第二次世界大戦後の世界の競馬をリードしてきたのは、明らかにアメリカ競馬であります。アメリカが育てた戦後のスピード競馬が、本家の欧州の競馬も、日本、香港、豪州や南米の競馬も、大きく変えていきました。
その北米の歴代リーディングサイヤーの推移を追っていくと、気が付くことが1つあります。それは、時代を支配した幾つかのスピード系統が、繰り返し、繰り返し、また北米のリーディングサイヤーのトップに顔を出してくること。
例えば、1955年~1970代まで北米を席巻したナスルーラー ⇒ ボールドルーラーの血脈は、その後も、ワッツアプレジャー、ラジャババ、三冠馬シアトルスルーと続いて、本流のシアトルスルーからは、A.P.インディ、タピットが北米リーディングサイヤーに輝き続けています。
また、ボールドルーラー時代を終わらせた、戦後最も偉大な種牡馬ノーザンダンサーの血脈は、リファール、ダンチヒ、デピュティミニスター、ストームキャットと多岐に広がり、そのストームキャットからジャンアントコーズウェイ、イントゥミスチーフが、そして欧州のサドラーズウェルズ経由でキトゥンズジョイまでも北米リーディングサイヤーに輝いています。
さらに、北米血脈の基礎と言っても良い、ネイティブダンサー ⇒ レイズアネイティブの血脈は、ミスタープロスペクター、アリダー、スマートストライクと広がり、本流のミスタープロスペクターからはイルーシヴクオリティ、ディストーテッドヒューマー、アンブライドルズソングという北米リーディングサイヤーを続けざまに生み出しています。
最後に、スピード血脈の集大成とも言える、ターントゥ ⇒ ヘイルトゥリーズンの血脈は、名種牡馬ヘイローを生んで、その子のセイントバラードが2005年には北米リーディングサイヤーとなっています。
このように、上記の4つの系統、すなわちアメリカ競馬が育てた4つのスピード系統は、世界の競馬の潮流の源になっているだけでなく、繰り返し、繰り返し、北米の競馬をリードする存在として、北米リーディングサイヤーを生んでいることに気づきます。血の力の底力を感じざるをえません。
それから、よく見ていると、もう一つ気が付くことがあります。
それは、4つの系統の中で、最後のターントゥ ⇒ ヘイルトゥリーズンの血脈だけが北米内で弱まっていること。それは、けしてこの血脈が弱体化したということではなく、本来、ここに存在すべき偉大な種牡馬が、北米から消えてしまったことが原因だと思われます。
その馬こそ、サンデーサイレンス。本来、北米に存在するはずだった偉大な種牡馬が消えてしまった。その影響が、北米の生産界にも顕在化してしまったということだと思います。(明日に続く)