ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

山口県ツアー 2日目(萩へ)

2023年07月08日 | たびたび旅
二日目。ホテルで見た地元の新聞には豪雨被害の記事が1面トップでした。
昨日、場合によっては車で通る可能性もあった美祢市というところがいちばん大変だったようで、JR美祢線の鉄橋が川に落ちてしまいました。

その美祢市から30kmしか離れていないお隣の下関市で私たちは平穏に美味しい朝食を食べていました。

今日の始めは、長門市の人気スポット、元乃隅神社の鳥居から。駐車場のある岸壁の上から123基の奉納鳥居が海に向かって伸びています。

鳥居は商売繁盛や長寿健康を願って奉納されたものなので、基本的にコストはゼロ円。お手軽にパワースポット的名所が作り出せる妙案です。

萩に行く手前で長門市の市役所を見学。2020年に完成した新庁舎はなかなかすごかったです。

長門から萩までは山陽道の高速無料区間で行けるところを、勘違いして山の中の旧道を走ってしまいました。お昼前になんとか萩市内に到着。
萩美術館に車を置かせてもらって、お隣のボタニカルなカフェで軽くランチ。ここから徒歩で萩城下町の東側を回ります。

萩図書館。

明倫小学校。元は昭和10年に建てられた4棟の木造校舎を使用していましたが、2014年にこちらの新校舎に移転しました。校舎デザインは旧萩小学校をイメージしています。

こちらが登録有形文化財となった旧明倫小学校。小学校が移転した後ミュージアムや観光案内所、市民ギャラリーなどに改造されて、名を明倫学舎と変えました。
1973年からサンデーで連載された小山ゆうの「おれは直角」という漫画の舞台が萩明倫館だったので、その名前は子供のころから馴染んでいました。
明倫学舎のスタッフの人(30代・女性)に「おれは直角」を知っているか尋ねましたがまったく聞いたこともない様子でした。残念!

長さ90mの廊下では雑巾がけレースが開催されるそうです。

毛利家家臣のための藩校だった明倫館は廃藩置県と共に廃校に。明倫小学校はその跡地に60年後に建てられた小学校で明倫館と直接の関係はありません。
現在の明倫学舎という施設名は2017年のオープンに際して考えられた名称です。明倫館(江戸)→明倫小学校(昭和)→明倫学舎(令和)。こんな変遷です。

Rさんと別れて一人市内散歩。こちらは菊竹清訓が設計した萩市庁舎。菊竹作品にしては極めてまっとうな建物でした。

市庁舎の隣にある萩市民館も同じ菊竹清訓作品。こちらは菊竹の本領発揮という感じでやりたい放題の設計でした。後で詳しくレポートします。

山口県立萩美術館・浦上記念館。1996年。丹下健三建築事務所。
入口のあるメインの建物と独立した展示室が2棟。それらを囲む渡り廊下という構成ですが、今一つ何がしたかったのか分からない建物でした。

もうひとつ別棟の陶芸館は丹下ではなく金子信建築事務所による増築。展示室の壁に沿ってスロープで2階に上がるスタイル。
金子信建築事務所は萩にある設計事務所で、先に見た萩図書館や新・明倫小学校など萩を中心に活躍しているようでした。

萩市には国が定めた伝統的建造物群保存地区が4か所あります。最初に訪ねたのは海に近い浜崎伝建地区。中心にある住吉神社に車を置かせてもらいました。

城下町の形成にともなって開かれた港町で、近世は北前船の寄港地として廻船業と水産業で栄えました。

旧山村家住宅。表屋造りと呼ばれる上方の建築様式を取り入れた町家です。

中で案内してもらうことができました。見ているのは引札という江戸から大正時代にかけて、商店、製造販売元などの宣伝のために作られた広告チラシ。

古い建物を維持していくのは手間もコストもかかって本当に大変です。

町屋の説明をしていただいた方に松陰神社は行ったのかと聞かれて慌てて見に行った世界遺産、松下村塾。危ない忘れてた。「花燃ゆ」で見ていたあれはこれだったか。

松陰神社本殿。世田谷育ちなので東京の松陰神社は馴染みがありました。「ご本家」に来られて光栄です。

時刻も16時になったので一度荷物を置きに本日の宿へ。もう一つの伝建地区、旧三の丸のど真ん中にある「北門屋敷」と言う名の旅館です。
車でここまで来て、ここからどうすればいいのか、駐車場はどこなのかまごついてしまいました。このまま門の中に入れば良かったのです。

きれいな庭のある温泉旅館でした。皇太子と雅子様がご結婚後に最初に泊られた宿だそうです。へ~。

Rさんはこちらのお部屋で休憩。私は今日のうちに堀内伝建地区と萩城を見ておきたいので徒歩で外出。

毛利輝元が指月山に築城し、その周囲に作った町割りが良く残されています。昭和51年、秋田の角館、京都祇園、木曽妻籠宿と共に選ばれた全国で最初の伝建地区の一つです。

明治以降の近代化では城周辺の広大な武家屋敷が公共施設用地になるのが常ですが、ここ萩では屋敷跡ではなく城から離れた低湿地帯に市役所、公民館、学校が作られました。
古い家屋があるだけで軍事施設がなかったので空襲の対象にもならず。そんな幸運が重なってこうやって江戸の街並みを歩くことができています。

萩に入ってからまったく意識していませんでしたが、実は萩は海辺の町でした。砂浜の先に見えているのが萩城の背後にある指月山。
海岸線からの攻撃に備えて山裾にも切れ目なく石垣と櫓が築かれていました。山頂にも詰めの城がありました。

城内へ。濠の水は海水が引き込まれているそうです。

天守台。江戸時代には5層5階の天守閣がそびえ立っていましたが、1874年(明治7年)に解体されました。

海を背にして、二方を川に囲まれた場所に城があり、繁栄した城下町から見れば結果的に町のはずれに城があるという町割りになりました。
明治以降、本丸、二の丸がほとんど手つかずで残されたのは城跡が一番不便な場所だったからかも知れません。

夕食も美味しかった。今回2か所の宿がどちらも当りで良かったです。

ちょろっとふくも出ました。
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山口県ツアー 1日目(壇ノ浦・下関・角島)

2023年07月07日 | たびたび旅
初夏の山口へ。生涯で宿泊したことのない2県のうちのひとつを片付けます。

4月の大分行きの出発ロビーまでもずいぶんと歩かされましたが、山口宇部空港行きはそれ以上で、バスラウンジからバスでした。国内線でバスは初めてです。
おかげで飛行機の間横で写真を撮ったり、懐かしいタラップで乗り込んだりとちょっと楽しい体験でした。

九州中部地方は大雨予想。線状降水帯も発生して今回予定しているルート上にも通行止めマークがいくつもありました。
どうなることかと不安いっぱいの旅立ちでしたが、とりあえず琵琶湖辺りまでは快晴。ずーっと地上を見ていました。ここは河口湖。湖の形と橋でわかります。

1時間20分で山口宇部空港着。宇部は庵野秀明監督の生誕地と言うことで全面的にエヴァンゲリオンコラボでした。
駅ビルから徒歩10秒の隣のビルに複数のレンタカー店が入っていて、駐車場も共同なので手続きが早い。今回は日産のグレーのNOTEで三日間走ります。

山陽自動車道宇部下関線で一路下関へ。と言いつつ下関は通り過ぎて関門橋を渡って北九州は門司港駅に来てしまいました。
2021年の九州北部の旅のGPS軌跡と繋いでおこうとおもったので。これで本州と九州を繋ぐことができました。

門司からは関門トンネルで下関に戻って来ました。お昼ご飯を唐戸市場という商業施設で食べる計画でしたが混んでいたので壇ノ浦へ。
さきほど渡った関門橋は壇ノ浦の頭上を通っています。本州と九州って僅か650mしか離れていないんですね。

壇ノ浦の合戦場がどういう所なのかようやく理解しました。義経の銅像や、攘夷に燃えていた長州藩の大砲が海岸の公園に並べられていました。
お昼ご飯には駐車場としても使わせてもらった市村蒲鉾店のイカ天うどんと追加のふぐ天。「天」と言っても天ぷらじゃなくてすべて練り物でした。美味。

すぐ横には関門トンネルの人道入り口があります。同じトンネルですが自動車の出入り口と人道の出入り口は1.5kmほど離れています。

エレベーターで降りてこれが関門トンネル人道。片道780mで九州側の出口に到達します。今回は100mほど進んで引き返しましたが。

市内に戻っていくつか下関の近代建築巡り。こちらは旧秋田商会ビル。明治から大正にかけて莫大なな財産を築いた総合商社の本社兼住居。

レンガ造りの外観からまったく想像もできなかった和室。和室もあるというのではなくて洋室もあるけど2階以上の大半は和室と言うスタイル。珍しい!

山口銀行旧本店。現在は「やまぎん資料館」として一般公開中。
この他、現役の郵便局としては日本最古の下関南部町郵便局と旧下関英国領事館も見てきました。

下関駅周辺と彦島あたりもも行っておきたかったのですが、道路状況によっては次の目的地まで大きく迂回になる可能性もあったのでパスしました。
ここから国道191号で海沿いに山陰本線と交差を繰り返しながら北に向かいます。昔の街道筋らしい風景が残っています。

川棚温泉で隈研吾が設計した川棚温泉交流センターを見学。来日時に川棚に滞在したアルフレッド・コルトーに因んだ音楽ホールがあります。

山口県道路情報地図で2か所あった通行止め区間は無事に通れるようになっていました。流れ込んだ土砂を徹夜で撤去してくださった作業員の方々に深く感謝。

しかし、その数km先の場所で「崩壊の恐れあり」で通行止めになってしまいました。次の目的地まで15kmの所までは来ていたので迂回は最小限で済みました。

次の目的地はこちら。角島大橋。山口県の北西に浮かぶ角島と本土を結ぶ1,780mの美しい橋です。2000年に開通。
中ほどの小島を避けて少しカーブしていて、その先で大型船を通すようふわっと高さが上がる辺りがなんとも素敵。2003年の土木学会デザイン賞・優秀賞を受賞しています。

渡り終えて、島から本土側を見ています。残念ながら今日はイマイチですが、美しいコバルトブルーとの対比が素晴らしく、車のCMでしばしばロケ地に選ばれています。

島の奥にある角島灯台へ。犬吠埼灯台爪木崎灯台と同じく日本の灯台の父、ヘンリー・ブラントン博士の設計。花崗岩積みの美しい灯台でした。

高所苦手なんですが、Rさんが登ろう!と積極的なのでがんばって灯台の上まで行きました。絶景でした。(でも手すりの方には行けない)

灯台の下の駐車場の脇の休憩所でいい香りに誘われて剣先イカ焼きを買いました。美味しかった~!
ノンアルのレモンサワーを乾いた喉に流し込んでいたらおじさんに「俺これから漁に行かなきゃいけないんだよ。そんなに美味しそうに飲まないでよ~」と言われました。

ということで、初日の行程を無事に完遂して宿に。ホテル西長門リゾートは角島が浮かぶ海に面したホテルです。

ロビーから見える海と角島大橋。

お部屋の窓からも海と角島大橋。前を遮るものが何もない全開の景色ですが、巨大な1枚ガラスがちゃんとはまっています。
このガラス窓が足元まであるので、室内からの眺めも最高ですが、同じくらい外からでも室内が丸見えです。
鴨川リゾートホテルグループが1977年に2棟目として建てた古いホテルですが、2023年春にリニューアルオープン。快適な館内でした。

プライべートビーチの端にはウェディングのための教会もありました。

夕食はビュッフェスタイル。コロナに以降、ビュッフェの夕食が増えました。好んではいませんがこちらのは満足度高かった。種類も味も文句ありません。

6時に夕食。7時過ぎに部屋に戻った時にはまだ太陽は島の上にありました。日没まであと30分。すごい格好でスマホを見ているRさん(笑)

20時からのホテル主催の角島ナイトツアーに参加。昼間見た灯台をライトの点灯している夜間にもう一度見る。
明治7年にフランスのバルビエ社が製造したレンズが現役で使われているのですが、そのキラキラした輝きの美しいこと! 素晴らしい締め括りとなりました。
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大分 春の旅2023(5)宇佐神宮と両子寺

2023年04月29日 | たびたび旅

院内の石橋巡りを終えて宇佐駅の近くの宿にチェックイン。家族で運営している小さな宿でしたがこの日の宿泊が私たち二人だけでのんびりできました。
夕食は二日続けての鍋。今夜は大分産地鶏と豚バラ。とても美味しかったのですが量もまたすごい。豚鶏合わせて1kg近くあったのではないかと思われます。

東京の三鷹にお住まいだったご主人が定年後に実家のある宇佐に戻って始められたお宿で、お風呂やオーディオ設備など強いこだわりが見受けられました。
食後にはギターも少し弾かせてもらって褒められました。国道10号線沿いで多少は車の音が聞こえますが、大分旅行支援ありで一人12,000円はお得!

夕食はあるのに朝食はなしで、徒歩圏内にあるファミレスの食事券をもらいます。起きてすぐに朝食散歩にでました。
USAな宇佐駅のホームは遠目で見ると星条旗に見えるようなデザインが描かれていました。よーく見ると宇佐神宮のイラストです。

朝食のファミレスはジョイフル。全国に700点以上の店舗があり(これはガスト、サイゼリアに次いで第3位)ますが、そのうち約400店が九州内にあります。
モーニングは朝5時からやっているということを事前に調べて行ったのに7時に到着したら営業していませんでした。右手と左手で書かれている営業時間が違う。
仕方ないので宿に戻ってチェックアウト。最初の目的地の中津市にあるジョイフルで無事に美味しいモーニングを食べられました。

中津市の目的地はこちら。風の丘葬祭場。丹下健三の次にプリツカー賞を受賞した日本建築界の重鎮、槇文彦の代表作のひとつです。こちらについては別項で。

宇佐に戻って宇佐神宮に参拝。

丘陵地を使った広大な敷地の中にたくさんの社があります。まずは麓にある下宮にお参り。三つの宮が横並びにあって左から順に参ります。
宇佐神宮は二礼四拍手一礼。出雲大社と同じやり方です。新潟の彌彦神社も同じなのですが5年前に行った時のブログにそのことを書いてないから知らなかったのかも。

外宮の後は小椋山の上まで石段で登ります。途中三角の石が向き合っている夫婦岩では手を繋いで一緒に踏むと幸せになるということなのでやる。

上宮本殿。国宝。全国に4万社ある八幡様の総本宮です。



国宝と書きましたこちらは拝殿。国宝はこの後ろにある6~7世紀に建てられた3つの本殿です。残念ながら隙間からかすかに見える程度です。

小椋山の上まで自力で登れない人のためにモノレールも用意されていました。

呉橋。現在の橋は1622年のもの。現在は表参道からぽつんと離れた場所にありますが古来から昭和初期までは朝廷より派遣された勅使が通った表参道の終着点でした。

表参道の脇には仲見世も並んでいます。こちらは宿の型のおすすめの葱焼き。美味しそうでしたが朝食の後でしたので見るだけ。

ここから国東半島の中央の両子山(ふたごさん)の上に向かってどんどん進んでいきます。都甲川を堰き止めた素朴なロックフィル、並石(なめし)ダム。桜の名所だそうです。

宇佐神宮から45分のドライブで両子寺(ふたごじ)に到着。普段運転していないので山道を心配していましたがここまで完全に舗装された大型バスでも平気な道路でした。

国東半島や大分の観光ポスターでよく使われる場所です。国東半島の仁王像は石の丸彫りで門に仕舞われることもなく屋外に立っています。

参拝入口で拝観料300円を納めて上を目指します。こちらは護摩堂の石垣。新緑も素晴らしいのですが紅葉の季節もすごそうです。

本堂である護摩堂にお参り。

鬼橋を渡って奥の院に向かいます。

奥の院石段前に石鳥居。

奥の院本殿。写真ではあまり伝わらないのですが、全体は岩屋の中にあり正面は崖に面しています。
ずっと法螺貝の音がしていたので修行僧かと思っていたら、本殿の前に立っている一般の旅行者が法螺貝を持参して吹いているのでした。横で心配そうに見守る奥さん。

足元は懸造り。近年、懸造りに関しては「絶壁建築巡り」という本を参考にしているのですが、国東半島には集中的に懸造りが多く掲載されています。
大分県には優れた現代建築、石橋、懸造りと私が特に興味の強いものが揃っているすごい県なのでした。

岩屋と本殿の見切り部分。

本堂の奥の岩屋戸の隙間。不老長寿の霊水と言われる湧水の前に千手観音が祀られていました。

近くにもう一つくらい行きたいお寺があったのですが、レンタカーの返却時間もあるので大分空港へ。両子寺からは40分くらいでした。
恒例の空港メシはとり天丼と生ビール。最後まで美味しかった。魅力あふれる大分、2回目はいつかな。

今回の旅行ルートです。丸数字の順番で移動しました。
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大分 春の旅2023(2)湯布院

2023年04月26日 | たびたび旅

キハ71系ゆふいんの森4号。1989年に製造された初代ゆふいんの森。かつて父親をやってたころ、3歳の息子に買い与えた最初の鉄道模型の一つがこれでした。
ふしぎで美しいデザインの車体にいつか乗ってみたいと思っていましたが、30年前の私は湯布院がどこにあるかもまったく分からず、乗りに行くガッツもなかったです。
今回の大分旅行で交通機関を調べていて、ゆふいんの森に乗れそうだと分かってからプラン作成にも俄然力が入りました。
製造から34年。初めて間近でみる車体は長い年月を隠そうともしない年季を感じさせるものでしたが、やはりかっこ良かったです。
1989年製造の車体をまだ使っていることに驚きました。でも一番驚いたのはこれが電車ではなくて気動車だと知った瞬間でした。ホームが油の臭いがしました。

たくさん写真を撮りましたが枚数削減のため残念ですがまとめます。九州の観光列車は「A列車で行こう」「指宿のたまて箱」に続いてこれで3つ目。
ゆふいんの森には1989年製のキハ71と1999年製のキハ72の2種類が運行中で、水戸岡鋭治が携わったのはキハ72だけ。今回乗った初代ゆふいんの森は関係していません。

14時43分に別府を出発して15時44分に湯布院到着。駅を出てすぐ右手に坂茂の湯布院ツーリストインフォメーションセンター。
急増した乗降客は駅舎に収まりきらず駅前の交通に混乱を来たしていたため、適切な情報を提供しながら待合としても機能する空間が必要となりこれが建てられました。

集成材の交差ヴォールトとそれを支えるY字の柱の重なり。置かれている椅子が坂茂を世界に知らしめた紙管で作られている所にも注目。
普通ならこれ1件でブログひとつたっぷり書くような物件ですが今回は見たものが多いのでここは簡単に流して先に進みます。

湯布院のメインストリートらしい由布見通りからその先の湯の坪街道・たけもと通り。両側に延々とお土産、クラフト雑貨、スイーツ、和菓子などの店が並びます。
湯布院ってどういうところかほとんど知らないで来ましたが、この竹下通りみたいな道が一番の人気スポットならちょっとがっかりと思いました。人が多すぎる。

竹本通りを右に折れて、まだ続く雑貨やスヌーピーのチョコの店の前を通り過ぎて大分川にそって進んだ先に本日の宿がありました。
土曜日の宿泊3週間前でも空室があって価格帯も抑え目な宿だったので大きな期待はしていなかったのですが、緑の庭がある意外といい雰囲気の宿で一安心。

庭の一角。八重桜が散っている最中でした。朝の気温は8度。湯布院は高地なので東京よりずっと春が遅いのです。

夕食は充分な質と量の牛しゃぶメインで、小鉢もシンプルだけど味は良かったです。旅行支援ありとはいえ、一人1万円ちょいですからコスパは良好。

食事もお風呂も別棟なので庭を行き来して移動します。こちらが浴場棟の入り口。ここだけ見ればけっこう高級旅館ぽい。仙洞という旅館です。

部屋数が全部で12~3の旅館でこのような家族風呂が5つもあります。予約不要で空いていれば24時間いつでも入れます。浴槽前にはテレビまで。長湯しちゃう。

そして風呂を出たところには無料のドリンク。右側に無料・無制限の生ビールのサーバーまで。私の知り合いの呑兵衛ならここで延々と飲み続けるんだろうな。

一夜明けて翌朝は6時に露天風呂。私一人貸し切りでした。朝からビール飲みたくなっちゃうけど我慢。

朝食が8時からなのでその前に金鱗湖に散歩に行きました。宿のすぐ近くでこんな感じ。美しい。

金鱗湖。湖底の別の場所で水とお湯の両方が湧き出ています。湯の湧く場所は水面に湯気が見えます。冬場は湖面全体が靄で覆われるそう。奥のふたこぶ山が由布岳。

湖畔にある天祖神社の裏手から。湖の中の鳥居と鳥居の上のカラスとカラスを見る妻とそれを撮影する私。
昨日、人だらけの雑多なストリートを見てがっかりと思いましたが、このあたりにいると湯布院いいじゃんと思い始めています。

湖に流れ込む川が数本あります。こちらはお湯が流れていました。川自体が足湯です。その右側に茅葺の湯処。

こちらは「外来者入浴禁止」。地元の人だけが入れる公衆浴場です。朝7時過ぎで中からすごく楽しそうな笑い声が聞こえていました。

金鱗湖の湖畔にもパンやスイーツのお店が進出しています。どんどん増えて駅前の道みたいにならないことを願います。

「御三家」と言われる湯布院の人気高級旅館の一つ、亀の井別荘に渡る橋。平日なら二食付きが二人で9万4千円くらいから。10年後に元気だったら泊まろう。

部屋に戻るとじきに朝食でした。名前の分からない魚の干物、美味しかった。私たちにはこれで充分です。

昨日の朝散歩で外観しか見られなかった県立美術館の中に入りたかったので、予定を90分早めて大分に戻ることにしました。帰りは川沿いの長閑な道を往く。
右手の焼杉の建物は隈研吾がデザインした新しい施設で「コミックアートミュージアム」。

風景に溶け込んだ穏やかな外観でした。現代アートの展示をするそうです。

屋根の上には奈良美智の白犬がいました。よーく見ると見えます。

ミュージアムを通り過ぎると川沿いはこんな道。今日もいいお天気でうれしい。

湯布院最後の建築紹介は由布院駅。磯崎新の設計で1990年に完成。昨日来た時にも写真撮ったのですが逆光だったので順光の朝に取り直し。

ホール天井。礼拝堂をイメージしたものだそうです。

駅なのに改札がないので係の方が手動で改札作業をします。この写真は昨日ゆふいんの森で別府から到着した時の写真です。

ホームには赤い車両と青い車両が停まっていました。二つの車両はそれぞれ反対の方向に走って行きます。
赤い電車は手前方向に博多へ、青い電車は奥の方向に大分まで。線路は複数あるのに別の方向の電車が同じ線路上にいるのは面白いです。

午前10時30分。大分駅についたら赤と青の他に黄色まで停車していました。てんとう虫のサンバのメロディが頭に浮かびます。
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大分 春の旅2023(1)大分~別府

2023年04月25日 | たびたび旅
JALのタイムセールで大分までの航空券を一人片道7,500円で予約したのは3月31日のことでした。4月21日金曜日に出発して24日に帰る予定。
それから大急ぎで大分で何を見るべきかを調べて、3日分の宿とJR九州と観光バスの予約と3~4日目に乗るレンタカーの予約を終えたのが4月4日。
時間がなくてかなり大変でしたが調べていくと大分には私の好きなものがかなりたくさんあることが分かって、見どころ満載のスケジュールができました。

最初にざっくりと全行程を書いておきます。
21日。1625大分空港着。バスで大分市内に移動し駅直結のホテルに宿泊。
22日。早朝市内散歩。0845のJRで別府へ。午前中は地獄めぐりの観光バス。昼食後市内の銭湯へ。1443発ゆふいんの森4号で湯布院へ移動。宿泊。
23日。朝食前後に湯布院散策。1041のJRで大分に戻り。着後大分県立美術館。昼食後にレンタカー受け取り。宇佐市へ移動して院内石橋巡りから宿泊。
24日。朝食後に中津市 風の丘葬祭場。宇佐神宮。国東半島に入って両子寺~1300大分空港でレンタカー返却。1430大分空港発


大分県での最初の写真は大分空港ロビーに会った足湯から。

バスで約1時間で大分駅へ。駅ビルの上に櫓のようなものが見えたので登ってみたら二重らせんの栄螺堂でした。

JR九州のホテルにチェックイン。夕食を食べに駅前の長大なアーケード商店街で地元料理の食べられる居酒屋を目指したのですが、満席満席で断られ続けました。
最後にたどりついた「五郎一」さんでなんとかカウンターの端に入れてもらえて美味しい物をたくさん食べることができました。

左上「りゅうきゅう」という刺身の漬け。左下は大分No.1名物のとり天。生姜ががっつり効いて抜群に美味しい。胸肉に対するイメージが一変しました。
中上は里芋の唐揚げ。煮っころがしの里芋をあえて上げる。中の中ニラ餃子。中下が限定の白レバー焼き。
右上は焼き鳥いろいろ。もう何本かいただきました。右下が玉子何個使ってる?シメの衝撃の鶏粥。Rさん的にはこれが4日間のトップだったそうです。

大分県ではまだ全国旅行支援が続いていて、宿泊は20%(最大3,000円)割引の上に電子クーポンを一人2,000円分くれます。
なので満腹になるまで飲み食いして合計で8,000円くらいだったのですが(すでに安い)、そのうち4,000円をクーポンで支払いました。大分県ありがとう。

翌朝、6時に起床して一人で市内見物にでかけました。大分駅徒歩圏内に見たいものがたくさんあるのですが、スケジュール上ゆっくりする時間があまりないのです。
二本百名城の府内城。現存の櫓2つにいくつかの復元櫓、天守台がありますが、曲輪の大半は砂利を敷いただけの駐車場のようであまり活用されていない城跡でした。

磯崎新の設計による大分県立大分図書館。現在はアートプラザという名の展示会場に変わり、3階は大分県出身の磯崎の記念館になっています。

坂茂の大分県立美術館。Oita Prefectural Art Museumの頭文字でOPAMという愛称に。ただの箱かと思っていたら素晴らしい美術館でした。青森、富山と肩を並べる。
早朝で外観しか見られなかったので翌日もう一度来ることになります。いずれにしても大分県はまだまだ建築の宝庫でした。キリがないので後日別途まとめます。

ホテルの朝食。美味い。今回は食べたものも時系列で順次置いて行きます。最上階のインフィニティ露天温泉もすばらしい良いホテルでした。

大分駅からJR日豊本線で別府へ。各駅停車で10分チョイ。すぐです。九州に来ると電車のデザインがみんな良くて楽しい。

別府駅前。大分県観光の父の人の銅像。ブラタモリでなんか説明していたけど覚えていません。七五調のバスガイドの案内を考えたとかなんとか。

別府では地獄めぐりの観光バスに乗りました。ベタなのですが、今回はRさんが初めての大分なのでこれは大分に来た義務として乗ってもらう。
私は30年以上前に地獄めぐりはしていました。でも30年の間に整備が進んで、規模も雰囲気もすっかり変わっていました。充分楽しめる。

「竜巻地獄」では熱湯が間歇泉で吹き上がるのですが、上に石でフタをしちゃってるので長く待った割には始めると2分でみんな飽きていました。
それよりも背後のツツジ山の方がすごくきれいで、中を歩くこともできて良かったです。

地獄めぐり終わってバスを降りて、これまた大分名物の冷麺。レトロな店内でレトロなおじちゃんが作ってくれる冷麺は麺がシコシコ。

温泉街の路地裏を選んで歩く。時々猫を愛でる。

向かった先は明治12年創業の銭湯、竹瓦温泉。現在の建物は3代目で昭和13年に完成。

同じような写真だけどどうしても2枚とも使いたかった。よくぞこれを残してくれたものと大分県民に感謝します。

内部も素晴らしい。女湯の暖簾をくぐって入って行こうとしているRさん。入浴料は300円。砂風呂が有名なんですが時間的に断念するしかありませんでした。

脱衣所が元々の床の高さ。浴槽があるところが深く掘り下げられています。

源泉かけ流し。43度。暑いです。入れるぎりぎりの温度。後でRさんに熱かったねーと言ったらきょとんとしていました。男湯と女湯と砂湯と、全部違うお湯だそうです。
がんばって浸かっていると後から数人入って来て熱さに驚いていました。こんなの全然平気だよという顔を作って笑みを浮かべる私。

次の予定までの間のわずかな時間にもできるだけ歩く。内藤多仲のタワー六兄弟の三男、別府タワーも見てきました。高さは100m。昭和32年。
六兄弟の順番は名古屋、大阪(通天閣)、別府、札幌、東京、博多という順番です。

タワーの基礎は5階建てのビルの屋上にあります。直接地面に立っていないのは別府タワーだけ。

別府タワーが立っている場所が海岸線から120mの場所です。ほぼ海岸。タワー並びの的ヶ浜公園では海水浴もできます。別府は実は海の街なのでした。
次回は特急ゆふいんの森号で湯布院に向かう所から。



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小湊鉄道 春の旅 その2

2023年03月31日 | たびたび旅
養老渓谷で2日目の朝。

朝食を食べた後、7時半に迎えに来たゴル友の車でRさんはすぐ近くの千葉夷隅ゴルフ倶楽部に行きました。ここから先は私ひとり旅です。

養老山立國寺へ続く観音橋。立國寺は、石橋山の合戦で敗れて上総に逃げ落ちた源頼朝が捲土重来を祈願したことが由来とされることから出世観音として知られています。

観音橋の少し南にある向山トンネル。出口が2階建てに見える不思議なトンネルです。
元のトンネルは上の方の穴に向かって続いていました。その後周辺の道路事情の変更により出口をやや下方に修正する必要がありました。
そこでトンネルの中ほどからやや下の方向に掘り進めて新しい出口が完成しましたが、特に元のトンネルを埋め戻すこともなかったのでこのような形となりました。

同じ位置で反対側を見たところ。上下2階建てのトンネルが奥に行くにつれて徐々に一つの穴に収束していくのが分かります。面白い。

トンネル構造図。元々のトンネル部分が向山トンネル。新たに下方に掘った出口付近が共栄トンネルとそれぞれの名前を持っています。

共栄トンネルの少し先で見た輪のような蜘蛛の巣。周辺部分の意図の密度が内側より濃いので輪のように見えますが実際には内側にも網は張られています。
最初見た時には空中に輪が浮かんでいるようで驚きました。異世界への入り口。昆虫界のスターゲイト的な蜘蛛の巣。

一度ホテルに戻ってからチェックアウトして養老渓谷駅まで送ってもらいました。霧雨に煙るローカル駅の朝もなかなか良き。

雨の桜は水滴が見えるようにとるのもあり。と、撮影指南の本に書かれていました。

8時54分の小湊鉄道で五井方向に戻ります。

日曜日なのにほとんど貸し切りでした。大正時代の駅舎を一度も建て替えることができなかったのも仕方ないと思わせる眺めです。

高滝駅で下車。

養老川を高滝ダムで堰き止めてできた高滝湖を渡ります。

対岸に見えている黒い櫓のようなものが目的地。

高滝駅から徒歩20分で市原湖畔美術館に到着。1995年に開館した観光・文化施設「市原市水と彫刻の丘」をベースに2013年にリニューアルオープンした現代美術館です。
リノベーション設計はプロポーザルで選ばれた有設計室(現・カワグチテイ建築計画)。リニューアル以前はこんな外観でした。

さきほど見えていた櫓がこちら。事前情報なしで来ているのでこの黒い櫓は何か現代アート作品なんだろうと思っていました。
説明を読むとそうではなくて養老川の水を崖の上の耕作地に上げるための揚水機でした。明治時代に発明されて周辺で8台ほど稼働していた揚水機の復元模型です。

下部の白い水車が回転することでベルトに取り付けられたカゴが水を20m上に運ぶ仕組みです。展望台としての目的もありましたが現在は登ることもできません。

入場料300円を払って美術館内部へ。

小さな部屋での常設展の市原の作家である深沢幸雄のメゾンチント版画のみの展示でしたがなかなか面白かったです。こちらは多目的ホール。

屋上に続く階段。

このトゲトゲが外からも見えて、鳩除けかと思っていましたが、これも立派な作品の一つのようでした。

地下の展示室。中央のポールに取り付けられた照明が壁面に窓を映し出すという作品。

壁に投影された時に水平垂直な影が生まれるように計算されています。窓の外で木の枝が揺れるような仕掛けも面白い。

再び20分歩いて高滝駅へ。途中で高滝神社にお参りしました。

高滝から五井へ、いろいろ楽しんで春の一人旅も終了です。
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小湊鉄道 春の旅 その1

2023年03月30日 | たびたび旅
春色の気動車に乗って千葉に連れてってよ~♪
千葉夷隅ゴルフクラブでラウンドするRさんにくっついて千葉県の内陸部を旅しました。

9時半に板橋を出発して新宿、錦糸町と乗り継いで11時過ぎに五井駅。朝夕を除けば1時間に1本あるかないかのローカル線小湊鉄道に乗り換えてお昼前に上総牛久駅。

駅前の商店街のお店が小さなランプになって吊るされていておしゃれ。

木彫りの兎がお出迎え。

そこから四方懸造りの笠森観音を訪ねた話は昨日書いた通り。これで旅の目的の7割は終了でした。

上総牛久から宿泊地の養老渓谷駅までは房総里山トロッコで。狙ったわけではなくて13時台に乗れるのがそれだけでした。これを逃したら次は1時間半後です。
蒸気機関車のような形をしていますがディーゼルエンジンを積んだ気動車です。煙突から煙が出るギミックも搭載。

菜の花畑の中を行く菜の花列車としてチケットが売り切れになる人気の鉄道らしいのですが、天気が雨のせいかすんなり座席を予約できました。

晴れていれば風の入るトロッコ車両も楽しいのでしょうがこの日はなかなか厳しかったのでは。窓にビニールシートでも掛けるのかと思っていましたが吹き曝しのままでした。

いくつかの駅で数分間停車します。どこも味わいのあるローカル鉄道と菜の花と桜と撮影ポイントがたっぷり。

里見駅。改札の外まで出れちゃいます。全部見た訳ではありませんが目にしたどの駅もとにかく古い。なんと大正末期の開業時の駅舎をそのまま使っているのでした。
さすがに貴重だということで全18駅のうち駅舎10件が2017年に国登録有形文化財に指定されました。周辺の橋梁やトンネルなど合わせて22件の登録です。

飯給(いたぶ)駅前の「世界一大きい甲州トイレ」。外周50mの板塀で囲まれた200㎡の「個室」の中央にガラス張りのトイレがあるらしいです。
残念ながらギネスには公認されずの「自称世界一」ですが観光スポットとしてよく知られています。ちなみに設計は昨年見た東京アパートメントの藤本壮介。

上総牛久から1時間で養老渓谷駅に到着。すぐにお迎えの車で宿に連れて行ってもらいました。

宿周辺に中瀬遊歩道というウォーキングコースがありましたが、向こう岸へ渡れるべき飛び石も増水で渡れず。
養老川というこの川、てっきり外房の方向に流れて太平洋にそそぐのかと思っていましたが、そうではなくて北上して最後は五井駅付近で東京湾に出るのでした。

宿は共同トイレの民宿みたいな旅館でしたが、居心地が良くて安くてとにかく食事が美味しかった。
温泉は真っ黒でとろとろの黒湯。周辺の大きいホテルはかなり廃業していましたが、こういう実質的な小回りの利く個人経営の宿は生き残れたようです。
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熱海梅園と来宮神社

2023年02月23日 | たびたび旅

快晴の土曜日、熱海にやって来ました。
2年前に湯河原に行く途中でMOA美術館に行くために熱海で下車したことがありますが、それを除けば大人になってから熱海で観光するのは初めてのことです。

梅の花は見頃で梅園は賑わっていました。品種ごとに咲く季節がずれるので1月から3月までの間はだいたいが見頃らしいですが。

梅園は明治19年に温泉地附属の遊歩公園として作らました。初川に沿って450m続く傾斜地を上りながらいろんな風景を楽しむことができます。

滝の裏側から。

中に食事処はありませんでしたが、並んでいた屋台で炊き込みご飯とけんちん汁、大根と玉子のおでんを食べて昼食にしました。美味しかった。

ゴージャスな1本。匂ひおこせよ梅の花と言いますが、香りはほとんど感じませんでした。

韓国庭園。2000年の首脳会談後に梅園を散歩した森善朗、金大中両氏の名前で友好平和の石碑がありました。今にして思えばいい時代だったかもな。

中山晋平記念館。熱海市内の別荘を移築しました。雨雨ふれふれもソソラソラソラ兎のダンスも踊り踊るなら東京音頭もぜ~んぶこの方の作曲ですよ。
熱海梅園の入園料は300円ですが、市内に宿泊するという証明を見せれば熱海市民と同じ100円で入れます。スマホの予約画面でもオッケーでした。

梅園を後にして、歩いて来宮駅。スペイン風の瓦とハーフティンバーがかわいい洋館風。昭和11年に建てられたものです。
梅園の最寄り駅ですが、梅園とは距離も高低差もあるのでやはり熱海駅からバスで行くのが正解かと。

来宮神社へ。参拝前に鳥居の前のオープンカフェでソフトクリームをとビールで栄養補給。

本殿は寛政7年(1795)の建築。1998年に半解体修理を行い建築当初の姿に戻されているそうです。

参拝を済ませて有名な大楠を見に歩き出したところでReeさんとすれ違いました。顔を見たのはほんの一瞬でしたがすぐに分かりました。
後ろからReeさん、Reeさん!と何度か声をかけたのですがスタスタ行ってしまう。これは人違いのそっくりさんだったかと少し不安になりました。
でもRさんも間違いないというので青木さ~ん、青木~!と呼び続けてようやく向こうも呼ばれているのが自分だと気づいたようでした。
2019年に富津の海の家を訪ねて以来だからほぼ4年ぶり。少し立ち話をして記念写真を撮ってすぐにお別れしましたが、こんな偶然の再会ってうれしいですね。
私のお隣はジョイさん。15年以上前からReeさん専属のアテンダー兼ドライバーとしての有能っぷりを見ていました。お目にかかれてこちらもうれしかった。

社殿裏手にある天然記念物『大楠』。樹齢なんと2100年。幹の周りが23.9mというのはかつて私が見た植物の中でも最大ではないでしょうか。
そもそも来宮(きのみや)神社は江戸末期まで『木宮明神』。『木』に宿る神々をお祀りするキノミヤ神社は伊豆に十数か所あるそうです。

巨木を上から眺めるためにこんなデッキが作られていました。

環境省の調査でこの大楠が日本で2番目に大きい巨木ということが判明しているそうです。圧倒されます。本当にすごい。

来宮神社から旅館までは歩いて行きます。熱海は広いし古い町並みも残っているのでまたじっくり歩きに来よう。

熱海温泉発祥の地、徳川家康も愛した湯と伝わる大湯の日航亭。熱海No.1と名高いこちらでひと風呂浴びました。
明治33年に創業した大湯温泉旅館を戦後に日本航空が保養施設として買い取っていたそうです。現在はJALとは関係ありませんがその当時の名前だけ残っています。
男女の湯は日替わりで交代するようですが、写真で見るとこの日は女性用の方が広い方だったみたい。お湯は最高でした。

日航亭の目の前にある湯前神社。ここから徳川家にお湯が奉納されていた、という記述を見ましたが真偽のほどは知りません。

大湯から10分ほどで到着した本日のお宿がこちら。12畳+6畳の和室。その周囲にも余裕のある廊下や水場のある豪華仕様の部屋でした。
売却に出された物を中国人の女性が「家族が集まるために」購入。現在は日本人のご主人とほとんど民泊に近い価格とスタイルで営業されています。
テレビはないけどその代わりに各部屋にネットに繋がったプロジェクターがあるというのがユニーク。

部屋から熱海港、熱海城が正面に見えるロケーションも最高でした。

夕食の提供はないので近くにいくらでもある海鮮のお店から人気の囲炉茶屋をセレクト。

熱海に来て感じたのは若い人でものすごく盛り上がっていることです。熱海は廃墟の旅館が並ぶ衰退した老人の温泉地というイメージだったのですがそれは過去の物。
2010年以降、民間のコンサルと市が再生のためのプロジェクトを立ち上げ10年かけて「熱海の奇跡」と言われるV字回復を達成しているんだそうです。
知らなんだ。確かに来宮神社で見たカフェやウッドデッキ、売店なども若い人の好みそうなスタイルでした。

お刺身も焼き物もいろいろ食べたいと思っていたらそれらを組み合わせた「定食」が充実していました。望むところです。

部屋に戻ってお風呂に入って、夜はプロジェクターで見たいと思っていた「おやすみ オポチュニティ」をamazon primeで見ました。
悪くなかったけど思っていたよりバリバリのドキュメンタリーでした。「キネマの神様」の方が良かったかな。

翌朝の朝食。この前に大きなお皿にたっぷりの地野菜のサラダ。その後がこれ。小鉢も納豆も玉子も海苔もないシンプルさに少し驚きました。
でも食べてみたらご飯もアジも味噌汁も美味しくて、これはこれですごいと思いました。

残念ながら朝から雨と強い風。温泉街をいろいろ歩きたいと思っていましたがそれはまた次回にしましょう。9時49分の新幹線で帰ります。
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岩手県南の旅⑤水沢国立天文台 VERA20mアンテナ

2022年12月11日 | たびたび旅

金ケ崎駅で見た近距離のJR路線図。「地方路線の収支 岩手県6路線10区間すべて赤字」という記事がありました。

金ケ崎から一駅だけ戻って水沢に来ました。地図を見ていて一ノ関と金ケ崎の間で一番市街地が大きそうだったというだけの理由です。(これは帰りに撮影した写真)

駅から少し離れた場所に近代建築があるようなのでそちらに向かいます。通り道になる水沢公園の中に後藤新平の像がありました。
関東大震災の後、元東京市長だった後藤新平が構想した帝都復興計画をベースに今の東京の街並みがあるわけです。ここ水沢が出身地だったんですね。

水沢公園に隣接する駒形神社。近代社格制度において国幣小社、現在は神社本庁の別表神社。看板には「陸中国一宮」とも書かれていました。
写真の黒い部分に白い点々が見えるのはモニターについたホコリではなく、その時雪が降っていたのでした。

境内には「厄除ひょうたん」がたくさん納められていました。

水沢駅から30分ほど歩いて目的地の国立天文台 水沢VLBI観測所へ。

見に来たの大正10年に建てられた旧緯度観測所本館。昭和41年に新本館(門の写真の奥に見えている建物)がが建設されるまで45年間観測所の本館として利用されました。

その後は取り壊される予定でしたが保存活動がおこり、現在は奥州市が所有し宇宙について学べる科学館「奥州宇宙遊学館」として活用されています。
新式の観測に強い関心を持っていた宮沢賢治はが花巻から何度か訪ねており、いくつかの作品の中に関連する言葉が登場します。

旧緯度観測所本館が建てられる前まで使用されていた旧臨時緯度観測所本館。現在は木村榮記念館。どちらも国登録の有形文化財です。

水沢VLBI観測所の20メートル電波望遠鏡。ここと小笠原、石垣島、薩摩川内市の4か所で得られた観測データを合成して日本列島規模の巨大なVLBI観測網を形成します。
円形のアンテナ部分だけで5階建てのビルくらいの大きさですので間近で見るとかなり迫力があります。
雪が降りしきる中、ひとりで巨大なパラボラを眺めていたら突然アンテナがうなりながら動き始めましたのでたまげました。あわてて撮影した動画がこちら。

動画は30秒ほどにカットしましたが実際は動いたり止まったりを繰り返しながら私がそこにいる数分間は上下左右に向きを変え続けていました。

これって雪が降る中でたった一人見ている私のために職員の方がサービスで動かしてくれているんだと思いました。実際の観測でこんな動かし方はしない。たぶん。
近くに監視カメラがありますので、操作室のモニターには私が見えているはずです。それで感謝の気持ちを込めてカメラに向かって深くお辞儀をしてその場を去り始めました。

すると止まっていたアンテナが再び回転してぴたりと私の方向を向いて止まりました。そしてまるでおじぎをするかのようにアンテナが上下に振られたのです。
はたして本当にそんなことがあるのかないのか。たまたま整備運転でもするタイミングで私がそこにいただけなのかも知れません。
でもやっぱりカメラを通じて、私とオペレーターの人とで何らかの意思の疎通があったのだと思いたいです。
帰ってからこの話をRさんにしたら「それはアンテナ自体が意思を持っていて、、、」とさらにメルヘン方向に話を広げたので笑っちゃいました。

水沢駅に帰る途中。雪国では道に面したビルの1階部分が通路になっています。

天文台からまた30分かけて水沢駅方向に戻り、お昼ご飯はこの激シブのラーメン屋さん。「銀蝶」という名前もすごすぎる。銀粉蝶って女優さんいますね。

チャーシューメン。麺がかなり少ないのでスープの底に沈んで写らない。大盛で普通のラーメンくらいらしいです。
富山ブラックならぬ水沢ブラックと評される黒いスープは特に強い個性はないけども抜群に美味しくて飲みやすい。黄色い縮れ面も良くて完食。
食べたりなくてもう一杯と言いそうになりました。
以上、岩手県南部地方の旅のあれこれでした。おしまい。
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岩手県南の旅④金ケ崎町城内諏訪小路

2022年12月10日 | たびたび旅

一関での目的は果たしたので三日目は東北本線で近隣の町を二つ訪ねました。まずは金ケ崎駅。一ノ関から30分。
猊鼻渓に行く時に乗った大船渡線はまあ仕方ないと思いましたが東京駅からスタートする東北本線までもがsuicaが使えないのには少し驚きました。suicaまだまだやね。

金ケ崎には岩手県でここだけの伝統的建造物群保存地区を見に来ました。
江戸幕府の一国一城令により仙台藩でも青葉城以外に城を作ることはできませんでしたが藩境21か所に城の代わりとなる「要害」を設けました。金ケ崎はそのひとつ。
1644年に整備された金ケ崎要害と武家町全域の道筋がほぼそのまま残り、29棟の建造物(うち母屋12)と門、石積み、土塁、井戸などと共に保存地区に指定されています。
とはいえ南北1kmに及ぶ範囲の中で江戸時代の建物がぽつぽつ離れてある町並みなので町並みの由来を知らなければ上の写真のように極めて地味な場所です。

旧坂本家侍住宅。入り口に門があることは少なく、鉤型や丁字形に敷地内まで生垣が延びて玄関が見通せない造りが武家町の防御形態。

普段は喫茶休憩ができるようですが、月曜日はお休み。ここ以外も月曜日で見られない場所がほとんどでした。

金ケ崎神社。宿内川の崖線にあり鳥居の奥に進むと宿内川と北上川の合流地点が見渡せます。

崖に沿って遊歩道。昨夜は雪が降ったようです。左手のこんもりしたところが宿内川と北上川を隔てる桜堤。その名の通り桜の名所です。

階段を上った先が金ケ崎城本丸跡。行ってみましたが小さな児童公園があるだけでした。金ケ崎城で調べると福井県敦賀の同名の城の方ばかり出てきます。

北上川を渡る金ケ崎橋。表面がつるつるに凍っていて危険でした。どう見ても人が歩いて渡るということを想定していない橋です。

金ケ崎橋からの眺め。写真左1/5くらいの場所が宿内川と北上川の合流地点。

白糸まちなみ交流館。古民家が保存地区の案内所になっています。内部見学も可能。開いてました。

家老を勤めていた添田家の住宅。写真の門、板倉は江戸時代後期のもの。

車の通りから1本入るとご覧のような並木道。江戸時代の城下町の町はずれの雰囲気がそのまま残っています。左手にあるのが大沼家侍住宅。

右から母屋、馬小屋、厠小屋と並ぶのが下級武士宅の基本的なスタイル。母屋は1700年代後半に建てられたもの。
写真の後ろ側には農作地があります。武士の階級で言うと「下の下」の家臣なので食べるものは自分で作らなければなりません。

案内の方が常駐されていて室内を自由に見させていただけます。少し前まで普通に人が住んでいたそうですが、とりあえず寒かったろうなあという感想。

現在全国で126か所指定されている伝統的建造物群保存地区。先月の鳥取でも倉吉市打吹玉川に行きましたが、行ける範囲にあればできるだけ立ち寄りたいと思っています。
倉敷や大内宿のように多くの人が来る観光地になった場所もあれば、ここのように一般の人はまず来ないだろうというようなところもあります。
観光地化しないでできるだけ素朴な姿を残して欲しいという思いもあれば、観光化して得られる収入で保存地区がより保存しやすくなるのも大事なことです。
ここは侍住宅を利用してスープカレーを売りにした和洋食のレストランでした。時間があれば食べて見たかった。

重伝建の城下町を離れて、駅までのぶらぶら散歩。海鼠壁が半分崩れてしまいましたがとてもおしゃれなデザインの蔵です。

設計事務所。どんなお仕事をしているのかな。

トタンを張った壁なのですがこんな風にデザイン性を持たせた施工は珍しい。トタンだって芸術だ。さっきの青い設計事務所の仕事だったりして。
人が暮らしている所には何かしら面白いものがあります。

駅を降りてすぐに遠く見えた謎のタワーがあったんですが、けっこうあちこちから見えて気になっていました。金ケ崎町役場でした。
明らかに展望台らしいタワーもすごいし、ものすごくボリュームのある建物で「町役場」という言葉のイメージが変わってしまいそうです。

展望台に上がらせてもらいました。岩手県胆沢郡金ケ崎町。面積は世田谷区の3倍くらい。人口は世田谷区の60分の1の町です。素敵なところでした。
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岩手県南の旅②平泉へ

2022年12月08日 | たびたび旅

厳美渓温泉いつくし園は檜の露天風呂が良かったです。ここに寝そべって空を見ながら川の音を聞く時間が至福でした。

元々は内湯の外に檜のお風呂がひとつどーんとあるだけだったのを今年8月から9月の2か月かけてこんなに今時風のスパスペースにリフォームしました。
もちろんそんなことは知らずに行ったのですが、本当に工事中のタイミングで行かなくて助かったと心から思いました。

寝湯に寝たままだと見えないのですが立ち上がると磐井川と遠くの山が見えます。川岸のガードレールの所を昨日一人で歩いていました。

昨日の散歩中「これが今夜のホテルじゃないかな~」と想像しながら撮った写真がこちら。真新しいお風呂の目隠しもしっかり写っていました。

「和室でお布団で寝る日本の普通の温泉ホテル」は去年の佐賀以来でしたがやはり泊るところとしては理想的です。部屋もゆったりしてたし食事美味しいし安いし。
朝食のバイキングメニューのネギトロを中心に自分でアレンジして作ったネギトロ海鮮丼。美味しかった。

ホテルの部屋から見る景色。東から広がる青空。数日前の天気予報では旅行中だけ雨の予報だったんです。まあ、結局いつものように回避できたのですが。

朝食の後、一人でもう一度厳美渓を見にいきました。名物の「郭公だんご」はこのワイヤーを使って対岸からカゴに入れて運ばれてきます。(12月~3月は休業中)

宿の送迎バスは平泉駅まで送ってくれます。2011年の震災で被害を受けた駅舎は中尊寺の世界遺産登録を目指していたこともあってきれいにリニューアルされました。

平泉駅から中尊寺参道入口までの1.2kmは中尊寺通りとして石畳風に整備されています。ただ中尊寺までの途中にほとんど何もありません。
大宰府とか浅草寺など有名な寺社に続く参道って賑やかでいいものですが、中尊寺界隈はそういう発展はしてこなかったようです。

無量光院跡。藤原氏3代秀衡が宇治の平等院を模して建立した寺院と浄土庭園の跡。往時の姿はすごかったようですが、なんといっても跡地なので、、、。

30分近く歩いて中尊寺の参道。予想外に坂の傾斜がきつい場所もあります。

東物見台からの景色。10分歩いてこのくらい登って来ます。

弁慶堂、地蔵堂、薬師堂と通り過ぎてこちらが本堂。明治42年の再建。

丈六の釈迦如来が本尊。2013年に造顕・開眼供養されました。

そしていよいよ国宝の金色堂。中尊寺と言うとこのアングルの写真が代表的に使われますが、見えているのは金色堂を保護するための覆堂です。
これより向こうに行くのには拝観料がかかります。金色堂は撮影不可なので写真はありません。あの有名なアレを一応この目で見たという記憶のみで。

天治元年(1124)に建てられた金色堂ですが、さすがに吹き曝しではまずいだろうと昔の人も考えたようで、50年後には鎌倉幕府が覆堂を立てて保護しています。
この旧覆堂はそれから800年もの長きにわたり金色堂を護って来たわけでこちらの方もなかなかに貴重な建造物です。もちろん重要文化財。

旧覆堂内部。小屋組がすべて見えるので和小屋の構造がよく分かります。

赤い鳥居の奥にある白山神社。能楽堂は嘉永六年(1853)に伊達藩によって再建されたもの。重文。
中尊寺はここまで。20近くの建造物があるのですが金色堂と覆堂以外は1337年の火災で全て焼けてしまったため江戸後期から明治にかけての再建です。
大河ドラマで田中泯に庇護される義経の件を見て、行く機会をうかがっていましたが猊鼻渓の縁で見ることができて良かったです。

中尊寺からタクシーで5分でやってきたもう一つの世界遺産構成要素である毛越寺(もうつうじ)。

平泉の浄土庭園が「浄土思想の理想と、庭園・水・周辺景観の結びつきに関する日本古来の概念との融合を例証している。」ということで世界遺産となったそうです。

恥ずかしながら藤原氏とか安倍氏とか田村とか知識がないのでなかなかピンと来ませんでした。海外の驚くような世界遺産と比べて見劣りすると感じるくらい。
秀衡の死から義経の死を経て滅亡に至る過程を鎌倉殿で見て知っていたのがせめてもの救い。
そこから衰退する平泉ですが、町の人々が800年もの間、平泉の文化に誇りをもって何とか状態を保とうと努力して、最終的に認められたことは尊いと思いました。

毛越寺でそば茶プリンと白玉ぜんざいを食べてHPを回復したRさんは平泉駅まで歩きます。

一ノ関駅に戻ってお昼ご飯。地方の食事処は日曜日は九割は休んでいます。そんな中で営業していたこちらは駅前の和風レストラン松竹さん。創業からなんと102年目。
こちらのかつ丼は超有名のようで店内には文化人、芸能人の色紙が大量に飾られていました。ソースかつ丼風ですがお店的にはソースではなくタレだそう。美味しいです。

昼食が終わった所で月曜からお仕事のRさんとはお別れ。私はお言葉に甘えて一関でもう一泊して岩手県をぶらぶら歩きまわる予定です。(つづく)
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岩手県南の旅①二つの渓谷と達谷窟毘沙門堂

2022年12月07日 | たびたび旅

2022年最後の旅行は岩手県。大宮から東北新幹線で一ノ関駅に来ました。ここも四ツ谷駅と四谷みたいに駅名と地名の表記が合致しません。一ノ関駅がある市は一関市。

大船渡線に乗り換えて30分。やってきたのは猊鼻渓(げいびけい)の川下り。砂鉄川が石灰岩を侵食してできた約2kmの渓谷で、約100mの断崖が両岸にそびえています。

40人くらいが乗れる木舟は12月1日からこたつ船になっています。50円で売られている餌を目当てに十数羽の鴨が舟について来ます。

30分ほど静かな流れを進んで折り返し地点で下船します。全国にある川下りの中で竿1本で出発地点まで戻って来るのは猊鼻渓だけなんだそうです。

見あげる渓谷の中を進んで来たのですがビニールの囲いが邪魔で実はほとんど見えなかった渓谷。ここに来て初めてその姿に驚かされます。

そもそも今回の岩手旅行は、10月に「ぶらり途中下車の旅」で村上佳菜子さんがここで川下りしているのをRさんが見たことから決まりました。
猊鼻渓の名前の由来になった鼻の形の赤い岩の下で岩肌に空いた穴に福玉を投げる運試しをして、船頭さんの歌う「げいび追分」を聞きながら戻りました。
「名物の藤の花の季節でも、紅葉の季節でも、雪見の季節でもない一番見ごたえのない時期に来て」と船頭さんに言われましたが、けっこう面白かったですよ。

90分の川下りの跡はお土産屋さんの2階で天ぷらそばを食べて身体を暖めてから猊鼻渓駅に戻ります。斜面にあるホームと地上に繋がる階段があるだけのガチの無人駅。
ちなみに岩手県ではsuicaが使えません。九州でも使えたんだからJR東日本の岩手県なら当然使えると思っていましたがそうでもないんですね。

次に来たのがこちら、達谷窟毘沙門堂。
私のスケジュールでは見るのは難しい場所にあったのですが、ホテルの送迎バスを待つ1時間の間にタクシーで行けばいいというRさんのご宣託でじっくり見られました。
参道の二と三の鳥居は、両部鳥居ですが控の稚児柱だけでなく反りのある笠木全体に屋根が付けられた特殊な物でした。残念ながら平成の再建。

801年、蝦夷を討伐した征夷大将軍・坂上田村麻呂が討伐した記念として建立したと伝わっています。京都清水寺を模した懸造り。
建物時代は何度も火災に遭っており現在の社殿は昭和36年に再建された五代目。

2011年の東北大震災の後で今見られるような朱色に塗られました。

なかなか良いめり込み具合です。崖伝いに落ちて来る雨水がどう処理されるのかいつも気になります。

内部は撮影はできませんが自由にみることができます。これは上からの眺め。この後で行く厳美渓と平泉の途中の田んぼの中にぽつんとあります。

ここのもう一つの名所が顔面大仏。写真中央やや左上に崖に彫られた顔があるのが分かるでしょうか。
平安末期に起きた前九年・後三年の役の戦没者供養のために彫られたもの。元々高さ16.5mの大仏座像でしたが明治29年の三陸沖地震で顔から下が崩落してしまいました。

待っていてもらったタクシーに乗って今日の最後は今夜の宿がある厳美渓(げんびけい)へ。
一ノ関駅から30分で行かれる場所に2か所有名な渓谷があってそれが「げいびけい」と「げんびけい」。非常に紛らわしい。
Rさんが行きたかった猊鼻渓の近くで温泉旅館を探していて、いつのまにか検索結果の上の方に出て来た厳美渓のホテルを予約してしまいました。まさか別の所だとも思わずに。
キャンセルしようかとも思ったのですが、プランを練っているうちに両方行くのも可能だし悪くないと思ってそのままに。結果オーライでした。

厳美渓は栗駒山を水源とする磐井川中流に位置する全長2kmの渓谷です。Rさんの後ろに見えているのが天空橋。1枚目の写真は天空橋からの眺めです。

渓流に沿って周遊コースが作られていて徒歩で一周できます。

吊り橋の下流は穏やかな水面。夕方みたいですがこれで午後2時半。一ノ関駅でホテルのタクシーを待っていたら今頃まだ出発したところです。ナイスなプラン変更。

散歩コースは短いコースと長いコースがあって、短いコースが終わった所でRさんはホテルに直行。私はもう少し上流に行く長いコースで散歩を続けました。

長者滝橋は戦時中の鉄不足の時代に鉄筋の代わりに竹を骨組に用いたコンクリートの竹筋橋。(1987年の調査で竹片が検出されるが竹筋使用の確定にまでは至っていない)
竹は元々引張に強く圧縮に弱いなど建材的に鉄と似る部分があるのですが、つるつるの竹皮がコンクリートとの接着性が低くアルカリに弱いという欠点があります。
もし本当に竹筋コンクリート橋であれば日本で現用される唯一の橋と言うことになります。

厳美渓横にきれいな農業用水がありました。「かつての用水跡」はいろいろ見ましたが現役の用水を目にすることは少ないので興味深く見ていました。
翌朝の散歩で案内看板を見て分かったのですが、これは藤原秀衡の時代に家臣の照井太郎高春が灌漑目的に開削した照井堰用水でした。
疎水百選、国際灌漑排水委員会の灌漑施設遺産にも認定された貴重な歴史遺産であるとともに、現在も一関市、平泉町の穀倉地帯に水を供給しているそうです。
ひとり散歩中に私だけうれしい土木ネタに二つも遭遇できてうれしい。

30分ほど歩いて本日の宿、厳美渓温泉いつくし園へ。(つづく)
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鳥取と島根 秋の旅⑤鳥取のしっぽと島根のしっぽ

2022年11月21日 | たびたび旅

鳥取県大山町の建築家のお宅の向かいの民家。艶のある黒瓦の屋根が余りに見事なんですが、それより目を引くのが鯱(しゃちほこ)。
国道9号線をドライブ中にもずっと気になっていたんですが、鳥取県の民家には鯱を乗った屋根が多い。
この話の流れは4年前に佐渡で経の巻を「発見」した時と同じなんですが、経の巻と違ってそのことを不思議がっている人がネットでたくさんいました。特徴的だからね。
興味深いネタですが今回は深追いはしません。

9号線で大山町を西へ。安いツアーがあったからという理由で鳥取に行って勢いで登る予定でもなかった吹雪の大山にスニーカーで登ってしまった友人がいますが。
私たちは遠くから見るだけ。次に来る時があればせめて大山寺くらい寄ろう。

やってきたのは鳥取の西の端っこ、鳥取を一匹の虎の形に見ると尻尾に当たる弓ヶ浜半島。まずは尻尾の根元に近い皆生温泉(かいけおんせん)。
沖に作られた離岸堤が海岸の砂の流出を防止しつつ、鋸の歯のような独特の砂浜の形を生み出しています。

9月のブラタモリ「境港~米子」の回は皆さん見ておられると思いますが。
この半島が江戸時代からのたたら製鉄の副産物として人為的にできた日本最大の砂洲で、海中の温泉湧出地点が短期間で陸地に変わった件など本当に興味深かったです。
今回の鳥取旅行の行程はブラタモリを見てほとんど決まったと言っても過言ではありません。

皆生温泉のホテル東光園。1964年菊竹清訓。泊るのは絶対にここと決めていたのに2か月前でもなぜか満室で予約できず。残念でした。
まあでもそのおかげで建築家のお家に泊れたのでヨシとします。東光園は中を見せてもらえたので明日じっくりと。

米子市から境港を通り過ぎて今度は島根県の尻尾、島根半島へ。島根半島に渡るには主橋部の全長434mの長大トラス橋、境水道大橋で境水道を渡ります。
鋼3経間上下路式ゲルバートラス橋。平坦な砂洲である米子側から、隆起した山が連なる鳥取半島を結ぶため、左右非対称の独特の形をしています。
右側(境港)から緩やかな傾斜を登っている部分は上路式、大型船を通すために高さが必要な中央部分は下路式という構造は先日歩いた東京ゲートブリッジの原型です。

境水道大橋から6kmほど半島の先の方に美保神社。

美保の神様は鳴り物が好きなという習俗が広く伝わり、過去にたくさんの楽器が奉納されてきました。奉納された800を超える楽器が重要有形民俗文化財に指定されています。

私ももう少しいろいろ上手く演奏できるようにお祈りして来ました。拝殿は昭和3年に伊東忠太の監督設計で建てられたもの。伊東忠太のカーブはきれいです。

壁も天井なくすべての木組みがむき出しのまま。たまたま商売繁盛の御祈祷が行われていて、歌舞音曲の本場の神様の雅楽を聞くことができました。

鳥居のすぐ前が港です。

美保神社の門前町として、また北前船の寄港地としても栄えた美保関。美保神社から仏谷寺に至る石畳の通りが江戸時代の参拝道の遺構です。
神社に近い部分には青石で知られる越前石が使われており、現在は「青石畳通り」として観光の目玉の一つになっています。

この青石の石畳、事前にネットで写真を見ると、晴れの日より雨で濡れている方が圧倒的に風情が出て美しいんです。
美保神社に着くまでは青空も見える天気だったのですが、直前に「青石畳通りにいる間だけ雨にして下さ~い」と声に出したらなんと数分後に急に雨が降り始めました。

過去の旅行でも雨を降らないようにする願いは9割以上叶えられていました。でもさすがに雨を降らせるのは初めてでした。いや、単なる偶然なんですがなんかすごい。
この3枚の写真が撮影時間通りなんですが、青石が徐々に濡れて艶っぽくなっているのが分かるでしょうか。

国指定有形登録文化財「潮待ちの宿 美保館」。一人旅なら泊まりたい。写真に写るほど雨が降っていました。

青石畳通りを通り抜けて港に出たところで雨雲は海の向こうへ去って行きました。ちょっと不思議な体験でした。

元来た道を戻って境港市に。すっかり青空。Rさんリクエストで1997年にこの地で開催された「山陰・夢みなと博覧会」のシンボルだった夢みなとタワーへ。

鉄骨と鳥取県の木材でできた集成材を組みわせた造り。設計は杉本洋文(計画・環境建築)

大山や美保関がよく見えました。

境港から出雲方面に帰るには中海にある島を2つ越えて松江市に入ります。一つ目の江島に渡る橋が車のCMで、急勾配の「ベタ踏み坂」として知られるようになった江島大橋。
これは緩やかにカーブしながら高さ45mの最後部を目指している所。

こちらが「ベタ踏み坂」を下っているところ。それほど特別に急斜面で葉ありません。リンク先の写真のように見えるのは3km離れた場所から眺望宴で撮影しているからです。

江島大橋を渡り終えて、ベタ踏み坂を振り返って見ている所。このくらい離れるとそれなりに急坂に見えます。

出雲空港について出雲そばとビールで一息入れてから帰りの飛行機に搭乗。帰りは普通のクラスJシートでした。シートベルトを締めて外を見たら窓の外は雨。
出発数日前の天気予報では雨寄りの予報だったのですが今回も旅行中はまずまずのお天気だったというお馴染みのパターンでした。

今回も良き旅でした。これで経県値での未踏の地はなくなり、残るは「行きはしたけど泊ったことのない県」ふたつ。徳島と山口が残るのみとなりました。
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島根と鳥取 秋の旅③二日目。三佛寺・鳥取砂丘・鳥取城址

2022年11月19日 | たびたび旅

三朝温泉から三徳川沿いの道を山に向かって10分ほど車を走らせると三徳山三佛寺。倉吉と三朝温泉と三徳山はセットで観光できるという位置関係です。

三佛寺といえばこの「日本一危険な国宝」奥の院投入堂が一番の見どころですが往復で90分以上かかるし山用の靴も必要なので今回は見送り。写真はとっとりなにたべサイトより引用。
絶壁の岩の窪みに投入れるように作られた懸造りの仏堂は、現在でもどうやって建てたのか判明していないそうです。

山寺の紅葉は見頃を迎えつつありました。時々小雨がぱらつく天気でしたが山寺には雨が似合います。

1300年前から修行僧が上り下りする石段はすり減って波打つように見えます。

本堂。投入堂はこの裏手にある受付の裏から登ります。スニーカーは不可で登山靴かわらじ必須。単独での登山も許されません。

三徳山から日本海側に下って国道9号から山陰道で鳥取市へ。これが鳥取砂丘です。テレビでは分からないスケール感。これが鳥取砂丘かあ(2回目)

海岸線に沿って幅1.8km、中央部分で内陸側へ1kmほどの範囲で砂丘が広がっています。観光で使われているのは東側1/6程度の部分だけです。

「馬の背」に向かって砂山を上るRさん。私たちが着くころには青空も見えていましたがその前に降った雨のおかげで砂が締まって思ったより歩きやすかった。

海側はかなりきつい傾斜になっていて近づく人もまばら。中には海岸まで降りる人もいましたが戻って来るのが大変そうです。

子どもたちは大喜びで裸足で馬の背の急斜面を登って行きます。

斜面を下る私。Rさんが撮影。前の人がつけた足跡を使えば下るのはそんなに苦労はありません。靴に砂が入ることもありませんでした。

砂丘の駐車場に8月にオープンした展望台のあるカフェ。これは隈研吾だねえと言っていたら本当に隈研吾でした。日本全国、隈研吾に会わずに帰ることはありません。

砂丘会館で鳥取のソウルフードらしい牛骨ラーメンを食べてから、世界で唯一のサンドアートを専門に展示する「砂の美術館」へ。

砂を水で締め固めて作った土台を彫刻して作品(砂像と言います)を作ります。

砂と水だけでこれだけ精緻な彫り物ができるとは驚きました。

砂像は世界各国のサンドアーティストが集まって数週間かけて作り上げます。
「砂で世界旅行」という趣旨で会期ごとにテーマを変えて製作して会期が終われば壊して砂に戻し次回の制作の材料となります。エスデージーズだね(笑)。
今回のテーマはエジプト。砂漠の国を砂で作るのですからある意味一番ベタな企画です。ここは入場料分の価値はあります。

鳥取砂丘から市内観光のために鳥取県庁舎へ。距離にして5kmちょっと。15分もかからずに砂丘から県庁。近すぎてびっくりしました。
あんな雄大な観光地から県庁と言ったら1時間くらいかかるものです。この距離感は東京で言えば飯田橋あたりに砂丘があって都庁からすぐいけるみたいな感じ?
1962年に建てられた県庁本庁舎は、2011年に免震レトロフィットで耐震性を強化。落下の危険があった外壁も断熱パネルと複層ガラスで覆い生まれ変わりました。

県庁駐車場に車を停めて急ぎ足で市内見物。鳥取城では明治初期に解体された建物を2006年から30年かけて江戸末期の姿に復元しようという計画が進行中です。
山の麓に見えている石垣もすごいですが、背後の久松山を200m登った山頂が本丸です。写真右手は県立鳥取西高校。お城の中にある高校。

既に擬宝珠橋や中ノ御門表門が完成。その奥で石垣を積む工事が行われていました。

鳥取県立博物館(日建設計大阪・1972)は月曜日で休館。

明治40年に池田家の別邸として片山東熊の設計で建てられた洋館、仁風閣は月曜日で休館。

登った先には天球丸跡の巻石垣など見どころも多かったのですが今回は下から見上げるのみでした。

わらべ館(山本浩三都市建築研究所・1995)。鳥取県立図書館の跡地に作られた童謡・唱歌とおもちゃがテーマのミュージアム。

一角には昭和5年に置塩章(宮崎県庁や旧茨城県庁三の丸庁舎)の設計で建てられた旧県立図書館の外観が復元されていました。
鳥取はここまで。山陰道は現在はほとんどの区間が無料でありがたい)で倉吉も通り越えて大山の麓、大山町まで戻ります。

こちらがair bnbで予約した二日目の宿のリビングルーム。すごい。この邸宅についてはまた明日じっくりと
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島根と鳥取 秋の旅②三朝温泉旅館大橋とその周辺

2022年11月18日 | たびたび旅

三朝温泉(みささおんせん)
関東の人がどれだけ三朝温泉を知っているでしょうか。私は今回の旅行のきっかけとなった旅番組を見て初めて知りました。
日本旅行の温泉ランキングでは第41位。そもそも何の順位なのか不明ですが日本で41位ならけっこうすごい。修善寺温泉より下だけど四万温泉よりは上というランク。
国宝である三徳山投入堂がある三徳山が源流である三徳川の両岸500mほどに旅館ホテルが並んでいます。

今回泊ったのは昭和7年創業の旅館大橋。三徳川の川原に温泉が湧きだしている土地を創業者が買い取り、そこを中心に日本中の銘木を集めて旅館を作りました。
河原の温泉は現在でもその場所で岩窟風呂として存在していて野趣溢れる岩造りの湯舟では足元からラジウム温泉が湧きだしています。

ロビーから見る三徳川。

宿のほぼ全体が登録有形文化財に指定されており同じ造りの部屋がありません。私たちは準特別室「南天の間」でした。(旅番組がその部屋だったので)
今では手に入らない数と太さの南天の木を使った傘天井が独特の雰囲気です。

宿の公式サイトでは「眺望抜群」と書かれていますが、この部屋はちょっと奥に引っ込んでいて、窓の右側にも温泉休憩室の壁があり視界が開けていません。
数寄屋建築が主目的でなければ、できれば川に向かって開けた眺めの「一般客室」の方が良いかと思いました。値段も少し安いし。

温泉は先に紹介した「岩窟風呂」とこちらの「せせらぎの湯」の2か所。三朝温泉はラジウム温泉ですが旅館大橋だけはトリウム泉も出ています。
旅館にチェックインした直後に激しい暴風雨になりました。この時もかなり降っていましたが、あえて露天風呂で雨に当たったりして楽しみました。

夕食は食事処で。コロナの間に従業員が減っていて部屋に食事を運ぶ対応ができない旅館が多いとニュースで言っていました。ここも同じかもしれません。

一番シンプルな料理の出るプランでしたが味は良いし盛り付けはきれい。量も適量でした。しゃぶしゃぶのやわらかな鳥取牛がずいぶんたっぷりありました。

松葉ガニも少しでしたがしっかりと濃いズワイの味で美味しかったです。

朝食前の散歩で川向こうから見る旅館大橋。もっとたくさんの部屋の電燈がついていればきれいなんでしょうが、朝7時なのでこんな眺め。

左端の南天の間からこちらを見ているRさん。部屋が奥に引っ込んでいるのが分かります。

三朝橋から見る風情のある温泉街。河原には開放感あふれる露天風呂もあります。

射的にストリップ小屋。昭和の温泉街が残っています。

旅館の玄関ガラスに貼られていた「三朝バイオリン美術館」のポスターを見て少し高台まで見に行きました。
地方の製作家が自宅で自作のバイオリンでも展示してるのかと思ったら、意外にも立派な施設で驚きました。1階がミュージアムで2階がコンサートホールです。
「鳥取ヴァイオリン製作学校」が併設されていて(むしろ学校が主体?)3年間で楽器製作の基礎を学べるようです。意外な場所に意外なものがあるものです。

朝風呂に入って、美味しい朝食を食べて9時に出立です。宿の前で記念写真をパチリ(昭和的表現)。
コメント (2)
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