小田原を目指す武田信玄は北条氏の支城を攻めながら南下し、滝山城とは多摩川を挟んだ拝島に陣を敷いた。さすが武田軍とはいえ多摩川を渡り加住丘陵の断崖絶壁を攻めあがってくることは無理であろう。ところが武田勢は別働隊を小仏峠から差し向け、挟み撃ちとする作戦に出たのである。これは北条側には虚を衝かれるかたちとなり氏照は廿里砦に兵を送り迎え撃ったが敗北し、滝山城は三の丸まで攻め込まれることとなった。この時武田軍の勝頼と氏照は槍を交えて戦ったといわれている。かろうじて城を守った氏照だが、難攻不落とおもわれた滝山城も南からの攻撃に弱点があることを知ることとなった。そしてより小仏峠に近く甲州口ににらみを利かせられる急峻な深沢山(城山)に城を築き小田原の守りを固めようとした。これが八王子城である。現在の遺構は山城の主要部分のみで往時はさらに大規模な軍事施設だったとのだという。
八王子城は滝山城には無かった石垣を築き、より堅牢な城となっている。信長の安土城を参考にしたともいわれているが、築城技術の趨勢は山城から天守閣をもつ平城へと変わりつつあった。八王子城は最後の恐竜だったのである。
氏照が居を八王子城に移したあと滝山城は廃城になっている。なぜ支城としなかったのだろうか?
解説では武田信玄のほか上杉謙信にも落とせなかった滝山城とか書いてあるのだが、よくわからない。

廿里古戦場。JR高尾駅の目の前である。この坂を上りきったところに八王子城址がある。

城好きは石垣に萌える。八王子城の階段は蹴上げも踏み面も一定ではない。馬や歩兵が駆け上がりにくくするためである。
八王子城は滝山城には無かった石垣を築き、より堅牢な城となっている。信長の安土城を参考にしたともいわれているが、築城技術の趨勢は山城から天守閣をもつ平城へと変わりつつあった。八王子城は最後の恐竜だったのである。
氏照が居を八王子城に移したあと滝山城は廃城になっている。なぜ支城としなかったのだろうか?
解説では武田信玄のほか上杉謙信にも落とせなかった滝山城とか書いてあるのだが、よくわからない。

廿里古戦場。JR高尾駅の目の前である。この坂を上りきったところに八王子城址がある。

城好きは石垣に萌える。八王子城の階段は蹴上げも踏み面も一定ではない。馬や歩兵が駆け上がりにくくするためである。