goo blog サービス終了のお知らせ 

Andyの日記

不定期更新が自慢の日記でございます。

歩く2

2005-11-24 17:58:11 | スポーツ
10km コースを終えると、空腹を満たすために昼食をとることにしました。
つみれ汁もおいしかったですが、ほんの1杯だけなので、さすがに疲れた
体には足りません。奥様は「うどんが食べたい、炭水化物を補給したい」
と訴えていたので、小田原駅への道中、うどん屋さんがないか、探して
みました。

そうして歩いているうちに、気がつくと奥様の顔が、うなぎ屋さんの方に
釘付けになっています。松琴楼という鰻屋さんだったのですが、奥様も
私も、気がつけば吸い寄せられるように入り口のほうに足を運んでいました。
鰻弁当というのを食べたのですが、大変おいしい鰻でした。肝汁も格別で、
しかもお値段据え置きという、スーパーお奨めの鰻屋さんです。

お昼を食べた後は、一昨日のブログに記したとおり、Pさんのお茶室で
お茶をいただきました。長距離を歩いた体の、甘いものと楽しい会話は、
疲れた体のリフレッシュには最高です。

さて、2日目が箱根コースで、集合地点が箱根神社のすぐそばだったので、
この日の宿は箱根で取ることになっていました。10月の時点ですでに
予約を入れていたのですが、いざ宿に到着してみると、受付の人は「予約が
入っていない」。こちらの電話番号も伝えてあるのでよく調べて欲しいと
言ったのですが、「入っていない」の一点張り。奥様は、前日に、アメニ
ティーのそろい具合を確認する電話まで入れているというのに・・・・・。
明らかに受付の怠慢なので、そのホテル名を示しておきます。
『プチ○テルみやこ』

仕方がないので、近くにあった旅館紹介所に、代わりの旅館を紹介して
もらうことに。そこの人によると、こういうことは箱根ではときどき
あるそうで、できるだけリコンファームをしたほうがよい、ということ
でした。「なぜホテルの予約にリコンファームが必要なの!?」という
やりきれない気持ちと、信じられない気持ちでいっぱいでしたが、
結局最初に予約したホテルの倍近い値段のホテルしか空いていなかった
ために、そこを紹介してもらって泊ることになり、とほほでございます。

そこのホテルは、いい味出してるおじいさんとおばあさんが経営している、
「春素(はるもと)」という旅館でした。客室も旅館全体も、いい意味で
昭和テイストあふれる旅館で、ここはけっこうおすすめです。特に、
客室にこたつがあるのがいい雰囲気です。温泉には24時間いつでも
入れますし、ご飯も正しい旅館のご飯、という感じで、まるです。
続きはまた。

歩く1

2005-11-22 18:29:52 | スポーツ
11/19, 20 に、朝日新聞主催の『城下町おだわらツーデーマーチ』に参加して
きました。これは、小田原城址公園をスタート地点とするウォーキングの一大
イベントで、コースには 10km コース、20km コース、30 km コースがあり、
そのいずれかを選んで、2日間にわたってウォーキングを楽しみます。今年で
7回目になるこのツーデーマーチには、北海道から九州まで、各地から大勢の
参加者が集まりました。

私たちは、初日は 10km コース、2日目は 20km コースを選びました。
コースの内容は、以下のとおりです。

<飯泉観音コース10km>
小田原城址公園銅門広場……蒲鉾通り……酒匂川スポーツ広場……小田原大橋……
飯泉取水堰……飯泉観音……飯泉橋……けやき通り……小田原市役所……青橋……
小田原城址公園銅門広場

<箱根コース20km>
元箱根苑地……箱根神社内県道への登り口……元箱根石仏・石塔群保存整備
記念館入り口……虎御前の墓前……フラワーセンター駐車場トイレ前……
湯坂路入口……鷹巣山山頂……浅間山山頂……湯坂路石畳手前……湯本小学校……
箱根町役場……風祭橋……早川橋……西海子小路……小田原文学館……小田原城址
公園銅門広場

このツーデーマーチの前に、私たちは 12km の距離を歩く私鉄ウォークラリーに
参加して、制限時間内に 10km くらいの道のりを歩ききるのに必要なペースは
どのくらいであるのか、また 10km を歩ききっての疲労度などをだいたい把握
していたので、初日のコースについてはそれほど心配せず参加しました。

さて初日のコースですが、あまりよくありませんでした。まず問題だったのは、
参加者がかなり多いにもかかわらず、全員が一斉にほぼ同じ時間にスタート
しなければいけなかったことです。数千人はいたであろう参加者が同じ時間に
スタートしたため、最初のうちはまるで遠足のような状態で、おしくらまんじゅう
ウォーキングになってしまったのです。

また、10km コースの最初のほうには、道幅が狭くて歩道がない地区もあった
ため、かなり車の邪魔になっていたはずです。さらに、幹線道路を延々と歩く
地区もあり、景観という面でも健康上の面でも、また安全性の面でも、少々
理想的なコース内容とはいえないものでした。これは、次回までの課題として
主催者にご一考いただきたいところです。

歩き終えて小田原城址公園に到着すると、完歩証明書、抽選による景品引渡し、
またつみれ汁の無料配布を受けることができました。短いとはいえ、やはり
10km も歩くと、体にはけっこうきます。疲れた体に、つみれ汁が染み渡る!
コースはそれほどよくはありませんでしたが、このおいしいつみれ汁を飲むと、
すべてはいい思い出に変わってしまう不思議。続きはまた。

遠い思い出

2005-10-20 18:52:51 | スポーツ
今度の菊花賞で、無敗の三冠馬が登場するのか、と騒がれていますね。
ディープインパクトという馬がそうなのですが、昨日の追いきりの映像を
見る限り、手ごたえはよさそうです。武騎手が軽く追っただけで、
芯のある動きを見せて併走馬を抜いていきましたから、本当に調子は
いいんでしょう。あの馬の絶好調のときの追い切りを見ていないので
なんともいえませんが、調子が悪そうではないですね。

考えてみれば、競馬をやめてからもうかなりの時間が経っています。
最後に見た、というかやった競馬は、ライスシャワーの宝塚記念です。
ライスは5歳の天皇賞(春)でメジロマックイーンを破るという
大快挙を成し遂げてからは、闘志が燃え尽きてしまったのか、あまり
ぱっとしない成績しかあげられませんでしたが、7歳の春の天皇賞で
見事に復活しました。

あのときのライスは体重が減少し、パドックを周回するときにはつる首に
なっていました。これはライスが調子のいいときに見られる現象なので、
「も、もしかして、これは・・・・・」と少しだけ期待していましたね。
レースが始まると的場さんはバックストレッチで早くもライスを馬群の
先頭まで押し上げ、それを見た観客は、これまでにない戦い方にかなり
どよめいておりました。

そのままライスは淀の坂を越えて4コーナーを回りましたが、勢いはまるで
衰えず、馬群を引き連れてまっしぐらにゴールを目指しました。まるで
「お前ら、俺に淀で勝とうなんて10年早いんだよ!」と言わんばかりの
迫力が、ライスの走りから感じられます。関西テレビの杉本アナウンサーが
思わず「いやー、この馬はやっぱり3200は強いのか!?ライスシャワー
先頭、ライスシャワーが先頭だ!」と叫んでいましたが、あれは個人的に、
杉本さんの最後の名セリフだと思っています。

最後は怒涛の追い上げを見せたステージチャンプと首の上げ下げの決着に
なりましたけど、確か「ハナ」差で、ライスが勝ちました。当時はすでに
関西馬がすっかりG1を席巻していた時代なので、溜飲を下げる思いで
ライスの表彰式を見ておりました。

そしてむかえた宝塚記念、2200mという距離は少々ライスには短い
という気はしましたが、天皇賞での鮮やかな復活勝利のせいでしょう、
ライスはしっかり1番人気になっていました。私としては、別に負けても
いいというか、この距離じゃ負けてもしかたないだろうな、と思いながら、
広い心で見ていました。そして・・・・・。

あれ以来、もう悲しい最期を見るのがしのびなくなってしまった私は、
競馬をやめてしまいました。ギャンブルとして競馬を楽しんでいたので
あれば、もう少し競馬を続けていたかもしれませんが、レースそれ自体を
楽しんでいた私としては、ライスの最期にはかなりショックでした。

加えて、JRAがいつまでたっても馬場をやわらかく改善しようとしない
ことや(馬場が固いと、故障する馬が増える)、短距離レースばかり
増やして「ファン優先」というよりは「馬主優先」のレースプログラムを
増やしたことも、競馬を見る気持ちを私からそいでしまいました。

小銭稼ぎしか考えていない新興馬主が、早熟でそこそこいいレースができる
ような馬の種ばかりつけて配合するようになったため、長距離をしっかり
走れる馬が減ってしまったのです。そのため、JRAとしてもそれに対応
せざるをえずに、長距離レースをなくしたり、距離を短くするようになって
しまいました。

また、早熟馬が増えたことで、古馬になってからのドラマが減ってしまい、
私のようなオールドファンにとってはそれも今の競馬が面白くない一因
でしょう。しかも、最近の馬主は、クラシックでいい成績をあげた馬は、
たとえ早熟馬でなくても、故障による予後不良を恐れ、古馬になるまで
走らせず、さっさと引退させて種牡馬にしてしまうので、見ているほうは、
正直しらけてしまいます。

なんてことを考えながら、昨日はこのディープくんの追い切りを見てました。
ライスはもういません、だけど、競馬はこれからも続いていきます。
ディープくん、無事に三冠馬になるといいですね。

先場所の相撲について

2005-09-27 20:02:09 | スポーツ
朝青龍が大鵬以来の6連覇を成し遂げましたね、すごいことです。彼はその
豪快磊落かつ勝気な性格のために、敵も味方もたくさん作るタイプですけど、
不世出の力士の一人であることに違いはありません。角界では早くからその
才能が、多くの親方によって語られてきた逸材だけに、この大活躍もある程度
予想できたのではないでしょうか。

さて、彼の表彰式を見ていて思ったのですが、ここまで世界中から力士が
入門するようになったのですから、優勝した力士が日本人でない場合は、
その力士の出身国の国歌も流してあげてはいかがでしょう。そうすれば
喜びもひとしおでしょう。また、日本人力士も「次の場所は君が代しか
流させないぞ」とモチベーションをかきたてられるのではないでしょうか。

そうそう、朝青龍だけでなく、琴欧州の活躍もすごかったです。彼の強さは、
幕内に入ったばかりの頃から目にとまっていましたけど、ここまであっという
間に出世するとは驚きました。彼のすごいところは、なんとなく勝ってしまう
ところではないでしょうか。朝青龍と比べると、なんというか、通好みと
いうか、派手な勝ち方はしないけど、しっかり勝ちますよね。

競走馬でいうと、琴欧州はシンザンを思い出させます。シンザンは一度も
2着より下にはなったことのない伝説の名馬でしたけど、その勝ちっぷりは
決して何馬身も引き離してかつ、というような派手なものではなく、地味では
ありますが、確実な勝ち方でした。その勝ち方は、いつしか「ナタの切れ味」
と表現されるようになりました。

琴欧州も、まさにそういう勝ち方ではないでしょうか。朝青龍が日本刀の
派手なチャンバラなら、琴欧州はナタで地味に「ドスン!」と相手を
切る、という感じがします。今回の優勝決定戦はまだ経験不足のために
がちがちに緊張してしまっていましたけど、次回はきっと今回よりも
緊張せずに朝青龍との戦いに挑めると思います。

静の琴欧州と、動の朝青龍。今後の名勝負が楽しみです。

ナンバ走り

2005-08-30 15:24:05 | スポーツ
実は私、この走り方を少し研究したことがあります。結論から言うと、
この方法を極めれば、確かにマラソンなどの長距離でのタイムアップが
可能だと感じられました。

まず、なぜ同じ側の手足を同時に出す必要があるか、とういう点から。

詳しくはこちらを。

http://www.fnorio.com/0023nannba_running/nannba_running.htm

要約すると、このナンバの動きのほうが、エネルギーロスが少ないと
いうことです。実際に走ってみると、最初はぎこちない感じはしますが、
慣れてくると確かにこのほうがスムーズに体が動くことがわかります。

さて、ナンバ走りをしている飛脚の写真を見て、気が付くことがあり
ます。それは、かなりの前傾姿勢をとっていて、しかも後ろ足を跳ね
上げるようにしていることです。頭の位置を見ると、前足よりもさらに
前にありますね。ほとんど、ころびそうな勢いです。これは写真を撮影
するために静止しているところなので、実際にはもっと前傾して、後足も
より上まであがっていたと考えられます。

なぜこんな姿勢で走っていたのか?甲野さんがNHKのトップランナーで
言っていたことでは、転ぶ力を応用して走っていたのではないか、という
ことです。意図的に転びそうになってみるとわかりますが、そのときには
前足は頭より前には出ていないはずです。そして、後ろ足は跳ね上がる
ような状態になっているはずです。しかも、このときは前に進むための力は、
ほとんど使っていないことが体感できるはずです。さらに、転ばないように
気をつけながら、この「転び走り」で前に進むには、背中をそらせるような
状態をキープする必要があります。まさに、写真の飛脚の姿勢そのものです。

で、実際にナンバと転ぶ動きを組み合わせてみると、面白いことがわかり
ました。ちょうど飛ぶような感じで自分の体が前に進むのです。バランスを
崩すと転んでしまいますので注意が必要ですが、慣れると面白いように体が
ひょいひょい前に進みます。

ただし、まだわからないことがあります。この動きでしばらく走ってみると
わかりますが、かなり足の裏にかかる負担が大きいのです。現代の靴でも、
普通にマラソンをするときよりは、靴にかかる負担が大きいのではないで
しょうか。当時は草履ですから、あっという間にだめになってしまいそうな
気がします。その問題をどう解決するのか。当時の飛脚の賃金は非常に高価
だったという話ですから、それほど問題ではなかったのかもしれませんが、
この点が気になります。

痛々しい・・・

2005-06-27 19:09:27 | スポーツ
昨日のプライド、痛々しかったですね。桜庭選手があそこまでやられてしまう
姿を見るのは、昔の桜庭くんを知っている者としては、つらいものがあります。
しかし、これが時の流れというものなのでしょう。ベテラン選手は、いつか
若くて勢いのある選手に追い落とされる。どのスポーツでも当然あること
ですが、桜庭選手もその時期に近づいているのでしょう。

それにしても、今のブラジリアン格闘家のレベルはすごいですね。94年に
アルティメット・ファイティングを知ってからというもの、この世界は
ずっと追いかけてきたのですが、もうあの頃とはまったく違うレベルにまで
到達していることがわかりました。シウバやノゲイラのレベルの選手を崩す
のは、もう日本人には無理なのかもしれません。

攻撃も防御も、本当に一瞬のスキをピンポイントで狙っていかないと、まず
勝ち目がありません、ピンポイントなのは昔も今もそうなのですが、昔は
一瞬のスキで体を動かす量を1とすれば、今は5以上は動かす大技を繰り出す
必要がある、ということです。先の先の先まで読んで、一瞬の間に攻撃と防御と
決め技をすべて出す、というくらいの完璧な動きが求められます。

昔はどちらかの選手がマウント・ポイントに入ると試合が膠着して面白みに
かける嫌いがありましたけど、今はもうそんなことはありません。マウントで
あろうとガードであろうと、本当に一瞬でまったく攻防が逆転することも
あるので、少しも目が離せません。そういう意味では、試合が非常に
スリリングで面白く進化したといえます。

ここまで進化してしまった総合格闘技、しばらくは身体能力の高い
ブラジリアン格闘家がわが世を謳歌することでしょう。この流れを止める
ことができる国があるとすれば、やはりアフリカ大陸のどこかの国しか
ありますまい。身体能力の点ではブラジル人も敵ではありません。実際、
あのボビーくんが付け焼刃のトレーニングで、アビディに勝ってしまう
くらいの身体能力なのですから(私はあれで思ったのですが、K-1て
やっぱり、あまりレベルが高くないのかな、と。こんなことどこかに書くと
ものすごい反論を受けそうなので、どこにも書きませんが)。

若貴の確執

2005-06-21 18:38:43 | スポーツ
なんともいいようのない、この二人の確執は、なんとかならないのでしょうか。
と思っていましたが、やっぱり無理なようですね。私も知らなかったのですが、
この二人が実は「種違いの兄弟」というのは、角界では公然の秘密なのだとか。
私は今日までその事実を知らずにきたのですが、事実は小説よりも奇なりとは、
この二人のためにある言葉だ、と言い切れると思います。

某大型掲示板で見つけた内容によると:

初代横綱若乃花(花田勝治)が愛人との間に作った子供が故・二子山親方。
洒落にならんので、弟ということにした。 更に大部屋女優だった憲子と二子山は
同棲していたが、 初代若乃花(当時の二子山親方)はこれに猛反対しており、
何度も憲子のもとに通っているうちに、あろうことか 初代と憲子がなんと
出来てしまい憲子は妊娠!! その子が花田勝、つまりお兄ちゃんである。
さらに洒落にならんので、急遽二子山(当時貴ノ花)は憲子と結婚、
勝を我が子とした。
(ここで結局勝治は息子(いちおう弟ということになっているが)二子山に
大きな借りができた。後年勝治がいとも簡単に相撲界を退き、当時の藤島親方に
二子山部屋をタニマチごと破格の安さで譲り渡したのは、このためである)

さらに今の貴乃花(花田光司)は、憲子と輪島の子だということは
皆さんご存知のとおりだが、実はここはウラがとれていない。
しかしあの顔となによりも体つきのクリソツぶりはそれを信じさせるのに十分
足りる。 つまり二子山夫妻は今も昔も仮面夫婦(*注 離婚しました)なので
ある (二子山はタネなしとも言われる)。

そしてこのことを花田勝はある程度知っていたのだが、全く知らなかったのが
光司。そしてそのことを光司の耳に吹き込んだのが、あの整体師・冨田であり、
それを聞いて心底わが家族が嫌になり以降全く親方、そしてそれを隠していた
兄と袂を分かとうとしたのが、あの「絶縁宣言」の真相である。

以上は、相撲界の常識です。


自分がその立場だったら、どう思うか。実に複雑で、ちょっと想像がつかない
というのが、正直なところです。まして、角界はただでさえ複雑で、どろどろ
とした世界。そこに巣くう人たちは、ひとくせもふたくせもある人ばかり。
そういう世界でそういう事情のもとに生まれ育った二人、しかもお互いに
力のあるものどうし。両雄並び立たずとはいいますが、この二人の場合は
仲たがいする運命のもとに生まれてきたとしか言いようがないのでしょう。

ふと感じた疑問

2005-03-28 14:44:46 | スポーツ
コーチという職業の人が、スポーツの世界にはいます。野球、サッカー、
テニス、柔道、水泳、etc、さまざまな分野のたいていのスポーツに、
コーチはいます。コーチは選手について、指導・育成にあたりますが、
なかにはコーチという立場の人がまったくいない分野のスポーツもあります。
私の大好きな、モータースポーツもその1つです。l

考えてみれば、不思議な話です。たとえばF1ともなれば、あれだけの
大所帯のチームであるにもかかわらず、コーチが一人もいないというのは
なぜなのでしょうか。モータースポーツがスポーツであるのなら、なぜ
どんな分野にもいるコーチをつけないのか。いままで誰も考えてこなかった
ことなのであれば、由々しきことです。

コーチのおかげでラップタイムが安定するようになったとか、リタイヤ率が
減ったとかいう効果が顕著に出れば、それにこしたことはないはずですし、
特に巨額の支援をしているスポンサーにとっては、ありがたい存在である
はずです。レーサーの再就職口を広げるためにもいいですし、いいことづくめ
であるはずなので、どのチームも真剣に考えてほしいものです。

岡部引退

2005-03-14 12:47:59 | スポーツ
あの岡部騎手が、引退することになったようです。あの岡部さんも引退
する時期だとは、私も歳を取るはずです。私が競馬をやっていた頃、
岡部さんはまだ30代後半で、ちょうど今の武豊騎手くらいの年齢でした。
「迷ったら岡部」とか競馬の教則本にも書かれていたような時代で、
当時の岡部さんがいかに抜け出ていたかがわかります。

それにしても岡部さんが引退するとは・・・・・、本当に言葉がありません。
岡部+藤沢厩舎の黄金コンビにより、数々の重賞レースを席巻していた
まさにそのときに私は競馬をしていたわけで、今となっては貴重な
時代に競馬を楽しむことができたことに感謝しています。もう、あの
しなやかな馬さばきを見られないというのは、寂しいですね。

今後の競馬は、いったいどうなるのでしょう。ライスシャワーが予後不良に
なって以来、競馬からは足を洗ってしまった私ですが、最近の競馬は
あまり盛り上がっていないようですね。ファン重視というよりは馬主重視の
レース編成をするJRAに、ファンが愛想をつかしたのだと思います。
岡部さんのレース人生終了が、競馬全体の終了のプロローグにならないことを
祈ります。

雄たけび

2005-01-28 12:37:35 | スポーツ
奥様が毎日日記を更新していらっしゃいますので、私も少しは奥様を見習わなければいけないと思い、急遽書いてみることにしました。あまり長いのは大変なので、短いのを少しずつ書くことにします。

今日思ったのは、あのシャラポワ選手のことです。ロシア出身の彼女のすごさについて、今から特に詳しく書くことはありませんが、気になるのは彼女を含めた女子選手のあの掛け声です。モニカ・セレシュ選手もすごかったということですが(審判から「うるさい!」と注意されたこともあるらしい)、シャラポワ選手の掛け声もすごいと思います。まるで発情期の七面鳥のような、こめかみに響くあの声はかなり特徴的です。昨日準決勝であたったセレナ・ウイリアムズも、やはり特徴的で、まるで発情期の雌ゴリラのような声です(聞いたことあるのか、とつっこまれそうですが)。

心配なのは、このまま行くと女子テニス部の練習風景が、まるで剣道部の稽古のような、耳をつんざく雄たけび溢れるものになってしまうのではないか、ということです。やはり女子テニスといえば、優雅さこそが持ち味だと思ってしまうのですが、今後はどうなるのでしょうか。あ、でも女子部員がシャラポワやウイリアムズに習って、ノーブラで練習するようになることには、何も意義を唱えるものではありません。