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あみの3ブログ

田丸城@三重県度会郡玉城町田丸 2022年8月18日

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田丸城は、南北朝動乱期の延元元年(1336)、後醍醐天皇を吉野に迎えようと伊勢に下った北畠親房が、愛洲氏や渡会氏などの援助を得てこの玉丸山に城を築いて南朝方の拠点としたことが始まりとされる。南朝方の拠点である吉野から伊勢神宮の外港大湊に通じる道は、軍事経済の面からも吉野朝廷にとっては最重要路線であり、玉丸城は北朝・南朝の攻防の舞台となった。 
 室町時代には、伊勢国司となり一志郡美杉村の多気に館を構えた北畠氏の支城として伊勢志摩支配の拠点となっていた。天正3年(1575)、織田信長の次男で北畠氏を継いだ織田信雄が、玉丸城に大改造を加え、本丸・二の丸・北の丸を設け、本丸には三層の天守閣を建てて田丸城の誕生となった。天正8年にはこの天守は炎上した。
 江戸時代には紀州藩主徳川頼宜の家老久野宗成が田丸城主となり、久野家は代々城代を勤めた。城は、明治2年(1869)に廃城となり、同4年には城内の建物は取り払われた。昭和3年(1928)、国有林となっていたこの地域の払い下げに際し、村山龍平の寄付により町有となり、その後残りの地域も町有化し、町民に解放された。玉城町、、、現地説明板より


場所は三重県度会郡玉城町田丸
ナビは「玉城町役場」(〒519-0495 三重県度会郡玉城町田丸114−2)にセットしてくるのが良い。同役場の駐車場に車を停め、向かいにある「村山龍平記念館」にて御城印や資料を収集してから登城することをおススメします。
玉城城本丸虎口脇の駐車場は3台分ほどしかないので、やはり町役場の駐車場に停めて徒歩で登るのが良いと思います。

田丸城縄張り図(「村山龍平記念館」で頂いたパンフレットより)





外堀から大手門橋を渡って大手門跡に向かいます。



「田丸城外堀」
大手門橋より北方向



「大手門跡」
大型石材を多く組み合わせて石垣を構成している。


同角石の算木積み
後世の積み替えの可能性はある。



「村山龍平記念館」
続100名城スタンプ、スタンプラリー・スタンプ、田丸城御城印、設置場所
大手門橋を渡った右手にあります。反対側は田丸町役場と駐車場です。



「田丸城内堀」
町役場から田丸保育園に向かっていくと田丸城石垣の方向に内堀の跡が残っています。
内堀に植えられた大賀ハスは7月から8月上旬まで楽しめるそうです
大賀蓮(縄文時代に咲いていた古代蓮)→こちら
見ごろでした。


今年は大好きな花ハスとの相性がいいですね~♪



「三の丸」
跡地に建つ「玉城中学校」


三の丸井戸水源「金明水 銀明水」
玉城中学校のグランド辺りに石碑が建っています。




「本丸虎口」


他の石垣とは異なり、この場所には整えられた石垣が見られます。


枡形
所々に鏡石状の大型石が使われており、石垣面と石面があっている。


城門石垣


虎口から北側石垣





北の丸石垣
田丸城で一番古いと考えられる石垣。隅角部が算木積みになっていない。





「北の丸」



北の丸に創建された「城山稲荷神社」



土塁跡か?



北の丸北側遊歩道
まるで空堀のようですね~






「本丸石垣」
西櫓台




西面


南西隅


南面


本丸広場




「天守台」
かつて三層の天守があった天守跡
天守台は本丸北側に位置しており、内部に穴蔵を持つ古い形式のもので、南側には付け櫓が付属していました。天守台は高さ約4mで、東西約17m・南北約18mのほぼ正方形に近い平面をしています。付け櫓台の石垣と石段は、近世以降の改変の手が加えられています。



天守台石垣
北側


南側


西隅石


天守台入り口階段


天守台内部


天守台
多聞石積み?




本丸の二の丸側虎口



二の丸土橋



「二の丸」
土塁か?



二の丸石垣
本丸側土橋から



二の丸 富士見櫓


二の丸虎口(上から)



「富士見門」
玉城中学校蓮池跡の向かいに移築された江戸時代中期の城門。かつては、門の両側に長屋が付いていたことから長屋門とも呼ばれていました。
富士見門と名付けられていることから、かつてはこの富士見櫓周辺にあったのでしょうか?





二の丸虎口(下から)


二の丸虎口石垣



二の丸搦手通路側に残る古い時代の石垣
大小不整合な石材を積み上げており、目立って大きな石材は使用していない。石積み途中に小型の石材をはめ込んだり、後からの間詰石が多い。



田丸城は現在三重県指定史跡ですが、「国の史跡」指定に向け調査を継続中との事です。このひなびた感じがとても親しみやすく、野面積みの石垣が無骨で漢らしさを感じさせてくれます。
今回の三重県の城巡りの中では、想定外の素晴らしい出会いでした。


【田丸城】
《北畠氏が築いた伊勢南朝方の拠点》

名称(別名);たまるじょう(玉丸城)
所在地;三重県度会郡玉城町田丸
城地種類;平山城
築城年代;延元元年(建武3年1336)
築城者;北畠親房
主な城主;北畠氏、織田氏、田丸氏、稲葉氏、久野氏
文化財区分;県指定史跡
近年の主な復元等;石垣の修復
天守の現状、形態;天守台石垣が残る

※出典、、、続日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)
地図;




◆御城印、スタンプラリー・スタンプ



設置場所:村山龍平記念館
住所:〒519-0415 三重県度会郡玉城町田丸114−1
営業時間:9時から17時(土日祝は16:30)


地図
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