぐれた美術品を収集・保存すると共に、美術品展覧会を開催する文化施設として活動しています。
隣接する資生堂掛川工場が1975年にできていますので工場計画の始めから美術館構想も並行して進んでいたのでしょう。

アートハウスの設計は高宮真介と谷口吉生。高宮真介はこの後で谷口吉生建築事務所の代表になって東京都葛西臨海水族園や土門拳記念館を手がけます。
入場無料。水曜から土曜日までの週4日オープンしています。

7月から10月にかけて「工藝を我らに」という2015年から続く現代工芸のグループ展が開催されています。
建物の形がそのまま展示スペースの形となっていて内部も美しかったのですが撮影が一切できなかったので外のオブジェでもご覧ください。

アートハウスから100mほど離れた場所に資生堂の企業資料館があります。

資生堂の沿革、創業者の生涯、資生堂が生み出してきた製品などかなりのボリュームで展示しています。

創業当初からあらゆるデザインワークを担う意匠部を社内に持ち、商品デザイン、広告デザインに並々ならぬ力を注いでいた資生堂。
品質に対する要求が尋常ではなかったので印刷会社にとっては厳しいお客様でした。

企業の資料館としてはかなり立派な施設ですが、開館するのは週に金曜日ただ一日だけです。休館日に出くわす確率が高い私が行く日に開いてのは奇跡。
アートハウスもそうですが地方都市の駅から遠い不便な場所にあってそれほど人が訪ねてくることも多くはありません。
2階で展示されている大量の広告パネルのかなり多くが退色してCMYKのYがほとんどなくなってしまっていたのが残念でした。

再び新幹線の線路わきを歩いて次の目的地に。200km/h以上で疾走する新幹線を通過駅のホーム以外でこれほど至近距離で見るのは初めてです。

資生堂からまた20分歩いて掛川市役所。今回の旅行で見た建物の中ではピカイチでした。写真も多いので後日まとめます。

16時半ごろ会社を午後半休にして到着したRさんと掛川駅で合流。

夕食は地元の居酒屋さんで。

お造りや手羽揚げを食べました。

いっぽさん。掛川市内で3店舗展開しています。それができるということは1軒目、2軒目が評判が良くて充分な利益が上がっているからだろう。
という推測から選んだお店でしたが、間違いなかったです。
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静岡 掛川・天竜・浜松<1日目①>掛川城と周辺

2023年09月18日 | たびたび旅
連休を使って静岡の西の方を回って来ました。

8時半品川発のこだまで10時過ぎに掛川駅へ。初日の夕方までは一人旅です。気温はすでに32度。まさかこんなに暑い旅行になるとは考えてもいませんでした。
これから8時間いろいろな建物見物を中心に日傘を差してぶらぶらします。

掛川駅から北に歩いて旧東海道を越えるところに商家風の大きな和風建築が。屋根に掲げられた看板は逆光で見えませんが「清水銀行」と彫られています。
中も江戸時代の両替所のような雰囲気を再現していますが機能としては本当に普通に銀行の掛川支店でした。面白い。

逆川を越えて。左側のこんもりしたところが掛川城址。

1590年代に山内一豊が築いた天守は江戸時代に譜代大名の居城として栄えましたが1854年安政の大地震で大半が損壊。そのまま明治に入って廃城となりました。
1993年に篤志家や企業、市民からの寄付により鹿島建設の施工で復元されました。

三層内部四階の天守。本格木造天守の復元は日本で初めてのものでした。再建に際しては、江戸時代の図面や資料をもとに、高知城を参考にした木造復元が行われました。
山内一豊が新領地の土佐に移る際、高知城を築城するにあたり、それまで居城としていた掛川城を原案としたという記録をふまえたものです。

主要な柱や梁は300年の風雪に耐えた青森ヒバが使われています。

四方を見渡せる天守最上階。南側には二の丸御殿。現在は天守部分のみ孤立した丘のようになっていますが創建時には奥の山にまで丘陵が続いていました。

二の丸御殿は江戸時代の現存。現存する御殿は掛川城、京都二条城、高知城、川越城の4つだけです。

御殿玄関前の石垣。算木積みとその周りの石が扇形に成型されているのが他で見たことのない特徴的な石垣でした。

小学生が忍者から「忍者と言う言葉は戦後使われるようになったもので、江戸時代には素破、草などど~」と説明を受けていました。

御殿を出て城下に歩いて行くと大きな平屋風の建物がありました。が、これを撮影している時点で何なのかは分かっていません。

なんと掛川市の中央図書館でした。中央図書館コレクションがまた一つ増えてうれしい。
寄棟の四方を大きなガラス窓として開放感が溢れていますが、深い軒で直接光が入ることはありません。
写真では見えませんが中央にRC造りのコアがあってそれをベースにV字に組んだ小屋組みが屋根を支えています。2001年日建設計。城跡らしいデザインも〇。

同じく掛川城下の藩士屋敷跡に大日本報徳社があります。「二宮尊徳の報徳思想を信条とする日本の公益社団法人」とのことですがいまひとつ分かりにくい。
全国的な組織のようですが、ここ掛川が本部であり写真の重要文化財である大講堂(1903)はじめ。いくつかの古い建築物で構成されていて見学できます。

報徳図書館。昭和2年のコンクリート造。戦後は市の図書館としても使われていました。

仰徳記念館(旧有栖川宮熾仁親王邸御座所)。明治17年に東京霞が関に建てられた皇室建造物。昭和13年に宮内省から下賜され移築。
大日本報徳社は皇室との関係も深く、昭和天皇も昭和初期にこちらに行幸されています。

仰徳学寮(旧有栖川宮熾仁親王邸侍女部屋)。尊徳の「ものを大切に使い続けるという「倹約」の教えが伝わる建物」と説明がありました。

お城周辺にはもういくつか見るところもあったのですが、暑いし午後の予定もあるのでここで中止。②に続きます。
駅方向に戻って最初に暖簾の出ていた天ぷら屋さんで久しぶりの冷気に触れつつお昼ご飯をいただきました。1500円の天ぷら定食、おかずがありすぎ。美味。
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高速バスで行く草津と軽井沢

2023年08月14日 | たびたび旅

草津にはサンシャイン池袋の1階にあるバスターミナルから高速バスで行きました。新宿バスタより近いと考えたのですが駅からすごく遠かった。新宿からの方が良かった。
40人乗りのバスに乗客は10人未満。高速バスで隣の席に人がいるのはつらいものですが、今回は非常にゆったり快適でした。バスは人気ない!

首都高5号線で美女木に行ってそこから外環道経由で関越に乗ります。以前自転車で通過したところを上から見るのは面白い。珍しい高速道路の信号もしっかり体験しました。

渋川伊香保で関越を下りて吾妻川に沿って西へ。突然すごいデザインの橋の下をくぐったので慌ててスマホカメラをオンにして振り返りざまに写した1枚。
JR 吾妻線第二吾妻川橋梁は八ッ場ダム建設に伴い吾妻線を付け替えた区間の起点になる橋で2010年に完成しました。
斜張橋(ハープ型の吊り橋)なのですが、通常はむき出しのケーブルをコンクリートで覆っています。日本に10か所ない珍しい橋です。

道の駅八ッ場で休憩時間があったのですぐ近くにある不動橋を見物に行きました。これが通常のケーブルむき出しの斜張橋です。
この下流2.7kmの所で八ッ場ダムが吾妻川を堰き止めていてこの辺りも吾妻川でありながら川幅が500m以上に拡大したダム湖の一部です。

不動橋から見える川岸、というか湖畔というのか。八ッ場ダムによって水没した段々畑の石垣を見ることができます。

到着した草津温泉については先に書きました。こちらは3時からの湯もみと踊りショーを見るために並んでいる人々。熱海もそうでしたが若い人が大半です。

西の河原に積まれていた石。かなりの手練れが積んだものとお見受けします。

北軽井沢にはRさんの会社がゾートマンションを一部屋保有していて、社員と家族は一泊500円(5,000円に非ず)で泊まることができます。
昨年10月に2人で行って2回目は一人で来ました。20畳以上のLDKと階段の上に2ベッドルーム。一人で過ごすには広すぎます。

リゾートマンションでのわびしいぼっちディナー。2人なら近所のイタリアンに肉を食べに行ったり居酒屋にも行きましたが、一人で行く気にはなりません。

翌日は9時半にホテルのバスで軽井沢駅まで送ってくれますが、運転手さんにお願いして星のやエリア手前で下車させてもらいました。
セゾン近代美術館石の教会については先にレポート済。今日は中軽井沢で見たその他の場所について。

↑こちらの建物はセゾン近くの国道沿いにありました。ただならぬ雰囲気が漂っていたので写真を撮っていたら中から出てきた方が坂茂が設計したものと教えてくれました。
美術手帳のこちらのレポートが詳しいです。「ししいわハウス軽井沢」。プリツカー賞受賞の建築家が設計したホテル、中も見たかったけどさすがに無理でした。

軽井沢野鳥の森の入り口にあたるピッキオとケラ池。ここからガイドさんの案内で野鳥の森を巡るネイチャーツアーが毎日開催されています。

1人で森の中を少しだけ歩いて見ました。スマホの地図に園内の道が表示されないのでちょっと怖いです。ガイドさんと歩くのが楽しそう。

星のやの関連施設で働くスタッフのための宿泊施設がありました。若くてかっこいい人たちがはつらつと働いています。

トンボの湯。向かいには県民食堂とか。

みんな大好き、ハルニレテラスとか。素通りして終わりました。

星のやエリアから中軽井沢までは徒歩で。しなの鉄道に乗りたかったのできれいな駅舎と併設のきれいな図書館で発車時刻まで時間調整させてもらいました。

一駅、5分ほどですがローカル線体験できました。軽井沢駅に近づくにつれてまどの外が真っ白に。

軽井沢駅はものすごい濃霧に包まれていました。

内装を水戸岡鋭治が手掛けた、しなの鉄道旧軽井沢駅舎の復活も見たかったのですが、霧と雨と風でそれどころではなかった。

JRの改札を出たところ。みんながんばって写真を撮っていました。

霧の中をやってきた新幹線。行きはバスで4時間かけて行きましたが、帰りは新幹線で40分です。
一泊二日でいろいろ見たいものも見て温泉にも3度入って、かかった費用は総額15,000円くらいで済みました。
今回は高速バス4時間に耐えられるかどうかのテストも兼ねていましたが、全然問題なかったです。近場の散歩に飽きたらちょっと遠出するのも良いですね。
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ひとり草津温泉

2023年08月11日 | たびたび旅

池袋バスターミナルから直行バスで3時間半。草津温泉に来ました。
前に来たのは2001年12月。雪の中の夫婦旅でしたが22年ぶりの今回は一人旅です。

湯畑は高温の源泉の温度を調節すると共にお土産となる湯の花を採取する場所だったことから畑と呼ばれています。
以前はただの四角形でしたが、1970年代に当時の町長の経営するホテルに投宿した岡本太郎が町長に依頼されて現在のひょうたん型の湯畑をデザインしたそうです。

スマホ自撮りスタンドがあったので記念に1枚。シャッターの瞬間に合わせてウソ笑顔を作ったつもりでしたが完全にタイミングがずれていました。

賑わう温泉街を歩いて西の河原へ。12時を過ぎていたので鴨つけ蕎麦が自慢の店でタレカツ丼を食べました。

西の河原公園。22年前には道の部分以外は雪に埋まっていました。

2001年。西の河の私たち。41歳。この頃ようやく普及し始めたデジカメを使い始めたのが2001年でした。解像度は640×480。当時はこれで充分と思ってました。
フィルムで撮っていたころはマメにプリントしてアルバムに貼っていましたし、2004年以降はブログで写真を残しています。
アルバムにもならない、ブログにもならない2000~2003年の頃の写真を探すのが一番大変です。フォルダ名検索のみが手がかりです。

西の河原露天風呂へ。そんなに混んでいなくてだだっ広いお風呂をのんびり楽しみました。

湯畑に戻ってここから草津温泉散歩。源頼朝が発見したと言い伝えられる白旗の源泉。昔の人はなんでもかんでも源頼朝のせいにしたようです。

草津山光泉寺の階段はけっこうきつい。湯畑の端から20mの高さの崖の上に上がります。

釈迦堂。祀られる釈迦如来像は元禄時代に東大寺の大仏の骨木を用いて作ったものだと言い伝えられてきましたが、2005年の調査でそれが事実であると判明。
300年の時を経て初めて真実が証明されたことから、「遅咲き如来」として改めて信仰されるようになったとか。

観光名所として紹介されない温泉周辺のいい風景を求めて数キロ歩き回りましたが、残念ながら特に見つかりませんでした。
草津温泉は湯畑と西の河原を繋ぐ数本の商業地意外に徒歩で行ける見どころはないようです。。

再び湯畑へ。夏休みでもっと混んでいるかと心配しましたが、台風6号の影響で雨予報だったおかげか、ほどよい賑わい具合でした。

草津ぶらぶら。草津は湯川の谷底の町。高台よりもう少し川の下流方向に歩いたほうが良かったかな。

玄関屋根のムクリが素敵な旅館があったのでなんとなく1枚写真に収めておいたら、なんとその旅館が22年前に泊った旅館でした。

記憶の中では違う旅館の名前を記憶していて(大阪屋さん)、そっちも写真を撮っておいたのですが記憶違いでした。
人の昔話は半分以上記憶違いと考えた方が良さそうです。

草津で3時間半過ごす予定でしたが、ちょっと時間が余りました。バスターミナルの上に町営の温泉図書館があったのでそこで資料を見ていました。
草津の湯が強酸性なので、お湯を配管するのに金属の管もコンクリートの管もあっという間に腐食して穴が開くという展示。
なので酸に強いアカマツの木をくり抜いて配管を作っていたのですが、その木をくり抜くための道具がたくさん展示してありました。面白い。

草津バスターミナル。15時30分の特急バスで北軽井沢に移動します。
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山口ツアー3日目(萩から秋吉台)

2023年07月09日 | たびたび旅

宮内庁から皇太子ご夫妻が宿泊されるという連絡が旅館に来た時に、最初にやったことは宿が所有する窯で皇室用の器を焼くことだったそうです。
写真の池の横の建物で朝食を食べたのですが、この建物も皇太子ご夫妻のために建てたそうです。ひょっとして大赤字?

最終日の今日は秋吉台がメインですが、その前に昨日回れなかった城下町一番人気の街並みを見ます。伊藤博文の名前を見ると劇団ひとりの顔しか浮かんでこない。。。

菊屋横丁。萩藩御用達の商家通り。かつて建設省が選定した日本の道100選に選ばれています。
小田村伊之助(楫取素彦)の家とか、木戸孝允の家とかが狭い範囲に並んでいます。城からの距離がそのまま家の格とすればこの辺りは上級武士の町です。
この辺りと比べたら昨日見た松下村塾などははるかに辺境の場所でした。今もう一度「花燃ゆを」見てみたい気がします。

江戸屋横丁。萩の観光ポスターなどでよく使われるのはこちらの道。この時もバスで来た団体さんが歩いていました。これで萩は終了!

萩から秋吉台は35kmくらい。山の中に入って行くと途中から秋吉台カルストロードでカルストの中を走れます。この車が三日間お世話になったNOTE君。よく走る。

秋吉台展望台。

たくさんの散策コースがありますが、今日は往復15分くらいのミニ散歩で眺めの良い所まで歩いて見ました。

出かける前、天気予報は三日とも雨だったんですけど。

秋芳洞に行く時間はなかったし、あったとしても洞窟は二人ともあまり好まないので、車で10分ほどの秋吉台国際芸術村へ。
アーティストの創作活動の拠点を目的として建てられた、多目的ホール、宿泊施設、ギャラリーなどからなる複合施設です。1998年。磯崎新の代表作。

車で45分ほど走って宇部空港へ。車も返却。今回もなんとか無事故で終れました。出発までゆっくり時間があったので今回も空港の食堂でゆっくりビールを飲みました。

全旅程。横に長い山口県の左半分だけを見て回りました。走行距離は350km。

経県値。残りは鳴門海峡も祖谷のかずら橋も大歩危小歩危も大塚国際美術館も行ってるのに、なぜか宿泊はしていない徳島県のみ。

帰ります~
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山口県ツアー 2日目(萩へ)

2023年07月08日 | たびたび旅
二日目。ホテルで見た地元の新聞には豪雨被害の記事が1面トップでした。
昨日、場合によっては車で通る可能性もあった美祢市というところがいちばん大変だったようで、JR美祢線の鉄橋が川に落ちてしまいました。

その美祢市から30kmしか離れていないお隣の下関市で私たちは平穏に美味しい朝食を食べていました。

今日の始めは、長門市の人気スポット、元乃隅神社の鳥居から。駐車場のある岸壁の上から123基の奉納鳥居が海に向かって伸びています。

鳥居は商売繁盛や長寿健康を願って奉納されたものなので、基本的にコストはゼロ円。お手軽にパワースポット的名所が作り出せる妙案です。

萩に行く手前で長門市の市役所を見学。2020年に完成した新庁舎はなかなかすごかったです。

長門から萩までは山陽道の高速無料区間で行けるところを、勘違いして山の中の旧道を走ってしまいました。お昼前になんとか萩市内に到着。
萩美術館に車を置かせてもらって、お隣のボタニカルなカフェで軽くランチ。ここから徒歩で萩城下町の東側を回ります。

萩図書館。

明倫小学校。元は昭和10年に建てられた4棟の木造校舎を使用していましたが、2014年にこちらの新校舎に移転しました。校舎デザインは旧萩小学校をイメージしています。

こちらが登録有形文化財となった旧明倫小学校。小学校が移転した後ミュージアムや観光案内所、市民ギャラリーなどに改造されて、名を明倫学舎と変えました。
1973年からサンデーで連載された小山ゆうの「おれは直角」という漫画の舞台が萩明倫館だったので、その名前は子供のころから馴染んでいました。
明倫学舎のスタッフの人(30代・女性)に「おれは直角」を知っているか尋ねましたがまったく聞いたこともない様子でした。残念!

長さ90mの廊下では雑巾がけレースが開催されるそうです。

毛利家家臣のための藩校だった明倫館は廃藩置県と共に廃校に。明倫小学校はその跡地に60年後に建てられた小学校で明倫館と直接の関係はありません。
現在の明倫学舎という施設名は2017年のオープンに際して考えられた名称です。明倫館(江戸)→明倫小学校(昭和)→明倫学舎(令和)。こんな変遷です。

Rさんと別れて一人市内散歩。こちらは菊竹清訓が設計した萩市庁舎。菊竹作品にしては極めてまっとうな建物でした。

市庁舎の隣にある萩市民館も同じ菊竹清訓作品。こちらは菊竹の本領発揮という感じでやりたい放題の設計でした。後で詳しくレポートします。

山口県立萩美術館・浦上記念館。1996年。丹下健三建築事務所。
入口のあるメインの建物と独立した展示室が2棟。それらを囲む渡り廊下という構成ですが、今一つ何がしたかったのか分からない建物でした。

もうひとつ別棟の陶芸館は丹下ではなく金子信建築事務所による増築。展示室の壁に沿ってスロープで2階に上がるスタイル。
金子信建築事務所は萩にある設計事務所で、先に見た萩図書館や新・明倫小学校など萩を中心に活躍しているようでした。

萩市には国が定めた伝統的建造物群保存地区が4か所あります。最初に訪ねたのは海に近い浜崎伝建地区。中心にある住吉神社に車を置かせてもらいました。

城下町の形成にともなって開かれた港町で、近世は北前船の寄港地として廻船業と水産業で栄えました。

旧山村家住宅。表屋造りと呼ばれる上方の建築様式を取り入れた町家です。

中で案内してもらうことができました。見ているのは引札という江戸から大正時代にかけて、商店、製造販売元などの宣伝のために作られた広告チラシ。

古い建物を維持していくのは手間もコストもかかって本当に大変です。

町屋の説明をしていただいた方に松陰神社は行ったのかと聞かれて慌てて見に行った世界遺産、松下村塾。危ない忘れてた。「花燃ゆ」で見ていたあれはこれだったか。

松陰神社本殿。世田谷育ちなので東京の松陰神社は馴染みがありました。「ご本家」に来られて光栄です。

時刻も16時になったので一度荷物を置きに本日の宿へ。もう一つの伝建地区、旧三の丸のど真ん中にある「北門屋敷」と言う名の旅館です。
車でここまで来て、ここからどうすればいいのか、駐車場はどこなのかまごついてしまいました。このまま門の中に入れば良かったのです。

きれいな庭のある温泉旅館でした。皇太子と雅子様がご結婚後に最初に泊られた宿だそうです。へ~。

Rさんはこちらのお部屋で休憩。私は今日のうちに堀内伝建地区と萩城を見ておきたいので徒歩で外出。

毛利輝元が指月山に築城し、その周囲に作った町割りが良く残されています。昭和51年、秋田の角館、京都祇園、木曽妻籠宿と共に選ばれた全国で最初の伝建地区の一つです。

明治以降の近代化では城周辺の広大な武家屋敷が公共施設用地になるのが常ですが、ここ萩では屋敷跡ではなく城から離れた低湿地帯に市役所、公民館、学校が作られました。
古い家屋があるだけで軍事施設がなかったので空襲の対象にもならず。そんな幸運が重なってこうやって江戸の街並みを歩くことができています。

萩に入ってからまったく意識していませんでしたが、実は萩は海辺の町でした。砂浜の先に見えているのが萩城の背後にある指月山。
海岸線からの攻撃に備えて山裾にも切れ目なく石垣と櫓が築かれていました。山頂にも詰めの城がありました。

城内へ。濠の水は海水が引き込まれているそうです。

天守台。江戸時代には5層5階の天守閣がそびえ立っていましたが、1874年(明治7年)に解体されました。

海を背にして、二方を川に囲まれた場所に城があり、繁栄した城下町から見れば結果的に町のはずれに城があるという町割りになりました。
明治以降、本丸、二の丸がほとんど手つかずで残されたのは城跡が一番不便な場所だったからかも知れません。

夕食も美味しかった。今回2か所の宿がどちらも当りで良かったです。

ちょろっとふくも出ました。
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山口県ツアー 1日目(壇ノ浦・下関・角島)

2023年07月07日 | たびたび旅
初夏の山口へ。生涯で宿泊したことのない2県のうちのひとつを片付けます。

4月の大分行きの出発ロビーまでもずいぶんと歩かされましたが、山口宇部空港行きはそれ以上で、バスラウンジからバスでした。国内線でバスは初めてです。
おかげで飛行機の間横で写真を撮ったり、懐かしいタラップで乗り込んだりとちょっと楽しい体験でした。

九州中部地方は大雨予想。線状降水帯も発生して今回予定しているルート上にも通行止めマークがいくつもありました。
どうなることかと不安いっぱいの旅立ちでしたが、とりあえず琵琶湖辺りまでは快晴。ずーっと地上を見ていました。ここは河口湖。湖の形と橋でわかります。

1時間20分で山口宇部空港着。宇部は庵野秀明監督の生誕地と言うことで全面的にエヴァンゲリオンコラボでした。
駅ビルから徒歩10秒の隣のビルに複数のレンタカー店が入っていて、駐車場も共同なので手続きが早い。今回は日産のグレーのNOTEで三日間走ります。

山陽自動車道宇部下関線で一路下関へ。と言いつつ下関は通り過ぎて関門橋を渡って北九州は門司港駅に来てしまいました。
2021年の九州北部の旅のGPS軌跡と繋いでおこうとおもったので。これで本州と九州を繋ぐことができました。

門司からは関門トンネルで下関に戻って来ました。お昼ご飯を唐戸市場という商業施設で食べる計画でしたが混んでいたので壇ノ浦へ。
さきほど渡った関門橋は壇ノ浦の頭上を通っています。本州と九州って僅か650mしか離れていないんですね。

壇ノ浦の合戦場がどういう所なのかようやく理解しました。義経の銅像や、攘夷に燃えていた長州藩の大砲が海岸の公園に並べられていました。
お昼ご飯には駐車場としても使わせてもらった市村蒲鉾店のイカ天うどんと追加のふぐ天。「天」と言っても天ぷらじゃなくてすべて練り物でした。美味。

すぐ横には関門トンネルの人道入り口があります。同じトンネルですが自動車の出入り口と人道の出入り口は1.5kmほど離れています。

エレベーターで降りてこれが関門トンネル人道。片道780mで九州側の出口に到達します。今回は100mほど進んで引き返しましたが。

市内に戻っていくつか下関の近代建築巡り。こちらは旧秋田商会ビル。明治から大正にかけて莫大なな財産を築いた総合商社の本社兼住居。

レンガ造りの外観からまったく想像もできなかった和室。和室もあるというのではなくて洋室もあるけど2階以上の大半は和室と言うスタイル。珍しい!

山口銀行旧本店。現在は「やまぎん資料館」として一般公開中。
この他、現役の郵便局としては日本最古の下関南部町郵便局と旧下関英国領事館も見てきました。

下関駅周辺と彦島あたりもも行っておきたかったのですが、道路状況によっては次の目的地まで大きく迂回になる可能性もあったのでパスしました。
ここから国道191号で海沿いに山陰本線と交差を繰り返しながら北に向かいます。昔の街道筋らしい風景が残っています。

川棚温泉で隈研吾が設計した川棚温泉交流センターを見学。来日時に川棚に滞在したアルフレッド・コルトーに因んだ音楽ホールがあります。

山口県道路情報地図で2か所あった通行止め区間は無事に通れるようになっていました。流れ込んだ土砂を徹夜で撤去してくださった作業員の方々に深く感謝。

しかし、その数km先の場所で「崩壊の恐れあり」で通行止めになってしまいました。次の目的地まで15kmの所までは来ていたので迂回は最小限で済みました。

次の目的地はこちら。角島大橋。山口県の北西に浮かぶ角島と本土を結ぶ1,780mの美しい橋です。2000年に開通。
中ほどの小島を避けて少しカーブしていて、その先で大型船を通すようふわっと高さが上がる辺りがなんとも素敵。2003年の土木学会デザイン賞・優秀賞を受賞しています。

渡り終えて、島から本土側を見ています。残念ながら今日はイマイチですが、美しいコバルトブルーとの対比が素晴らしく、車のCMでしばしばロケ地に選ばれています。

島の奥にある角島灯台へ。犬吠埼灯台爪木崎灯台と同じく日本の灯台の父、ヘンリー・ブラントン博士の設計。花崗岩積みの美しい灯台でした。

高所苦手なんですが、Rさんが登ろう!と積極的なのでがんばって灯台の上まで行きました。絶景でした。(でも手すりの方には行けない)

灯台の下の駐車場の脇の休憩所でいい香りに誘われて剣先イカ焼きを買いました。美味しかった~!
ノンアルのレモンサワーを乾いた喉に流し込んでいたらおじさんに「俺これから漁に行かなきゃいけないんだよ。そんなに美味しそうに飲まないでよ~」と言われました。

ということで、初日の行程を無事に完遂して宿に。ホテル西長門リゾートは角島が浮かぶ海に面したホテルです。

ロビーから見える海と角島大橋。

お部屋の窓からも海と角島大橋。前を遮るものが何もない全開の景色ですが、巨大な1枚ガラスがちゃんとはまっています。
このガラス窓が足元まであるので、室内からの眺めも最高ですが、同じくらい外からでも室内が丸見えです。
鴨川リゾートホテルグループが1977年に2棟目として建てた古いホテルですが、2023年春にリニューアルオープン。快適な館内でした。

プライべートビーチの端にはウェディングのための教会もありました。

夕食はビュッフェスタイル。コロナに以降、ビュッフェの夕食が増えました。好んではいませんがこちらのは満足度高かった。種類も味も文句ありません。

6時に夕食。7時過ぎに部屋に戻った時にはまだ太陽は島の上にありました。日没まであと30分。すごい格好でスマホを見ているRさん(笑)

20時からのホテル主催の角島ナイトツアーに参加。昼間見た灯台をライトの点灯している夜間にもう一度見る。
明治7年にフランスのバルビエ社が製造したレンズが現役で使われているのですが、そのキラキラした輝きの美しいこと! 素晴らしい締め括りとなりました。
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大分 春の旅2023(5)宇佐神宮と両子寺

2023年04月29日 | たびたび旅

院内の石橋巡りを終えて宇佐駅の近くの宿にチェックイン。家族で運営している小さな宿でしたがこの日の宿泊が私たち二人だけでのんびりできました。
夕食は二日続けての鍋。今夜は大分産地鶏と豚バラ。とても美味しかったのですが量もまたすごい。豚鶏合わせて1kg近くあったのではないかと思われます。

東京の三鷹にお住まいだったご主人が定年後に実家のある宇佐に戻って始められたお宿で、お風呂やオーディオ設備など強いこだわりが見受けられました。
食後にはギターも少し弾かせてもらって褒められました。国道10号線沿いで多少は車の音が聞こえますが、大分旅行支援ありで一人12,000円はお得!

夕食はあるのに朝食はなしで、徒歩圏内にあるファミレスの食事券をもらいます。起きてすぐに朝食散歩にでました。
USAな宇佐駅のホームは遠目で見ると星条旗に見えるようなデザインが描かれていました。よーく見ると宇佐神宮のイラストです。

朝食のファミレスはジョイフル。全国に700点以上の店舗があり(これはガスト、サイゼリアに次いで第3位)ますが、そのうち約400店が九州内にあります。
モーニングは朝5時からやっているということを事前に調べて行ったのに7時に到着したら営業していませんでした。右手と左手で書かれている営業時間が違う。
仕方ないので宿に戻ってチェックアウト。最初の目的地の中津市にあるジョイフルで無事に美味しいモーニングを食べられました。

中津市の目的地はこちら。風の丘葬祭場。丹下健三の次にプリツカー賞を受賞した日本建築界の重鎮、槇文彦の代表作のひとつです。こちらについては別項で。

宇佐に戻って宇佐神宮に参拝。

丘陵地を使った広大な敷地の中にたくさんの社があります。まずは麓にある下宮にお参り。三つの宮が横並びにあって左から順に参ります。
宇佐神宮は二礼四拍手一礼。出雲大社と同じやり方です。新潟の彌彦神社も同じなのですが5年前に行った時のブログにそのことを書いてないから知らなかったのかも。

外宮の後は小椋山の上まで石段で登ります。途中三角の石が向き合っている夫婦岩では手を繋いで一緒に踏むと幸せになるということなのでやる。

上宮本殿。国宝。全国に4万社ある八幡様の総本宮です。



国宝と書きましたこちらは拝殿。国宝はこの後ろにある6~7世紀に建てられた3つの本殿です。残念ながら隙間からかすかに見える程度です。

小椋山の上まで自力で登れない人のためにモノレールも用意されていました。

呉橋。現在の橋は1622年のもの。現在は表参道からぽつんと離れた場所にありますが古来から昭和初期までは朝廷より派遣された勅使が通った表参道の終着点でした。

表参道の脇には仲見世も並んでいます。こちらは宿の型のおすすめの葱焼き。美味しそうでしたが朝食の後でしたので見るだけ。

ここから国東半島の中央の両子山(ふたごさん)の上に向かってどんどん進んでいきます。都甲川を堰き止めた素朴なロックフィル、並石(なめし)ダム。桜の名所だそうです。

宇佐神宮から45分のドライブで両子寺(ふたごじ)に到着。普段運転していないので山道を心配していましたがここまで完全に舗装された大型バスでも平気な道路でした。

国東半島や大分の観光ポスターでよく使われる場所です。国東半島の仁王像は石の丸彫りで門に仕舞われることもなく屋外に立っています。

参拝入口で拝観料300円を納めて上を目指します。こちらは護摩堂の石垣。新緑も素晴らしいのですが紅葉の季節もすごそうです。

本堂である護摩堂にお参り。

鬼橋を渡って奥の院に向かいます。

奥の院石段前に石鳥居。

奥の院本殿。写真ではあまり伝わらないのですが、全体は岩屋の中にあり正面は崖に面しています。
ずっと法螺貝の音がしていたので修行僧かと思っていたら、本殿の前に立っている一般の旅行者が法螺貝を持参して吹いているのでした。横で心配そうに見守る奥さん。

足元は懸造り。近年、懸造りに関しては「絶壁建築巡り」という本を参考にしているのですが、国東半島には集中的に懸造りが多く掲載されています。
大分県には優れた現代建築、石橋、懸造りと私が特に興味の強いものが揃っているすごい県なのでした。

岩屋と本殿の見切り部分。

本堂の奥の岩屋戸の隙間。不老長寿の霊水と言われる湧水の前に千手観音が祀られていました。

近くにもう一つくらい行きたいお寺があったのですが、レンタカーの返却時間もあるので大分空港へ。両子寺からは40分くらいでした。
恒例の空港メシはとり天丼と生ビール。最後まで美味しかった。魅力あふれる大分、2回目はいつかな。

今回の旅行ルートです。丸数字の順番で移動しました。
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大分 春の旅2023(2)湯布院

2023年04月26日 | たびたび旅

キハ71系ゆふいんの森4号。1989年に製造された初代ゆふいんの森。かつて父親をやってたころ、3歳の息子に買い与えた最初の鉄道模型の一つがこれでした。
ふしぎで美しいデザインの車体にいつか乗ってみたいと思っていましたが、30年前の私は湯布院がどこにあるかもまったく分からず、乗りに行くガッツもなかったです。
今回の大分旅行で交通機関を調べていて、ゆふいんの森に乗れそうだと分かってからプラン作成にも俄然力が入りました。
製造から34年。初めて間近でみる車体は長い年月を隠そうともしない年季を感じさせるものでしたが、やはりかっこ良かったです。
1989年製造の車体をまだ使っていることに驚きました。でも一番驚いたのはこれが電車ではなくて気動車だと知った瞬間でした。ホームが油の臭いがしました。

たくさん写真を撮りましたが枚数削減のため残念ですがまとめます。九州の観光列車は「A列車で行こう」「指宿のたまて箱」に続いてこれで3つ目。
ゆふいんの森には1989年製のキハ71と1999年製のキハ72の2種類が運行中で、水戸岡鋭治が携わったのはキハ72だけ。今回乗った初代ゆふいんの森は関係していません。

14時43分に別府を出発して15時44分に湯布院到着。駅を出てすぐ右手に坂茂の湯布院ツーリストインフォメーションセンター。
急増した乗降客は駅舎に収まりきらず駅前の交通に混乱を来たしていたため、適切な情報を提供しながら待合としても機能する空間が必要となりこれが建てられました。

集成材の交差ヴォールトとそれを支えるY字の柱の重なり。置かれている椅子が坂茂を世界に知らしめた紙管で作られている所にも注目。
普通ならこれ1件でブログひとつたっぷり書くような物件ですが今回は見たものが多いのでここは簡単に流して先に進みます。

湯布院のメインストリートらしい由布見通りからその先の湯の坪街道・たけもと通り。両側に延々とお土産、クラフト雑貨、スイーツ、和菓子などの店が並びます。
湯布院ってどういうところかほとんど知らないで来ましたが、この竹下通りみたいな道が一番の人気スポットならちょっとがっかりと思いました。人が多すぎる。

竹本通りを右に折れて、まだ続く雑貨やスヌーピーのチョコの店の前を通り過ぎて大分川にそって進んだ先に本日の宿がありました。
土曜日の宿泊3週間前でも空室があって価格帯も抑え目な宿だったので大きな期待はしていなかったのですが、緑の庭がある意外といい雰囲気の宿で一安心。

庭の一角。八重桜が散っている最中でした。朝の気温は8度。湯布院は高地なので東京よりずっと春が遅いのです。

夕食は充分な質と量の牛しゃぶメインで、小鉢もシンプルだけど味は良かったです。旅行支援ありとはいえ、一人1万円ちょいですからコスパは良好。

食事もお風呂も別棟なので庭を行き来して移動します。こちらが浴場棟の入り口。ここだけ見ればけっこう高級旅館ぽい。仙洞という旅館です。

部屋数が全部で12~3の旅館でこのような家族風呂が5つもあります。予約不要で空いていれば24時間いつでも入れます。浴槽前にはテレビまで。長湯しちゃう。

そして風呂を出たところには無料のドリンク。右側に無料・無制限の生ビールのサーバーまで。私の知り合いの呑兵衛ならここで延々と飲み続けるんだろうな。

一夜明けて翌朝は6時に露天風呂。私一人貸し切りでした。朝からビール飲みたくなっちゃうけど我慢。

朝食が8時からなのでその前に金鱗湖に散歩に行きました。宿のすぐ近くでこんな感じ。美しい。

金鱗湖。湖底の別の場所で水とお湯の両方が湧き出ています。湯の湧く場所は水面に湯気が見えます。冬場は湖面全体が靄で覆われるそう。奥のふたこぶ山が由布岳。

湖畔にある天祖神社の裏手から。湖の中の鳥居と鳥居の上のカラスとカラスを見る妻とそれを撮影する私。
昨日、人だらけの雑多なストリートを見てがっかりと思いましたが、このあたりにいると湯布院いいじゃんと思い始めています。

湖に流れ込む川が数本あります。こちらはお湯が流れていました。川自体が足湯です。その右側に茅葺の湯処。

こちらは「外来者入浴禁止」。地元の人だけが入れる公衆浴場です。朝7時過ぎで中からすごく楽しそうな笑い声が聞こえていました。

金鱗湖の湖畔にもパンやスイーツのお店が進出しています。どんどん増えて駅前の道みたいにならないことを願います。

「御三家」と言われる湯布院の人気高級旅館の一つ、亀の井別荘に渡る橋。平日なら二食付きが二人で9万4千円くらいから。10年後に元気だったら泊まろう。

部屋に戻るとじきに朝食でした。名前の分からない魚の干物、美味しかった。私たちにはこれで充分です。

昨日の朝散歩で外観しか見られなかった県立美術館の中に入りたかったので、予定を90分早めて大分に戻ることにしました。帰りは川沿いの長閑な道を往く。
右手の焼杉の建物は隈研吾がデザインした新しい施設で「コミックアートミュージアム」。

風景に溶け込んだ穏やかな外観でした。現代アートの展示をするそうです。

屋根の上には奈良美智の白犬がいました。よーく見ると見えます。

ミュージアムを通り過ぎると川沿いはこんな道。今日もいいお天気でうれしい。

湯布院最後の建築紹介は由布院駅。磯崎新の設計で1990年に完成。昨日来た時にも写真撮ったのですが逆光だったので順光の朝に取り直し。

ホール天井。礼拝堂をイメージしたものだそうです。

駅なのに改札がないので係の方が手動で改札作業をします。この写真は昨日ゆふいんの森で別府から到着した時の写真です。

ホームには赤い車両と青い車両が停まっていました。二つの車両はそれぞれ反対の方向に走って行きます。
赤い電車は手前方向に博多へ、青い電車は奥の方向に大分まで。線路は複数あるのに別の方向の電車が同じ線路上にいるのは面白いです。

午前10時30分。大分駅についたら赤と青の他に黄色まで停車していました。てんとう虫のサンバのメロディが頭に浮かびます。
コメント (2)
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