弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

ブログと投薬状況

2019-02-01 14:21:12 | メンタル
今日も今日とて寝起きの調子が悪い。
昨日、頭痛薬を飲んでランニングをしたら、少しハイになったからその反動か。

それはさておき。

13年前からずっと独り言のようなブログをサイトを変えながら続けてきた訳だが、昔と今では状況が違う。
ブログを始めたのは、まだお薬手帳が完全に普及しておらず、また、院内処方の病院に通っていた頃。
その時代には投薬状況の記録としてブログを使っていた。今ではそのブログは残っていないが、大体、いつどんな薬を飲んでいてどういう状態だったのかを思い出せる。
記録をつけていたおかげだろう。

逆に、お薬手帳を完全に使い、その代わりにブログに記していない時の記憶の方が浅い。

とはいえ、多分、もう投薬ですることはマイナーチェンジしかないので、これから記録をつけていく意義はあまりないだろう。下手したら死ぬまで変わらないかもしれない。とはいえ、画期的な新薬が出たらそれを試していくことにはなろう。

その固まったものとして記しておこう。今までに何度薬を試したことか。。

レクサプロ20mg
レキサルティ1mg又はエビリファイ6mg※
セロクエル300mg
以上眠前。
※レキサルティはまだ処方制限があり1ヶ月処方が出来ないため、おそらく、4月からエビリファイに一時的に戻す。あまり効果は変わらない。

ソラナックス0.4×3
デパス1
デパスは頓服だが、ソラナックスの使い方は自由。

漢方
大柴胡湯
ほぼ肝臓保護のため。

以上はちゃんと飲んでいるがリーマス800mg/dayだけ飲んでいない。
効かないどころか逆に鬱々としてほとんど動けなくなると医師に言っても無くしてくれないのでしょうがない。
双極性2型だから医師は出したいのだろう。ただ、軽い躁に一時的になっても、ほとんど持続しないことは医師も量済み。

デパス以外ほぼどの薬も微妙にしか効いていないが、セロクエルだけは必須という感じ。でないと恐ろしい不眠症になる。
基本薬は少ないが、肝臓への負担と肥満傾向にあるのでそこだけは注意という感じか。

文学と救い、或いは哲学

2019-02-01 02:15:28 | 本など
高校生の頃、教科書に載っていた梶井基次郎の『檸檬』を読んで感銘を受けた。
だが、多分、その頃の印象と今読み直した印象とでは大分違うのだと思う。

梶井基次郎の作品は自分が病人になってようやく見えてくる部分がある。
表現が染み渡るのだ。

感銘を受けた、と言えば、アルベール・カミュの『シーシュポスの神話』が一番で、他にも夏目漱石の『こころ』などがある。
カミュのそれは私のバイブルのようなものだ。おそらくだが、当時も自殺という単語に反応していたのだろう。

この著作は哲学的な部分がある文学だが・・
反証主義者なので、科学や哲学と文学は切り離すべきだと思っている。
それでもなお、改訳したこの本に惹かれて読み直している。

ある意味、そういう区分など、私には本質的でないのかもしれない。

この本は苦境の時に、いつもかじりついていた。そして、今もなお色褪せない。

学問とも趣味嗜好とも切り離されたところでしか、人は本質的に救われないのかもしれない。
だが、それは直観や啓示によるものでもない。
そしてまた、私の世界ー言語への信頼することで私の表現していくものが他者の糧になるかもしれない。

夢想か。
学問にしても何にしても、表現で食べていくしかない。
それならなおのこと、他者の存在の前提のもとで私は私の言語を突き詰めていくしかない。

(このブログは伝えることを目的としてない。ただの落書きだ。だが、私的言語がなりたたないのと同じくで、完全に他者を排していない。)