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あみの3ブログ

郷柿沢館@富山県中新川郡上市町郷柿沢 令和三年(2021)7月24日

お城検索は→こちら



2021年4月から地元紙北日本新聞に「とやま・お城探検隊」というコラムが掲載されていることは以前このブログで紹介しました。→こちら

今の時期の山城歩きは下草が伸びて地形(堀や土塁、石垣)が分かり辛いのであまりお勧めではありません。ましてや熊との遭遇の危険性が高く、非常にリスキーです💦

そんな時は「とやま・お城探検隊」の記事が参考になります。
足場が良くて人家に近いところ、できれば平城か平山城がおススメ。見どころや歴史的背景も説明されているので凄く参考になります。
そこで今回見つけたのが、この「郷柿沢館」と「弓庄城跡」(後日公開予定)
場所を調べ、梅雨の晴れ間に突撃です。

場所は富山県上市町郷柿沢九日田
北陸道立山・上市IC下車→県道3号線(富山立山魚津線)にて魚津方面→上市市街を抜け、県道46号(上市北馬場線)との交差点(郷柿沢信号)の北西角です。
北陸道・上市スマートインターチェンジからは、県道46号(上市北馬場線)→上市川を渡り富士化学KK守衛所前を通ると数分で県道3号線との交差点(郷柿沢信号)に至ります。

郷柿沢館は現在「西養寺」となっています。なので同寺を目標にすると良いです。



東西73m南北80m、面積5840㎡の複濠複廓式の屋敷跡である。周囲に幅2mから7mの濠を持ち、その内側に高さ幅共に2mから4mの土居を有するもので、これほどよく残るものは極めて稀である。
 この館は中世(室町時代)に新川一帯を領した土肥氏の一族の館であったが天正年間、土肥美作守政繁が佐々成政に敗れた後、戦いに参加しなかった弥三五郎が俗家して農業を営んでいた。それより先、一向衆徒が宗門を守るため時の権力に抗して一揆をおこし、天正の初めには豪族、椎名兵部も兵を率いて石山合戦に参加、帰国後西養寺を開基したと言われている。現在の住職(篠原氏)は、椎名一族の直系と言われているが、土肥一族と深い係わりがあると言われている。(上市町教育委員会)
、、、現地説明板より


まず城郭(屋敷跡)平面図で当日の行程を説明します。、、、上市町教育委員会作成(ブログ管理者加筆)



正面(西側)にある山門脇に指定史跡の案内看板が建っています。


西養寺本堂


境内から見た山門



外周をぐるっと回って外観を確認。

県道46号線に面した入り口(館の北西隅)


正面にあたる西面
山門を挟んで北側の土塁と堀の外観


同じく南側の土塁と堀の外観


館南面(写真は南西隅)


東面は県道3号線に面してはいるものの、民家とお墓が立ち塞がり、外観写真の撮影はできませんでした。


それではゆっくり見て回りましょう。
なお境内は私有地なのでお寺の許可を得てください。とても気さくでお話上手な住職で、たくさんお話を聞かせて頂きました。

正面(西面)虎口
土塁の外側は水堀です


山門北側の土塁と石積み
クランクした土塁の表面には割石を積み上げています


明確な算木積みとは言えませんが、稜線を揃えたた角石です。



西面の山門を挟んだ南側には満々と水を湛えた水堀が現存しています。この部分は後世に広げられたものとみられるそうです。
また、この部分の土塁は他の三面の土塁に比べ、高さも幅も大きく南西隅には櫓などが存在したと考えられています。



南西隅の堀と土塁
拡幅された堀には水が湛えられているが、拡幅以前の堀の部分では泥が堆積して水位は低い。



北面土塁と堀
堀には水が確認できます。



北東隅土塁
近年の削平などにより隅櫓の痕跡を確認することはできない。



東面土塁
本堂背後に残る土塁。


県道3号線側民家との間に残る堀にも水が確認できる。


東面土塁線上を北から南に向かって歩く
竹林となっており、細かい根っこが地盤を固めて崩壊を免れていたものと思われます。



東南隅土塁
隅櫓の跡と思われる隅部の盛り土。その奥に喰違虎口が見える。



南面土塁の「喰違虎口」


注目されるのは、堀の喰違であり、土橋を渡って虎口に入る進入路もカギ状に折れている。
また土塁外側基部に犬走上の細長い段が巡っていたそうです。


南面の虎口
現在生活道路として使われていますが、後世に土塁を切り崩した開口部だと考えられています。


同虎口の石積み
土塁の崩落防止の土木工事?


同虎口西側土塁
南西隅方向にも隅櫓があったと考えられています。





【まとめ】
こうした平面形の館跡は珍しくありませんが、水堀と土塁が現在まで良好な状態で残されている例は極めて少なく、大変貴重です。、、、「とやま・お城探検隊」

お寺の境内としてはコンパクトですが、そこに詰め込まれた歴史は深く大きいものがあります。
450年以上姿を変えなかったということには、強い意志が感じ取られます。
それは一種の誇り(守護代・松倉城主椎名氏の子を招いて創建した、椎名氏直系の家系)が理由の一つだったのかもしれませんね。


【郷柿沢館】
《水堀と土塁が明確に残る中世豪族の館跡》

名称(別名);
所在地;富山県上市町郷柿沢九日田
城地種類;居館
標高/比高;
築城年代;戦国期
廃城年代;
築城者;土肥氏
主な改修者;
主な城主;土肥氏、椎名氏
文化財区分;上市町指定史跡
主な遺構;曲輪、土塁、水堀、喰違虎口
近年の主な復元等;現状寺院、、、西養寺


※出典、、、上市町教育委員会
地図;
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