夫婦で新しい人生にトライしてます~日本編

15年ぶりにカナダから帰国。終の棲家と選んだ北海道美瑛町から日々の生活を綴ります。

富良野やすらぎの刻(とき)第64夜

2024-06-25 07:56:59 | 日記

先週土曜日(6月22日)は、毎月恒例の「富良野やすらぎの刻(とき)」の日でした。富良野在住の脚本家・倉本聰氏が70年余りに渡って書いてきた1000本にものぼる彼の作品の中から2つのドラマを見て、鑑賞後に彼と元富良野塾の塾生達がそのドラマにまつわるエピソードなどを語り合うトークショーです。

開会前の会場ロビー

この日のドラマは「前略おふくろ様」でした。1975年から77年にかけて日本テレビ系列で全50話に渡って放映されたもので、その中から第1シリーズの第24話と第2シリーズの第7話を鑑賞しました。私達はこの頃社会人になりたてであまりテレビを見ていなかった印象がありますが、このドラマは萩原健一(ショーケン)がそれまでのロン毛のイメージから角刈りの板前役になっていたり、彼の朴訥に語るナレーションが面白く、時々見ていたことを思い出します。

ドラマ鑑賞後舞台に現れた倉本さんは、これまでは杖を突いて歩いて来られたのですが、今回初めて車椅子を使用されていました。「ごめんなさい、こんな格好で」と話始められましたが、しかし頭脳は明晰で、この「前略」の頃はNHKと大河ドラマ「勝海舟」の制作でもめてけんかとなりテレビ界から干されていた頃だと懐かしんでいました。

NHKともめると他のテレビ局からも仕事が回って来なくなり、その頃は高倉健とかこの萩原健一とか個人的なつながりで仕事を依頼され、それはテレビ局も断れないので使ってもらっていたということです。倉本さんの随筆などを読むと、この頃彼は40歳くらいでNHKとのけんかが原因で東京を引き上げ、しばらくは札幌にいた後富良野に移り住み、そこから東京へ通って仕事をしたということのようです。

「前略おふくろ様」は、ショーケンがレコード化されなかった歌があると聞かせてくれた「前略おふくろ」という歌をモチーフに書いたものだそうで、今この歌詞を読んでみるとなるほどドラマを彷彿させるような母親への近況を綴る歌でした。

倉本さんに言わせると、ショーケンは実生活では悪いことばかりしていたというのですが、粋な生き方は当時のファッションリーダーのようで、ドラマを見て角刈りになったりドラマの中で話されるヘチマコロンが流行ったりしたそうです。極めつけはドラマを見て板前になったという人も多く、倉本さんがしばらくバンクーバーで仕事をしていた時に会った寿司職人たちがそういう話をしていたそうです。

劇中のナレーションの話は以前にも聞いたことがありますが、脚本の世界ではタブーだったそのやり方は画家の山下清から発想を得て使い、意外と好評だったことから「北の国から」の純にもやらせたということでした。

帰り際に見る新富良野プリンスホテルの風景

このドラマのタイトル画は滝田ゆうさんが書いていましたが、この日は会場にその原画も展示されていました。しかし写真撮影は禁止ということで、写真はありません。味のある絵を載せられないのがちょっと残念です。

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