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あみの3ブログ

氷見台場@富山県氷見市地蔵町 令和三年(2021)10月15日、2日、9月16日

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加賀藩は文化3年(1806)1月の『ロシア船に備えよ』との幕命を受けて以降、着実に海防の準備を進め、佐渡沖に異国船出没が伝えられた嘉永年間には、海辺防衛を一層厳重なものにするために、越中国を含めた沿岸一帯に御台場(砲台)を建設するなど、一連の防衛構想を実行に移していきます。
越中国では、伏木放生津を加え直ちに着工の運びとなりましたが、藩主視察の結果生地氷見にも築造が命じられたそうです。

黒い☆印は先行築造の6ヶ所、赤い☆印は越中国、青い☆印は富山藩の台場を現わしています。




《越中の御台場を訪ねて第1弾》
大砲のレプリカと、砲台跡の復元展示は県内ではここだけ!
【生地台場】
生地台場の記事は→こちら


《越中の御台場を訪ねて第2弾》
加賀藩が最初に築造した6ヶ所の台場の一つで、越中初の台場はここだ!!
【伏木台場】
伏木台場の記事は→こちら


《越中の御台場を訪ねて第3弾》
放生津八幡宮に痕跡を求めて。。。
【放生津台場】
放生津台場の記事は→こちら





《越中の御台場を訪ねて第4弾》

【氷見台場】
富山県氷見市の海岸に築造が計画された台場であり、金谷ら一行は嘉永3年6月11日に立ち寄り、唐島対岸の海岸を台場の建設地としたことが金沢市玉川図書館近世歴史資料館所蔵「氷見浦台場の縄張りの図」に記されている。
 嘉永3年6月に本台場は建設されたと記されているが、本台場は同年に築造された6ヶ所の台場には含まれていないことから調査が必要である。
5個の砲丸が配置された台場であったが、大砲の配備には至らなかった。図面では「丈」で記載されているが「間」に換算すると、伏木台場の図と同じである。
、、、

上段、、、金沢市玉川図書館近世歴史資料館所蔵「氷見浦台場の縄張りの図」
下段、、、氷見浦御台場「富山県史編纂委員会1983」

※参考資料、、、板垣英治「加賀藩の火薬」




『唐島ノ左ニ受ケタル砂浜ニ上ガリ、台場ヲ定メテ縄ヲ設ケ、、、』と記録にあるため現在の地図に当てはめると赤い斜線の辺りでしょうか?
海岸が埋め立てられて現在は氷見番屋街となっているので、更に内陸側という事になりますよね。


朝日山公園より俯瞰
つり橋の橋脚が見えるところが「上庄川河口」です。「唐島」は上庄川の沖合にあるので、その「左」となると、赤い五重塔が見える辺りです。
当時配備が計画されていた「臼砲」の射程を考えると、河口から300m以内と言うところでしょうか。



赤い五重塔辺りには現在「氷見番屋街」が建設されていますが、その敷地よりも内陸側に旧堤防がそのまま残っています。つまり、海岸線はもっと内陸にあったわけです。




◆ここで詳しいことを調べるために「氷見市立博物館」を訪ねました。
対応にあたってくれたのは同館 大野究館長でした。大野館長と言えば地元紙北日本新聞の「とやま お城探検隊」で9月20日No111から10月12日No125まで氷見の城について担当され、紙面でも紹介されたところです。

解説頂いたところでは、江戸時代後期に加賀藩領の越中射水郡氷見町で蔵宿業を営み、町役人を歴任した田中屋権右衛門の日記「応響雑記」に氷見台場の件が記載されているという。
嘉永3年6月11日には、異国船に備えて地蔵町愛宕神社前の海岸に御台場の築造が計画され、縄張りが行われたが、実際に築造されることは無かった。同年9月7日には金沢専光寺浜で大筒などの軍事演習が行われ、安政2年4月20日に今石動で行われた砲術訓練は、権右衛門も見学している。、、、2020氷見市立博物館 特別展「応響雑記の世界」誌より抜粋

ここで重要なことがわかりました。『唐島の左に、、、』と言うのは向かって左ではなく、唐島から見て左と言う意味だったのです💦💦

朝日山からの俯瞰
写真左の海に浮かぶ小島が「唐島」
唐島から見て左なので、写真では中央の辺りとなります。



古地図
天保10年射水郡絵図 富山県立図書館蔵



現在の地図では
『地蔵町愛宕神社前の海岸、、、』とは推定この辺り
【地蔵愛宕社】




住所;〒935-0014 富山県氷見市地蔵町5−9
地図;



愛宕社から50m程で海です。



右手奥が「唐島」
氷見漁港



こちらの海岸線も埋め立てが進み、古地図で描かれた海岸は道路の手前の旧防波堤より更に内陸だったと思われます。



上記田中屋権右衛門の日記「応響雑記」には、『嵐で杭が流されたので打ち直した』との記載もあるそうです。
なので写真の住宅が建っている辺りが推定台場建設予定地だったと思われます。



加賀藩としては、越中国の守りをあまり重要視していなかったのでしょうかね(笑)
東の守りは生地台場、西の守りは伏木台場、この二か所で十分。氷見へは外国船の襲来の可能性が極めて低いと判断したんでしょうね。



◆ ☆ ★ ♪ 【周辺】◆ ☆ ★ ♪

氷見漁港場外市場 ひみ番屋街


道の駅氷見
住所;〒935-0004 富山県氷見市北大町25−5
地図;



上庄川に架かる「北の橋」
リニュアルされ「藤子不二雄Aキャラクターブリッジ」と言うそうです。



街中ではこんな楽しいシーンにも出会えます♪
「喪黒福造のスマイルベンチ」は女子に人気です。(SNS投稿快諾です)



この他にも
まんがロード→こちら
では藤子不二雄Aキャラクターにたくさん出会えますよ~♪

コメント一覧

amino3
Re生まれ育ちの氷見市
(クッキー)さん、コメントありがとうございます。
氷見の中でも番屋の辺りが一番大きく変わったところでしょうね。昔の思い出は遠くになりにけり、、、と言ったところでしょうか。
クッキー
生まれ育ちの氷見市 池田浜って 富山湾の中でも 遠浅で波の影響が1番少ない池田浜 東小学校は 新町にありましたが 昔の北部中学校の跡地に建築 小1学生のときは小学校みんなで 初泳ぎに歩いて池田浜に泳いできました。  しかし  埋め立て… 浜が無くなりました。  防波堤の後はずっと残ってます  五重塔は 氷見で1番の酒井漁業の住宅ですね 自由に参ることができます。  
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