山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

沈みはつる入日のきはにあらはれぬ‥‥

2006-03-29 00:45:22 | 文化・芸術
0511270101

-今日の独言- 痩せ蛙の句

 一茶のあまりにも人口に膾炙した句で恐縮だが、蒙を啓かれた思いをしたのでここに記しておく。
 「痩せ蛙負けるな一茶是にあり」
について、「一茶秀句」(春秋社)での加藤楸邨氏の説くところでは、
「希杖本句集」には句の前書に「武蔵の国竹の塚といふに、蛙たたかひありける、見にまかる。四月廿日なりけり」とあり、古来、「蛙いくさ」とか「蛙合戦」といわれて、蛙は集まって戦をするものと考えられていたが、実はこれは、蛙が群れをなして生殖行為を営むことである、と。いわば本能に規定された遺伝子保存をめぐる小動物たちの生死を賭した闘いだという訳である。
一匹の雌にあまたの雄が挑みかかるので、激しい雄同士の争いとなる。痩せて小さく非力なものはどうしても負けてしまうのだ。一説には「蛙たたかひ」というのは、蛙の雌に対して、多くの雄を向かわせ、相争わせる遊戯だという話もあるそうだが、楸邨氏曰く、いずれにせよ、単なる蛙の戦というような綺麗ごとではなく、そうであってこそはじめて、「一茶是にあり」と、軍記物よろしく名乗りを採り入れた諧謔調が精彩を発するのであり、この句の一茶は、痩せ蛙に同情している感傷的なものではなく、むしろ爛々と眼を光らせた精悍な面貌なのだ、と説いているのだが、成程そうかと膝を叩く思い。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-33>
 沈みはつる入日のきはにあらはれぬ霞める山のなほ奥の峯
                                    京極為兼


風雅集、春、題知らず。
邦雄曰く、新古今時代も「霞める山」を幽玄に表現した秀歌はあまた見られ、これ以上はと思われるまでに巧緻になった。だが、為兼の「なほ奥の峯」にまでは修辞の手が届かなかった。雄大で微妙、華やかに沈潜したこの文体と着想が、二条派とは一線を劃する京極派美学の一典型。初句六音、三句切れ、体言止めの韻律は掛替えのないものになっている、と。


 荒れ果ててわれもかれにしふるさとにまた立返り菫をぞ摘む
                                   二条院讃岐


千五百番歌合、二百四十八番、春四。
永治元年(1141)?-建保5年(1217)?。源三位頼政の女。二条院の女房となり、後鳥羽院の中宮宣秋門院にも仕えた。新古今時代の代表的女流歌人。小倉百人一首に「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそしらねかわくまもなし」の作がある。千載集以下に73首。
邦雄曰く、「離(か)れ」と「枯れ」を懸けて、新古今調「故郷の廃家」を歌う。但しこの「ふるさと」には「古き都に来て見れば」の趣が添う。この歌合当時讃岐は60歳前後、父頼政が宇治平等院に討死してから、既に20年余の歳月が過ぎていた、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿