山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

秋暑い窓の女はきちがひか

2009-06-20 12:08:09 | 文化・芸術
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Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、9月26日の項に

9月26日、晴、宿は同前-宮崎市.京屋-
9時から3時まで、本通りの橘通を片側づつ行乞する、1里に近い長さの街である、途中闘牛児さんを訪ねてうまい水を飲ませて貰ふ。
宮崎は不景気で詰らないと誰もがいつてゐたが、私自身の場合は悪くなかつた、むしろよい方だつた。
夜はまた招かれて、闘牛児さんのお宅で句会、飲み食ふ会であつた、紅足馬、闘牛児、蜀羊星、みんな家畜に縁のある雅号である、牛飲馬食ですなどといつて笑ひ合つた。-略-

―四方のたより―
今日のYou Tubeは「Reding –赤する-」のScene.2、Junkoのsolo



―表象の森―「群島-世界論」-15-

島尾敏雄はポーランドを再訪、三訪することで、民族と国家と歴史的主体をめぐる彼の固有かつ地域的な問いを、より広がりのある知的射程へと導くことができることを知った。琉球弧、フィリピン、ハワイ、プエルトリコと並んで、ポーランドは、彼にとってのそうした世界を浮上させる特別の一地点として、自身の群島地図にある時浮上したかけがえなき島だったのである。

「群島=多島海」-Archipelago-という語彙が、ヨーロッパ=地中海世界における始原の海エーゲを指す西欧的用法を超えて、近代世界における島嶼の連なりを指す一般名詞として広く流通するために寄与した最重要の書物のひとつが、博物学者A.R.ウォレスによる「マレー群島」である。この書の愛読者であり、まさに言語的変異の坩堝のようなこの海域を船員として往還したJ.コンラッドが、ボルネオ島東部域の海と川を舞台に一人の孤独な夢想家商人の野心と没落を描いた処女作が、「オルメイヤーの阿呆宮」であった。

群島の言語-。「大陸」の原理が抑圧する言語のひとつは国家的枠組みを欠いたDialectという消えかける地方言語であり、もうひとつがPidgin=Creoleというどこにもnativeな帰属を持たない浮遊する混淆言語である。そうした大陸言語の抑圧のもとに上書きされて見えなくなっていたくぐもった異語の肌理が、いま群島のVisionのなかで浮上しつつあるとはいえないだろうか? この、完全に文字言語によっては征服され得ない群島の言語を、彼らを先達として聴き取ることの可能性こそが、いま私たちのまえに拓かれてあるといわねばならない。
 -今福龍太「群島-世界論」/15.言語の多島海/より


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