切手収集、果てしなき旅そしてロマンを求めて...

小学校2年生の国語の教科書で挿絵に日本の記念特殊切手が紹介されていました。その魅力に取り付かれて早50年近く...。

続・『切手御三家』

2004年09月30日 | 初日カバー
私の生まれた年に発行された国際文通週間の“蒲原”の話しを...。小学生の時、この図案を見て衝撃的でした。雪が降って人が急いで歩いている様が伝わって来る、この版画の素晴らしさ、とにかく歌川広重は凄い人なんだと思いました。広重と葛飾北斎は風景画ではライバル関係だった様ですが、『東海道五十三次』が発表されたのは、北斎の『富嶽三十六景』発表から2年後なんですよねぇ。国際文通週間では、先に広重だったんで、こちらの方が古いと思いがちです。広重の他作品『名所江戸百景』では、遠近法といった手法等がゴッホやモネにも大きな影響を与えた様でした。さて、小学生だった私がこの“蒲原”に影響を受けて、先ず学校の図書館で広重の『東海道五十三次』の版画集を何度も何度も見て友達と激論を交わしました。切手図案になった5つの題材以外に、自分ならどれを切手として採用するかと...。共通の意見は富士山の雄大さが伝わる“原”でした。最近の国際文通週間にやっと登場しました。今程印刷技術が進歩してなくても、当時のあの刷色だからこそ、“蒲原”の持つ雪という自然現象の描写で情感を高めたのだと思います。今これを発行したら、もっと明るい刷色になっているのではないでしょうか。
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熱血切手少年時代の憧れの『切手御三家』

2004年09月29日 | コレクター
1970年代前半、私が小学生だった頃、人気があって中々買えなかった“御三家”があった。それは趣味週間の“ビードロを吹く娘”と“市川海老蔵”そして国際文通週間の“蒲原”だった。総じて『憧れの御三家』。“市川海老蔵”は作者の東洲斎写楽からボク達は“写楽”と呼称していた。当時、親から貰っていた小遣いが1ヶ月500円。“ビードロ”は3,000円、“写楽”は2,000円、“蒲原”は3,500円位の値がカタログには付いていた。デパートの趣味の切手売り場は、そのカタログに準じて値段が付けられており、人気のあった『御三家』や国宝シリーズはカタログ値より高かった。お正月にもらったお年玉を持って、大阪のとある切手商(現在は金券ショップとして健在!)で、カタログ値の60%位の値段で『御三家』を入手した。“月に雁”や“見返り美人”は高嶺の花で、それらは入手出来ないものと鼻から諦めていたのだ。入手した当時は、これら『御三家』が私が大人になった頃には、1万円を軽く越えているだろう...と夢見たのだが、どれも現在では千円台で入手可能だ。どちらか言えば珍しい消印を押してある使用済やエンタの方が高い場合が多々ある。でも、今でも『御三家』を見ると当時勉強もそっちのけで熱心に友達と収集していた頃を思い出すのである。
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東洋のビーナス、中宮寺の弥勒菩薩像

2004年09月28日 | 初日カバー
国宝法隆寺、そして世界遺産の法隆寺として世界的にも有名です。JR法隆寺駅から歩いて20分位の場所に位置しますが、最近は大阪のベッドタウンとして静かなたたずまいは多くの人間の住処と化しています。26日のベルリンマラソンを見ていて、街並みの美しさ、そして何より看板が少ないのには驚きました。この法隆寺周辺の街並みは、景観を損なう建物や看板で、駅から歩いて法隆寺へ向かうと失望することも多々あります。もう一寸広い範囲を保護地域にして欲しかったと思うのは私だけではないでしょう。さて、その法隆寺の近くに中宮寺があります。世界最古の寄木彫刻でその微笑は、レオナルド・ダ・ヴィンチの“モナリザ”と共に『世界の三微笑像』と言われています。角度によって表情が違って見えるのは、雑多な生活をしている人間には今流行りの『癒し』を感じさせてくれます。今日紹介の初日カバーは、中宮寺弥勒菩薩図案の最初に発行された切手です。これの小型シートも発行されたのですが、未使用、初日カバー共高価な代物です。
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大阪近鉄バファローズ、パ制覇最後のカバー

2004年09月27日 | 記念カバー
球界を揺るがせた大阪近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブの合併により、近鉄球団は消滅する事になった。04年現在の12球団の内で、日本一になっていない球団は近鉄のみだった。とうとう日本一優勝の美酒を味わう事が出来ずに幕引きとなった。近鉄がパ・リーグを制した最後が、2001年9月26日大阪ドームでの試合。北川選手が代打で逆転満塁ホームランを打って優勝を決めるといった離れ業で。この時の優勝記念カバーが今回の画像。感慨深いものを感じる。消印は大阪ドームを図案とする大阪西局の風景印を優勝決定の日付13.9.26で押印。
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続・競馬と切手

2004年09月26日 | 初日カバー
9月から中央競馬(JRA)では新たな馬券“3連単”が始まった。1~3着迄を着順通りに的中させる馬券。今の所最高配当は100万円。100円で買った馬券が100万円になる。新たな馬券を発売する場合、国会で審議し競馬法を変更する手続きが必要である。今日の画像は1948年に発行された『競馬法公布25周年』記念切手の初日カバー。イギリスを初めとするヨーロッパでは、競馬は紳士淑女のスポーツと位置づけられていたので、このカバーのカシエの様に正装して競馬を観戦した。日本は今でこそ、開かれた存在になっているが、この当時は未だそんな認識はされなかった。そんなヨーロッパスタイルがこの初日カバーでは窺える。
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