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あみの3ブログ

鳥羽城@三重県鳥羽市 2022年8月18日

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三重県指定史跡
鳥羽城
水軍の基地に適した、良港で知られる泊浦(鳥羽)の妙慶川河口部に位置し、標高40mの小山を中心に築かれた平山城で、南方山頂部に設けられた本丸を中心に、自然地形を利用して雛壇状に曲輪を配置しています。
 大手門は海に開いた水門で、内陸側には堀を巡らせ、四方を海に囲まれた海城でした。内陸部からは「藤口門」、「横町口門」と「相橋口門」の3つの橋で連絡し、天守をはじめ、13の櫓が廃城時にありました。
 城内は絵図によれば、本丸の北西よりに三層の天守があり、南側には本丸御殿がありました。内藤忠勝の時代の延宝8年(1680)に内藤家が断絶になった際の作事書に、天守の規模は5間(約9.1m)×6間(約10.9m)で、高さは約19.5mであったとされています。

志摩地方に勢力を伸ばしていた「戦国最強の水軍大将・九鬼嘉隆」が築城。四方を海に囲まれた海城でした。本丸には三層の天守があったそうです。
九鬼氏がお家騒動で国替えになってからは何度も城主が変わり、幕府直轄地を経て最終的には稲垣氏が入封して明治を迎えました。

版籍奉還により城郭の建物・城門・櫓等は取り壊され、内陸の「蓮池」が埋め立てられ、海側も造船所建設により城の遺構は取り壊されました。また、昭和に入ると本丸より一段下がった南には旧鳥羽小学校、家老屋敷跡の南にも鳥羽市役所・市民文化会館が建設されました。

鳥羽城跡は鳥羽水族館の裏山にあたり、ミキモト真珠島や美しい鳥羽湾が一望できます。



場所は三重県鳥羽市鳥羽3丁目1−1(城山公園)
鳥羽水族館裏手の駐車場から、6段石垣を通って登ると城山公園に行くことができます。
自分はパンフレットの鳥羽城へのアクセスに書いてある通り、鳥羽市役所駐車場に車を停めました。
ナビは鳥羽市役所本庁舎( 三重県鳥羽市鳥羽3丁目1−1)にセット、庁舎南側の細い道を山の方へ登った先に庁舎裏手の駐車場がありました。



ここは鳥羽城家老屋敷跡の南側にあたり、家老屋敷石垣が目の前にあります。



この階段を山に向かって登ると鳥羽城址です。


イラストマップ




江戸時代の絵図







階段の先は
「三の丸」



本丸に向かう大手道には石垣が残っています


虎口の石垣でしょうか



三の丸から本丸に向かう途中東に開けた谷に、雛壇状に弧を描くように築かれた石垣がありした。
あまりに整然としており映えのするビューポイントなので地元の知人に訊いてみると、近年整備された石垣との事。な~んだ(;^ω^)
鳥羽水族館裏手の駐車場から直接上ってくるルートでもあります。





「本丸石垣」









登りきると頂上部には平坦面が広がります。


本丸「天守跡」


本丸「井戸跡」


本丸より一段下南側に「旧鳥羽小学校」の廃墟



本丸からの眺望



城山公園
💛TOBA
恋人たちの聖地💛


眺望






平成18年(2006)5月7日
【かんぽの宿鳥羽】(現亀の井ホテル鳥羽)で宿泊しました。
鳥羽城の目の前でしたが、当時の興味は「鳥羽水族館」と「ミキモト真珠島」でした。
おろしたての新車でドライブしたのが昨日のことのようです。



【鳥羽城】
《戦国期最強の水軍を率いた九鬼氏の海城》

名称(別名);とばじょう(錦城)
所在地;三重県鳥羽市鳥羽3丁目1−1(城山公園)
城地種類;海城(30m/-)
築城年代;文禄3年(1594年)
築城者;九鬼嘉隆
主な城主;橘氏,九鬼氏,内藤氏、土井氏,板倉氏,松平氏,稲垣氏
文化財区分;県指定史跡
近年の主な復元等;
天守の現状、形態;3重(1633年築)現在は無し、石垣,郭

※出典、、、
地図;




◆御城印 



設置場所:鳥羽駅観光案内所
住所:三重県鳥羽市鳥羽1丁目8−13
営業時間:9時~17時30分



地図:



◆スランプラリー・スタンプ
設置場所:鳥羽市歴史文化ガイドセンター
住所:三重県鳥羽市鳥羽1丁目10−48
営業時間:9時~16時
地図:
鳥羽駅観光案内所のとなり
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