富山城郭カードは→こちら
魚津市南部に位置する丘陵上(標高302m)に築かれた山城で、松倉城の支城の一つです。城跡があるこの丘陵には、北から升方城跡や南升方城跡、石の門砦があり、水尾城後の南には水尾南城が配置されています。また、水尾城後の東方約1kmの地点には全国的にも有数の規模を誇る松倉城跡があります。
水尾城跡は丘陵の細長い尾根上にあり、南北350m、東西180mの範囲に5か所の空堀で区切られた4つの曲輪を設けています。北側の曲輪が最も広く西方に帯曲輪を巡らせています。北から三番目の曲輪は、南北の両端に土塁と石積みを配しており、最も堅固な守りを備えています。
水尾城の名が歴史上に登場するのは、南北朝時代の様相を記した「得田文書」の中で、貞和二年(1346)7月、能登勢が水尾城や水尾南城を攻めたとあります。
魚津市教育委員会、、、(現地案内板より)
本城 松倉城の記事は→こちら
松倉城支城群 升方城の記事は→こちら
松倉城城戸口 石の門の記事は→こちら
位置関係はこうなります↓
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この日の攻城目的は「升方城」と「石の門」
ところが石の門まで来たら「水尾城跡」がすぐ近くにある事がわかり、天候と時間を考えてもまだまだ余裕があると判断し攻城する判断を下しました。
なので事前の準備は無く、頼りは道案内の看板のみ(;^ω^)
石の門から暫く行くと早月川方向との分岐に出ますので、案内看板通りに進みます。
次に二本の林道が交差する分岐に出ますが、こちらでも「水尾城跡」の案内看板があります。
この林道は舗装されていますがかなり倒木がありそうなので、交差する道の脇に車を停め徒歩で登城することにしました。
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この分岐に入るとすぐに有害獣捕獲用の罠が設置してあり、こりゃあ危険ゾーンだなと緊張💦
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さらに転落して朽ち果てた乗用車の残骸! 搭乗者は無事だったんだろうか?妄想が膨らみます💦
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林道は舗装されていますが窪みや倒木があり、やっぱり徒歩で来て良かった( ;∀;)
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穏やかな坂道を登り始めて約15分、さらに林道は分岐。「水尾城跡」の案内看板を左折。
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するとどうでしょう!
巨大な石を両脇に積んだ、まるで「城戸口門」のようなものが現れたではありませんか!
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山側の巨石と城址案内標柱
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谷側の巨石列
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特に山側の巨石は
約2.0m×1.5m×1.5mの立方体で石の比重を2.6とすると、推定約12トンもありそうな巨石です💦
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城戸門?の石垣からさらに林道を登ること10分、いよいよ「水尾城跡」に到着。
標柱と案内板が設置してあります。
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幸いにも案内板の縄張り図がありましたので、これを参考に遺構を歩くことにしました.
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登城口の看板はありませんでしたが、案内板横に僅かな隙間をみつけ崖をよじ登ることにしました。(赤い目印テープは自分が付けました。以下同)
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ここからは佐伯哲也氏著 越中中世城郭図面集2より引用の縄張り図で当日の行程を振り返りたいと思います。(朱書きはブログ管理者加筆)
南北に細長い山頂の尾根沿いに約400mにわたって築かれ、5つの大きな堀切で分断されています。
主郭は北側にあり、その西側には帯曲輪があります。
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案内看板脇の登り口から入ると、図面の「B郭」と「C郭」間に施された堀切に出ます。
この堀切を起点に、まずは南側の遺構を見てからここに戻り、北側の遺構を見て最後にここへ帰ってくるという行程です。
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この堀切には仮設の橋が架けられていますので、安全を確かめてから渡ることにしました。
そんなにも深い堀切ではないので、橋が必要なのか?という疑問も湧きましたが、取り付け工事の苦労を考えると「ご苦労様です」。。。(;^ω^)
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南側、図面(以下同)「C郭」の平坦地
土塁と堀切で囲まれたコンパクトな曲輪です。
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C郭南側の堀切
先ほどの橋の架かった堀切より規模は小さいですが、尾根の傾斜に沿って切り取られた堀は十分な防御機能があります。
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ここから先の南側は尾根の傾斜に沿って、段々に小さな曲輪が連なり
さらに堀切が施されています。堀自体は深くありませんが、尾根の傾斜を利用して高い崖が行く手を拒む構造です。
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その先の南端曲輪群
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ここで起点の「B-C郭間堀切」まで戻り、北方向の遺構を目指しました。
「B郭」削平地
城郭地図を作製した佐伯氏は、このB郭を「馬出」と表現しています。言葉の意味は何となく解りますが具体的な形はそれぞれの城で異なり、ましてや下草に覆われて虎口の形状もはっきりしないので素人の私にはサッパリ気づきませんでした(;^ω^)
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B郭(馬出)からさらに進むと、先ほどより大きな堀切に出ました。
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こちらにも仮設の橋が架けられていたようですが、朽ち果てて崩落しています。
親切心で遺構に橋を架けてくれたようですが、時間が経過すれば必ずこうなります。取付工事より解体撤去工事の方がはるかにエネルギーを消費すると思いますが。。。
ここで怪我をしたら責任は?
なによりも遺構が破壊されていることが残念だと感じました。
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この堀切では東方向に「Y字」型に堀が別れており、その真ん中に「島」のような盛り上がりがありました。それが気になって何枚か写真を撮りましたが、帰って佐伯氏城郭地図を調べてみると、馬出曲輪と主郭を繋ぐ「橋」が架かっていたことがわかりました。
つまり、真ん中の小島(中の島?)を中心に両脇に架かった二本の橋で行き来するという構造です。しかもそれぞれがクランクしているので敵の侵入速度を抑制する機能を持った虎口であると言うから驚きです。
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主郭と言われる最大の曲輪の中で、東に面した一段高く盛り土された一角が「A郭」で櫓台でもあったのでしょうか? あるいは城主の居館だったのかもしれませんね。
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A郭からの眺望
東方向には本城「松倉城」が見え、後方の冠雪した山は立山連峰
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現地案内板の航空写真と比較(朱書きはブログ管理者加筆)
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主郭西側の一段低い場所に細長い形をした「帯曲輪」が配されています。
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帯曲輪から見上げる主郭台地
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四角の形をした主郭には四隅に出入り口があります。
南東方向には「橋」からの虎口、北東方向の尾根筋との虎口、北西方向から帯曲輪への虎口、そしてこの「南西側帯曲輪虎口」
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南西側帯曲輪虎口の石垣
なんと、ここで石垣発見!!!
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帯曲輪側の法面に伸びる石垣と角石
加工されていない川原石を積み上げた「野面積み」ですが、角石を中心に二面に施工されているのがハッキリとわかります。
感動です!ヽ(^o^)丿
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石垣の上に登り、角石の上に立って俯瞰してみました。
天端石は見当たりませんが、上段に露出しているこの角石の幅は約80㎝位はあるでしょうか。先ほどの升方城にも無かった巨石が使われているという事は、ここ水尾城主は結構格式の高い重臣だったのかもしれないなと妄想( ゚Д゚)
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主郭を北側に進み曲輪の北端に出ると、北東に連なる尾根が崖のようになっています。
よく見ると急傾斜した尾根を切り取り堀切が施されています。
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加越国境付近の山城ではこのようなところにはロープが取り付けられており、それにつかまって下へ降りることができるのですが。意を決し約7m程の崖を木の根や笹につかまって降りたのですが、途中で蔦のようなつるに足を取られ転倒!滑落してしまいました。幸い尻から滑り落ちたので怪我はありませんでしたが、危ないところでした💦
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この先北端尾根には小さな曲輪や堀切が階段状に配置されているようですが、ここで帰路につくこととしました。
5つの堀切
中の島を利用した橋の虎口
虎口に残る石垣
馬出曲輪(自分的には分かってなかったですがw)
林道分岐に残る巨石(これについては少し疑義が残りますので、今後関係機関に問い合わせて調べてみたいと思います)
升方城に比べ規模は小さいですが、けっこう見どころがある城跡でした。
と同時に、仮設の橋については遺構保存の問題が
林道脇の巨石群については年代など、いろいろ考えさせられる課題も与えてもらいました。
でも一番は
天候に恵まれ、クマと遭遇しなかったことが何よりでした(^^♪
【水尾城】
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名称(別名);みずおじょう
所在地;富山県魚津市鹿熊
城地種類;山城
標高/比高;303m/230m
築城年代;南北朝期
廃城年代;戦国期
築城者;
主な改修者;
主な城主;井上氏・椎名氏・上杉氏
文化財区分;市指定文化財
主な遺構;削平地・切岸・土塁・堀切・竪堀・石垣
近年の主な復元等;
※出典、、、越中中世城郭図面集Ⅱ
地図;